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東方無明録 〜 The Unrealistic Utopia.  作者: やみぃ。
第一章 明無夜軍
33/149

第三十三話 因縁




 東京上空




 死んだと思っていた者が、生きていた。

 二度と会えないと思っていた者に、再び会えた。

 多くは感動の再開というやつか。

 実に美しい話だ。

 この場合は当てはまらないが。


 大妖怪、八雲(やくも)(ゆかり)

 数百年前、彼女は幻想の存在の為の“理想郷”を創りあげたと言ってきた。

 そして彼女は、その創りあげた世界“幻想郷”へと私を招いた。

 私は現世の状況や噂から、既に幻想郷のことは知っていた。

 素晴らしい世界だと聞いていた。

 招きに応じてやっても良かった。


 だが、結局蹴った。

 私は聞いたことしかない世界の存在よりも、己の能力を信じたのだ。

 “抗いの力”。

 私がその能力を手に入れようと努力し始めた時から、現世を覆すこの大戦を見据えていた。

 彼女が声をかけてきたのは、その野望が現実味を帯び、実現性を確信したまさにその時だったのだ。


 断った瞬間に、迷いが無かったとは言い切れない。

 だが、戻れなかった。

 仮に幻想郷で生き長らえることができたとしよう。

 そうすると、この能力は無用の長物となってしまう。

 血の滲むような努力を重ねて得た力が、腐ってしまう。

 延命の為だけに百年以上の時間と精神を捨て去る気には、どうしてもなれなかったのだ。


 幻想郷という世界が現世とは違う世界に存在していることは分かっていた。

 彼女の助けがなければ、私ひとりでは、その世界を見つけることすら出来ない事も、分かっていた。

 私は世界間を渡るような術は持っていない。

 それができるのは、知る限り彼女だけだ。

 彼女が再び現世にやってこない限り、互いの生存を確かめることすら出来ない。

 だからあの時互いに信じたのだ、もう二度と会うことはないと。


 断るために口では色々言ったが、純粋に彼女の理想郷には繁栄して欲しいと思っていた。

 他者の夢を好んで壊すほど、私は落ちぶれていない。

 彼女には彼女の理想を、そのまま貫いてもらうつもりだった。


 一方で私もまた、自分の理想を貫くつもりでいた。

 幻想郷とこの現世とでは、それぞれ存在している世界が異なる。

 つまり、私が現世で事を成そうが成すまいが、現世で死のうが生きようが、幻想郷がその影響を受けることはないと考えたのだ。

 故に、紫と私の利害が衝突することも、有り得ない。

 そう信じて疑わなかった。




 身体を闇霧と化し霧散させる。

 そのまま少し離れた所まで移動し、身体を再構築する。

 端から見れば、霧隠れの瞬間移動だ。


「逃げ方だけは達者ね、綾蔵(あやくら)。流石は元暗鬼、といったところかしら」


 私を弾幕から取り逃がした(ゆかり)が、薄ら笑いを浮かべて言う。

 彼女の背後に広がる魔方陣が、紫色に淡く光っている。


 まともな問答も無しにこの仕打ちだ。

 とんだ再開の挨拶があったものである。

 しかし、比較的長く生きている大妖怪の彼女が問答無用で攻撃を仕掛けてくるとは。

 相当な理由がなければ、こんなことはしないだろう。


 利害の衝突か?

 明無夜軍(あかりなきよいくさ)が、幻想郷を害したとでも?

 幻想郷は異世界にあるのではなかったのか?

