第1話「イチョウは知っている」
谷中の神社
初秋、夕方
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近道だ、と自分に言い聞かせる。
もちろん、違う。神社を通ると、行きも帰りも四分は余計にかかる。止まらずに歩けば、の話だ。けれど僕はいつも止まる。だから「近道」という言葉は便利だ。なんの用もない午後に、石段の途中で座り込んでいる自分を説明するために。
谷中の路地は、古い木と味噌の匂いがする。建て直されずに残った町だけが持つ、空気のあと味みたいなものだ。木の店先は少し傾いている。長く立っているうちに、建物も力を抜くのだと思う。向こうの端を人影が通る。何かを提げた人の形。足音は小さく、心地よく、僕には関係がない。少し先の網戸の向こうからラジオの音が漏れている。知らない歌だ。知っている理由もない。
この路地ほど細かく覚えている場所はない。それでいて、役に立つことは一つも言えない。三軒目の店先の、一枚だけ反って浮いた板が、隙間を風が抜けると鳴ることを知っている。二軒先の犬が、僕に吠えるのをもう諦めて、それを決まりごとにしたことを知っている。匂いが味噌から古い木へ変わる、ちょうどその敷石を知っている。どれも知識ではない。三年かけて積み重なった、役にも立たない観察だ。こうして書いてみると、それがいちばん正確な僕の説明かもしれない。
初秋のこの時間の光には、はっきりした性質がある。夏の光より温かいのに、どこか頼りない。日が短くなることを、もう知っていて、そのぶん気前よくしているみたいだ。やがて、いつもの石段が見えてくる。そして僕は止まる。いつものように。
ここでは、通りの音がやわらぐ。石段を上るあいだに、空気が二度変わる。僕は三年間、この石段の下で足を止めているけれど、毎回同じことが起きる。町が一歩だけ退いて、残るのは、頭上のどこかでイチョウの葉が触れ合う音だけになる。
☆☆☆
イチョウが始まっている。
先のほうだけ。樹冠に金色が少し散っていて、残りの葉は、まだ緑でいることに意味があるみたいに踏みとどまっている。扇の形をした葉のほとんどは動かない。ときどき、どこからか吹いてくる風に、数枚だけが小さく震える。僕は三段目にしばらく座った。理由はない。午後がそこからどう見えるのかを見たかっただけだ。
午後は、午後そのものに見えた。
毎年秋になると考えて、うまく言えないことがある。イチョウは、少しずつ色づくわけではない。ほかの木なら、一枝ずつ、一週間ずつ、緑と金色のあいだで長い相談をする。見ていれば、ついていける気がする。けれどイチョウは持ちこたえる。何週間も、同じ木の顔をして、毎朝ほとんど同じで、指で示せる変化は何もない。そしてある日、通りかかると、木全体が誰かに灯りをつけられたみたいに金色になっていて、ずっと見ていたのに何かを見逃した気持ちになる。三段目に座っていたとしても。
僕はこの木を三年間見てきた。まだ、その瞬間を捕まえたことがない。
最近は、その瞬間のほうが捕まえられたくないのかもしれないと思っている。そういうものもある。
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白い猫は、石灯籠のそばにいた。
もう少しで見落とすところだった。古いものが古い場所に収まるときのように、そこにいた。置かれているのでも、休んでいるのでもなく、ただそこに「ある」。石灯籠が最初から彼を含んでいて、僕が今ようやく細部に気づいただけみたいだった。大きく、重たそうで、白い毛には午後の光を映した淡い黄みが混じっている。長いあいだどこかにいた猫の姿だった。
僕は止まった。片耳は前へ、片耳は少し後ろへ。何かを見つけたけれど、それと同じ景色に自分も属していいのか、まだ決めていないときの顔だ。
彼は片目を開けた。片方だけ。もう片方は閉じたまま、あるいはほとんど閉じたままだった。その一つの目で僕を見た。とても古いものが新しいものを見るときの目だった。裁くのでも、驚くのでもなく、ただ記している。自分だけの帳面を少し書き直しているみたいに。
僕は一歩、慎重に近づいた。なぜ慎重だったのかはわからない。彼はまったく動いていなかったのに。
☆☆☆
「ここで会ったこと、ないです」と僕は言った。
「毎日いる」
「……あ」
彼の声には余分なものがなかった。冷たいのではない。ただ壁のようだった。あるものは、ある。飾りも、演技もない。彼の言葉は、庭に置かれた古い石みたいに現れた。いつからそこにあるのかわからないのに、そこにない庭は想像できなくなるような石だ。
僕は礼儀正しい距離をとって座った。規則がわからないときの座り方だ。二匹でイチョウを向く。石段を上がってきたときから、光は少し変わっていた。低くなり、金色を深めながら、社殿へ向かう敷石の影を長く伸ばしていた。数枚の葉が、急ぐ理由もないみたいに、僕らのあいだを落ちていく。
