第三十二話 神隠
長野県南部 山中
「これは……」
川を越え山を越え、草木を掻き分け辿り着いた先にあったもの。
それは、決して人目につきそうにない小さく寂れた建物だった。
「神社……か?」
「そうみたいね」
隣を歩くディエナが肯定し、立ち止まる俺を置いて歩いていく。
「こりゃ酷い、ぼろぼろだね」
志歩も、辺りを眺めながらその後に続く。
石畳は殆ど埋もれ、何処が道なのかも判らない。
鳥居らしきものは辛うじて残っているが、肝心の神殿は今にも崩れそうなほど損壊していた。
何年どころか何十年、下手したら何百年も放置されているかのような有り様だ。
「はく……はく、らい……? お兄ちゃん、これ何て読むの?」
脇にある石の前で、妹の明が唸る。
歩み寄ってみると、神社の名が記してあった。
日本語的に“はくらい”は少し違和感がある。
神社名や地名なら尚更。
「博麗神社……かな」
「ほーん、さすが文系」
明が適当に褒めてくる。
博麗だなんて、変わった名だ。
聞いたこともないし、漢字から意味を推測するのも難しい。
「確かにこの辺りから妖力を感じたのよね。十中八九、この神社も関係あると思うのだけど……」
「確実に、大妖怪の気配を複数感じたよね。何もないはず無いんだけどなー」
人外ふたりが疑問を呈す。
ただのボロい神社でないことは確かなようだ。
「お、ちゃんとお賽銭箱もあるんだ。……おお、中身もあるある。よーし、少し貰って……」
「やめろ明。神様を怒らすのは不味い」
「そんな非現実的な存在いるわけないってー」
「目の前に妖怪やら妖精やらが居るのにそれ言うか普通」
不信心な妹を咎める。
非科学的存在が次々に復活している現状、ほぼ確実に神も復活しているだろう。
そうでなくとも、少なくともそれらが“存在”していることは間違いない。
まあ俺は昔から神と霊は信じてるけどね。
しかしこの神社、どうして管理されなくなったのだろう。
賽銭はそれなりの量が入っている。
資金難で立ち行かなくなった訳ではないようだ。
ならば、何故……。
「これは珍しい。炎精に妖怪に人間の子供か」
唐突に響いた女性の声に、全員が凍りつく。
その声が、4人の居る場の中央から聞こえたからだ。
「こんな寂れた神社に、一体何の用かな」
いつの間に其処に居たのか。
ゆったりとした明るい服を纏った女性が、目を閉じて佇んでいた。
人間と比べることすらおこがましいその美貌は、間違いなく人外のものだ。
首までの美しい金髪が、吹き抜ける冬の夜風に揺れている。
全くもって、何の気配も感じなかった。
俺や明ならともかく、人外の二名が気がつかなかったという事実が、一瞬にして皆の畏怖の念を高める。
志歩が明の腕を掴み、後ろに飛び退く。
ディエナが俺と女性の間に割り込み、両手を広げる。
「だ、誰よ」
そう問い、動けなくなった俺を背中で押しながら、女性から距離をとるディエナ。
女性はゆっくりとその目蓋を開いた。
澄んだ黄色の瞳が、俺たちを順に見回す。
「その人間の兄妹はともかく、お前たち人外ならば私を知っていると思うがな」
女性はそう言って、その頭に被った奇妙な帽子に手を伸ばし、おもむろに外した。
「え」
明が反応する。
その金髪の上に生えていたのは、整った形の“狐耳”。
妖狐、化け狐か。
と、女性の背後の空間に違和感が。
視線を霞ませるもやのような何かが、ゆっくりと晴れていく。
その中から現れたのは。
「うぉ……?」
金色の尻尾だった。
しかも、1本ではない。
5、6、7、8……9本もある。
女性の腰から生え、背後に大きく美しく広がる、金色の九尾。
こいつ、まさか。
「金毛九尾……!?」
志歩が驚愕に目を見開き、呟く。
人間の美女に化けて幾つもの国を破滅させ、最期は毒岩となってまで抵抗したという、悪名高い大妖怪。
妖狐の頂点、金毛九尾。
「懐かしい異称だ。その通り、私こそが金毛九尾さ。今は主人から八雲藍という名を頂いている」