 聞いてみなければ分からないが、少なくとも今は話を出来るような状況ではなさそうだ。

 どちらかがどちらかを行動不能にでもしない限り。


 さて、どうにか紫の精密射撃から脱することができた。

 だが、その手に宿る妖力の光は第二波攻撃があることを示している。

 もう同じ手は食らわない。


「誉め言葉として受け取っておこう。……『人世模式』」


 口撃をかわし、反撃に転じる。

 周囲に生み出した闇霧から次々と飛び出す砲弾、銃弾、誘導弾。

 砲撃は近づくモノを拒む弾幕を張り、銃撃はおびただしい数を以て弾幕の隙間を埋め、誘導弾の群れは紫を睨み猛進していく。


「毒には毒。人業には、人業ね」


 紫が余裕ありげな台詞を吐き、第二波攻撃の光を撃たずにしまい込んだ。

 すると突然、彼女の眼前の空間が大きく“裂ける”。

 奴の十八番(おはこ)、スキマの術だ。

 真っ暗な異空間と繋がった、その空間の裂け目(スキマ)から飛び出してきたのは。

 自動車、電車、看板、標識。

 言わずもがな、いずれも人間の道具だ。


 進路を塞がれた誘導弾達は、虚しくその鉄塊と激突し爆ぜていく。

 あれだけの誘導弾を放ったにも関わらず、紫に到達出来たものはひとつも無い。

 降り注ぐ残骸を砲撃で砕きつつ、舌打ちする。


 攻撃手段をこちらに合わせてくるとは、随分と舐めた真似をしてくれる。

 まだまだ余裕ということか。

 面白い。


 両手を広げ、妖力を解放する。


「『四面楚歌(しめんそか)』」


 現れた銃鬼の群れは、私の上下左右方向へ一列に並ぶ。

 紫の視界を巨大な十字の陣形で覆った形だ。


「撃て」


 私の一言を合図に、彼らは一斉に射撃を開始した。

 超高密度の弾幕は、寒空を赤く染め上げながら紫へ迫る。

 縦列横列両方の射線が、彼女の居場所で交差する。


 完全なる立体十字砲火、四面楚歌。

 貴様に耐えられるか?


「っ……」


 紫が結界と手に持った日傘を前方に広げ、防御態勢に入った。

 そこへ殺到する、尋常ならざる数の赤い光弾。

 彼女は狭い結界の中で、その光の嵐に耐えるのみだ。


「『無名秘剣(むみょうひけん)』」


 刀を右手に生成し構える。

 黒い刀身が妖力によって赤く染まる。


 今が好機、仕留めてやろう。


「ふっ……!」


 ひとしきり妖力をかき集めた後、刀を横に薙いだ。

 気合いの一声と共に生まれた斬撃波が、弾幕を裂いて紫に向かう。

 この光の嵐の中で、彼女がそれに気付くことは無い。


 貰ったぞ、紫。

 勝利を確信した、その瞬間。


「ぬどりゃあぁ!!」


 少女の怒号。

 同時に、紫への射線を暴風が横切る。

 いや、暴風なんて言葉では到底足らない。

 それは、物理法則を完全に無視した、衝撃波による物理攻撃。

 紫へと向かっていた斬撃波も、空を埋め尽くしていた弾幕も、一瞬にしてそれに飲み込まれて消えた。


「  !?」


 銃鬼達が動揺し、ほんの数瞬の間射撃がまばらになる。

 その僅かな隙が致命的だった。


「お邪魔するわよ~」


 何の気配も無く、目の前にゆらりと現れた女性。

 それを認識した時には、既に遅かった。


「死になさい」


 女性が冷たく言い放つ。

 同時に、彼女からおぞましい量の妖力がばら蒔かれた。

 それに触れた途端、彼女が何者か、そして何をされたのか理解できた。


「!!」


 再び身体を霧散させ、一瞬にして後方へと下がる。

 その時には、残された銃鬼達は皆“死んでいた”。

 斬られたり撃たれたりした訳ではない。

 抵抗なく一方的に、命を奪われたのだ。


「ふたりともありがとう、助かったわ」


 窮地を脱した紫が、邪魔者二名に近寄り礼を言う。


「よく言うよ、わざと追い込まれたくせに」

「あらあら、言われちゃったわね~、紫?」


 それに応えるのは、小柄な二本角の少女と、青い着物の女性。

 まさか、こいつらは……。


萃香(すいか)と……幽々子(ゆゆこ)……か」


 弾幕を吹き飛ばしたのは、密度を操る怪力の鬼、伊吹(いぶき)萃香(すいか)

