第三十四話 抵抗
天が唸る。
地が吼える。
時が乱れる。
空が歪む。
瞼を開く。
迫っていた衝撃波も、身体にまとわりついていた死の妖気も、夜空を埋め尽くしていた弾幕も。
私から発せられた絶大な妖力によって、一瞬にして消え失せた。
己の両手を眺めてみる。
尋常ならざる量の妖力が滾ってくるのが、一目で見てとれた。
過剰な妖力はすぐさま身体中の傷を完治させ、無明秘剣をも再生成する。
それでも止まらない妖力の過剰供給。
たちまち刀は巨大な光を纏い、その刃先は光線の如く伸び、その刀身は巨木の如く肥大化する。
さらに、分厚く頑強な妖力壁がこれでもかというほど何重にも周囲に展開する。
激情によって沸騰していた頭が急速に冷え、意識が冴え渡る。
時間の流れが極端に遅く思え、身体は羽の如く軽やかに感じる。
視野は大きく広がり、色覚はより鮮明となり、視力は桁違いに上昇する。
聴覚や第六感が研ぎ澄まされ、周囲のあらゆる気配が手に取るように認識出来るようになる。
『無限黒霧』。
眼下の無明天蓋の闇霧を、全て私の身体に結集する技だ。
天蓋が崩壊していくのと引き換えに、私の身体能力や感覚能力、攻撃力、防御力を極限まで引き上げることができる。
代償としてこの大都市東京の永続的な占拠は不可能となるが、致し方ない。
背に腹は代えられない、というやつだ。
この程度、延命の為ならば安い犠牲である。
生きてさえいれば、また再起も図れるのだから。
驚愕に固まる三者を睨み付ける。
それぞれ回避や再攻撃をしようと動き始めている。
だが、その速度は眠くなるほど遅い。
動体視力と認知能力が極限まで上昇した為、時間の流れがゆっくりと目に映るからだ。
空を蹴る。
私の理想を汚す邪魔者共め。
全員あの世に送ってやる。
一人目は貴様だ。
西行寺幽々子。
「……!!」
幽々子が接近する私に気付いた。
が、やはり遅い。
既に霧散して逃げようとしている萃香や、スキマへ逃れようとしている紫と比べれば、その遅さは致命的だ。
そののんびりとした性格が災いしたのだろう。
良い様だ。
「『我亡郷』……!」
幽々子が焦った声色で宣言する。
その右手の扇子が妖力を帯びたかと思うと、その先から四本の赤い光線が放たれた。
横1列に束ねられたその扇子を、彼女は横薙ぎの要領で叩きつけてくる。
四本の巨大な剣が迫る様は、かなりの恐怖心を生む。
だが私は長大となった刀を交わらせ、逃げずに真っ向から受け止めた。
刀と光線が触れた途端、幽々子の右手から扇子が弾き飛ばされる。
付随して四本の赤い光線もあらぬ方を向き、刀にかかっていた重みが消えた。
その隙を突いてさらに彼女に接近する。
「っ……あらあら……!」
幽々子が今度は左手の扇子を剣と化し、私に叩きつけようとする。
だが、既に遅い。
私は上空に飛び上がって横薙ぎを避けると、頭上に刀を振りかぶった。
彼女が慌てて私を見上げ、迎撃の為の弾幕をばら蒔く。
弾幕は分厚い妖力壁に次々と衝突しては、乾いた炸裂音をあげて消えていく。
この程度、痛くも痒くもない。
「即ち、無意味だ」
膨大な妖力を込めた無明秘剣を、彼女の脳天めがけて振り下ろした。
「!?……」
轟音と黒い炎が幽々子を包む。
悲鳴すら聞こえない。
彼女の纏う死の妖気は辺りに散って行く。
「…………」
黒煙の中から幽々子が姿を現す。
青い着物は焼け焦げ破れ、あの幽玄な美しさは見る影もない。
彼女は意識を失ったまま、瓦解中の天蓋へと落下し始めた。
すると、突然彼女の下方の空間が裂ける。
またしても紫のスキマだ。
幽々子の身体は、吸い込まれるようにスキマの向こうの異空間へと飲まれていった。
紫がいる限りトドメは刺せないか。
まあいい、どちらにせよあの様子では暫く再起不能だろう。
「幽々子っ!? こ、こんの野郎ぉぉ!!」
背後からの怒号と殺気。
すぐさま空を蹴って距離を取り、声の主を振り返る。
二本の長い角を頭に生やした少女が、鬼のような形相で私を睨み付けていた。
次は貴様だ。
伊吹萃香。
「許さねぇ……『百万鬼夜行』!」
萃香が吼える。
小さなその身体が、凄まじい妖力と光を纏う。
瞬間、彼女から放たれる大量の妖弾。
大小二種類の青い妖弾は、尋常ならざる密度で夜空を埋め尽くす。
