始まりの朝は……灰色?
(お。お目覚め、かな……?)
二階で姫君が起きたらしい。
イアルはゼフィネさんと二人で階段を上がった。汲んでおいた洗面の水は今朝もイアルが運ぶ。これも護衛の仕事なのかどうか、正直イアルはわからない。そう重いモノではないのかもしれない。だが、幼馴染でもあるイヴに常々言われているのだ。
『アンタは気が利かないんだから、とりあえず重そうなモノは何でも率先して持つようにしな』
成程。そう思えたから、とりあえず従うことにしている。
姫君の部屋にはゼフィネさんだけに入ってもらった。その間、イアルの方は廊下で待機。
(今更だけど。……よかったのかな? メイドの一人も付けなくて?)
実はイアルは、貴婦人なるものをよく知らない。
しかし先の奥方様は、お輿入れの際には三人も侍女をお連れだった。
それに加えて、辺境伯家ではさらに生粋の大公姫たる正室にメイドも付けたはずである。イアルの認識では、姫君とは「何であっても自分ではなさらない」存在だ。
「大丈夫。身支度は自分でできますから」
だが姫君は、ゼフィネさんと朝の挨拶を交わすなり明快に手伝いを断った。
「家主殿はお忙しい身でしょう。居候の私にお手を煩わせるには及びません。明日からは顔も降りてから洗います。後で、井戸の場所を教えてくださいね」
姫君の言葉は部屋の外で待つイアルにも聞こえた。
出て来てイアルと目が合ったゼフィネさんは、何やら神妙な表情をしていた。
イアルは知らなかったが、それはゼフィネさんが困った時に特有の顔で、これを見た人間はそうそういないのだった。
――メイドの一人も付けなくて……よかったんだ。
なんだか変わったお姫様である。
さして寝坊もせずに起き出した姫君は、イアルの先導で階段を降りた。
たぶん――昨夜と同じ服を着ている。
姫君のお召し物は、ずいぶんあっさりとした形のドレス――にしては、少々丈が短い。足首が見え隠れするから、これだとワンピースだ。
まあ動きやすいのかもしれない。しかし、姫君の装束としてはふさわしくないように思う。この丈ではイヴと変わらない。つまりメイド服と。げに姫君にはそぐわない衣服に見える。
(何より、地味過ぎるのでは?)
イアルでさえそう感じた。昨夜は気にならなかった。いや、着手の器量のよさにしか目が行かず、気付かなかったのだ。良さそうな生地で、決して粗末なものではない。むしろ上品と言うべきなのだろう。
ただ、色。そう、この無彩の灰色。
――こんなの、姫君に着せちゃあいけないんじゃあ?
女性の服飾に疎いイアルでもわかる。これは未亡人とか修道女が着る色だ。若い女性は自主的に着たがらない気がする。まして姫君のお召し物に使う色ではないはずだ。
その上、仕立ても地味。刺繍はおろか、ひだ飾りもなければリボン一つとてない。
館に居る『行儀見習い』のお嬢様方はもっと派手だ。彼女等はお館様の側女やお手付きになりたがって来ているから、少しでも目立とうとしている。いつ見ても、やたらと着飾っていた。
(あれはあれで、やり過ぎなんだろうけど)
しょせん無駄な努力だと、イヴなどは散々にくさしている。
『それよか、少しでも仕事しろっての。あの娘等はお仕着せさえ着ようとしない。地味で野暮ったいんだって。何しに来てるんだか。いや知ってるけどさ。目に余るんだよ』
『行儀見習い』の現実的なお目付け係はイヴだがら。余計に頭痛のタネらしい。
(だけど。これは……年頃の娘さんの出で立ちじゃあないよな?)
姫君におかれてはとにかく装飾皆無。昨夜と変わらず、何の飾りもなかった。
灰色の服。化粧をしない顔は、陽光の下でも輝くように白い。しかし。
(これで頭巾とか被ったら、まんま修道女……)
そう思ったら、ますます修道女に見えてきた。
お姫様だよな?
なのに姫君は髪も長くない。ただ梳いて、垂らしたままの黒髪は中途半端で微妙な印象だ。
辺境領では今、一部女子の間で髪を短く切り揃えるのが流行っている。何処だかの看板娘がやり出して、評判を取ったから真似する女子が続出したのだ。だからイアルも平民の女の子達の短髪にはだいぶ慣れてきた。
それでも姫君の髪は、イアルの目に何だか痛々しく映った。やっと肩くらい。
これでは結えなくて飾りようがないのだろうか。すごく残念なような。
――もし修道女が還俗とかして髪を伸ばし出したら、こんな具合なのか?
そんなことすら考えてしまう。そしてようやく気付いた。
服だけではない。姫君は、髪だって異質なのだ。
良家の子女なら、普通はこんなに切らせない。
現に館の『行儀見習い』のお嬢様方の髪は長い。貴族子女の習い通りに、背を覆い腰に届くほど伸ばしている。
貴族に限らず、いわゆるいいところのお嬢様はたいてい長髪だ。世の中には美女の条件なるものが厳として存在していて、髪も大事な要素だからだ。それだけで大いに美女ランクを左右する。
(……って、イヴが言ってたような)
イアルの知識はすべて、イヴの受け売りである。
『娘の髪はね、家の裕福さの象徴でもあるんだよ』
一つ上の古株メイド、イヴがそう解説してくれた。なんか小難しい話来たぞと、イアルは聞き流していたけれど。
『ウチはこんなにも豊かですって、娘の外見でもってひけらかすワケ』
あ。そういうことか。要は豪華な服や宝石とおんなじなんだな。
『だから髪の手入れにはたいそうな手間と時間を掛けてる』
美はね、費用対効果なんだよとイヴは嘯いていた。
『カネ。モノ。そして惜しみないヒトの手間暇。美って、そういう資源と労力の結晶なんだからね?』
その説明にはイアルもちょっと感心した。
天然だけで完結する美は有り得ないと、イヴは豪語していた。
――このお姫様は。既にして、けっこう完成してるみたいだ。
短くとも、姫君の髪からは歩く度に仄かにラベンダーが薫る。
高価な香油とか使ってなさそうなのに、ツヤツヤサラサラ。
身支度だってけっこう早かった。そう時間を置かずにお出ましになった。軍事職にあるイアルの動作が早いのは訓練の成果だが、修道女も似たような習慣を培うのだろうか?
