余話1 対花
無名の丘西外縁部 无月邸
「そうして向かってきた槍先を、綾蔵様は素手で軽々と受け止めて……零もろとも投げ飛ばした」
「おー」
「それも片手で。しかもその手のひらには傷ひとつ付かなかった」
「おー!」
洋風の居間に響く幼女の歓声。
ミラージュが語る話を、メディスンは目を輝かせながら聞き入っている。
「あやくらさますごーい!」
「……うむ」
私を見て両手をぶんぶんとふる人形少女。
珈琲から上る湯気越しに愛想笑いを返しておく。
メディスンは満足そうに笑う。
すると続いて零のほうに向いた。
「レイよわーい」
「お黙りなさい。私は弱くありません」
メディスンが彼女を指差す。
零はソファーに腰かけたまま、努めて冷静に否定した。
その片眉が二度ほど不快そうに動いたのは見なかったことにしておく。
だが、純粋な毒舌は止まらない。
「じゃあなんでまけたの?」
「っ、それは……」
「ねえねえ」
「か、彼が。彼がとても強かったから……ですよ」
「わーやっぱりあやくらさますごーい!」
「くっ……」
無邪気な笑顔で喜ぶ人形。
零はこの上なく悔しそうな表情を、瞑目することで隠した。
そんな彼女を、ミラージュは勝ち誇った表情で見る。
零の口に私の実力を認めさせたのが愉快なのだろう。
案の定、零はその表情を見てさらに不愉快となった。
相変わらずだ。
やはりどうあがいても、ミラージュと零は反りが合わないらしい。
珈琲の最後の一口が喉を流れ落ちていった。
紫が寄越した趣向品のひとつだ。
美しく黒く、香り深く、程よく苦い。
人間の飲み物など、まして異国発祥の物など触れる機会もなかったが、これは旨いものだ……気に入った。
しかし、紫はこれらをどう手に入れているのだろう。
盗品でないと信じたい。
「……」
視線を感じ顔を上げる。
零が私を薄く睨んでいた。
今にも立ち上がろうとしているように見える。
どういう意図かはよく分からないが。
(ああ、わかった)
とりあえずそんなような意思を表情で伝えてやる。
流石に彼女が言われっぱなしなのも可哀想だ。
零が立ち上がるより先に、私は口を開く。
「メディスン、外へ遊びに行こう。付いてこい」
「はい、あやくらさま!」
「ミラージュは零と留守番を頼む」
「はい、綾蔵さ……え?」
当然のように付いてこようとしたミラージュを制す。
瞬間、零が颯爽と立ち上がった。
「さあミラージュ留守番しましょう。話したいことが山ほど有ります」
零は笑顔だった。
が、目と声色が本気であった。
よほどメディスンへの教育方法に不満があるようだ。
「待って下さい綾蔵様。メディの教育担当はわたしで」
「保護者は私だ。なに、たまには家でのんびりしておけ」
ミラージュの頭を軽く撫で、やや強引にそう押しきる。
不意を突かれたのか、彼女は何も言い返せずにメディスンの手を離した。
「ミラねえ、いってきまーす!」
「あ、うん。いってらっしゃい」
高度なやり取りに気付かないメディスンは相変わらず純粋だった。
ミラージュは引き留めることもできず、彼女に手を振った。
「あの、綾蔵様。なんかレイの目が怖いのですが」
「気のせいだろう。ではな」
「えっ」
ミラージュの背後には、静かな怒りを以て佇む零。
「いってらっしゃい、綾蔵」
「……ああ」
それをなるべく見ないようにしながら、私は邸を後にした。
* * *
幻想郷南西部 太陽の畑
我々の住む無名の丘から見て西の方角。
雑木林と竹林を飛び越えた先に、太陽の畑と呼ばれる盆地がある。
私はその外縁部にメディスンを連れてきた。
太陽の畑はすり鉢の地形ゆえ、縁に立てばその全貌が見渡せるのだ。
「わ……わー!!」
降り立つなり歓喜の声をあげるメディスン。
目の前に広がっていた光景は。
「あやくらさま! すごいきいろ! ぜんぶきいろ!!」
見渡す限りの向日葵畑だ。
