歴史家探偵
「それで、依頼と言うのは?」
年季の入ったソファに腰を下ろし、前田は尋ねた。彼の真正面に座った依頼主。20代くらいの若い女性だった。今時珍しい着物姿で、何やら全身から気品というものが漂っている。彼女は物憂げな表情を浮かべたまま、訥々と語り始めた。
「実は……主人が事件に巻き込まれてしまいまして」
「ほう」
前田は身を乗り出した。
「事件というと、一体どんな?」
「それが、殺人事件なんです」
「そりゃまた物騒だ」
大きく仰け反って見せながらも、前田は内心まんざらでもなかった。確かに物騒だ。だが大きく複雑な事件になればなるほど、こちらの報酬も高くなるのだ。
「この間の豪華客船で起きた殺人事件なんですけど」
「ああ……それならニュースで見ました」
前田は頷いた。豪華客船。きっと乗客もそれ相応なご身分に違いない。早くも解決した後の”謝礼”を想像して、前田は自然と笑みをこぼしていた。まさに願ったり叶ったりの依頼だ。どうやらツキがこっちにも回ってきたらしい。
対照的に、夫人は哀しげに目を伏せた。
「どうも夫が殺人犯じゃないかって疑われるみたいで。だけど夫に限ってそんな事は……」
「お気持ちは分かります」
「実は夫は、織田信長の孫の、甥の、その次男に当たるのです」
「ははあ」
前田はひとり納得した。旦那さんが、あの織田信長の血筋だったのだ。道理で浮世離れした、品のあるお方だと思っていた。きっと実家は東京ドーム8個分くらいの坪面積を持ち、大量の大判小判を庭の池に浮かべ、人生楽市楽座な生活を送っているに違いない。
「万が一夫が逮捕されるような事があれば……一族に恥があってはならないと、織田家総出で合戦が始まるやも知れませぬ」
「それはまた……」
由緒ある家系も中々大変だな、と前田は思った。依頼主の夫は、下手をすれば一族から弾き出されてしまうかもしれないのだ。そりゃ必死にもなるだろう。
「お願いします先生! 夫を助けてください!」
「ええ、こちらとしても全力で捜査しますよ。大船に乗った気でいて下さい」
「良かった……!」
前田は立ち上がり、ドンと胸を叩いた。依頼主の女性はホッとしたように表情を崩した。彼女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「なぁに! これくらい容易い御用ですよ! 安心して下さい、旦那さんは決して犯人なんかじゃありません。あっという間に解決して見せますから! ハーッハッハァ!」
「とっても心強いですわ。あぁ良かった。念のためこの事務所に、5万組の鉄砲隊を向かわせていたんですが……先生に依頼をお受けしていただいて、本当に助かりました」
「ハーッハ……なんですって?」
その言葉に前田はむせ返った。
「何ですか? 何隊ですって?」
「鉄砲隊です。もし断られたら、一族の名誉に関わりますので」
「……断ったら、どうするつもりだったんですか?」
「……もし、夫が逮捕されるような事があれば」
彼女は真顔に戻り、温度の低い目つきでじっと前田を覗き込んだ。
「織田家に伝わる三段撃ちの威力、特とご覧に入れましょうぞ!」
「いや、えっと、実際に犯人が誰かというのは、その、ちゃんと捜査してみないと」
「貴方は大船に乗った気でいろと先ほど申した!」
「ですけどね……いやでも、やっぱり」
「小童が! 我が一族の顔に泥を塗るつもりか!!」
「ヒィ……!」
女性がテーブルの上に片足を乗せ、啖呵を切った。その迫力に前田はへなへなと座り込んだ。
「……失礼しました」
こほん、と依頼主は咳払いを一つ、
「では後日、私めか、鉄砲隊のどちらかがうかがいますので」
「いや鉄砲隊はダメでしょ!? 殺す気満々じゃないですか!」
「『鳴かぬなら何とやら』でございます。それでは、御機嫌よう」
「ちょ……!」
顔面蒼白にした前田を置いて、依頼主は颯爽と踵を返し、事務所を出て行った。
「えらいことになった……」
「失礼。大丈夫ですかな」
前田が呆然としていると、入れ替わりに次の依頼主が現れた。今日だけであと二件依頼の予約が入っているのだ。とにかく豪華客船のは後回しにして、先に片付けられるものを片付けてしまおう。前田は我に返って、依頼主の男性を空いたソファに勧めた。
「あ……こちらこそすいません。どうぞ」
男性はシルクハットを取ると、軽く会釈した。何処か異国の匂いの漂う、日本人離れした顔つきをしている。口髭のよく似合う、皺ひとつないタキシードを見事に着こなした老紳士であった。一目で高貴な身分の人物だと分かる。前田は嫌な予感がした。
「それで、依頼というのは……」
