第1話「黒雷の旅人」
第1話「黒雷の旅人」
空を覆う鈍色の雲から、絶え間なく細い雨が降り注いでいた。
黒い雷雨暦(KR)50年。魔王ザガル=モルドの侵攻から半世紀が過ぎても、大陸を包む湿った闇が晴れる気配はない。
アルカディア近郊へと続く旧街道を、一人の少年が歩いていた。
プラチナブロンドの髪を雨に濡らし、古びた外套を羽織ったその姿は、一見すればどこにでもいる放浪者に過ぎない。しかし、その足取りに迷いはなく、周囲を睥睨する瞳には十五歳前後の少年にはおよそ不釣り合いな、深い静寂が宿っていた。
レイクス=ヴァルトニアは、鼻先をくすぐる血と死の臭いに足を止めた。
道端の茂みの向こう、小さな集落があった場所から、絶望に満ちた叫びが響いてくる。
「また同じ景色だ。五十年前から、何も変わらない」
内面で呟く言葉には、諦観にも似た孤独が滲んでいた。彼は母を失い、師リランダのもとを離れてから、幾度となくこうした光景を見てきたのである。
村の広場では、数体の下級魔族たちが、怯える難民たちをなぶり殺しにしようとしていた。
ぎらつく瞳、汚濁した魔力。かつて大陸を焼き尽くした魔王の軍勢の残滓だ。
レイクスは無言で歩みを進めた。
魔族の一体が、獲物を横取りされるとでも思ったのか、耳障りな咆哮を上げて少年に飛びかかる。
瞬間、空気が震えた。
「……目障りだ」
レイクスが右手を掲げると同時に、漆黒の雷光が走った。
多属性魔法の極致、古代魔法の一端である「黒雷」だ。
轟音。
魔族の肉体は悲鳴を上げる暇もなく、黒い稲妻に焼かれて霧散した。
驚愕に凍りつく残りの個体に対し、レイクスは腰の剣を抜くことさえしなかった。ただ歩みを止めず、指先から放たれる雷撃と、老練な体捌きによる一撃で、蹂躙者の命を淡々と刈り取っていく。
戦いは数分と持たなかった。
焼け焦げた大地の中心で、レイクスは静かに手を下ろした。その呼吸一つ乱れていない所作は、騎士の礼節を体得した者のように洗練されていた。
「あ、あの……ありがとうございます、少年……いや、殿方」
生き残った難民の長らしき老人が、震える声で頭を下げた。
集まった人々は、目の前の少年の幼い外見と、その内側から溢れ出す圧倒的な威厳、そして情け容赦ない戦いぶりのギャップに、激しい困惑を見せていた。子供として扱うべきか、あるいは高貴な騎士として遇すべきか、その判断がつかないのだ。
「礼には及ばない。ただ通り道にいたから、掃除をしただけだ」
レイクスは素っ気なく答えた。老成した口調は短く、余計な感情を一切排除している。
差し出された食料の礼も、縋りつくような感謝の言葉も、彼は背中で受け流した。
一人、荒れ果てた街道へと戻る。
左手の指には、母方から受け継いだ「女神の指輪」が鈍く光っている。
この指輪に刻まれた宿命と、己の身体に流れる魔王の血。その矛盾を抱えたまま、彼は五十年という歳月を彷徨い続けてきた。
ふと、前方から規則正しい蹄の音が聞こえてきた。
雨のカーテンの向こうから現れたのは、磨き上げられた鎧に身を包んだ、若い騎士の一団だった。
その先頭を走る若き騎士の瞳には、この絶望の時代には珍しい、真っ直ぐな意志の光が宿っているのをレイクスは見逃さなかった。
運命が、静かに動き出そうとしていた。




