有能ゆえに、イヴは嵐を予感する(1)
「え」
予想だにせぬ情報に、イヴは我が耳を疑った。
「今、何て――いや。嘘でしょう?」
絶対、嘘。思わず二度聞きしてしまった。日常的にはまずやらない。
イヴはサルダーニャと一緒に昼食を摂っていた。これも常の習慣ではない。
日頃からなるべく休憩時間をずらすようにしている。
サルダーニャかイヴ、どちらかがいれば奥向きはたいていが事足りた。
しかし二人ともいないとたちまち他の人間達が困るから、滅多に二人同時には席を外さない。なのに、珍しくもサルダーニャの方から誘われた。
そうしてわざわざ遅い時間帯を選び、人が退けた食堂で向き合っている。
「嘘。――なら、よかったのだけどね」
サルダーニャは口元をナプキンで拭った。
侍女頭の専用ナプキンには名前が刺繍してある。平侍女にはない待遇で、事実上のメイド長であるイヴの方には、イニシャルのEだけが控え目に施されていた。
――あの家では、それぞれのプレイスマットにイニシャルを入れてあったな。
こんな状況でもイヴは、鮮やかな赤い刺繍を思い出せた。
姫君の手になる愛らしい装飾。ゼフィネさんのための意匠がもっとも華やかで目を惹いた。気軽に乗っかっとけば、あたしのも拵えてくれたんだろうな。
イヴは視線を自分の手許に戻した。
イヴ達の糸はいずれも青灰色。青が当辺境伯家の色だからだ。
(嘘でしょ……勘弁してよ)
いつもなら内密の話であっても、人払いをした上でサルダーニャ専用の事務室を使う。しかし時として誰かが聞き耳を立てていたりするから、侍女頭も念を入れたかったのだろう。今日、すっかり人気のない食堂には自分達の二人きり。実質的な貸切状態だ。さらにはそのもっとも奥まった一隅で顔を付き合わせていた。
これは――来る。
料理人達さえ席を外し、皆して厨房の向こうで賄いを食べていた。
時折、談笑が漏れてくる。互いに話の内容まではわからない。
そしてサルダーニャは、食べる間はあえて他愛ない世間話に終始した。
上司なりの配慮なのだ。つまりは余程よろしくない内容が控えているに違いない。
イヴはそう予見した。
何事か特別に頭の痛い内容が飛び出してくるはずだった。
それこそ先に聞くと、料理が喉を通らなくなるくらいのネタが。
予め心身に栄養を補給しておくべく、イヴは覚悟して皿の料理を平らげた。
そうして、完食と同時にホントにロクでもないネタが来たのだ。
「それで――こないだ来やがったわけですか。あの古狸」
――またしても。
残念ながら、クソ狸ヴァルゴ関連だという想定内の最悪部分についてはピタリと的中してしまっていた。ようやく最後のお茶の段階になって、サルダーニャはごく淡々と事実だけを箇条書きのごとく列挙したのだが、早くもイヴはせっかく胃の腑に納めた料理がせり上がってきそうである。
古狸、腹黒陰険、悪徳商人。
今なり新興貴族でもあるヴァルゴが予約伺いもなしに館に押し掛けて来たのは、もう半月からも前だ。図らずも、その用向きがこの場で開示されたことになる。
この無礼千万狸、何しに来やがったのかと訝しんでいたイヴだが、不快なことを忘れるのも得意なのでとうにキレイさっぱり脳裏から消し去れてもいた。
今更ながらに力業で蒸し返されると、不愉快極まりない。ピカピカに磨き上げた室内を泥だらけの汚い足で踏み荒らされるような気分である。
「その話……どこまでがガセですか」
気休めにでも聞いてみたが、サルダーニャは黙っている。
ではあらかた事実なのか。だとすれば。
「どこまで、本気なんでしょうか」
畳み掛けるようにイヴは訊いた。
「――養女を迎えたのは、本当のようね」
サルダーニャは婉曲に答えて、食後の苦い薬草茶を啜った。
胃腸を労わる効能のあるこのお茶を、侍女頭は長年愛飲している。最近になって、イヴも飲み始めた。たまに美味しいと思う。年々、気を揉むことが増えていた。
「養女――ですか」
あの狸がわざわざヨソの子をもらうはずがない。
そんなことをしなくとも、自前と思われる子がゴロゴロいるのだ。
「……隠し子?」
ヴァルゴには現状、何番目だかの妻がいる。
男爵位を貰うのに合わせて新調した正妻のはずだった。
「――放置していた婚外子の一人」
他にも複数、内縁関係の「妻」はいる。公にしている妾だけでも二、三人?
