第十一話 兄妹
日本国 濃尾平野某所
「…………要約してもう一度最初から話せ」
『車運転して逃げてたら死にかけのお巡りさんがいて助けてあげたら車が壊れちゃって仕方なく歩いてたら戦車にのせてもらえて皇居なう』
「意味わかんねぇよ!?」
思わず電話口で叫んでしまった。
『っ、お兄ちゃんうるさい! 叫ばないでよ』
いや、叫ばずにはいられないだろう。
きっと誰だってそう思うはずだ。
思うはずだ。
思ってくれ。
思え。
俺の名は東雲衛。
高校三年生の十八歳だ。
本来なら、今日も自転車で片道三十分かけて学校へ通い、机に向かって勉強しているべき「学生」だ。
そんな俺がなぜ平日の真っ昼間から家に引き込もっているのかというと。
【国内外で同時多発テロ 犠牲者万単位か】
このネットニュースの見出しが答えだ。
昨日の夜から今日の明け方にかけて発生した、世界同時多発テロ。
これにより主要な交通網は全て麻痺したため、多くの学校や会社は休みとなったからだ。
当然、俺の通う高校も例外ではない。
高校からは、よほど焦っていたのか、誤字脱字だらけの一斉メールで休校にする旨の情報が伝えられた。
だから、俺はこうしてネットニュースを漁りながら炭酸水を飲んでいられるという訳だ。
……決して怠けているのではない。
情報収集をしているのだ。
情報によると今回の「テロ」は、日の落ちた時間帯に企業や公共施設、地方省庁などにテロリストが押し入り、大型の刃物で人を無差別に斬殺する、というものらしい。
現状、テロリストが民家や集合住宅に押し入ったケースはないようなので、政府からは家から出ないようお達しが来ている。
つまり、決して怠けていたわけではないのだ。
政府からのお達しなのだ。
指示なのだ。
仕方なくなのだ。
だが、一本の電話によってそれどころではなくなった。
電話は、妹の東雲明からだった。
明は高校一年生で十六歳。今は修学旅行で東京に滞在中だ。
明からは、東京でも例のテロが発生して宿泊先から帰れそうにない、と早朝にSNSで連絡が入っていた。
起きてからそれを確認した俺は、取り敢えず明が無事であることに安堵していた。
だがしばらくすると、例のテロの話題で溢れるネット上に、ある別の話題が割り込んできた。
それらを見て、安堵は消えた。
【スカイタワー付近で厳戒体制】
【現地で報道機関や警察、自衛隊のヘリが相次いで墜落】
【東京上空に謎の黒い霧】
情報が錯綜していたため何があったのかは解らなかったが、東京が一大事であることだけは解った。
同時に、東京にいる明の身にも危険が迫っているのではないかと考えた。
不安になった俺は、明に電話をかけようとした。
だが、明が俺に電話をかけるほうが早かった。
俺はすぐさま、その電話に出た。
その結果がこれである。
『ねぇお兄ちゃん、聞いてるの?』
「……聞いてる」
聞いているだけで理解は出来ていないが。
いや、だって意味不明すぎだろ。
まず、車を運転して逃げたって何。
無免許運転じゃん。
そんな妹に育てた覚えはないよ?
次に、お巡りさん助けて車壊れたって何。
壊したんじゃなくて?
何したら救助で壊れるの?
つーか女子高生が警官助けるとかアニメか何か?
んで、戦車に乗って皇居なうって何。
バスに乗って温泉なうみたいなノリで言ってんじゃねーよ。
東京では戦車のヒッチハイクでもできるのか?
そもそもどうやって皇居に入ったの?
……落ち着け俺。
明の言動がぶっ飛んでるのは、何も今日に始まった事じゃない。
先程のやりとりを見れば具体例など挙げる必要すらないかもしれないが、明は昔からこういう性格なのだ。
明の言動や行動をあまり深く考えすぎると、「常識」とは何なのかが判らなくなってくる。
「馬鹿と天才は紙一重」という言葉があるが、明はまさしくそういう部類の人間なのだろうから。
落ち着け俺、気にしたら負けだ。
ツッコミなんてやるだけ無駄だ。
諦めろ。
華麗にスルーだ。
いいな?
