ラブパー ラスト
「別れない!!!!!」
鋭い声がまっすぐに私の心を揺さぶる。
──あぁ、ヴァルの声だ。
頬に風を感じてふわっと体が浮き、涙で歪む視界の全てがヴァルで埋まった。
キリリとした眉が、心配そうに下がって銀の瞳が揺れている。
体を包んでくれている暖かさや、すっかり慣れてしまった背中にまわる腕の感覚、片頬にあたる上質の布越しにも感じられる胸板、すべてが愛しい。
「モニィ」
ちょぴり厚めの唇が彼だけの呼び方で私を呼んだ。
私はやっと自分がヴァルに横抱きにされてる事に気づいて彼の首に両腕を回しぎゅっと彼の頭を抱きしめる。
「アグリモニーさんは、ヴァルと別れるって」
「それ以上、歌うな!!」
勝ち誇ったように甘い女の声が私の背筋を凍り付かせる瞬間に、それをヴァルが鋭く遮った。
今までに聞いた事が無いほど、彼の声に怒気が混じっている。
それが、絶望のなかでもがく私を一気に引き上げた。
──うた……歌う?
彼女との会話で何度も思った。
まるで歌っているようだと。
そこで私は、はっとした。
──やられた、吟遊詩人のスキル【感情誘導】だ!
歌に乗せて聞くものの感情を惑わし、例えばヤル気をなくさせたり、怒らせて我を忘れさせたりするそのスキル。
戦闘時対象へ向けて時間をかければかけるほど効果が増す上級の技。
彼女は、それを会話に織り込んで私に使っていたのだと気がついた。
やけに詩的だと思ったら、そんな事してたのか!?
気がついてしまえば、さっきまでの絶望はなんだったのかというほどアホらしい思考だった。
なんで、ヴァルが私を騙している前提を受け入れてしまったのか。
価値観が違うとしても、なんでそれを尊重しようと思ったのか。
うー、くっそぉぉお!!
思考に靄がかかったみたいに自分の考えが浮かばなかった事の違和感に今まさに気がついて、まんまと引っかかった自分に腹が立ってくる。
そして、凹んだ。
やはり、私は気を抜き過ぎていた。
私が激しく脳内反省会をしている間も会話は進む。
「チコリ、モニィは俺の大切な人だ」
この吟遊詩人はチコリという名だったのか、名さえ知らない相手に王城だからとか、警護がいるとかいって気を緩めまくってしまっていた自分って……orz
もうちょっと警戒していればスキルだと気がついた筈なのに。
のん気に話を聞いて、まんまとスキルにはまって詩人チコリの誘導にかかってしまった。
うん、チョロイし弱いなぁ……私。
「でも……彼女が自分で」
今にも泣き出しそうな声でチコリが言い募る。
「俺はこれからこの人──モニィと幸せになる、ずっと一生側にいて二人で幸せになっていこうって約束したんだ」
ピシャリとはねのけるヴァルの声。
熱い言葉が至近距離で体に、心に響いて私を暖かく包む。
脳内反省会のどんより気分が一気に霧散する。
いや、あとでちゃんと反省して今後にいかすからと思いながら、嬉しくて幸せで、ここが何処だとか関係なくヴァルにキスしたくなった。
「ヴァル、あなたはまだ解ってないのよ。その人に飽きたらどーするの?」
必死な声でチコリは訴える。
──飽きる。
また、心が重くなる。
そう、不安はもともとある。
そこをチコリにつけ込まれたのだ。
だから「飽きる」という言葉に、また肩が震える。
そう、ヴァルに飽きられたら……ヴァルが私といる事に幸せを感じなくなったら。
私の心の不安をチコリにいわれて、また心が冷たくなっていく。
「もっと沢山の経験をしてから、それから結論を出したって遅くないわ。あなたは自由なのよ、だから」
庇護欲をそそるチコリの声が芝居がかっていく。
──ブワッ!