藍と名乗った彼女は、強者特有の微笑みを見せながら、ゆっくりと賽銭箱へ歩いていく。
「……キミ程の大妖怪が、何故こんな寂れた神社にいるんだい? あの妖怪達の気配のことも、キミなら知っているはずだ。シラは切らせないよ」
妖力をたぎらせながら、志歩が藍に問う。
その隙に、俺は明と共に鳥居の近くまで下がる。
ディエナは、そんな俺達を庇うように立ち塞がり、油断なく藍を睨んでいる。
「ここは重要な場所でね、先程主人から守っているよう言われたのだよ。そしてお客さんが来たら、きちんと出迎えろとね」
藍は賽銭箱の中を覗き込みながら答える。
志歩はさらに問う。
「そうかい、出迎えありがとう。それで、キミは侵入者のボク達をどうしたいんだい」
すると、藍は苦笑しながら振り返った。
「君らが侵入者となろうがなるまいが、私がすべき事は君らが来る前から決まっていたさ」
不意に、背後から異音が聞こえた。
見ると、少し離れた地面にガラスのような巨大な壁が現れている。
「結界……!?」
ディエナが苦い顔で吐き捨てる。
藍は、ニヤリと笑った。
「君らを、捕らえることさ」
突如、藍の周囲に紙製の札が幾つも現れる。
二手に分かれた札は、それぞれディエナと志歩を照準に捉えた。
「悪く思うな、命令なのだ。嫌なら、この私に勝ってみせろ」
「じょ、冗談きついわ、あたしたち程度で金毛九尾に勝てる訳ないでしょ」
凄み笑いを浮かべる藍に、ディエナは呆れた口調で言葉を返す。
「賢明だ。では大人しくこちらに……」
「待ちなよ、早合点狐」
志歩が藍の言葉を遮った。
妖力を秘めた赤と銀のオッドアイが、金の狐を睨み付ける。
ディエナも、その燃えるような赤い双瞳を据わらせた。
「勝てないとは言ったけど」
「抗わないとは言ってないわ」
刹那。
流星群と炎の渦が、神殿ごと藍を飲み込む。
爆風が石畳を叩き、熱風が草木を薙ぐ。
「逃げて!」
ディエナの怒号を合図に、俺は明と共に踵を返して走り出した。
だが少し走ったところで、巨大な結界がガラスの壁の如く立ちはだかる。
肩で押しても蹴ってみても、壁に僅かな稲妻が現れるだけでびくともしない。
これが結界の力か。
俺は歯軋りしながら、その壁を殴り付けた。
「……あれ」
隣の明が声を上げる。
「どうしたあか……り」
見やって、言葉に困った。
前方へと伸ばされた明の腕が、結界を易々と貫通している。
明が歩みを進めると、たちまち身体は壁の向こうへと通り抜けてしまった。
「え、なんで」
いや、俺が聞きたいよ。
「っ!」
背後からの轟音に肩を竦める。
志歩の悲鳴も聞こえた気がした。
あまり時間は無い。
「お兄ちゃん、引っ張るよ!」
明が結界の向こうから俺の手を握り、そのまま思い切り引いた。
すると、何の抵抗も受けずに壁をすり抜けていく身体。
困惑している間に、俺は結界の外に出ていた。
「通れるじゃん。お兄ちゃん演技上手だね」
「冗談言ってる場合か。助かった、行くぞ」
明は通れるが、俺は通れない。
だが、外から腕で引かれれば通れる。
全くもって理解不能な現象だが、考えるのは後だ。
明の冗談をかわして、再び走り出す。
「私の結界を抜けられるとは、一体どういう術だ」
だが、またしても“壁”が立ちはだかった。
一瞬にして目の前に現れた藍が、俺たちを睨み付けていたのだ。
まさか、ディエナと志歩はもうやられたのか。
いくらなんでも早すぎやしないか。
「まあいい、どちらにせよ逃げることは不可能だ。覚悟せよ」
藍の周囲に多数の札が出現し、間髪入れずにこちらへ向かってくる。
やるしか、ないのか。
「っはあっ!!」
咄嗟に右手を突き出し、妖力を解放する。
現れたのは、あの緑色に輝く盾状の障壁だ。
向かってきた札が、次々に障壁に突き刺さる。
だが、貫通してくるものや、回り込んでくるものはいない。
(頭下げて!)
