第二十七話 妖術
長野県南西部 山中
右手を前へ伸ばし、その掌を開く。
目を閉じ、意識を集中する。
ディエナに言われた通りに。
身体中の力を、目の前の空間に集める感覚で。
脳内に描くイメージは“盾”。
「……っ!」
短く呼気。
瞬間、眼前を覆い尽くすように現れた、緑の光。
それはたちまち広がり、右手を頂点に大きく皿のような形となった。
美しい緑色に輝く“妖力壁”だ。
「ね、言ったでしょ。まもるには妖術の素質があるって」
側で様子を見ていた赤髪赤眼の少女、ディエナが、淡々と話す。
「あ、あぁ。そう……みたいだな」
あまりにも非現実的な現象を前にしたためか、相槌すらたどたどしい。
発現させた俺自身が一番驚いている。
俺は魔法使いにでもなったのだろうか。
まもるならできるわよ、とディエナに言われ、指示通りに試行すること僅か一回目。
魔法のような何かが俺の手から生み出され、今こうして目の前に広がっている。
これは“妖術”というモノらしい。
「どうして俺にこんな力が……。ディエナ、俺の身に何かしたのか? 例えばほら、あの“血を熱した”時とか」
「関係無いわ。あの時既にまもるから妖力を感じていたから。その力は、間違いなくまもる自身の素質によるものよ」
俺の予想は即座に一蹴された。
術について詳しい人外の言葉だ、信憑性は高い。
しかし、それでも疑問は残る。
「なら、なんで今日いきなり使えるようになったんだ? 今までそんな兆しは無かったぞ」
「知らないわよ。なんでもかんでもあたしに訊かないでよね」
「すみませんでした」
ディエナは頬を膨らませてそっぽを向く。
そうだよな、なんでも聞けば良いってものじゃない。
少しは自分で考えろってことだ。
意識を緩め、右腕を下ろす。
緑色の妖力壁は、美しい粒子状に分散しながら消えていった。
しかし、兆しね。
最近何かあっただろうか。
ディエナと出会う前だと……暗鬼にタクシーを破壊されて高速道路橋から突き落とされた、昨日のあれか?
生死に関わる事件だったから、確かに大きな出来事だ。
しかし、妖術にはあまり関係ないような気がする。
「……環境の変化、かしら」
思い出したようにディエナが口を開く。
「環境?」
彼女は、ええ、と頷くと、ゆっくりと語り始めた。
「言ってなかったけど、実はあたし、最近まで自我も意識も薄かったの。この身体も、実体が薄れて消えかけてたのよ。そうなる前の最後の記憶は、だいたい100年くらい前までで途切れてるわ。だから、ここ100年くらいの記憶が無いの」
「言葉を選ばずに言うと……死にかけてた、ってことか?」
「そうとも言えるかもね。どうも、炎精としての力も失っていたみたい。でも……」
ディエナは自分の両手を眺める。
「つい数日前のことよ。突然意識が覚醒して、自我もはっきりした。この実体の身体も復活した。炎精としての力も元通り、持ち直した。……不思議な話よね」
100年変わらなかったモノが、数日前に突然、か。
確かに不思議だ。
しかし、それとこれとに何の関係があるだろう。
「それでね、まもるに聞きたいんだけど」
ディエナの燃えるような真っ赤な瞳が、俺を見つめる。
「最近……ここ数日の間に、何か大きな出来事は起きてないかしら。あたしが目覚めたのも、まもるが力を自覚したのも、何らかの大きな出来事による環境の変化が理由だと思うの」
関連性があるかもしれない、ということか。
大きな出来事……。
記憶を遡る。
「あたし達妖精は……と言うより妖怪や神などの人外は、人間からの畏怖や信仰を失うと、比例して力や実体を失っちゃうの。あなたたち人間の科学文明によって、その流れは更に強くなってるみたい。あたしが消えかけていたのも、多分それが理由よ。……だから余計に不思議なの。そんな状況下で、どうしてあたしが復活できたのか、しかも、なぜそれが突然だったのか。でも、これなら説明がつくはず……」