足元の石には、消えかけた一日の熱が残っていた。石が吸い込んだ熱を、ようやく返し始める夕方だった。僕はそれに気づき、気づいたことを忘れ、また気づいた。静かに座っていると、そういうことが起きる。
この午後のことを、いつしか一種の稽古のように思うようになった。何のための稽古なのかは言えないけれど。座ること。片側が温かく、片側が冷たいままでいること。光が境内を渡っていくのを、留めようとせずに見送ること。僕がまぎれもなく得意なのはそれだけで、町はそれを褒めてはくれないのに、僕はそれでもほとんど毎日それをする。急ぐ必要など一度もなかった道に、四分を足す石段の上で。
「木が色づき始めてますね」と僕は言った。ほんとうのことだったし、沈黙を壊さずにそこへ置けるものに思えたからだ。
「もう知っている」
「何になるかを」
僕は彼を見た。彼は木そのものを見ているというより、木を通して、あるいは木の向こうの、光がいちばん濃い空気の場所を見ていた。
「葉がですか」
返事が来るまでが長くて、会話が終わったのか、それとも答えはもう出ていて僕が聞き逃したのかと思った。僕らのあいだの葉が、やっと擦れた石の上に落ち着いた。決めたように。
「手放すこと」
☆☆☆
そのあともしばらく、僕は木を見ていた。何を見ようとしていたのかはわからない。イチョウはイチョウのすることをしていた。辛抱強くあること。決めた場所だけ金色であること。ほかの場所ではまだ緑でいること。持ちこたえて、持ちこたえて。
もう知っている。何になるかを。
三年間見てきたことを思った。毎年秋、三段目に座って、今度こそ移り変わる瞬間を捕まえようとすること。失敗すること。大事なことが、僕が着くほんの少し前に起きてしまったような気持ちになること。
もしかしたら、待ち方が違っていたのかもしれない。もしかしたら木は、こちらが気づかないうちに一気に変わるのかもしれない。見守ることが、いつも少し間違った見守りになるように。瞬間を捕まえようとするのをやめて、ある朝ただ、自分がもう違う季節の中にいるのだと気づくしかないように。金色は予告なしに来る。手放すことは、許可を求めない。見ていても、見ていなくても、木はもう決めている。
あるいは、僕が木について考えすぎているだけかもしれない。
僕は谷中の神社の境内で、石灯籠のそばに座る年老いた白猫を見ている猫で、僕らの誰ひとりとして役に立つことをしていなかった。午後は静かに終わろうとしていた。考えてみれば、それで十分だった。
☆☆☆
「行ったほうがいいですか」と僕は言った。
白い猫は目を閉じた。
「わかる」
「そのときになれば」
少し間を置いて、彼はもっと静かに言った。自分に向けてなのか、灯籠に向けてなのか、それとも誰にも向けていないのか、わからない声で。
「木は、わかる」
☆☆☆
灯籠の影が足元に届いたとき、僕は帰った。帰ろうと決めたわけではない。ただ立っていることに気づき、それから歩いていることに気づき、それから鳥居をくぐって通り側に出ていた。背後で神社の音が、聞こえない扉のように閉じた。
五時の谷中の路地は、四時とは違う匂いがする。どこかの薪の匂い。かすかで家庭的な夕飯の匂い。二軒先くらいの自転車のベル。僕が気づかないうちに、日はもう傾いていた。イチョウの色も、少しだけ深くなっていた。
僕は遠回りして帰った。理由は説明できない。「近道」は、もう言い訳として使えそうになかった。
途中で、尻尾にイチョウの葉が引っかかっていることに気づいた。扇の形で、茎のほうはまだ半分緑、先は黄色。その葉は、まだ緑と黄色のあいだにいた。僕はそれを引きずったまま、家まで歩いた。振り落とさなかった。
振り落としていないことに気づいた。そして、それでも振り落とさなかった。
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翌朝、木は同じに見えた。ほとんど同じに。先のほうに葉が少し増えていたかもしれない。確かめようがない。僕は三段目に座って、いつものように間違った見方で木を見た。やめられない見方で。
白い猫は灯籠のそばにいた。当然のように。
僕らは何も言わなかった。それもよかった。
季節は季節のすることをしていた。もう決めている金色へ向かって、自分の時間で、僕の意見を聞かずに。手放すことは、起きるときに起きる。僕はたぶん、また見逃す。
三年間で初めて、それがまさに正しい結末のように思えた。
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手放すこと。
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