それは質量を感じさせるほどの殺気。
さっきまでペラペラと止まらない吟遊詩人の声を「ヒィィ」という悲鳴と共に一瞬で止めた。
「俺は、勇者だ」
トサリと尻餅をつく音がして、カタカタとチコリの歯が鳴る。
「俺の自由を、お前が決めるな」
冷たい──とても冷酷な声だった。
私は溢れ出す殺気が、意図的なものだと解る。
心地よかった【畏怖】とは違う気配は、それでもヴァルのもので、既に脳内プチ反省会を経て気を引き締めている私はスキルだと気づけた。
きっと直接対象にされてないから分析できるのであって、こんなんくらったら私はちびっ……ただですまないと思う、きっと。
私は抱きしめていたヴァルの後頭部をよしよしと撫でた。
不甲斐なさすぎの私を彼が守ってくれたのが解るから。
魔王討伐の仲間として共に戦った人に対してこういう事をするのは、ヴァルにとっては不本意なんじゃないかなってなんとなく思った。
私の勝手な想像かもしれない、それでも……
「ヴァル、ありがと」
とても近いヴァルの耳に囁く。
殺気は静かに収まって、私を支える腕の力がすこし強くなる。
私の首筋にヴァルが顔を埋めるのがくすぐったい。
「もう、大丈夫だから下ろして」
静かに言うと
「やだ」
クイ気味で否定された。
ぺしっと後頭部を叩いて、
「決着は自分でつけたいの」
そう伝えると、ゆっくりと(渋々かな?)腕の力がゆるみ、ヴァルはとても優しくテラスの床に降ろしてくれた。
しっかりと床に足を着けて、ヴァルを見上げる。
まっすぐに目を合わせると、ホッとしたようにヴァル表情が微かに和らいだ。
さて、と振り向いて決着をつける相手に対峙する。
そこには、恐怖に腰を抜かし座り込んで震えるチコリがいた。
「ずるいわ……ずるいわよ」
私を見て、彼女は少女のように泣いて睨んでくる。
なんだ、以外に元気そうだ。
殺気コントロール完璧ですよ、勇者殿。
「お互い様。まぁスキルを看破できなかった私は未熟者ではあるけどね」
「未熟で卑怯者よ! あなたは! 全くヴァルと釣り合わないわ!!」
今まで被っていたいろんなものをドバッと脱いで剥き出しの悪意が私への言葉にのった。
ヴァルが動く気配がしたので、後ろ手でストップをかけておく。
「それでも、私はヴァルと一生一緒に生きて行くって決めた」
さっき、ヴァルが言ってくれた言葉。
それは私も同じ気持ちだった。
「なによぉ、そうやって縛ってたって男はみんな飛び立っていくのよ。息苦しくなって裏切られるのよ!」
「チコリさん、あなたの言う通り私は恋愛面に置いても未熟よ。これから沢山の失敗もすると思うし、束縛したり嫉妬したりして重たい女になるかもしれない」
そうなのだ、今回みたいな事はこれから先でもある可能性がある。
その度にヴァルに助けられて心配させてしまうかもしれない。
チコリの言うように、彼が息苦しくなって、私に飽きてしまうかもしれない。
「でも、その失敗も反省を活かすのも全部ヴァルに対してだけでいい。これから先、彼の事を束縛するかもしれない、息苦しく感じさせるかもしれない」
私はチコリから目をそらさず、スキルの影響化では上手く出せなかった答を改めて伝える。
「だからこそ、私は勝手に相手の心を想像して不安になるのはやめようって思った」
そう、これは過去の経験で学んだ事。
そして、テオールの『アグりんはひとりで抱え込みすぎ』という言葉が蘇る。
今世には、頼れる親友達もいて、そしてなによりヴァルがいる。
未来は解らないけど、解らない未来に不安を感じて今を否定したくない。
「ヴァルを信じているから、不安になったその時はちゃんと言葉で確認するわ。そういう事から目を背けないって決めたの」
ヴァルの事はまだこれから知っていくとして、あまり理想を押し付けてもダメだし、思い込みもダメだろう。
それでも、このひと月たらずで私を虜にしたヴァル・ガーレンという人物を私は信じる。
「男というものとか、勇者だからとかじゃない、ヴァルという存在とずっと一緒にいるために私はずるくても、卑怯でも、必死に努力していくつもりよ」
チコリは私がしゃべり終わると「ふんっ」と鼻で笑って馬鹿にしたように表情を歪めた。
──美人台無しレベルの歪みだわ。
「はいはい……男に守ってもらいながらよくもまぁ、随分とご立派な言い分ね。ふんっ、恥ずかしい」
ツバを吐くように投げ捨てられた言葉。
そだね~、盛大なノロケよね~。
本人を前に(まぁ、後ろにいるんだけど)随分とこっぱずかしい事この上ないが、そこんとこはこの際気がつかない振りで、吟遊詩人に負けじとポエマーになった自覚はある。
──だが、それがどうしただ!
