第十二話 従者
欧州北西部 北海上空
星々が淡く輝く夜空の下。
冷たく吹き付ける風の中。
私はただひたすらに、西へ西へと飛行していた。
眼下に延々と続く、黒い海原。
その水平線上に、ようやく目的地を見つけることが出来た。
大西洋と北海の間に浮かぶ、大小ふたつの島。
その大部分を領有する、かつて世界一と云われた西洋の大帝国。
グレートブリテン・北アイルランド連合王国。
通称、イギリス。
島国から夜空へ放たれる、幾つもの人工の光が目に入る。
それらを視界の中央に捉えると、私はさらに飛ぶ速度を上げた。
目指すは、その光が最も集まる地。
首都、ロンドン。
私の名前は、ミラージュ。
ミラージュ・ナイトメア、だ。
我が主である无月綾蔵様が、私を造った時にそう名付けてくれた。
綾蔵様は自身の妖力を駆使し、多数の「暗鬼」を造り出すことが出来る。
「暗鬼」達はその膨大な頭数を以て国家を攻撃し、人類の縄張りを削り取る。
私も、その暗鬼のうちのひとりである。
だが、なぜか私は他の暗鬼達とは様々な点で異なるようだ。
具体的に挙げるとするならば、まず、私に名前がある点だ。
綾蔵様は、普通の暗鬼には名前なんて付けない。
それどころか、暗鬼達の正確な数すら把握していない。
だが、私にはミラージュという名前を付けた。
私にだけだ。
次に、私に「心」というものがある点だ。
「心」が一体何なのかは、綾蔵様は教えてくれなかった。
その為、私は仕方なく「このような複雑な思考に耐えうる知能の名称」であると、勝手に解釈している。
「心」も、他の暗鬼には無いものらしい。
つまり「心」を持つ暗鬼は、私ただひとりだけということだ。
そしてもうひとつ。
綾蔵様が私に授けた妖力の量が、他の暗鬼とは比較にならないほど膨大である点だ。
暗鬼を百体千体束ねたとしても、私単体の妖力量には到底及ばない。
私の妖力量は、部分的には綾蔵様のそれにも匹敵する。
これらの事実から言えることは、綾蔵様から見て、私は危険な存在であるという事だ。
従者が主に匹敵する力を持っているという状態は、すなわち従者がその力で主を倒せる可能性がある状態である。
主従関係が力で覆るような事態は、主として最も避けたいことのはず。
だが、綾蔵様はおそらくそれを承知した上で、私に力を与え、高度な知能を授け、さらにはこうして単独行動までも許した。
綾蔵様にとって、利点が無いわけではない。
本来綾蔵様が負担すべき使命を、私に代行させることが出来るからだ。
今回私に任された役目は、綾蔵様が東京で行ったことの模倣をすること。
つまり、“「無明天蓋」をロンドンにも設置する”という任務だ。
だがこれは、綾蔵様が自分で行ったほうが容易く、なおかつ早くこなせるはずだ。
むしろ、私を造り、さらにその私に代行させるほうが、時間と妖力を浪費することになる。
なぜ綾蔵様がこんな無駄な事をするのか、私には分からない。
私が必要とされる理由が、私には分からない。
私は、何のために。
私は、誰のために。
私は……。
思考を打ち切った。
前方から何かが高速で向かって来たからだ。
距離は、すでに肉眼で見えるほどにまで近い。
相対速度は音速の数倍以上。
結界を展開していては間に合わないだろう。
このままでは衝突する。
白い尾を引くふたつの飛翔体が、眼前まで迫る。
その刹那、全身に妖力を込め、加速しながら急上昇をかける。
容易にかわせるはずだった。
だが、予想が外れた。
ふたつの飛翔体は、まるで眼の付いた生き物のように、急上昇した私に追いすがってきたのだ。
誘導弾。
気付いた時にはもう遅かった。
手が届く程の距離にまで近づいてきたそれらは、ふたつ同時に爆発した。
おびただしい量の金属の破片が飛び散り、私の身体に次々と食い込む。
「うっ……!?」
あまりの痛みに、喉から無意識のうちに苦悶の声が漏れる。
油断していた。
もっと早く気付くべきだった。
それもこれも、この無駄に複雑な知能、「心」のせいだ。
無駄な思考に気を取られたからだ。
そんな私の左右を、2機の戦闘機が唸りを上げて通過した。
瞬間、瞳だけを彼らに向け、その機体を視る。
主翼の形状は、欧州の戦闘機に多いという三角翼。
垂直尾翼に記された、Typhoonという機体名。
そして、青丸の中に赤丸が描かれた、イギリス空軍機としての印。
イギリスは、どうやら私の接近を察知し迎撃に来たようだ。
ともかく、誘導弾を撃った犯人はこいつらで間違いないだろう。
人間風情が。よくもふざけた真似を……。
「邪魔しないで」
振り向きざまに光弾を放つ。
凄まじい速度で撃ち出された2つの光弾は、2機の戦闘機のエンジンに深々と突き刺さり、機体を爆散させた。