背後の明が、そう言った気がした。
勘に従い、俺は頭を下げる。
「ばぁん」
冷たい声と、二つの風切り音が響く。
明がタイミング良く、あの水色の光弾を放ったのだ。
二発の光弾は、驚愕に固まる藍に一瞬で迫り。
「ぐ……?」
胸を撃ち抜いた。
苦悶の声と僅かな血を吐きながら、藍は後ろに飛び退く。
「小癪な……!」
着地した藍は、悪態をついて腕を振る。
すると、彼女の両脇に突如として現れる、幾つもの光弾。
ズラリと並んだそれらは、端のものから順に撃ち出されてきた。
まずい、左右から逃げ道を断つつもりだ。
しかもあんなデカい光弾、防げるとは思えない。
どうすれば……。
すると、不意に明が俺の左手を掴み。
「たっ!」
俺ごと空中に飛び上がった。
跳んだのではない、飛んだのだ。
二人の足は地から離れ、ふわりと浮かんでいる。
トドメの光弾は、虚しく足元を通り抜けて行った。
「ばぁん」
明が、空いた右手から水色の光弾を放つ。
またしても、藍が驚愕に固まった絶妙なタイミングでだ。
藍は咄嗟に結界を張り、それを防ごうとする。
「っ!?」
しかし無情にも、光弾は結界ごと彼女の額を貫通した。
僅かにふらついた後、地に手を付く藍。
10ミリ弾の貫通ヘッドショット。
人間であれば、即死だ。
だが、大妖怪はそう簡単には逝かなかった。
「舐めるな」
逆立った藍の九尾が、炎の如く揺らぐ。
すると、突然尾が巨大化し、ゴムのように伸びてこちらに向かってきた。
明は高度を上げて逃れようとするが、このままでは数秒で追いつかれる。
足止めしなければ。
空いている右手をそれらに向け、妖力と意識を集中する。
再び現れた緑の盾が、迫り来る尾を待ち受ける。
が、九つの尾は突然進路を変えると、俺達を包囲するように周りに広がった。
慌てて盾を振り回してみたが、前後左右上下からの同時攻撃を防ぐにはあまりに無意味だった。
「あっ、いやあぁっ!?」
「く、う、離せ……!」
二人の身体に金色の尾が巻き付く。
首から下が硬く締め上げられ、手足の自由が全く効かなくなった。
身体をよじることはおろか、呼吸すらままならない。
「良い腕だ。並の妖怪ならば難なく退治できるだろう」
尾が縮まり、目の前に藍の姿が現れる。
額と口の端から垂れる赤い筋が痛々しい。
本人は痛がる素振りなど見せないが。
「相手が悪かっただけさ、あまり気にするな」
彼女は話しながら、俺と明の額に何かを貼り付けた。
瞬間、凄まじい疲労感と眠気が全身を襲う。
急速に気力が削がれ、拘束に抵抗できなくなる。
見ると、明は既に意識を失っていた。
「なに……を……」
「弱い時限式の封印だ。暫くの間、大人しくしててくれ」
問いかけ、答を聞くだけの動作が、意識を遠退かせる。
毛布のような心地よい尾の毛並みが、睡魔の元凶となって俺を襲う。
俺達をどうする気だ。
そう尋ねようとしたが、口は眠気で開かない。
だが、藍はその問いに答えてくれた。
「安心しろ、人間」
突然視界が暗転し、何か真っ暗な空間に突き落とされたのが分かった。
ゆっくりと自由落下していく身体。
次第に薄れ行く意識。
僅かに開いた眼に映るのは、遠くから俺達を見下ろす九尾に狐耳の美女。
「……幻想の楽園に、招くだけだ」
冷たく響く、優しい言葉。
その記憶を最後に、意識の灯火は消えた。