 銃鬼を抵抗なく殺して見せたのは、死を操る大亡霊、西行寺(さいぎょうじ)幽々子(ゆゆこ)

 両者とも、紫の旧友だ。


「よっ、綾蔵。久し振りだな」

「一暗鬼が随分と出世したものね~」


 紫が生き残っていたのだから、こいつらが未だ生きていたとしても不思議は無い。

 冷静に考えれば、そもそも紫が単身で挑んでくる可能性が低い事くらい分かりきっていた。

 彼女らならば紫の要請には応じるだろうし、むしろ進んで協力する筈だ。


 油断していた。

 考えも備えも、甘かった。


「幽々子、任せたわ。萃香、行くわよ」

「はいな~」

「よしきた!」


 悔やんでいる間に、奴らが先に動いた。

 紫が空間を裂いてスキマの向こうに消え、萃香も身体を霧の如く分散させて消える。


 端から見れば1対1。

 だが、紫と萃香は神出鬼没。

 何時、何処から、どういう手段で襲ってくるのか分からない。

 その脅威を意識したまま、幽々子と対峙しなければならないのだ。


「あらあら、呆けてる隙なんてあるのかしら」


 幽々子は優しく微笑み、両手をゆっくりと左右に広げる。

 すると、彼女の背後に巨大な扇形の妖力壁が現れた。

 美しい紫色の扇は、真っ暗な夜空を幽玄な光で照らし出す。


「『生者必滅の(ことわり)』」


 彼女がそう呟いた途端、私は言葉を失った。

 “蝶”の群れが現れたからだ。

 とだけ言うと馬鹿にしているようだが、勿論ただの蝶ではない。

 大鷲程の大きさがあり、淡く輝き透き通り、強い死の妖気を纏っている。

 桃色、水色、青色と、彩りも鮮やかだ。

 彼らは外向き回転の台風のように渦巻きながら、次から次へと現れる。


 幽玄な扇の妖力壁と、花のように咲き広がる死蝶の群れ。

 その様は、言葉では言い表せないほど美しい。


 はっとして我に返り、回避行動に移る。

 僅かに身をかわすと、そこを蝶の大群が通過していった。

 そのひとつたりとも喰らってはならない。

 当たった瞬間に、彼女の能力によって即死させられてしまうからだ。

 だが、威力や貫通力が分からない以上、妖力壁で防ぐことは危険である。

 また、身体を霧散させて逃げたとしても、身体を再構築した瞬間に紫と萃香の餌食だ。


「……っち」


 あまりに不利な形勢に、思わず舌打ちする。

 相も変わらず、無駄に頭の切れる奴等だ。

 流石は紫とその友人共、といったところか。


 帯となって迫る死蝶の群れを、紙一重でかわしていく。

 このまま防戦一方では埒が明かない。

 どうにかして幽々子だけでも倒さねばならないか。

 とは言え、暗鬼を使う技は彼女の死の能力の前には無力。

 また、物量攻撃を仕掛ける余裕もない。

 ならば。


「『八方封滅(はっぽうふうめつ)』……!」


 せめて動きだけでも封じてやる。

 攻撃の僅かな切れ目を突いて、開いた左手から妖力塊を生み出す。

 現れた八つの妖力塊は、不規則に進路を変えながら幽々子に迫る。

 途中、そのうちの何発かが死蝶と接触してしまうが、消えたりすることはない。

 自我のありそうな誘導性能をもつが、彼らは生き物ではない。

 故に彼女の能力によって殺されることはあり得ないのだ。


「……!」


 蝶の弾幕を抜けてきた妖力塊に危険を感じたのか。

 幽々子の背後の(妖力壁)から大きな光弾が速射され、妖力塊を迎撃しようとする。

 すると妖力塊は突然進路を変え、彼女の周囲へと広がるように分散していく。

 迎撃の為の光弾が極端に当たりにくくなったことは言うまでもない。


「展開」


 私の一言で、ふらふらと浮遊していた妖力塊達が静止する。

 が、次の瞬間、妖力塊は凄まじい数の光弾をばら蒔きながら幽々子の周りを公転し始めた。

 みるみるうちに光弾の数は増えていき、彼女はその中に取り残される形となった。


「あらあら……」


 幽々子が僅かに表情を歪ませる。

 彼女は背後の妖力壁を畳むと、両手に持った扇子に妖力を通し、それを振り回して光弾を防ぎ始めた。

 死蝶で私を攻撃する余裕など、もはや無いようだ。


 よし、これで幽々子は暫く動けない。

 今のうちにさっさと仕留め……。


「……!!」


 背後に気配。

 それが紫のものなのか萃香のものなのかを考える間もなく、右へと身体を逸らした。

