子供でした。
短いです、すみません。
お母様に元気になってほしくて、いつもみたいに優しく笑ってほしくて。
綺麗に伸ばしていた髪を切って男の子みたいにして。
顔は変えられないからせめて隠して。
せっかくお母様の望むようにしたのに。
頑張って扉を開けようとしても幼い子供の力で開く訳がなく、部屋に残された使用人に頼んでも無表情で「ご当主様のご指示ですので」と言われるだけだった。
暫く奮闘したけれど体力にも限界があり、私は冷たい使用人の視線から逃れるように部屋の片隅に蹲った。
(おかあさま……)
初めて見たお母様の悲痛な姿。
あんなに哀しそうで苦しそうだったのに、記憶がある限り誰もお母様に寄り添う人はいなかった。
大好きなお母様が抱える傷は、私が想像も出来ないほど深い。
でも冷たい表情を向けられて、酷いことを言われて。
私の心に出来た傷も、痛い。
(あんり、どうすればいいのかな……もうわかんないや)
お母様に出来る限り好かれる姿でいようと思った。
お母様の嫌いな部分を何とかすれば、また私に優しくしてくれると信じたかった。
──そうして、薄々感づいている事実から目を背けた。
『子供なんて産みたくなかったのにっ!!』
私は、最初から、愛されてなんて。
女でいればいいのか、男でいればいいのか。
それすらわからなくなった私は、人前で行動が出来なくなった。
話すことも、笑うことも、泣くことも。
一々どういう行動をすれば『正解』になるのか悩んでしまって、結局何も出来ずに終わってしまった。
いつも俯いて何も言わない。
そんな私に対する視線が以前よりも温度を無くしているのを肌で感じ、自室に篭もり一人泣くことしか出来なかった。
そんな時、何処からか微かな笑い声が聞こえた気がした。
その時の私も含めこの家にいる人達は基本的に感情を表に出さないので、ただの笑い声の筈なのにとてつもなく奇妙に思えた。
顔を上げて耳を澄ませてみると、窓の外から聞こえているらしい。
少し好奇心が疼いてそっと窓に近寄り覗き込む。
そこにいたのは、綺麗な女の人と、幼い男の子と──
「お、とうさま……?」
お父様が笑っていた。
楽しそうに、優しい眼差しで、笑っていた。
お母様じゃない女の人も、見たことがない男の子も、楽しそうに笑っていた。
自分でも不思議に思うほど何とも思わなかった。
あの、無表情で周囲を見下しているお父様が笑っていたのにはとても驚いたけれど。
そこにいるのがお母様でも、私でもないことには不気味なほど何も感じなかった。
ただ、その光景を見て。
「ああすれば、いいんだ……」
男でも、女でもなく、『子供』という振る舞い方を冷静に学んでいた。
後で全て知った。お母様の過去も、お父様が愛人を作っていたことも。
お母様に私が拒絶された日から、愛人とその子供をこの家に住まわせていたことも。
それからの私はあの時の男の子を徹底的に観察した。
喋り方、笑い声、表情。全てを模倣する。
この家であんなに優しい空間を作り出していたんだから、『これ』が最善なんだと疑っていなかった。
現に冷たかった視線はどんどん軟化していった。
いつも人前では無邪気で元気な笑顔。
喜怒哀楽は少しオーバーに、でもやり過ぎると鬱陶しがられるから程々に。
どんなに泣きたくなっても、絶対に人前では泣かない。
毎日必死に生きていた。
確かに私への対応は柔らかくなったけど、前の冷ややかな態度を知っているから誰も好きになれなかった。
本当の私のことは、誰も好きになってはくれなかった。
晴貴様に会って、婚約者だと知って、心の底から喜びが込み上げた時にやっと気付いた。
私はずっと、愛に飢えていた。
こんな素敵な人に愛情を注ぐことが出来る上に、愛を返してもらえる婚約者という立場に歓喜した。
もう嫌だった。
──一人でいるのも、お母様のように拒絶されるのも。
婚約者だったら拒まれることはない、そう確約があると思っていた。
私は大事なことを忘れていたのにね。
私は『子供』としての生き方しか知らなかったのに。
昔の夢を見た。
晴貴様が婚約者だと聞いて、私で良いのか彼に聞いた時。
『……はるきさまは、あんりでいいの?』
そう訊ねた私に、彼は言った。
『僕は、こんなに可愛い子が婚約者で幸せだよ』
それを聞いて何も考えずに私は喜んでいたけれど。
ねえ、晴貴様。
私が婚約者で幸せだって言われて、本当に嬉しかった。
でもね、気付いたの。
私が婚約者で幸せだという訳ではなくて、婚約者が私で幸せだということだったのね。
晴貴様の立場なら婚約者はいつか絶対に出来る運命だった。
絶対に回避出来ない婚約者という存在が、目障りな者ではなくて私で良かった、そういう意味だったのね。
私で良かった、私で幸せだった、それは本心だったのだろうけど。
『私が良かった』訳ではなかった。
まだ『可愛い』に熱があったなら救われたのに。
違うでしょう? それは恋愛感情じゃないでしょう?
ただ幼い子供を見て誰もが思う『可愛い』でしょう。
『可愛い子』なんて、当たり前だ。そう見えるように振舞っていたんだから。
彼にとって、私はきっと『妹』だ。
同じ感情を返してもらえなくて当たり前だ、妹に恋愛感情なんて抱く訳が無い。
私が、間違えた。
──それでも、きっと昔の私だったら愛情の種類なんて考えなかった。
それが『家族愛』でも『恋愛』でも何でも喜んでいた。
でも晴貴様と過ごした今は。
『こんにちは、杏利。いい匂いがするけど何をしているの?』
いつも私を気にかけてくれるところ。
『へぇ、杏利が料理出来るなんて知らなかった! 僕の分もある?』
私の努力に気づいてくれるところ。
『僕のために? ありがとう、杏利は可愛いね』
優しく微笑みながら褒めてくれるところ。
最初に見惚れた外見以上に、彼の内面を好きになっていた。
そうしてただの自分勝手な執着が、いつの間にか恋愛感情に変わったんだ。
昔の私だったら、『子供』の私のままだったら。
きっとまた気付かない振りをして、彼を私の元に縛り付けていた。
でも彼が私に本当の意味で愛を教えてくれたから。
「私が幸せでも……貴方が幸せじゃないと、意味無いわ」
ちょっとうーんって感じです、書き直すかも。
あと次回から更新多分不定期になると思います、すみません。
*少し修正しました。全体的な流れは変わっていません。