第6話 「雨の日のやさしさ」
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朝、玄関を開けると、空はどんよりと曇っていた。
今にも降り出しそうな重たい雲が広がっている。
「……嫌な天気だな」
雨に濡れる事が大嫌いな亮は、
眉をひそめながら、鞄の中を確認した。
折り畳み傘は、いつもの場所にちゃんと入っている。
―よし、今日は大丈夫だろ
そう思いながら家を出た。
午前中の仕事は、いつも通り忙しかった。
ただ、亮はどこか落ち着かない。
窓の外の空が、どんどん暗くなっていくのが気になって仕方ないのだ。
昼休み。
外に出て昼食を買いに行こうとした瞬間──
ザーッ!
突然、空が破れたように雨が降り始めた。
「……うわ、最悪だ」
亮は慌てて鞄を開けた。
―あれ……? 折り畳み傘……ない?
朝、確認したはずなのに、
どこを探しても見つからない。
―家に置いてきたのか?
仕方なく、会社の傘立てへ向かった。
そこには数本の置き傘が並んでいる。
その中に、ひときわ古びた黒い傘があった。
父が使っていた傘。
亡くなった後、捨てられずに会社へ持ってきて、
なんとなく置きっぱなしにしていたものだ。
父の出棺を雨の中で濡れながら見送った記憶
それ以来、雨に濡れると胸の奥が痛くなる。
―雨は嫌だな。
亮はその傘を手に取った。
「……まあ、今日はこれでいいか」
その瞬間、傘の布地がふわりと光った。
光は小さく震え、丸い輪郭をつくり、
やがて小さな妖精の姿になった。
精霊リンクが、傘に宿ったのだ。
(……あ。ひかり……いっぱい……
このひと……かなしい……
“ぬれたくない”……って……
ぼく……てつだう……!)
リンクは幼い決意を胸に、
傘の中へすっと溶け込んだ。
亮が傘を開こうとした瞬間──
「うわっ!」
傘は勝手に勢いよく開き、
亮の顔にぶつかりそうになった。
「なんだよこれ……壊れてんのか?」
(ちがう……!
りょう……ぬれないように……
ぱっ! って……した……!)
リンクは必死だった。
雨の中を歩くと、
傘の上に落ちる雨粒が、なぜか“にこっ”と笑ったような模様を作る。
「……なんだこれ。気味悪いな」
(えへへ……にこ……した……
りょう……げんき……でる……?)
亮は首をかしげながらも、
どこか懐かしい温かさを感じていた。
父と歩いた雨の日の記憶が、
ふと胸の奥に浮かんだ。
仕事を終え、会社を出ると、
雨はさらに強くなっていた。
「……ついてないな」
亮は傘を開き、雨の中に歩き出す。
暫く歩いた先で、不意に声をかけられた。
「りょうお兄ちゃん!」
小さな声が聞こえた。
振り向くと、
傘もささずに雨に濡れたゆいが立っていた。
「ゆい? どうしたんだよ」
「……傘、忘れちゃって……」
髪はびしょびしょ、制服も濡れている。
亮は迷った。
雨は強い。
自分は濡れたくない。
でも──
手に持った父の傘が、
そっとゆいの方へ傾いた。
(りょう……やさしい……
あげる……?
あげる……?)
亮はため息をつきながら、
ゆいに傘を差し出した。
「ほら、これ使え。家まで気を付けて帰れよ」
ゆいは、ぱっと笑顔になった。
「ありがとう、亮お兄ちゃん!」
ゆいが走り去る後ろ姿を見送りながら、
亮は雨の中に取り残された。
スーツは濡れ、髪から滴が落ちる。
「……はぁ。なんで俺、傘渡したんだろ」
でも、胸の奥が少しだけ温かい。
(りょう……すごい……
やさしい……
ぼく……うれしい……)
リンクは傘の中で、
小さく跳ねるように喜んでいた。
亮は雨の中を歩き出した。
冷たい雨粒が、容赦なく体を濡らす。
「……最悪だ」
そう呟きながら、ハンカチを取り出す為に鞄を開けた瞬間、
中から何かが転がり落ちた。
折り畳み傘。
「……あ」
亮は呆然とした。
「俺……折り畳み傘、持ってたじゃん……」
雨の中で、思わず笑ってしまう。
(りょう……えへへ……
きづいた……?
だいじょうぶ……
ぬれても……すぐ……かわく……
やさしい……ひと……)
亮は、濡れた髪をかき上げながら、
小さく笑った。
「……まあ、たまには濡れて帰るのも悪くないか」
亮は、びしょ濡れのまま家に帰りついた。
玄関に入ると、靴の中まで水が染みていて、思わずため息が漏れる。
「……最悪だ」
スーツを脱ぎ、タオルで髪を拭きながら、
亮はふと、ゆいに渡した父の傘のことを思い出した。
「……親父なら、迷わず渡してただろうな」
そう呟いた瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。
父は、雨の日でも文句ひとつ言わず、
亮の頭にそっと傘を差し出してくれた人だった。
「……俺も、少しは似てきたのかな」
亮は苦笑しながら、濡れたシャツを洗濯機に放り込んだ。
夜。
亮はソファに座り、
鞄から落ちた折り畳み傘を手に取った。
「……ほんと、なんで気づかなかったんだろうな」
雨に濡れた帰り道を思い出し、
思わず笑ってしまう。
(りょう……えへへ……
きづいた……?
ぬれても……すぐ……かわく……
だいじょうぶ……)
聞こえないはずの幼い声が、
なぜか胸の奥にふわりと響いた気がした。
亮は、父の傘を思い浮かべながら、
そっと目を閉じた。
「……ありがとう、親父」
その言葉に応えるように、
玄関に立てかけられた古い傘が、
かすかに光った。
リンクは、傘の中で小さく跳ねていた。
(りょう……やさしい……
ゆい……まもった……
ぼく……うれしい……)
そして、体がゆっくりと光に溶けていくのを感じた。
(もう……だいじょうぶ……
りょう……がんばれる……
ぼく……つぎ……いく……)
光は傘からふわりと抜け出し、
玄関の空気の中へ漂い始めた。
亮は気づかないまま、
濡れた靴を乾かすために新聞紙を詰めていた。
(つぎの……がんばってるひと……
さがす……)
リンクの光は、静かに夜の街へ溶けていった。
翌朝。
玄関を開けると、空はすっかり晴れていた。
亮は深呼吸をして、
軽く伸びをした。
「……まあ、雨の日も悪くないか」
昨日の濡れた帰り道を思い出しながら、
亮は少しだけ笑った。
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