 一瞬前まで私が居た空間が、突如として押し寄せた衝撃波によって軋み、歪み、消し飛ぶ。

 それを横目に、身体を回転させながら右手に握った刀を気配へと斬り込んだ。


「むぅ、感の良い奴だねぇ」


 軽口を叩きながら、素手でそれを受け止める小柄な少女。


「随分と卑怯な真似をしてくれるじゃないか、萃香。鬼らしからん」

「あんたら暗鬼に鬼の信条は通じないみたいなんでね。何とでも言いな」


 悪い笑みを浮かべる鬼の少女。

 “あんたら”と言うあたり、既にミラージュと戦った後だろうか。

 鬼と暗鬼の力の差は大きすぎる、やはり彼女では萃香に勝てなかったようだ。

 紫の対処に当たっている間に分断されたのか。

 ……私が不甲斐ないばかりに、ミラージュが。

 許さん。


 刀に絶大な妖力を注ぎ込み、力任せに振り抜く。

 すると、萃香が耐えきれずに振り飛ばされた。

 追撃しようと刀を構えて彼女に迫るが、無意味だった。

 またしても霧散して逃げられてしまったのだ。


 目を閉じ、霧状になって辺りを漂う萃香の気配に意識を集中させる。

 もしそれらが集結し始めた場所があれば、そこが彼女の現れる場所……。


 居た。

 左後方、至近距離だ。

 素早く宙返りをし、逆にこちらが気配の背後をとる。

 そしてそのまま、両手で握った刀を気配に振り下ろした。


 が、手応えがない。

 萃香の背中は、そこには無かった。


 囮。

 罠か。


 可能な限り強力な妖力壁を自身の周りに展開する。

 瞬間。


「っどぉらあぁぁ!!」


 萃香の怒号。

 同時に凄まじい衝撃波が私を襲う。

 真上からだ。


 衝撃波の暴風を妖力壁で逸らし、射線から逃れる。


「うらぁ!!」


 だが、萃香は私を逃すつもりはないらしい。

 目にも止まらぬ早さで繰り出された回し蹴りが、私の胴目掛けて迫る。

 迷う間もなく、刀を萃香の蹴りと対抗させるべく叩きつけた。


「ぐぬぬ……!」

「く……!」


 彼女の怪力と私の妖力が、脚と刀の交差点で競り合う。

 互いに力を振り絞るが、交差点は一向に動かない。

 どちらが勝るも劣るもない。

 完全に互角だ。


 純粋な力量は、の話だが。


 萃香の脚と触れている刀身の部分が、少しずつ瓦解していく。

 ややもすれば、この刀は半ばで折れてしまうだろう。


 これだ、彼女の最も厄介な点だ。

 密度を操る能力。

 萃香が生まれつき持つという力だ。

 自分の身体も含め、あらゆる物質の密度を高めたり下げたりすることができる。

 身体を霧散させての移動も、刀を分解できるのも、脚を刀に斬られないほど硬化させているのも、その能力故の技だ。


 しかし、不味い。

 このままつば競り合いを続けていては、間違いなく刀は折れる。

 つば競り合いをやめるにしても、この至近距離からの蹴りを避けきる自信は無い。

 もはや残された手はひとつ。

 胴を砕かれることを覚悟で、捨て身の反撃を仕掛けるしかない。


 刀身は更に瓦解していく。

 一刻の猶予もない。

 私は意を決し、刀を萃香の胴へと滑り込ませ……。


「……触れ、るなあぁぁ!!」


 唐突に響く、少女の怒号。

 刹那、萃香の腹部にめり込む、紫炎を纏った大斧。

 邪斧(アルマーズ)だ。


「ぎゃっ!?」


 悲鳴をあげる萃香。

 歪に折れ曲がったその身体は、邪斧と共にあらぬ方向へと吹き飛ばされた。


「はぁ……はぁ……」


 その惨状を無感情に見つめたまま、息を荒げる少女。

 紫髪、紫眼、尚且つ邪斧の持ち主。

 一致する者は、ひとりしか知らない。


「ミラージュ……!」


 我が従者、ミラージュ・ナイトメアだ。

 まさか生きていたとは。


 名を呼ばれた彼女は、息を整えながらこちらを振り向く。


「ご無事ですか……?」


 修復しきれていない肩の傷が痛々しい。

 僅かに残された妖力はか細く弱々しい。


「……綾蔵様」


 それでも、ただ従者として主を気遣うミラージュ。

 無理に痛みを隠すその表情が、心を刺す。


「……お陰様でな。感謝する」

「! そう、ですか。良かった……」


 心底安心したような微笑みを漏らすミラージュ。

 それが彼女への感謝と罪悪感をさらに高めることとなったのは、言うまでもない。


 お前は大丈夫か?