壮観である。
彼女は駆け出し、向日葵たちを一本一本覗き込む。
やがて不思議そうな顔で私を見た。
「あやくらさま、このきいろいのなに?」
「なんだと思う」
「ようかい? くさ?」
「良い観察だな。これは花だ。向日葵という」
「おはな? こんなにおおきいのに?」
「そうだ。向日葵のように大きな花もあれば、鈴蘭のように小さな花もある」
身長差が凄まじいため、片ひざをついて言葉を返す。
彼女は私の説明にふんふんと頷くと、向日葵畑の中を歩き始めた。
てっきりまた駆け出すかと思ったが、案外冷静なようだ。
私は歩幅を合わせてゆっくりと歩く。
「ちかくでみるときもちわるいね、ひまわり」
「まあ独特な花ではあるな」
「あやくらさまはひまわりすき?」
「私は花とは無縁だ」
向日葵に埋もれそうになりながら進むメディスン。
花の高さが彼女の背を上回るのだから仕方ない。
時折進路を指示し、比較的歩きやすい所へと誘導し続ける。
その時だった。
「気持ち悪くて嫌い、と言ったのかしら」
静かな怒りを含んだ女声。
予想通りの者のお出ましに、私はため息を吐く。
「嫌いとは言っていないはずだがな」
横を向く。
いつの間に現れていたのか、ひとりの女性がいた。
緑髪赤眼に暖色の日傘。
太陽の畑の主、風見幽香だ。
吸血鬼異変以来、二週間ぶりくらいだろうか。
「こんな明るくて元気で可愛らしい花のどこが気持ち悪いのかしら」
彼女が睨むのはメディスンだ。
向日葵を悪く言われたのが気に障ったらしい。
「この子の感性だ。他人がどうこう言っていいものではないぞ」
無邪気な毒舌が返されるよりも先に私が擁護する。
当のメディスンは小首を傾げるだけだった。
気にするなという意図の笑顔を見せてやってから、幽香を掌で指す。
「メディスン。彼女がここの主、風見幽香だ。挨拶しなさい」
「はい! あやくらさまのじゅうしゃのいもうと、メディスン・メランコリーよ! おじゃましてます」
「訂正しよう。従者の妹ではなく従者の被教育者だ。私のもうひとりの従者でもある」
間髪入れずに情報を修正する。
ミラージュの教育の効果は抜群のようだ。
もう少し私が受け持つ時間を増やすとしよう。
「ふふ。お邪魔されてます、メディスンちゃん。……ねえ暗鬼。この子に向日葵の素晴らしさをたっぷりと」
「メディスン、しばらく遊んでこい」
「はーいあやくらさま!」
幽香を無視してメディスンを放つ。
彼女は跳びはねながら畑の中へと駆けていった。
「上等じゃない黒色。呼び戻しなさい」
「興味があるなら自分から聞くだろう。去る者を追うな」
「貴方が去らせたのよ」
「子供は遊ぶのが仕事、遊ばせたまでだ」
「……」
機嫌の悪い幽香。
だが異変の時と比べると、覇気と余裕に欠けていた。
我々の無断侵入だけが原因ではないようだが。
「あの威勢はどうした。傷が癒えていないのか?」
「違うわよ。……」
そこまで言って、彼女は一旦話す口を止めた。
私はその不自然な態度を追及せず、向日葵畑を眺めて言葉を待つ。
「……宵闇の妖怪のこととか、吸血鬼のこととか、いろいろと気がかりでね。このところ落ち着かないのよ」
「苦労は察する」
目を閉じ頷く。
ルーミアのその後については彼女も気になるだろうし、レミリア一味については我々でもよくわかっていない。
疑念は当然だろう。
「貴方たちもよ、気がかりなのは」
卒然、幽香が声のトーンを下げた。
赤眼が私を睨んでいる。
「无月綾蔵、八雲紫。何を隠しているのかしら」
「言っている意味が解らないが」
「とぼけるな。貴方たちの動きは都合が良すぎるのよ。気付かれていないとでも?」
向日葵の間から断続的に覗くメディスンの頭。
それを遠目に眺めながら、私はため息を吐いた。
「……そりゃあそうだろう。都合が良くなるよう図って幻想郷に来たのだからな」