合わせると何人になるのだろうか。最低限でも片手の指の数を超える気がする。
「と言う方が、より適切かもしれないわね」
これまでの妻と抱える妾達。それぞれに子がいるとかいないとか。
だが手を付けた女は数知れない。はした金程度の手切れで、認知せずに打ち捨てている母子が幾組もいるらしいと、商人に過ぎなかった昔から後ろ指を差され続けている。とんだエログロ狸だ。
「――じゃあ。今度、この館に捻じ込もうとしてるのも?」
そして忘れていた子を、たまに気まぐれで拾うらしい。
これもまた悪い風に有名だった。なんでも使えそうなのだけを選んで仕込み、方々の貴族屋敷に奉公に出すという。使用人に送り出した息子娘等のおかげで商売の取っ掛かりを掴んでいると、もっぱらの噂だった。そうして少なからぬ人間達の弱みを握れているとかで、いっこうに悪評が途切れない。
――実際。まともに稼いで、たった一代であれほど肥え太れるワケない。
お貴族様に成り上がる前から嫌味なくらいに羽振りが良かった。
その潤沢な財で、爵位すら買ってみせたほどだ。
「どうかしらね。おそらく庶子なのでしょうけれど。実子でない可能性はある」
サルダーニャは断定はしなかった。どんな風評でも裏が取れなければ鵜呑みにはしない。逆に世間の噂のあてにならなさを、身を以て感じてきたからだろう。
「まあ。やろうと思えば誰でも使う。手段を選ばないでしょうし」
しかし狸ヴァルゴが金で面を張り、まんまと男爵位をせしめたのはいい加減なガセではなかった。客観的事実なのだ。他ならぬ当家が、膨大な借金のカタに王家へ口利きしたのだから、間違いない。
性情剛毅なお館様と辣腕の家宰殿が冷徹に計算し尽くし、狸に足りない「名誉」を相当高く売り付けたのだ。結果、当家の負債は大幅に棒引きされた。
「ただ、偶然にしては気色悪過ぎるけれど」
「―――………」
確かに。超気色悪い。先触れも寄越さずに押し掛けて来たのは、ちょうどお館様が姫君と会えるはずのその日だった。招きもしないのに、お館様が出られる直前に来やがったのだ。それこそ、まるで狙いすましたように。
「……で、その養女にした隠し子を、辺境伯家館に召し上げろと?」
阿漕。悪辣。強欲。貪婪。
多方面でさんざ嫌厭されるヴァルゴだが、普遍的に嫌忌される主因は女癖の悪さだろうとイヴは思う。あれほど生理的に毛嫌いされて、よく商売が成り立つと首を傾げたくなる。端的に「女の敵」だと広く認定されているのだ。金ずく権力ずくで女漁りに精を出すだけでも拒否感が強いのに、妙に吝嗇で養育すべき子等を平然と放擲している。もうやることなすこと、非難轟々である。
(同性受けの悪い女にロクなのはいない。それは男も一緒か)
特にヴァルゴは、辺境領民的には「男の敵」でもあると見なされていた。
西の辺境領の人口比は男余り、男性の生涯未婚率がけっこう高い。そんな土地で何人も女をとっかえひっかえしていたら、それだけで顰蹙を買う。まして狸は他人の嫁でもお構いなしにちょっかいをかけるというから、始末が悪かった。
悪行は封爵後も依然として改善されず、かえって大手を振って罷り通っている。
だから、なおのこと怨嗟の的と化していた。何時何処で誰に刺されたって、不思議はない。既にしてけっこうな憎悪を浴びていた。
――しょせん嫁不足なんて、庶民の間でだけあてはまる常識だよね。
イヴは知っている。金や権力のあるところには、常に別の摂理が存在するのだ。
現に当家にだって常時、複数の『行儀見習い』達がいる。そしてその大半は、実家で冷遇されがちな庶出の娘達である。
イヴ個人としては彼女等を嫌いだ。だが俯瞰すれば、あれも社会的弱者には違いなかった。