「――……」
階下で姫君を迎えたゼフィネさんの眼が微かに光った。
瞬時、抜かったと思ったのかもしれない。やはり朝の支度は自分が手伝うべきだった。髪はともかく、せめて別の着替えを出しておくべきだったとか、諸々。
「よくお休みになれましたか」
それでも有無を言わさず着替え直させたりはせず、そう尋ねた。
あくまで笑みを絶やさないゼフィネさんに、お年頃の姫君はまずありがとうとお礼を述べた。
「ゼフィネ様」
「……どうぞ、ゼフィネと」
毅然とした侍女頭の顔で、ゼフィネさんはやんわりと訂正した。様々に含みを持たせて。
――侍女は呼び捨てでよいのです。
ゼフィネとお呼びくださいと、昨夜も申し上げましたでしょう?
あなた様は、れっきとしたこの家のお客です。居候だなどと、とんでもない――
姫君はちょっとだけ戸惑っていた。
決して招かれたわけではない客として、隠れて厄介になる仮寝の宿。
ゼフィネさんはそこの女主人なのだ。それで呼び捨てにするを躊躇うのかな。
「……ゼフィネさん」
気付いたら、イアルの口から言葉がついて出ていた。
二人が一斉にイアルを見る。あ。なんか、面映ゆい。
「俺等……私達は、ゼフィネさんとお呼びしております」
努めて真面目な顔で言うと、ゼフィネさんも「そうね」と頷いてくれた。
「では、ゼフィネさん」
仕切り直しだ。姫君は続けた。
「急なことだったのに、居心地よく部屋を用意してくださって。本当にありがとうございます」
そしてちょこんと頭を下げる。
「―――」
ほんの束の間、ゼフィネさんは目に複雑な色を浮かべた。
――嫌味、じゃないと思いますよ。
確かに、あれはお姫様にお過ごしいただく部屋じゃないけど。いや、そもそもこの家自体が。
「昨夜はラベンダーのやさしい香りのおかげで、ぐっすりと眠れました。素敵なおもてなしをありがとう。お心遣いに感謝します」
姫君はにっこりとした。嫌味でもなんでもなかった。
――きっと、裏表がない方なんだな。
この時ようやくイアルは思い出した。
ラベンダーの花の季節なんて、もうとうに過ぎている。おそらく寝台の枕の下あたりに、ゼフィネさんがラベンダーのサシュでも忍ばせておいたのだ。せめてもの心尽くしとして。
「……お気に召していただけたなら、何よりですわ」
ゼフィネさんの眉の間が、初めて晴れた。
それまでゼフィネさんの目は本当は笑っていなかったのだ。
「では、お食事を」
姫君は、出された朝食にも一切不足を言わなかった。
場所も食堂ではなく、先にイアルが使ったのと同じ台所のテーブルである。メニューだって変わらない。基本的には昨夜の残り物だ。ゼフィネさんもイアルの後に同じ朝食を済ませていた。ゼフィネさんは、こと食事に関しては身分の上下で分け隔てはしないつもりらしい。
「今日の糧を天に感謝致します」
やっぱ修道女?
食前の短い祈り。つまり辺境領では一般的でない習慣を捧げて、姫君はイアルよりもずっとお行儀良く、しかし割とサッサと食べ終えた。遅く起きた自分が最後だと、承知しているように自然な速さだった。
何故だか、イアルは胸がズキンとした。
これ以降、姫君のことでイアルは度々胸を痛めることになるのだが、最初に自覚したズキンはまさにこの時だったのだ。
このズキン、の根源を分類するには「不憫」という言葉が一番近くて適切なのだと、間もなくイアルは知ることになる。それは、さほど語彙力に長けてはいないイアルがそれまで生きて来てほとんど使うことのなかった類の言葉であり、さして情緒的でもないイアルがあまり覚えなかった種類の感情を表す言葉なのだった。
――この姫君は、何にも言わない。
あんな荷馬車に乗せられて、何も言わずにやって来た。
知らないところにたった一人で連れて来られたのに、それでも見ず知らずの自分達に宜しくお願いしますと丁寧に挨拶をして、簡素な部屋にだって文句ひとつ言わない。出された食事にもありがたく感謝して、俺等と同じものを残さずに召し上がる。何ひとつ不平不満なんて漏らさない。
怒らない。威張らない。驕ってない。侮ってもいない。
館勤めの『行儀見習い』のお嬢様方みたいな傲慢さは、微塵も見受けられなかった。きっと、育ちが良いってこういうことなんだ。
――やっぱりお姫様だ。それも正真正銘の。
先入観さえ脇へどけてしまえれば、イアルには姫君はいたく好もしかったのだ。




