閑話(タイガー視点)
「ええ、ではすぐに!」
そう言って、俺の目の前に居る彼女-エリーズ・アルドロワ―は、満面の笑みを浮かべた。
流れるような真っ黒の髪に同じ色の瞳。隣国、アストランダム王国で陰気だとか根暗だとか言われているという件のレディは、笑うと印象がガラリと変わることに俺は気付いた。
瞳はこれから向かう場所を夢見ているのかキラキラと輝き、頬は紅潮し、整った顔は冷たい印象を与えていたが、笑うとまるで花が咲いたようじゃないか!
俺は思わず息を呑んだ。それと同時に、もっと彼女の普段の顔を見たいと思ってしまった。
最初は、自分の婚約者の振りを頼んだ。彼女は自分に寄って来るような女とは違うと思ったからだ。
そして、両親に挨拶を済ませたら帰すつもりだった。
しかし、両親がいたく彼女を気に入ってしまい、しかも隣国へ出かけた俺の仕事も残っていたため、ついつい後回しにしてしまった。
気付いたら1ヶ月。その間、外に出ることもなく、大人しくしていた彼女に流石に良心が咎め、観光に誘うことにした。
仕事を済ませ、両親にその旨を報告し、さあ出かけるぞ!というときに隣国から手紙が届いた。
内容は、「婚約者を紹介に行きます。」というものだったが、確実に「エリーズを帰せ」である。
もし、観光に誘って「ここに残る」と言われたら、大人しく帰そうと思っていたのだが、この表情である。
俺はしばし見惚れた。
そして、
「サーシャ!サーシャっ!!」
と、後ろで俺を睨むメイドに嬉しそうに話しかけている。気付かれていないと思っているのだろうか?いや、気付かれても良いと思っているな、このメイド!
だが、目の前で嬉しそうにしている彼女を見ているとそれもどうでも良くなってくる。ああ、ダメだ。顔がにやける。
「じゃあ、準備が出来たら呼んでくれ」
それだけ言って早々に部屋を辞す。扉の向こうでは準備をしているのだろう。
俺は普段通りの顔をして自室に戻る。
部屋の中に誰も居ないことを確認して、ソファに座る。
思い出すのは彼女のことだ。
「ああ、いいな」
初めて見かけたとき、気になって追いかけた。正面から挨拶したときの、あのうろたえ方。無下に断らず、得意ではない社交を頑張っている姿。そして、あの外を夢見る姿。
「帰したくないな」
あの瞳が俺を見れば良いのに。俺だけを見て、他に移らなければ・・・。
「母上の言うこともたまには的を得ている」
初めて心が震えた。ずっと気になっていた。きっと最初から気に入っていた。あの街で働く眩しい姿。あれが彼女の普段の姿だと。あのままの彼女を手に入れたいと・・・。
「さあて、これからだ。覚悟しろよ、エリーズ」
獰猛な肉食獣を思わせる眼差しで、愛しい彼女を思う瞳は、獲物を見つけたそれである。
これからの観光の間にどうやって、彼女を自分のものにするか考え始めた俺の耳に、ノックの音が聞こえる。
扉を開くとそこにはエリーズの部屋付きメイドが立っていた。どうやら準備が出来たようだ。
了承の意を伝え、部屋を出る。愛しい彼女を自分のものにするために、獰猛な肉食獣は涼しい顔をして頭をフル回転させていた。