私は彼女の悪態をドヤ顔で受けて立つ。
そう、ヴァルの恋愛師匠フォスター・オルロフの如く。
うらやましいだろ? と小憎らしく微笑んでみた。
チコリはのろのろと立ち上がって、ドレスをはたいた。
そして、また美人に戻って私の後ろにいるヴァルを見る。
「ヴァルゥ、この女に飽き──」
「飽きない」
話の途中で即座に否定するヴァル。
いや、ありがたいけどここは最後まで話させなよ。
「たらぁ、私は」
話続けてるこの吟遊詩人もすっげー肝っ玉だなぁ。上級冒険者で魔王討伐隊に入るだけはあるなぁ。
「私、ずーっと待って──」
「ない」
だからヴァル、台詞は最後まで聞きなよ。嬉しいけどさぁ。
「待ってるから。私の事、覚えて」
「君、ダレ?」
わお、ヴァルが容赦ない。
流石に、度重なる否定でチコリも眉がピクリと動く。
「チコリ!」
更に何か言い募ろうと口を開いた彼女の名を呼ぶ男性の声が、ホールへの硝子扉辺りから聞こえた。
やっと見つけた! という声にチコリは虚空に視線を投げ肩を微かにすくめる。
慌てたように走り来る人物は、チコリとお揃いのような黒の燕尾服を着たヒョロリと背の高い深い緑色の髪の男性だった。
「あぁん、ディーン♪」
激甘な高い声でチコリが振り向きながら、ヒョロリとした男性に駆け寄り抱きついた。
──え?
ヴァルを譲れって言ってたのに、その本人の前で他の男に甘えて抱きつくの!?
私が驚愕に顎が外れそうになっていると、すっと私の隣にヴァルが並んだ。
「あの人、パーティーの男がみんな恋人なんだよね」
ボソリと呟かれた声に「はぁ!?」と新たな驚きの声が出る。
「ちなみに、あの人のパーティーはディーンをはじめ4人編成。彼女以外みんな男」
ヴァルの疲れきったような進言に、私はさらに驚愕した。
え? 4引く1は3人!
恋人が……3人、さんにん、さん……
「チコリ、まだヴァルを……」
「ふんっ、知らない」
ぷくっと頬を膨らましてあざとく拗ねてる。
すると、チコリを抱きしめながらディーンと呼ばれた男はヴァルに小さく頭を下げてチコリを連れテラスからホールへ戻って行った。
「……逆ハーかよ」
「ぎゃくはぁ?」
私の呟きにヴァルが聞いてくる。
「あぁ、男が女性を複数侍らすハーレムの逆で、女の人が男性を沢山侍らすって事かな」
ヴァルを逆ハー要員にする為に、格下相手に上級スキルを容赦なく使う女かぁ。
しかも、既に3人もいるのに……
──面倒くせぇ!
私は盛大に肩を落としてため息をついた。
「俺はモニィだけだ」
真剣な声に横を見上げるとヴァルがホールを見つめていた。
その横顔はやっぱりすごく格好よくて、月明かり照らされた黒髪がサラサラと優しい風に揺れている。
ふっと、ヴァルが私と目を合わせる。
ただ見とれている私に
「モニィだけだから」
真剣に、そして熱く言葉が紡がれた。
心臓がトキトキとヴァルの言葉を私の全身に流していく。
月明かりの下。
ホールから、はいつの間にか楽師達の演奏が再開していて柔らかな音楽が流れてくる。
私はヴァルに正体して一歩未満のその距離をゼロにする。
背伸びして彼の首に両手を回した。
「大好き、ヴァル。愛してる」
自然と言葉が溢れた。
私の言葉を受けて目の前を埋め尽くす極上の笑顔を堪能する。
そして、近づく輝く銀の瞳に満たされた気持ちになりながら目を閉じる。
ヴァルと重ねる唇は、まだ数えられる程だけどこれからもずっとこの心地よい暖かさを感じたい。
ぎこちなくヴァルが私の下唇を甘噛みする。
答える様に私も彼の上唇を食む。
最初は恐る恐る不器用に深くなるキスは、私の残念な思考も羞恥心も何もかもを幸せの中に溶かしていく。
恐るべき勇者のレベルアップ力は、キスにまで対応するようで空気を求めて継ぐ息が「あっ」とか「んっ」とか、今までになく艶めかしい音になった。
その音がヴァルを煽り、繋がりは更に密になっていく。
そして、どんどん翻弄され最終的に鳴り響き続けるレベルアップのファンファーレ(私の脳内だけだけど)に、私の腰が砕けた。
唇がわずかに離れて、長く深い繋がりが終わった。
倒れないように支えたヴァルが強く私を抱きしめる。
お互いに荒くなった息を収めるようにひと呼吸したが、それがシンクロして私が笑う。
それを受けてヴァルが笑う。
「もう……短時間で上手く成りすぎじゃない?」
「上手くなった?」
嬉しそうな囁き。
「うん、何度もしたくなるぐらい気持ちよかった」
わぁ、思考が口に出る。
全部、なにもかもヴァルの前ではさらけ出してしまう。
「する」
「うぁっ、ちょっ、まって」
熱に浮かされたように潤んだ銀の瞳が目の前に現れて、指で顎を上げられるのを慌てて止める。
だって、チラリと警護の人が目の端に入ってしまったから。
置物の様に立って正面を向いて気配を消してくれているが、多分ヴァルが出てきた辺りからこちらに意識は向けているだろう。
チコリは始終囁くようにスキルを展開していたが、ヴァルのあれは流石に気がつくはず。
その後の修羅場もさることながら、今更になってこのバカップル空間が人前だった事に意識が向いて冷や汗がでる。
私が警護の人へチラリと目線を流して、「人がいるし」と呟くと。
ヴァルはまた一瞬で私を横抱きにした。
再びの浮遊感に「うおっ」と、さっきの色気なんて微塵もない声を上げる。
「はぁ? なんで、なんでまた?」
ヴァルはフォスター・オルロフに影響を受けすぎている。すぐに子女をお姫様抱っこするの癖にしないでぇぇ!