そう言って彼女を振り向く。
意味を測りかねているようだった。
私は視線を前方に戻し、ゆっくりと歩きだす。
「人類の楽園、強者の野望、賢者の理想。それら全てが潰えた明かり無き世界。なんとしても脱し、新たな理想を紡がねばならなかった」
時空逆抗は完結した。
紫からも、禁忌を隠す時期は終わったと連絡を受けている。
「全ては、この非現実の理想郷に辿り着く為。時間の流れに逆らい、空間の摂理に抗おうとも……私と紫はこの理想を護る」
抽象的かつ簡潔に語る。
私は彼女のほうを見なかった。
彼女がどう解釈しようが、どんな感情を持とうが、もう私には関係の無いことだ。
「……触らぬ神に祟りなし、ね」
返ってきたのは静かな一言。
幽香は追及を打ち切った。
「話題を変えるわ。ルーミアと吸血鬼について知っていることを話しなさい。それと……メディスン、だったかしら。あの子のことも詳しく教えて」
一転、彼女は穏やかな声色で話しかけてきた。
「……良いだろう」
私は歩みを止め、彼女を振り返った。
さっきまでの荊の殺気を纏う妖はそこになく。
花のような暖かい微笑の女がひとり、淑やかに佇んでいるのみだった。
* * *
「あやくらさまー! ようせいつかまえたよ、ほらほら」
「ほう、やるじゃないか」
駆け寄ってきたメディスンを腕の中に受け止める。
その手に握られていたのは小人大の妖精。
握力と毒で随分弱っているようだった。
「さて、ミラージュに見せるまで殺さずにおけるか」
「やってみる!」
取り敢えず、無用な殺生を行わせないよう誘導しておく。
常習的に妖精狩りを行われたらたまらない。
強力な妖精は勿論、妖精よりも強大な精霊などと対峙したとき、彼女は大変な目に遭うだろう。
幼児教育の誤りはその子供の生涯に響く。
妖怪も人間もその他動物も同じことだ。
「メディスンちゃん」
「?」
幽香がメディスンに声をかける。
私は邪魔せぬよう、二人の間から横に逃れた。
「鈴蘭の花、好きなのかしら」
「すずらん? うん、だいすきよ。おうちの近くにいっぱいさいてるの」
「へえ、すごいわね。今度お姉さんを案内してくれる?」
「いいよ! おばさんもきっときれいっておもうよ、すずらん」
「……そう。お姉さん楽しみだわ」
幽香は微笑んでから腰を上げた。
それを確認すると、私はメディスンと手を繋ぐ。
「では、我々は帰るとする。勝手に立ち入ってすまなかった」
メディスンは腕を伸ばしきって私の手を掴む。
あのルーミアよりも低身長の人形だ、仕方ない。
「ほんとよ。今度からは一言挨拶なさい。それと、その人形にはちゃんと教育をしなさい。年長者に対する敬意が無いわ」
幽香は若干怒りの口調でそう要求する。
殺気や妖気を含んでいないのが救いだ。
私は苦笑し、頷いた。
「善処する。ではな」
彼女に背を向ける。
メディスンの手を引き、向日葵畑の端へと歩きだした。
「暗鬼」
足を止める。
「……いつでも訪ねてきて構わないわ」
静かにそう告げる幽香。
振り返ってみるが、彼女の表情は日傘の向こうだった。
好意的な発言と見るべきか。
いずれにせよ、かなり態度が軟化したことは間違いない。
ルーミア戦の時はどんな野蛮な妖怪かと頭を痛めたが、根は良い奴らしい。
「そうか」
短く返事。
メディスンの手を握り直し、再び歩み始めた。
「ゆうか、またねー」
人形少女が後ろへ手を振る。
それを横目で微笑ましく見守る。
幽香が手を振り返しているのを気配で感じた。
鈴蘭畑の毒人形と向日葵畑の大妖怪。
この不思議な友情、いずれどこかで役立つやも知れない。
* * *
「レイではメディとの歳の差が大きすぎて会話すらままならない。無駄な足掻きはやめるべき」
「貴女はあの子に正しい教育ができていません。大人しく教育担当を譲りなさい!」
「いつまでやっているか貴様ら」