 そう問おうとしたが。


「『光と闇の網目』」


 状況はそれを許さなかった。


 私とミラージュの間を、赤く巨大な光弾が通過する。

 それが残した軌跡から、赤い光線が幾筋もばら蒔かれた。


 咄嗟に軌跡から飛び退き、光線をかわす。

 だが、移動した先を塞ぐように通過する、青く巨大な光弾。

 その軌跡から大量に現れたのは、案の定青い光線だ。

 赤と青の光線が、夜空に網目のように張り巡らされた。


 光線の弾速とは、すなわち光の速度。

 故に、光線に弾速など無いようなものだ。

 そんなものが不規則に、大量に、しかも前後から挟撃するように放たれたら。

 とてもじゃないが、回避など不可能だ。


 「っく……」


 左肩に鋭い痛みが走る。

 光線を一発貰ってしまったようだ。

 しかし、気にしている暇はない。

 刃の欠けた刀を修復し、元凶を見上げる。


 赤と青の網目の向こうで、日傘を片手に悠々と浮かぶ女が居た。

 (ゆかり)だ。

 彼女は扇子で口元を隠したまま、再び赤と青の光弾を撃ち出してきた。

 光弾が両脇を通り過ぎる刹那、周囲に妖力壁を展開する。

 直後、先程よりも高い密度で光線が張り巡らされた。

 が、今度は喰らわない。

 私に向かってきた光線は、全て妖力壁によって弾いたからだ。

 高密度の攻撃ではあるが、予想通り一発一発の威力はそれほどでもないらしい。


 刀を構え、空を蹴る。

 進路はおろか、視界すら埋め尽くさんばかりの光の網を弾きながら、紫へと急接近する。

 あと数瞬もすれば、刀の射程内に彼女が入るだろう。

 私は回転斬りの構えをとり、得物に妖力を集める。


 対する彼女は、それを見ても動じない。

 指一本、眉ひとつ動かさない。


 何か仕掛けてくる。

 そう思った私は、咄嗟に身体を反転させた。

 両足で前方の空間を蹴り、反動によってあれだけあった速度を一瞬で殺す。


 感は当たった。

 目の前の空間が突然裂け、真っ暗な口を開ける。

 紫が開いた“スキマ”だ。

 私を飲み込むつもりでいたのだろう。

 危うく自分から飛び込んでしまうところだった。

 私は警戒しつつ、スキマから距離をとる。


「『弾幕結界』」


 しかし、流石にこれで終わりという訳ではないようだ。

 紫が技を宣言した途端、そのスキマの中から蝶の群れが現れた。

 青色、半透明、感じる強い妖力。

 言わずもがな、死蝶だ。

 幽々子だけでなく紫も使えるのか。

 厄介な話だ。


 現れた死蝶の群れは私に向かってくるかと思いきや、散り散りに別れて私の周りを公転し始めた。