私の心の叫びは、ヴァルが王城の庭園につながる階段を降りはじめて自然に止まった。
迷い無く夜の庭を進むヴァル。
夜風がサラサラと木々を揺らし、遠くなったホールの音楽に変わって噴水の水音が近づいてくる。
きっとここにも警護はいるだろうけど……
月明かりの影は、点在する灯びでは照らせない夜の闇に沈んでいる。
だから、簡単に離れていった羞恥心を私は追わなかった。
噴水の脇にあるベンチは、白の大理石で背もたれはなく、端がくるりと渦をまいたデザインだった。
そこにヴァルは腰を下ろして、私を膝に乗せたまま唇を重ねる。
噴水の水音が、私たちを包んでいるからさっきより大胆に深く長く唇を重ね合う。
ヴァルに溶かされる。
優しく激しく、私はヴァルという夜に溺れていく。
* * *
月明かりを受けてキラキラと輝く噴水の水玉。
さっきまでの熱い口付けの余韻にひたりながら、私たちはベンチに座ってお互い無言で心地よい時間が流れていくのを感じていた。
「モニィ」
ヴァルが私の髪を梳いて、呟く。
「ヴァル」
私は彼の胸に頬を当てて、名を返す。
コロンというかすかな音に、クラバットの下を探ると小さな鳥籠のペンダントトップが上質なシャツ越しに指に触れた。
「この魔工石の色……」
私の瞳の色って思ってもいいのかな。
自惚れかもしれないから、後半は声にならなかった。
「モニィの瞳の色だから」
答えがすぐに返って来て幸せが満ちる。
『俺にとって価値がある』
そんな言葉に盛大にツッこみをかましたけど、そんな意味であの言葉が紡がれたと思うと照れくさい。
私がしばしば思い出し照れをしていると、ふっと体が浮いてベンチに座らせられた。
散々お姫様抱っこだなんだとツッこんでた癖に、突然なくなった温度に寂しくなって戸惑う。
ちょぴり恨めしく思って、その体温の主を見る。
彼はすっと立ち上がってポケットから何か取り出すとくるりとこちらを向いて、私の目の前で片膝を着いた。
「俺の色をモニィにもつけて欲しい」
そう言って差し出された小箱を私はゆっくりと手に取った。
残念思考回路もヴァルとのキスで溶けてしまったのか、ただ溢れてくる喜びが私の許容を超えてしまったのか。
熱くなる頬とときめく心が脳を介さず体を動かしていく。
箱をあける。
そこには、ヴァルのペンダントトップと同じ鳥籠の中に輝く銀の石が光っていた。
とろりとした不思議な質感の石。
今は月明かりの下で微かに蒼く見える。
ペンダントトップに指を当てるとチリンとかすかに澄んだ音がした。
これも、準備してくれてたんだぁ。
心がふわふわして口が綻ぶ。
私は今まさに手の中にある銀と同じ色の瞳を見つめ、
「ありがとう、肌身離さず一生大切にする」
そう、宣言した。
良かったぁっ! そう叫んでヴァルはまた私を膝の上に乗せて抱きしめた。
いや、だからお姫様抱っこがデフォルトになってるのどうかと思う。
速すぎて一連の動作に抵抗する事もできずなすがままだ。
ぎゅうっと抱きしめられるが、絶妙な力加減で苦しくないのだけど、手の中で銀の石が小さな小さな音でチリンチリンとなった。
「あ、ちょっとヴァル、ペンダントつけたい」
私の訴えにやっとヴァルは体を離してくれた。
ええ、お尻は彼の膝の上のままですけど。
「俺につけさせて」
その言葉の艶と甘さにクラクラしながら、ペンダントを渡すと、これまた素早く首の後ろにあるリボンをよけてペンダントが装着された。
私は銀のドレスの布の上で光る銀の石を誇らしく見つめる。
「どう?」とヴァルに意見を求める為に振り向ことしたら、背中にちゅっとヴァルの唇が触れた。
はっ!? 何事っと思うが、突然の感覚にゾクゾクと甘い刺激が背中に走る。
驚きの声は掠れて潤む。
すかさずチリっとした微かな痛みがしてやっと、ヴァルが視界にもどってきて満足気に微笑んだ。
「似合ってる」
なんにも無かったように、ペンダントを誉めるが私は頬にたまった熱にそれどころではない。
「あっ、あのね! 今、せ、背中に、背中に」
「キスマーク、上手くできた」
無邪気に曇り無くニカっとした笑顔☆
たぶん、しっかりついたと思う。
しかも、背中のリボンが揺れたら見られてしまう場所に!