全方位攻撃なのにも関わらずこの超密度。
ただの体術馬鹿ではなかったようだ。
面白い、真っ向から受けて立とうではないか。
「『非現実重弾幕』……」
両手を広げ、一気に妖力を解放する。
視界が一瞬眩む。
直後、萃香の弾幕を遥かに凌ぐ密度の弾幕が周囲に向け放たれた。
大中小三種類の闇色の妖弾が夜空を埋め尽くし、何百本もの赤色の光線が無差別に寒空を切り裂く。
端から見れば、 どす黒い花火でも咲いたように見えるだろう。
互いの弾幕が互いの前方で衝突する。
妖弾と妖弾とが爆ぜ、光線が弾幕を撃ち落とす。
互角のせめぎあいだ。
「はああぁぁっ!!」
光の向こうで萃香が吼える。
彼女の弾幕の密度が上がり、衝突点が次第に此方へと迫ってくる。
力押しか。
撃ち合いとなってもその方針は変わらないのだな。
だが、今の私を相手するには愚策だ。
「……!」
息を吐き、妖力の出力を僅かに上げる。
そう、僅かに、だ。
たったそれだけで、私の弾幕の密度は数倍以上にまで膨れ上がった。
今の私が扱える妖力量は、あらゆる妖怪を遥かに凌駕する。
鬼一匹程度に力負けすることなど、万にひとつもあり得ない。
衝突による爆炎の壁が、一気に押し返される。
たちまち萃香の弾幕は押しきられ、彼女の妖力壁を叩き始めた。
「な、なにぃ!? ぐわっ!!」
妖力壁をも撃ち破った弾幕が、萃香を飲み込む。
悲鳴を上げた彼女は、闇色の弾幕の向こうへと見えなくなった。
追撃すべく、すかさず空を駆ける。
もはや巨大な光の柱にしか見えない無明秘剣を横手に構え、爆煙の中へと飛び込む。
過敏になった六感を駆使して、暗闇の中から萃香の位置を割り出す。
たいして時間など掛からなかった。
そしてそれは正確だった。
私は一切の迷いも情けも無く、左上から刀を振り下ろした。
「……?」
刀身が何かにぶつかり、動かなくなる。
確かに萃香を捉えたようだ。
しかし振り抜けないということは。
……刀が受け止められたのか。
「ぐ……ぎぎ……!」
煙の中から萃香が姿を現す。
右肩に食い込む刀身を右手で担ぐようにして止めている。
刃に触れる首筋と掌が徐々に血で濡れていく。
歯を食い縛り耐える彼女が、私を睨む。
僅かに笑ったように見えた。
「やられて……たまる、かぁぁ!!」
突如、萃香の空いた左手が拳となって打ち出された。
その速度は稲妻の如く。
その威力は落星の如く。
驚異と不意の一撃は、私の顔面を砕かんと迫る。
が、届かない。
私の顔の前で拳は止まった。
異音を上げながら軋む空間。
拳の前に立ちはだかったのは、妖力壁だった。
「し、しまっ……!?」
萃香が驚愕に目を見開く。
一瞬ほどたっぷり固まってから慌てて距離を取り始めたが、遅い。
刀を握っていない左手に妖力を込め。
「即ち、無駄だ」
萃香の鳩尾を殴りつけた。
「ぐ……ぁ……」
小さな身体に突き刺さる、圧倒的な妖力。
口から溢れる、苦悶の声と僅かな血。
止まりかけた時間は、萃香の敗北という結果だけをその場に掲示し、再び動き出す。
妖力が爆ぜ、彼女の身体は殴り飛ばされた。
煙と血の滴を引きながら、萃香は寒空を墜ちていく。
その下方に現れたのは、案の定スキマだ。
幽々子と同じく、彼女もスキマの向こうの暗闇へと吸い込まれていった。
幽々子も萃香も、常識を外れた人外だ。
早かれ遅かれ、放っておいてもその異常な生命力で復活するのだろう。
隔絶されたあの異空間の中なら、何者にも邪魔されず回復に専念できる。
友人を救えたとでも思っているのか、八雲紫。
だとしたら、甘すぎる。
あの異空間を管理できるのは、古今東西お前だけ。
お前が生きている限り、あの二人が死ぬことは無いのだろう。
だが裏を返せば、お前が倒されれば皆死ぬ。
覚悟を決めることだな。
「そこに居るのは分かっている、出てこい」
虚空に向け話しかける。
紫は異空間からこちらの様子を伺っている。
状況からして、今の私を止められるのは紫自身のみだということは分かっているはずだ。
そして、彼女にも自尊心がある。
このまま幻想郷まで逃げるなどというつもりは、毛頭無いだろう。
「お前が先に逃げたせいで、二人はやられた。とんだ友情があったものだ。この期に及んでまだ逃げる気か、見下げ果てた奴だ」