思い出すのに時間はかからなかった。
むしろ何故今まで忘れていたのか不思議なくらいである。
凄まじく大きな事件があったではないか。
「まもる、人間の世界で何かあったんじゃないの? 人間の力を大きく削ぐ、人外の力が一気に強まる、科学文明の常識が覆る……そんな、大きな大きな出来事が」
東京や俺の地元、更には全世界の都市にも現れた、あの“巨大な黒いドーム”。
そこから生まれる、明らかに人間ではない存在、“黒い化け物”。
それに先駆けて発生し、前代未聞の大事件となった、謎の“世界同時多発テロ”。
「……あったよ。世界規模の大事件がね」
* * *
全て話した。
一昨日のテロのこと。
世界の都市を破壊したドームのこと。
人間を襲う黒い化け物のこと。
俺がそれらから避難する途中だったこと。
そして、安否のわからない妹や両親のことも。
「それは……災難だったわね……。そこまで凄惨な事になっていたなんて……ごめんなさい、思い出させちゃって……」
光の差し込む森の中、ふたりで腰掛けた倒木の上。
隣に座る長い赤髪の少女は、俯き気味にそう言った。
「いや、気にしなくて良いよ。それより……」
「……ええ。これで分かったわね」
ディエナなどの非科学的な存在が復活した理由、そして、俺が妖術を使えるようになった理由は。
“一連の騒動によって非科学的な存在の力が強まり、科学や人間の力が弱まったから”で、間違いない。
また、これらは自然現象などではなく、何者かによる意思によって引き起こされた騒動であることも明らかとなった。
俺の情報とディエナの知識、それらを紡いで出来た仮説はこうだ。
全ての元凶は、強大な力を持つ、人間ではない誰か。
目的は、人間や科学の弱体化と、人外や非科学の再興。
手段は、前哨戦としての世界同時無差別殺戮、その後世界中に設置した暗黒ドーム、そしてそこから産み出される人型の化け物軍団。
ちなみにディエナ曰く、あのドームは人外の世界で“闇霧”と呼ばれるものらしい。
ただ、闇霧とは抽象的な呼称であるため、おそらく首謀者らは違う呼び方をしているだろうとのこと。
また大方の予想通り、黒い化け物の総称は“暗鬼”だそうだ。
「暗鬼は元々群れない生き物だし、人間を襲える程の力なんて持たないはずなのに……。それを束ね、指揮し、強化して、しかも全人類を相手に対等以上にやりあうなんて、どんな大妖怪よ……」
ディエナが呆れる。
人間の俺からすれば、彼女も充分規格外だが。
「ディエナでも全く敵わないのか」
「当たり前でしょ。勝負にすらならないわよ」
だろうな。
しかしやはり、簡単には想像できない。
首謀者の大妖怪、一体どんな奴なんだろう。
彼女は目を閉じ、木漏れ日を仰ぐ。
「あたし程度が刃向かったって、きっと小指の先で消し飛ば」
刹那、轟音と熱風によって彼女の言葉が途絶える。
だが、ほんの一瞬でその嵐は止んだ。
反射的に瞑った瞼を開けると。
「…………」
背後に右腕を伸ばしたまま、半目で後ろを睨むディエナ。
思わず同じ方向を振り返る。
「……え」
火柱となった木々の幹。
火の海と化した落ち葉の地面。
その中でのたうち回る、数体の黒い人影。
「暗鬼、なんでこんな所に? ……っ! 伏せて!」
そう言うが早いか、彼女は俺を地面へと突き飛ばした。
うつ伏せに倒れた俺の頭上を、光弾が次々に通過する。
「まもる、下がって!」
見ると、光弾の飛んでくる方向に小さな両手を突き出す彼女。
その手から生み出された巨大な炎の壁に、光弾が次から次へと撃ち込まれる。
防御壁を作っているのか。
「早く!!」
彼女の怒号で我に返る。
匍匐前進で急いでその場を離れ、近くの木の影に逃げ込んだ。
凄まじい数の光弾の風切り音が、森の中を駆け抜けていく。
対抗するディエナの炎の轟音が空間を揺らし、撒き散らされる熱風が頬を焼く。
彼女の言葉通り、これは暗鬼の攻撃なのか?
