1.
「ちょっと!!どこまで付いてくる気よ!さっさと家に帰りなさいよ!」
街の裏通りを歩きながら、後ろに向かって私はそう言う。辺りはそろそろ夜になろうかという夕暮れ時なので、自然声は潜めたものになる。
腰まである茶色の髪に茶色の瞳、どこにでもいるような町娘。手に持った籠には、先ほど買い物してきた野菜や果物が入っている。
そんな私の後ろを、これまたてくてく付いてくるのは、黒髪の男。長いフードで体型を隠して歩く姿は怪しいことこの上ない。わたしが歩くスピードを速めると男の方も早足になり、先ほどから私との距離は変わらない。
そして、私たちは30分ほど同じ道をぐるぐる回っているのである。
「さっきもこの道通ったと思うんだけど」
「わかってるわよ、うるさいわね!!アンタを家まで案内してあげる義理はないのよ!」
私は、お前のせいで家に帰れないと言ってみたが、
「さっさと諦めて家に帰りなよ」
と、男の方は取り付く島もない。そして、この会話も30分間繰り返しているのだ。
『・・・疲れた』
私は、ピタリと足を止めると諦めて大通りへ続く道へと歩き出す。
久々にこれだけの距離を歩いたせいで、足が痛い。どうやら誤魔化してはいたが、靴擦れが悪化してしまったようだ。これを放っておくと、いざ逃げたいときに逃げられない。
そう判断した私は、顔なじみの靴屋に駆け込むことにした。
大通りに面した靴屋-アルフェイス-。表から店に入るのは気が引けるので、裏口からお邪魔する。
「今晩はー。お邪魔します。」
居住空間に声を掛ける。いつもは中まで入るのだが、今日は靴擦れが痛くて玄関で待機。
奥から誰か出てくるのを待つ。この時間帯ならミリーだろうか?
「あら、どうしたの!いつもなら中まで入って来るのに。」
案の定、ミリーが出て来てくれた。足の状態を話すと、ちょっと待っててねと薬箱を探しに行ってくれる。
家は靴屋なのに、靴関係以外で来るなんて貴女くらいよ。なんて世間話に相槌をうちつつ、応急処置をしてもらう。
「はい、出来た。」
そう言われて、立って歩いてみる。どうやら大丈夫なようだ。
「ありがとう。こんな時間にお邪魔してごめんね。ごめんついでに、この靴貸して欲しいんだけど…。」
と言って、横にあったサンダルを指さしてみる。
私の履いていた靴は、踵が高いもので、最近街で流行りはじめたものだ。代わりに指さしたサンダルは、底がまっ平で、足の甲の両サイドをバンドで押さえ、指先は自由、すっぽ抜けないように踵をゴムで押さえるタイプである。
これなら走っても靴が抜ける心配もないし、何より平で走りやすい。
あの男はあんな長いフードを着ているし、風の抵抗を受けやすいに決まっている。それに、さっさと帰らないと家族が心配する。
その事実に気付いた時、私はぶるっと思わず震えてしまった。
そう、その恐怖たるや、後ろを付いてくる男よりよっぽど怖いのである。
「まったく、は…」
バシッと話し出したミリーの口を塞ぐ。ここで、そのあとの言葉をあの男に聞かれでもしたら、私が逃げ回っていた意味が無くなる。
ミリーの口を押えたまま、反対の手で人差し指を立て、口の前でたてる所謂「しー」のポーズをして、ミリーが頷いたのを確認して塞いでいた手を離す。
「ごめんね。また持って来るから。」
いつ、と言わなかったのは、やはりあの男を警戒しているからだ。
あの身のこなしは只者ではない。父や兄たちを見ていたからこそ、一般人とは違うと私の本能が警鐘を鳴らす。
一応、予備の変装道具を持ってきておいて良かった。
バサリと茶髪のウィッグを外し、茶色のカラコンを取る。今度は籠の底から取り出した、金髪のウィッグを被り、ポニーテールに整え、青色のカラコンを付ける。服も先ほどまでの町娘的なエプロンドレスから動きやすいホットパンツに着替える。足はもちろんサンダルだ。
野菜を入れていた籠は畳んで中からリュックを取り出す。リュックの中に全ての変装道具を詰めて、別人の出来上がりである。
見事な変装に、ミリーはパチパチ拍手してくれる。私の正体を知っていて、かつ私の避難場所として場所を提供してくれるところは、この街にいくつかある。彼らは、街に溶け込み、我が家のために情報収集をしてくれる立派な情報源である。
私はそちら方面はほとんど関与していないので、表のお店の常連さんというだけのことだけれど。
お店の出入り口から何事もなかったかのように大通りへ出て、辻馬車を捕まえる。
馬車が動き出してしばらくは無駄に適当な場所に向かってもらい、その都度馬車を乗り換える。後ろから誰かが追いかけて来ないか気にしながら、馬車を乗り換えること数回。金髪のウィッグを外し、漆黒の髪を晒す。カラコンも外し、真っ黒な瞳に戻す。そして、
「ありがとう。ここで降りるわ。申し訳ないけれど、止まらずに進み続けてくれないかしら?」
馬車の金額より多めにお金を渡し、了承をもらう。タイミングを見計らって馬車から飛び降り、そのまま暗闇に紛れて裏道を通る。
夜道で金髪は映えるけれど、闇と同化する黒髪ならばそうそう見つかることもないだろう。
ゆっくり5秒数えて、足音がしないことを確認し、それでも周りを警戒しながら家へと急ぐ。
たどり着いたのは坂の上にある大きな屋敷。
この辺一帯を治めるアルドロワ伯爵家。表門を通るのはまだ不安なので、裏門から入ることにする。
裏門には、メイドのサーシャが待っていた。
「サーシャ、ごめん。お待たせ!」
「お嬢様!!こんなに遅くなられるなんて・・・何かあったのですか!?」
「うーん、ちょっと、ね」
「ささ、早く準備なさらないと。もうすぐディナーの時間ですわ」
「危ない!まだバレてないわよね?」
「ええ。皆様まだお集まりではありませんわ」
「急がないと」