第9話 フィリアの暴走 第一報
翌週、フィリアが申請書を持ってきた。
「発酵実験室の設備を拡張させてください」
佑は申請書を受け取って読んだ。必要な資材のリストが書いてある。それなりのコストがかかる。
「今の予算では厳しいです」
「宇宙食の味噌は偽物です」とフィリアは言った。
佑はフィリアを見た。穏やかな顔をしている。怒っているわけでも、ふてくされているわけでもない。ただ、静かに、確信を持って言っている。
「宇宙食の大豆ペーストは味噌ではありません。麹菌がいません。発酵していません。時間が入っていません。あれは味噌の形をした何か別のものです。本物の麹菌で、本物の大豆を、時間をかけて作った味噌を食べるまで死ねない」
「……死なないでください」
「では許可を」
「食料備蓄が安定したら考えます。今は小さい範囲でお願いします」
フィリアは少し考えてから「分かりました」と言って、申請書を取り戻した。
そして踵を返して、どこかへ行った。
佑(内心):許可する前に行った。
三日後、シャリアが佑の部屋に報告に来た。
「フィリアが地上に降りています」
「……何のために」
「京都に味噌蔵があると聞いたようです」
佑は目を閉じた。一秒だけ閉じて、開いた。
「小さい範囲でと言いました」
「京都は工作船から見れば小さい範囲だと思います、フィリア的には」
「論理が飛躍しています」
「フィリアの論理です」とシャリアは言った。「止めに行きますか」
「……通信を繋いでください」
京都の味噌蔵は老舗だった。三代続く蔵元の当主、善右衛門は、その朝、仕込み部屋の扉を開けて固まった。
見知らぬ女がいた。耳が長くて、青みがかった髪をゆるく結んで、仕込み桶の前にしゃがみこんでいた。蓋を開けて、鼻を近づけて、何かを確認している。
「……誰だ」
「フィリアと申します」
「なんで俺の蔵にいる」
「麹菌の温度管理が甘いと思いまして」とフィリアは言った。「菌が可哀想です」
「……菌が?」
「この季節のこの気温で、蓋麹の管理をこのまま続けると、目標の酵素量に届きません。これを置かせてください。温度を測るものです」
その時、フィリアの懐で何かが鳴った。
「はい。佑じゃないですかどうしたんですか?」
『フィリア。それはこちらのセリフです、何をしていますか』
「温度管理の指導をしていました」
『勝手に──』
「菌が可哀想だったので」
『……指導料はもらいましたか』
「もらっていません」
『……(深呼吸)……次からはもらってください。私たちは食料が必要なので』
「……分かりました」
通信が少し間を置いた。
『味噌蔵のご主人』
「は、はい」と善右衛門が思わず返事をしていた。
『温度計を置いていっても構いませんか。有料になります』
「……いくら、ですか」
『味噌一樽でどうですか』
帳簿にまた一行増えた。
【1582年・収入】
温度計販売(京都・某味噌蔵):味噌一樽
備考:フィリアが無断で動いた。
ただし結果として商売が成立した。
フィリアの行動を止める方法を考える必要がある。
ただし、止めると別の問題が起きる気もする。