「見らるっ、み、見られる場所だから!」
「見せないと効果がないって言われたんだけど……え?」
私がうろたえる姿を見てヴァルは何かを察したようだ。
さっきまでの無邪気な笑顔がシュンと曇る。
「誰に?って、どうせフォスター・オルロフでしょ」
ジトリとヴァルに目線を向けると、
「いや……テオールに……」
テオール……お前もか……
ヴァルはテオールにドレスのデザインで背中が開きすぎてないかと言ったらしい。
『そんなに心配ならキスマークでも付けとけばいいじゃない』と返され、そもそもキスマークとは? と聞いてため息をつかれたらしい。
最終的にはルートが、『見える場所に付けておけば、付けた本人以外が近づかないおまじないになるんだよぉ~』と教えられたという。
「おまじないって……」
乙女かぁ!? 乙女だった。
「もしかして、これってモニィにとって嫌な事だった?」
しょんぼりと聞かれる。
嫌というか……ものすごいはずかしいっていうか、これ見えたらルートとか完全にニマニマして、してやったりってなるでしょ!
テオールだって、ついにやったわねみたいに生暖かい目線でいい笑顔になりそうだ。
はぁっとため息をついた私の目に銀の石が目に入った。
でも、そうね──
「よし! 開き直ってりゃいいのよね」
私の突然の決意にヴァルは困惑気味だ。
「あのね、嫌っていうより『私達、ヴァルが背中にキスマークつけちゃうような事を王城の夜の庭でやってきましたよぉ!』ってこれを見た人に悟られちゃうのが恥ずかしかった訳」
一気に説明するとヴァルはみるみる頬を染めて、俯いた。
キスマークだけではなく熱く長いキスが簡単に連想された為だろう。
よしよし、こっち方面が完全に抜けまくってるヴァル君も自覚してくれたようだ。
「でも……それは事実でね」
私は俯いたヴァルの頬をもって私と強引に目線を合わせるようにした。
「その事実ってのは、私にとって幸せで嬉しい事だった訳よ」
その気持ちが口角を自然に上げさせる。
ヴァルはまだシュンとした眉毛のまま、私の瞳を覗き込む。
「私、ヴァル以外に近づいて欲しくないからね。だからこれをヴァルが付けたんだってちゃんとアピールしてね」
ヴァルはもの凄い勢いで頷く。
恥ずかしさも二人で開き直ってりゃどこ吹く風だ。
「ふふっ、だから私は幸せですって見せつけてしまおうって思うのね」
「モニィ、ありがとう」
まだ申し訳ないって気持ちがありながらも、嬉しそうにヴァルは言う。
「こちらこそ、パレードに参加させてくれた事も晩餐会もチコリさんから守ってくれた事も、このペンダントも全部ぜーんぶありがとう」
今日だけで、こんなに沢山ヴァルから幸せをもらえた。
そしてそれもこれも
「ヴァル、私を好きになってくれて……ありがとう」
そして、また二人の唇が重なっていく。
もうすぐ、パーティーはお開きになる。
そろそろ、会場へ戻らなければいけないだろう。
この唇が離れたら暫くは甘い二人きりの時間は休止。
だから、離れがたく終わりたくなくて私達のキスは深く長くなっていくのだった。