 すると、蝶の通った跡に沿って大量の光弾が生み出されていく。

 何匹、何十匹という数の死蝶それぞれから、何十発、何百発もの光弾が放たれる。

 あっという間にその弾幕の密度は頂点に達し、私は光弾の檻に閉じ込められる形となってしまった。


 文字通り、弾幕の結界、か。

 私が幽々子に対して使った『八方封滅』にも似た、高密度弾幕による包囲技だ。


 蝶の背後に生まれる光弾は数発ずつ、または数十発ずつ、あるいは数百発ずつ帯状に配置され、順次中央()に向けて動き始める仕組みのようだ。

 一見すると、帯の少ない箇所を狙って移動すれば避けることが出来そうに思える。

 しかし、それは罠だ。

 帯の隙間を縫うように避けることは、紫の思う壺なのだ。

 その証拠に、隙間を抜けた先々では絶対に避けられないよう光弾が配置されている。

 帯状の弾幕という集合体に惑わされ、無意識の内に帯の少ない箇所に移動してしまい、刈り取られる仕組みなのだ。

 抗う手はふたつだけ。

 ひとつは、なるべく視野を広く持ち、帯の少ない箇所ではなく光弾の少ない箇所を選んで避けにいく手。

 もうひとつは、妖力壁の維持に全力を注ぎ、ただひたすら耐えしのぐ手だ。

 だが、そのどちらを選んでもこちらの動きは完全に封じられてしまう。

 力任せの私とはまた違う、頭脳派の紫らしい包囲技である。


「……! …………!」


 煌々と輝く光の弾丸が、四方八方から絶えず飛来する。

 何重にも張った妖力壁を以て、その嵐に耐え続ける。

 少しでも気を抜けば押し負けてしまうだろう。

 それほどまでに、紫のこの攻撃は苛烈極まりない。


 歯を喰い縛りながら、前方を睨む。

 先程まで目の前に居たはずの紫は、とっくにスキマの向こうへと消えてしまっていた。

 またしても逃したか。

 それどころか、此方が窮地に陥ってしまうとは。

 私としたことが……不覚だ。


「っく……」


 雑念が混じったせいか、妖力壁が軋む。

 慌てて意識を防御へと戻す。

 キリがない。

 このままでは消耗戦だ。

 如何にして脱しようか……。


「綾蔵様!」


 突然名を呼ばれ、再び顔を上げる。

 分厚い光の壁の向こうに、少女の影が見えた。

 両手に携えた紫色の炎を死蝶へと撃ちながら、此方に近づいてくる。

 ミラージュだ。


「危険だ、来るな!」


 叫ぶが、彼女は聞く耳を持たない。

 今彼女が紫の攻撃を受けたらただでは済まないだろう。

 自分を守るれるかすら怪しいのに、私を救援するだと?

 馬鹿が、死ぬ気か?