「実は私の雇い主が、日本へのお忍び旅行中、トアル殺人事件に巻き込まれてしまいましてナ」
「はぁ……」
大体察しはついたが、聞かない訳にはいかなかった。
「どんな事件ですか?」
「この間の豪華客船の殺人事件ですよ。あの船に我が主人が偶然乗り合わせていて……あろうことか、犯人ではないかと日本の警察に疑われているのです!」
「なるほど」
「国際問題だ! 我が主人は、何を隠そうあのナポレオン・ボナパルトの再従兄弟の孫の姪の長男なのですぞ!」
老紳士が顔を真っ赤にして叫んだ。
「ナポレオンの……」
何ということだ。前田は頭を抱えた。では話題の豪華客船には、織田信長の子孫と、ナポレオンの子孫が一緒に乗り合わせていたのだ。
「モシ主人が逮捕されるなどという、国辱を受ければ、ナポレオンは貴方を許さナイ!」
「何で!?」
「探偵サン。もし万が一のことがアレば……この事務所が、21世紀版フランス革命の主戦場になると思って下サイ」
「さっきから何言ってるんですか!? 何でこんな日本の狭い事務所で……せめてフランスで革命して下さいよ!」
「ナポレオンは本気です。彼の辞書に不可能の文字はありまセン。我が主人の容疑を晴らしていただきタイ。断れば主人は容赦無く貴方を射殺しマス」
「そんなに殺気を隠そうともしない容疑者いないですよ!」
気がつくと老紳士はフレンチピストルを構えていた。前田は諦めて両手を上げ、白目を剥き、大人しく口から泡を吹いた。老紳士は満足げに口髭を撫でた。
「Merci。それでは後日、私か、革命軍のどちらかが御伺いしますノデ」
「フランスばんざーい!」
あらん限りの命乞いをしながら、老紳士を見送った後、前田はがっくりと崩れ落ちた。
「バカな……鉄砲隊に革命軍だと……」
「先生、次の依頼主が来ています」
レイラが扉の向こうから顔をのぞかせた。
「通して大丈夫ですか?」
「ああ、入ってもらってくれ……」
前田は床に四肢を投げ打ったまま、力なくほほ笑んだ。次はアレクサンドロス大王の孫か、それともチンギス=ハン三世か。もうどんな奴でもやってこい、と半ば自棄になりながら、前田は顔を上げた。
「失礼します」
入って来たのは、色白の、年端もいかない少女だった。白いワンピースに、ブロンズの長髪が良く似合っている。
「貴女は……」
前田は床に転がったまま少女に尋ねた。少女は緊張で顔を紅潮させながらも、律儀に頭を下げた。
「初めまして。じ、実は私のおじいちゃんのことで先生にお願いがあって……」
「なるほど。それで君のおじいちゃんというのは、この間の豪華客船の事件に巻き込まれている訳だね?」
「そうです! ……どうして分かったんですか!?」
「仮にも私も探偵だからね! ハッハッハ……」
乾いた笑いが応接間に響く。
「それで? 君のおじいちゃんは一体何者なんだ?」
「おじいちゃんは、あの、ちょっと今ボケてて、自分のことを『イエス=キリストだ』と……」
「バカな!?」
さすがに前田も跳ね起きた。
「勝てるわけがない! イエス=キリストって! ”宗教”と”政治”はやめとけって、マジややこしいから!」
「あの、本人がそう言い張ってるだけで……」
「それで、もし私が依頼を断ったら『聖書にお前の名前を大罪人として書く』とでも言っているのだろう!?」
「そうです! ……良く分かりましたね!?」
「そんなこったろうと思ったさ! 『断ったら21世紀の十字軍を派遣する』とか何とかさ! 何という職権乱用だ! Jesus!!」
前田は再び膝から崩れ落ち、床に頭を打ち付け始めた。
「一体私はどうすれば良いんだ、こんな……織田信長か、ナポレオンか、イエス=キリストか。一体誰を犯人にすれば良いんだ!? 誰を選んでも……私の推理次第で、歴史が変わってしまうぞ!」
「先生」
前田が悶えていると、向こうの部屋からレイラが駆け寄って来た。
「先生、例の豪華客船の事件、解決したみたいですよ」
「何!?」
驚いて顔を上げた前田に、レイラは隣の部屋のテレビを指差した。なるほどニュースでは件の豪華客船を背景に、しきりにキャスターが何事か叫んでいる。どうやら前田が知らない間に、事件の方が先に解決してしまったようだ。前田はゴクリと唾を飲み込んだ。
「そ、それで!? だ……誰が犯人だったんだ!?」
「それがどうやら、3人の共犯だったみたいですよ」
レイラが静かに言った。
「織田容疑者とナポレオン容疑者と、自称・イエス=キリストのおじいさんと……3人で協力して、事件を起こしたんだとか」
呆然と立ち尽くす前田の耳に、地鳴りにも似た鬨の声が響いて来た……。
〜Fin〜