「!!!?……」
断末魔の悲鳴が聞こえた、ような気がした。
あっけない。
あまりにも脆すぎる。
人間の力とはこの程度なのか。
それとも、私に与えられた力が規格外なのか。
どちらにせよ、今の私の敵ではないようだ。
機体の残骸たちは、虚しく燃えながら海へと落ちて行く。
それらを無感情に一瞥すると、身を翻し目的地へと向き直り。
「……任務、続行」
そう呟くと、朝日に照らされつつあるイギリスへと、再び飛翔した。
* * *
ロンドン中心部 大時計台
燃え盛る車両。
潰れたヘリコプター。
倒れて動かぬ兵士達。
そして、その合間を縫うように逃げ惑う多数の市民。
私はそれらを、この巨大な時計台の上から眺めていた。
ここに到着したとき、私は人間達の待ち伏せ攻撃に遭った。
やはり彼らにとって、ロンドンは重要な都市なのだろう。
火薬と鉛弾の盛大な歓迎を受けた私は、礼として弾幕を贈ってやった。
結果、彼らは一瞬で穴だらけの残骸と成り果て、今に至る。
私や綾蔵様の妖力壁は、この程度の物理攻撃ならば完全に無効化できる。
攻撃に術式や魔力が込められていないのならば尚更だ。
邪魔者は消えた。
任務を果たすとしよう。
両手を天に掲げ、呟く。
「無明天蓋」
上へと放たれた妖力の塊は凄まじい速度で上昇して行き、爆ぜた。
爆発点を中心に水平方向へとばら蒔かれた光弾達は、黒い尾を引きながら地平線へと落ちて行く。
それはさながら、周囲に暗幕が降りるように見える。
「……っ」
突然、酷い目眩と疲労感に襲われた。
一度に大量の妖力を使った為だろう。
危うく飛びかけた意識を、頭を振って無理矢理はっきりさせる。
辺りを見回す。
既に暗幕は地平線まで降り、天蓋は完成していた。
陽光が途切れて真っ暗となったロンドンの空には、 雲も太陽も月も見当たらない。
「斬鬼召喚」
それらの代わりに現れたのは、紅い星々だった。
“夜空”を埋め尽くした紅星達は、重力に引かれ次々に落下した。
建物が、橋が、道路が、車が、人が、着弾の爆発に巻き込まれ、破壊されていく。
これでよし、任務完了だ。
あとは、やがて暗鬼へと姿を変える紅い落星たちや、天蓋の上部から生まれて世界中に飛散してゆく小型の天蓋「籠蓋」に任せておけばいい。
私の役目は、ロンドンに無明天蓋を設置すること。
それを果たした今、私はもう不要なのだろう。
私に割り当てられた妖力は回収され、ミラージュ・ナイトメアという存在は消えてなくなる。
極めて自然で妥当な流れだ。
だが。
――嫌だ。
なぜかそんな声が、思考の片隅を掠めた。
――消えたくない。
何の根拠も理論もない、自分の存在にしがみつく誰かの声。
――死にたくな
「黙って」
思わず、そう吐き捨てた。
非生産的な考えや、非効率的な思想なんて、暗鬼である私には必要ない。
綾蔵様も、そんなもの必要としていないはずだ。
「綾蔵様、天蓋の設置は完了しました。籠蓋の飛散も順調です。すでに私は不要となりました。いかようにも」
心通信を使い、綾蔵様にそう伝える。
あとは、終わりを待つだけ。
私は静かに瞼を閉じた。
ロンドンの夜空に浮かぶのは、紫髪の少女、ただひとり。
名前:ミラージュ・ナイトメア
初登場:第十二話 従者
種族:暗鬼
性別:女
年齢:1歳未満
身長:中
髪の長さ:肩
髪の色:紫
瞳の色:紫
能力:疑心操作
无月綾蔵によって作られた、心を持つ唯一の暗鬼。
15歳の人間の少女と同程度の知能を持たされている。
主である綾蔵からロンドン攻撃を任された。
この物語における、いわゆる従者キャラ。
基本的に口数は少なく、表情も固い。
綾蔵への忠誠心が強く、命に代えても守ると決めている。
また、綾蔵以外の者に敬語は使わない。
【無明天蓋】
无月綾蔵が東京に、その従者ミラージュ・ナイトメアがロンドンにそれぞれ配置した、ドーム形の黒い霧。通称、天蓋。
人間からは「ドーム」「巨大ドーム」「暗黒ドーム」、妖怪からは「闇霧」と呼称される。
直径は8キロメートル、高さは4キロメートルにも及ぶ。
黒い霧は壁にあたる部分を構成しているだけであり、天蓋内部を満たしているわけではない。
壁はあらゆる“光”を遮るため、内部は真っ暗で無線通信もできない。
天井にあたる部分からは、赤く輝く物体が繰り返し生まれては落下し、天蓋内部の地表を無差別に爆撃している。
落下地点からは暗鬼(後述)が現れる。
天蓋の設置完了直後、天蓋上空からは多数の籠蓋(後述)が現れ、世界中の都市へと飛散した。
※【天蓋】空、天球の意。
※【天蓋】仏教用語。仏像上部の笠状の装飾や、一部の僧が用いる笠の名。また、タコの隠語。
※【無明】光・希望の無い様。
※【無明】迷妄や煩悩の根源。