 一際大きな紫炎が弾幕結界を舐めた。

 巻き込まれた何羽かの死蝶が火だるまとなる。

 その空間だけ、一瞬弾幕が薄くなった。


 今だ。

 彼女の働きを無駄にする訳にはいかない。


 妖力壁を展開したまま、素早く空を蹴る。

 加速する視界に、相対速度の増した光弾が次々に迫る。

 さらに妖力壁が傷み、光弾が幾つか身体に突き刺さる。

 だが、構っていられない。

 この機を逃す訳には、いかない。


「ぐ……」


 痛みで視界が霞む。

 少々貰いすぎてしまったようだ。

 ぼやけた光弾をかわし、先を急ぐ。


「こちらです!」


 視界が僅かに晴れる。

 前方にミラージュの声と姿を認めた。

 何処からともなく湧いてきた安心感が、私の気を弛ませる。


 その一瞬の隙が、状況への対応を遅らせた。


「……!!」


 こちらを心配そうに見つめるミラージュ。

 その背後から急速に迫る、殺意を纏った白い影。

 (ゆかり)……ではない。

 幽々子や萃香とも違う。

 まさか。


「後ろだッ!!」


 咄嗟に叫んだが、遅すぎた。


「え……?」


 ミラージュの表情が凍りつく。

 その胸を貫き刃先を覗かせたのは、純白の聖槍。

 地槍(ゲイボルグ)


 彼女の背後で凄絶に微笑むのは、傷だらけの女。

 長い金髪、濁った碧眼、血の滲んだ白いドレス。

 照月(てるづき)(れい)


「い、や……」


 ミラージュの口から鮮血が一筋、零れ落ちる。

 妖力と浮力を失ったその身体が、崩れ落ちる。


「ミラージュ!? ……貴、様ァァ!!」


 霞んでいた視界が急速に明瞭になる。

 痛みなど一瞬で吹き飛んだ。

 加速してミラージュを過ぎ去り、零を目の前に捉える。

 そして、すれ違う刹那。


「!!」


 怒りに任せて、居合い斬りの要領で刀を振り抜いた。


「ぐ、ぁ……は、は」


 槍を砕かれ、脇腹を切り裂かれた零。

 短い悲鳴を漏らした唇はなおも笑う。


「……正義は……勝つ」


 零はそれだけ言うと、瞼を閉じた。

 力を失ったその身体は、ミラージュを追うように自由落下していく。


 死に場を求めて来たのか、照月零。

 そこまでして貫く正義など、もはや正義とは呼べまい。

 正義は勝つ、だと? 違う、それは間違いだ。

 人妖精霊、古今東西、勝った者が正義と呼ばれてきたのだ。

 絶対的な正義などありはしない。

 もしあったとしたら、それは世にとって害悪の面の方が大きくなるだろう。

 まさに貴様が、私の計画の邪魔をしてくれたように。

 私達に何の恨みがあったというのか。

 理解できない……狂気の沙汰だ。


 真っ赤に濡れ欠けた刀を投げ捨てると、下方へ向け飛ぶ。

 加速していく視界の中央には、天蓋へと落下していくミラージュが。

 零れる吐息は虫の息。

 僅かに覗く紫色の瞳は、既に光を失いつつある。


 私の妖力を分け与えれば救えるだろうか。

 間に合うか……?

 いや、考えるまでもない、間に合わせる。

 死なせはしない。


「ミラージュ!」


 手を伸ばし、名を叫ぶ。

 身体中から妖力を集め、それを指先から彼女へと放つ。


「……綾蔵……様」


 気がついたのか、彼女が口を開いた。

 血の滴るその唇は、震えながら言葉を紡ぐ。


「……お役に立てず……申し訳、ありません…………」


 目を見開いた。


 何を。

 何を言い出すのだ。

 命が消えそうになるまで尽くしてくれたのに、役に立てなかっただと。

 そんな馬鹿な話があるか。

 あってたまるか。


 これが、あの時お前が言った“存在意義”なのか?