だとしたら、明の言ってた刀を振り回すタイプでも、俺を襲った空飛ぶ両腕大剣タイプでもない。
遠距離攻撃の雨で相手を圧倒する……機関銃タイプとでも言おうか。
しかし、音もなく背後から襲おうとしてきた刀タイプ、かなりの切れ者だ。
さらにそれが失敗した時には、機関銃タイプが大火力を以て制圧する準備も整えてある……。
まるで軍隊のような、出来た戦術だ。
「 、 !!」
頭の上から突然響く、枝葉の音と謎の咆哮。
聞き覚えのあるその声に、俺は反射的に横へ飛び退いた。
瞬間。
「うおぉ!?」
凄まじい破砕音。
大量の木片か何かが辺りに飛び散る。
スライディングを決めた身体を起こし、元いた場所を見る。
「 ? !」
大剣と化した両腕と共に此方を振り返る、一体の人影がいた。
タクシーを襲った奴と同じ、飛行大剣タイプの暗鬼だ。
俺が隠れていた木は幹が砕かれ、あらぬ方向へと倒れていく。
さしずめ、この暗鬼の大剣によって断ち斬られたのだろう。
……あれ、待てよ。
飛行大剣タイプの攻撃は、見ての通りタクシーも木の幹も真っ二つにする程の威力。
なのに何故、橋であれを喰らった俺は突き落とされただけで済んだのか。
ディエナが手当てしてくれたのはあくまで低体温症のみで、外傷が有ったという話は聞いていない。
切り傷どころか、胴と首が泣き別れていてもおかしくない筈なのに。
暗鬼が両腕を広げ、此方へ斬りかかってくる。
生身でこいつの攻撃を防げる術……。
まさか。
右手を前に出し、意識を極限まで集中させる。
突然目の前の空間に現れたのは、緑色に輝く妖力壁。
こいつで防いだ、とでも言うのか?
「 ! !!!」
暗鬼が咆哮しながら、2本の大剣を降り下ろす。
それが妖力壁に触れた瞬間。
「ぐぁっ!?」
「 、 !?」
俺と暗鬼が、お互い何かに弾かれたように後ろに吹き飛ぶ。
落下後、地面を転がる自分の身体。
痛みは無い。
斬られた感覚も、無い。
だが、何故か意識が遠退く。
同じだ。
あの時と、全く同じ感覚だ。
間違いない。
俺はあの時、あの橋の上で斬られた時、無意識のうちに妖力壁を展開していたんだ。
そして、斬撃を防いだ。
だが、質量はまともに受けたために身体は吹き飛ばされ、橋から落下した。
また、代償として意識を失った。
そういうことだったのか……。
「まもる!?」
凛とした少女の声が、俺の意識を引き戻す。
目を開けると、炎の壁を展開したまま此方を振り返るディエナがいた。
すぐ側には、その隙を狙って急速に近づく、刀タイプの暗鬼の姿。
「危ない!!」
叫んだが、遅かった。
「きゃあぁっ!?」
暗鬼の回転斬りが、空中の彼女を叩き落とす。
悲鳴と共に俺へと飛んでくる、小さな身体。
俺は慌てて立ち上がり、両手を広げて彼女を受け止めた。
腕の中に収まった少女の身体は、前面に大きな切り傷が出来ていた。
赤い服の裂け目から滲む、赤より紅い鮮血。
「ディエナ! ディエナぁ!!」
名前を呼んでも、彼女は目を閉じたまま。
僅かに聞こえる呼吸音から、辛うじて生きていることだけは判ったが。
「 ? 、 」
「 。 !」
歩み寄ってくる、2体の暗鬼。
逃げ道を塞ぐ、光弾の嵐。
いくら念じても発現しない、緑の妖力壁。
どうやら、ここまでのようだ。
何が妖術だ、何が素質だ。
女の子ひとりどころか、自分すら守れていないではないか。
結局、俺は何も変わってない。
力を手に入れても、何の役にも立てなかったのだ。
「明……すまん……」
俺は目を閉じた。