無理矢理頭を切り替え、明に再度問う。
「……明、取り敢えず無事なんだな?」
『無事ぃ』
「怪我とかは無いか?」
『無いぃ』
「今、皇居に居るんだな?」
『居るぅ』
よし、明の状況は把握した。
次に、俺が知りたいことは。
「今、東京はどうなってるんだ?」
『んとね〜、……』
明の説明は案の定いろいろとぶっ飛んでいたが、俺を含めた凡人にも理解出来るよう要約すると以下の通りだ。
・東京スカイタワーを中心として半径約4キロメートルの範囲が、巨大なドーム状の黒い霧に覆われている。(政府はこれを【巨大ドーム】と呼称している。)
・ドームの中は真っ暗。また、人を無差別に殺傷する人型の化け物が多数出現している。
・ドームの中と外との間では、あらゆる通信が出来なくなっている。また、電気や水道、ガス、インターネット等のライフラインの大半が寸断されている。
・現地の自衛隊や警察は、ドームの範囲外である東京駅や皇居を拠点として、情報収集や市民の保護、化け物の駆逐等を行っている。
・ドームの上部から球体形の黒い物体が次々と現れ、それらは四方八方へ飛散し続けている。
にわかには信じがたい内容であった。
だが、現地の人々にとってもそれは同じことであり、今の東京は混乱の極みにあるという。
しかし……半径4キロメートルの黒いドーム、というのは……。
巨大すぎる。
まず、スカイタワーから東京駅までは、5キロも無い距離だろう。
そして、皇居はスカイタワーから見て東京駅のすぐ向こう。
つまり、明たちの居る皇居からスカイタワーの方角を見ると。
「まるで真っ黒な壁、か」
『うん、まさにそんなかんじ』
それは確かに、現場は混乱していることだろう。
晴天の下にいるのに視界の大半が真っ黒だったら、そしてその向こうに殺戮マシン達が潜んでいたら。
そしてそれが、いつも使う東京駅の側まで迫っているとしたら。
それは恐怖以外の何物でもない。
『この風景、撮って送ろっか?』
「いらねぇよ」
ちなみに、明が混乱していない事に関しては気にしない。
どうせ肝っ玉の座り具合もぶっ飛んでいるのだろう。
気にしたら負けだ。
細かい事を気にしたら禿げる。
俺はまだ禿げたくない。
リーヴ21にはまだ40年早い。
そうだ、もうひとつ気になる事があった。
「そういやさ……」
『ソイヤッサ?』
「……なんか黒い物体が飛んで行ったんだって?」
『うん、ゆうに1000個以上。しかもまだ続いてるし。西に向かったのが多かったから、濃尾平野にも行ったかも』
それだけの異常事態に出くわしながら、よく冷静に分析できるな。
明のことをただの変人だと割りきれないのは、こういう面も持ち合わせているからだ。
しかし、こちらにも来るのか。
何かしらの備えは必要だろう。
最後に、一番気になる事を尋ねる。
「分かった、ありがとう。明、此方に帰って来れるのか?」
『わかんない。東京駅が使えないから鉄道では無理だし……、民間のバスが避難用として動いてるけど、人が多すぎて乗れないだろうし……』
「その様子だと、道路も渋滞してるよな」
『うん、大渋滞っぽい』
やはり、公共交通機関は完全に麻痺しているようだ。
……ならば仕方ない。
「明」
『やだ』
「まだ何も言ってねぇよ」
『だって読めたもん』
「そうか、ならば話は早い。歩け」
『やだ』
「唯一の手段だ」
『やだ』
「これしかないんだ」
『やだ』
車も電車もだめなら……まあ、そうなるな。
「なんで嫌?」
『疲れるから』
「歩け」
『やだ』
「逃げないと死ぬぞ」
『…………』
黒い物体が頭の上を飛んで行ったと言うことは、即ちいつでも頭の上に落とせると言うことだ。
さらに、化け物とやらが駅や皇居になだれ込んだりしようものなら、間違いなく皆殺しだ。
それに、皇居に留まることはできないだろうし、できたとしても人数を考えればジリ貧。
つまり、早かれ遅かれ逃げるしかないのだ。
そして徒歩ならば、当然早く出たほうが良い。
東京から離れれば、適当な移動手段にも出会えるだろうし。
「歩け」
『やだ』
「見捨てるぞ?」
『……やだ』
「じゃあな」
『ぇまってごめんなさいすみませんでした歩きますから見捨ないで下さいお願いします』
「よろしい。移動手段を見つけたり、不安になったら何時でも連絡しろ。見捨てたりはしないからな」
『……うん、分かった』
俺は、了解の意を聞き届けるとすぐさま電話を切った。
携帯電話に充電器を突き刺すと、天井を見上げて一息つく。
これでよし。
あとは明の帰りを待つだけだ。
非常食の確認をしなければ。
いつ物流が滞るか分からないし。
ええと、他に必要なものは……。
考えを巡らせていると、唐突にパソコンの画面が真っ暗になった。
「……ん?」
足元を覗き込む。
ルータの電源も消えている。
手元を見る。
充電器に繋がった携帯電話の画面から、充電中の表示が消えている。
停電か。
嫌な予感がした。
このタイミングで停電ということは。
明の言っていた「黒い飛行物体」とやらの仕業ではないだろうか。
右側の窓を睨む。
そのカーテンを両手で乱暴に掴み、左右に引き離す。
「……なるほど、ね。」
その向こうに見えた景色に、ため息ひとつ。
事態を達観した視線の先にあったものは。
真っ黒な「ドーム」だった。
名前:東雲 衛
初登場:第十一話 兄妹
種族:人間
性別:男
年齢:18歳
身長:中
髪の長さ:短
髪の色:黒
瞳の色:茶
能力:不明
濃尾平野の住宅地にあるマンションに住む、普通の男子高校生。
付近で発生した暗鬼対自衛隊の戦闘から逃れるため、また、修学旅行で東京にいる妹の明と合流するため、自宅を出る。
この物語の、もうひとりの主人公。
にわかミリオタで、ある程度の軍事知識がある。
物事に対して達観的。東雲兄妹のツッコミ担当。
若干無愛想ではあるが、普段は優しく礼儀正しい。
容姿は、妹に鼻で笑われる程度しか持ち合わせていない。
名前:東雲 明
初登場:第十一話 兄妹
種族:人間
性別:女
年齢:16歳
身長:中
髪の長さ:背
髪の色:黒
瞳の色:茶
能力:不明
濃尾平野の住宅地にあるマンションに住む、普通……の女子高校生。
修学旅行で東京に滞在中、今回の騒動に巻き込まれる。
兄の衛と合流するため、自宅へ向かおうとする。
この物語における、いわゆる妹キャラ。
明るく元気。変人だが天才。東雲兄妹のボケ担当。いろいろとぶっ飛んでいる。
その奇抜で読めない性格ゆえに男はなかなか寄り付かないが、容姿だけなら中の上程度はあると言える。