 ああ、確かに尊重してやったさ、お前の意志だからな。

 だが、私は今でも認めていないぞ。

 従者が死に、(あるじ)が生き残るという、お前の望む結末など。


 従者は道具ではない。

 使い捨ての使役獣とも異なれば、命令漬けの式神とも違う。

 いわば仲間だ。

 主のためなどという理由で、そう易々と命を落としてほしくはないのだ。

 己の命を大切にすることを疎かにしないでくれ。


「……!?」


 突然、落下していくミラージュのすぐ向こうの景色が、歪む。

 やがて景色は裂け、真っ暗な異空間が口を開いた。

 スキマだ。


 ……紫。

 貴様まで邪魔しようと言うのか。


 ミラージュの身体は、スキマに引きずり込まれるように加速していく。

 縮まっていた彼女までの距離が、再び離れていく。

 追い付けない。


『……綾蔵様』


 かすかな心通信(しんつうしん)が耳に入った。

 それは、口から言葉を発する力すら失った彼女からの、最期の言葉。


『どうか……ご無事で……』


 閉じた彼女の目端に、光る雫を見た。




 スキマが閉じた。

 伸ばした手は虚空を掴み、傷だらけの身体は虚しく風を切る。

 振り返っても、そこにミラージュと零の姿は無い。

 ただ凍てつく星空が広がっているだけだ。


「…………」


 言葉が出ない、浮かばない。

 口を開く気にすらならなかった。

 重い喪失感が、濃霧のように押し寄せる。

 清々しい程の虚無感が、全身から生気を奪い去る。

 星空を見上げたまま、私は立ち竦む。


「『深弾幕結界』」


 耳に届く、紫の声。

 私を公転する死蝶達が、星空を光弾で埋め尽くしていく。


「覚悟しな」


 目に写る、深手を負った萃香の姿。

 怪力を溜め込んだその小さな拳は、此方へ向け撃ち放たれようとしている。


「お逝きなさい」


 本能が感じとる、死の匂い。

 生者を等しく葬る妖力が、幽々子から放たれ私へと迫る。


 光に満ちた天を仰ぐ。

 大妖怪、八雲紫が、私を睨んでいた。

 その瞳に、同情や哀れみの色は無い。

 怒りと憎しみから来る、殺意のみだ。


 紫。

 何がそんなに不満なのだ。

 何がそんなに気に食わない。

 私の企ては、理不尽に絶滅してゆく人外達に救いをもたらす。

 何も人間を支配しようというのではない。

 人間と妖怪の力関係を、本来あるべき姿に戻そうとしているだけだ。

 そして、お前の利害とは衝突しない。

 遠い世界で孤独な暗鬼が暴れているだけ。

 それで良かったではないか。


 それなのに、何故。

 何故邪魔をする。

 私の理想を止めようとするのは何故だ。

 私から従者を奪った理由は何だ。

 私の倒すべき存在を奪った意図は何だ。

 私の命までも奪おうとする、その非情さは何処から来る。


 お前がそこまで望むのなら、死んでやっても構わない。

 だが理由を教えてくれなければ、死んでも死にきれないのだ。

 数百年間耐え忍び、綿密な計画を組み、強大な(人間達)が支配する現世に挑んだ私の覚悟を越える、真っ当なその理由とやらをだ。


 全方位から押し寄せる光の洪水。

 空間を裂いて迫る衝撃波。

 身体に纏わり付く死の妖気。

 目の前から向けられるのは、相変わらず一方的な殺意のみだ。


 答えないか、それも良し。

 だがそれならば、ただでは死んでやれない。

 あの時言っただろう、“足掻いてやる”と。

 有言実行といこうではないか。


 目を閉じる。

 私の世界は、闇に包まれた。




 否定されゆく世界に。


 閉ざされた現実に。


 理不尽な運命に。




(あらが)え」





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