「……!!」
背後に殺気。
防御や回避に移るという選択肢は無い。
振り向きざまに刀を叩きつけた。
光を纏った刀身が受け止められる。
相手は金髪紫眼の女性。
派手な紫色の服に、派手な白い傘。
左手に持った青い扇子が、私の刀を押し返そうと妖力を帯びる。
「その程度の不意討ちで勝てるわけ無かろう、紫」
「……っ」
私の言葉に、紫は苦い顔をする。
さしずめ、後先を考えなかったことを後悔しているのだろう。
八雲紫の頭脳は妖怪一。
これは自他共に認める事実だ。
特に計算力に関しては、“今の私”をもってしても彼女の足元にすら及ばない。
彼女の強さは、その高度な頭脳のお陰と言える。
だが、致命的な弱点がある。
それは“感情”だ。
論理的思考を妨げるのは感情的思考だ。
感情論が悪とまでは言わないが、冷静な思考が必要とされる時にはしばしば邪魔となる。
今の紫がまさにそうだ。
怒りという感情に任せて余裕の無い攻撃を仕掛けた為に、こうして余裕の無い状態に陥っている。
出会い頭に計算ずくの弾幕で私を追い詰めてみせたあのときと比べても、明らかに考えが浅はかだ。
彼女を初めて見たとき、少なくとも500年前の彼女はこんな性格では無かった。
どんな状況でも、どんな感情を向けられても、頭脳派の大妖怪として冷静冷徹で居続けていた。
まさに模範的な大妖怪だった。
それが二度目に会ったとき、暗鬼の長となった私を幻想郷に招いた200年前ともなると、大きく変わっていた。
考えの合わない私の言葉に酷く激昂し、挙げ句に思考を放棄してその場から立ち去ったのだ。
私が内心驚いたのは言うまでもない。
そして今、三度目となる彼女との邂逅。
感情的思考が混じる傾向は、更に強くなっていた。
彼女の地雷を探るために挑発の言葉を掛けてみると、ようやく怒りの理由が分かった。
愛情だ。
紫には愛すべき、そして護るべきモノが出来たのだ。
それはおそらく幻想郷に住む妖怪達であり、同じ考えの仲間達であり、そして幻想郷そのもの。
私によって幻想郷が攻撃されたのだとしたら、彼女の怒りはもっともだ。
愛するモノが汚されたとき、悲しみ怒るのは当然のことなのだから。
「『夢幻泡影』……!」
紫は苦し紛れにそう言うと、扇子を払ってつば競り合いをやめた。
すぐさま私から距離を取った彼女の頭上にスキマが現れる。
その中から現れたのは、妖しい光を纏う多数の魔方陣。
魔方陣は私の周りを公転し、軌跡に御札のようなものを並べていく。
紫色、青色、赤色の札弾は私を取り囲むように、そして紫への進路を塞ぐように、幾重もの帯となって夜空に張り巡らされた。
見たところ、弾幕結界や深弾幕結界の強化版のようだ。
だが、やることは変わらない。
押し通るだけだ。
妖力壁が健在であることを確認し、空を蹴る。
前方から迫った大量の札弾が妖力壁に突き刺さる。
壁が破られる様子はないが、消耗が激しい。
札弾の威力は想像以上に高いらしい。
御札を媒体として、霊術や封印術が込められているからかも知れない。
天蓋から妖力が補給されるとはいえ、あまり時間をかけるのは得策ではないだろう。
間髪入れずに現れた札弾幕の第二波を刀で薙ぎ払う。
続く第三波を妖力壁で防ぎきり、強引に突破する。
開けた視界の中央に、紫の姿を認めた。
速度を上げて遠ざかっていくが、スキマに逃げるような真似はしないらしい。
勝負する気になったか。
良い覚悟だ。
追い付くため、私も飛行速度を上げようとして。
「紫様!」
邪魔が入った。
紫への進路上に割り込む、ひとりの女妖怪。
短い金髪の上に覗く狐耳。
背後に広がる九つの金の尾。
「金毛九尾……?」
彼女の名を呟き、目を見開いた。
そこにいたのは最強の妖獣、いわゆる九尾の狐だった。
当時人間から玉藻前と呼ばれた彼女は、国を傾けようとした悪名高い妖怪として有名だ。
人間に殺されて殺生石となり果てたと聞いていたが。
あれは嘘で、実際はその後も生き永らえていたのか。
それとも生き返ったのか。
そういえば、鬼の酒呑童子も、私が生まれる遥か昔に死んだとされているはずだ。
薄々感じていたが、伊吹萃香と酒呑童子には共通点が多い。
もし同一の存在だとするならば、萃香も生き返った存在だということになる。
そう考えると、西行寺幽々子も怪しい。
亡霊という不安定な状態で千年も存在し続けているなど、通常ではありえない話だからだ。
気付けば紫の周りには、そういった“死なずに存在し続けている者”ばかりが居る。
八雲紫。
まさか死者蘇生の禁術に手を出したのではあるまいな。
幻想郷という場所自体が死者の世界なのか。
もしくは幻想郷という名は俗称で、実際には黄泉の国のことなのではないか。
「っ、藍、下がりなさい」
「紫様に手は出させぬ、『十二神将の宴』!」
底無しの思考に嵌まっていると、紫と金毛九尾の声で現実に引き戻された。
藍と呼ばれた九尾の狐は紫の静止を退けると、周囲に十二の魔方陣を生み出す。
魔方陣ひとつひとつに機械化された意思を感じる。
式神の術だ。
式神とは即ちコンピュータ。
一度命令を与えれば、壊れるまでその通りに忠実に動き続ける存在だ。
私の従える暗鬼と似たようなものである。
十二の式神は連携して光弾を放ち、私の進行を著しく妨害する。
手数の多さゆえ、弾幕の激しさはかなりのものである。
このままでは妖力壁が持たなくなるかもしれない。
早急に排除するとしよう。
「邪魔だ、狐。『人世模式』」
妖力を解放する。
現れた誘導弾の群れが、式神目掛けて猛進し始める。
弾幕に飲まれて撃ち落とされようと、次々に生み出される誘導弾の数が減ることはない。
弾幕を突破した誘導弾によって、ひとつ、またひとつと式神が破壊されていく。
比例して藍の表情が雲り始めた。
頃合いか。
砲弾と銃弾からなる弾幕を、藍に向けて撃ち出す。
彼女は咄嗟に結界を張って防ぐが、弾幕は止まない。
気付けば、式神は全て撃ち落とされている。
砲撃の嵐の中でひとり取り残された彼女に、最早成す術はない。
トドメだ。
再び誘導弾を生み出し、突撃させる。
その数は、とても今の藍に防ぎきれる量ではない。
「っな!?」
彼女が焦燥と驚愕の声を上げる。
その時には、既に誘導弾が着弾しようとしていた。
「即ち、無駄だ」
爆発が連続し、結界が砕け散る。
藍の悲鳴が轟音に掻き消され、彼女の妖力が途絶える。
たちこめる黒煙の後に残されたのは、ぼろ衣のような姿で空を墜ちていく哀れな妖狐のみだった。
その身体がスキマに飲まれるのを見届けることなく、私は飛翔する。
「藍!? っく……!」
動揺によって、接近する私への反応が遅れた紫。
今の彼女は完全に冷静さを失っている。
倒すには、これ以上無いほど絶好の機会だ。
光の柱と化した無明秘剣を、彼女の首筋目掛けて振り下ろす。
が、左手に持った扇子によって防がれる。
素早く刀を引き、今度は胴を薙ぐ。
しかしこれも扇子で弾かれる。
考える間もなく、再び斬撃を仕掛ける。
斬る、防ぐ、薙ぐ、弾く……。
私の攻撃は全て読まれている。
どんなに素早く刀を振っても、必ず彼女の扇子が先回りしている。
私の動きは計算の内らしい。
何度目の攻撃だったか。
不意に手応えに違和感を感じた。
見ると、扇子の骨が折れている。
度重なる衝撃に、遂に耐えきれなくなったようだ。
いくら計算力や妖力が無尽蔵でも、物質は有限なのだ。
私は刀を引き、少し下がって居合い斬りの構えをとる。
この攻撃ならば、今の扇子では防げない。
対する紫は折れた扇子を手放すと、右手に持っていた派手な日傘を開き、私に向け構える。
これが最後の盾のようだ。
その間に、私は妖力を溜めきる。
刀身の纏う光が赤黒い色へと変化する。
それは、容易には防げない絶大な妖力が凝縮されている証。
これで、終わりだ。
「ぜぃ……やぁっ!!」
気合いの一声と共に紫の横を斬り抜ける。
大爆発を起こす妖力を横目に、素早く反転して刺突の構えを取る。
傘に当たった感触はしたが、紫の身体に当たった手応えは無かったからだ。
不意に視界を何かが横切る。
見ると、傘だった。
真っ二つに折れた派手な日傘は、煙を引きながら夜空を舞う。
「っく……!」
視線を戻す。
慌てて此方を振り向く紫の姿があった。
歪んだ扇子は下方に落ち、折れた日傘は彼方を舞う。
彼女が私の刺突を防ぐことの出来る術は、最早何も無い。
彼女の希望の明かりは、消えたのだ。
「即ち……」
刃先を向けたまま、空を蹴り。
「……無明」
刀は、彼女の心臓を貫いた。




