第三話 卸売市場での新しい仕事
セイジがアイリとクリスタの家で初めて泊った夜、それは聖騎士の身分を失った日でもあった。失ったものの大きさを考えると、さすがになかなか寝付けなかったが、気分的には半ば諦めがついていた。
「嘆いても失ったものは取り返せない。それにせっかくの二人の好意を無にするのも悪いだろう。ここは前向きに、自由の身になったと考えるべきかもしれないな」
そう考え、目をつぶると、次第に睡魔が襲ってきた。
「こんな時でも眠れるのはありがたいことだ」
最後にそんなことを思い、セイジは眠りに就いた。
翌朝、目を覚ますとそこは知らない家だった。いつもの騎士団寮の自室ではない。
「ああ、そうか。聖騎士の身分を失ったんだな、俺」
アイリとクリスタの家だったことを思い出し、部屋を出て台所へ向かう。
すると、すでに孫娘のアイリは起き出していて、桶を担いで家を出るところだった。井戸端へ水汲みに行くのである。
「おはよう、セイジ。ちゃんと寝られたみたいだね」
「おはよう、アイリ。心配してくれてありがとう」
挨拶を交わすと、セイジはすぐにアイリの持つ桶を引き取る。
「水汲みくらい俺がやるよ。重くて大変だろ」
「毎日のことだから大丈夫だけど、せっかく代わってくれるんだから、お言葉に甘えることにするね。井戸はこっち」
アイリの案内で一階の外にある井戸へと向かう。
井戸につくと、まずは二人で顔を洗い、軽く水を飲む。そうやって体を起こすのである。それから桶に水を汲んで、家の台所へと戻る。
「水瓶一杯になるまで汲んでくれる?」
「もちろんだ。任せておけ」
そうして五往復ほどして、水瓶に水を貯めていった。
そこで祖母のクリスタも起き出してきた。
「おはよう、アイリ、セイジさん。私も顔を洗ってくるよ」
そう言って井戸端へと向かう。年齢の割に動きはきびきびしていて、大したものだとセイジは素直に思った。
「すぐ朝食にするね」
アイリが卵とベーコンを焼き始めた。それと昨日の残りの野菜スープ、パンが朝食である。それだけのメニューとは言え、まだ十一才の娘がてきぱきと朝食を調えていく姿に、セイジは驚いていた。
「アイリはすごいな。食事も一人で用意できるのか」
「そんなの毎日のことだから当たり前だよ」
金髪を揺らして少女が答える。とても立派で、それでいてかわいらしい姿だった。いい娘だなとセイジはしみじみと思う。
クリスタが戻ったところで、ちょうど朝食の用意も整っていた。
「いただきます」
三人で唱和して、朝食を取り始める。
そこでついでとばかり、クリスタが口を開いた。
「私は葵屋っていう料理屋の厨房で働いていてね。午前十時から仕事なんですよ。昼食の時間が過ぎて片付けが終わると、仕事も終わりなんですよ。給金はその分安いですけど、私もあまり体は丈夫でなくて、長い時間は働けないので、ちょうどいいのです。もし昼間に用事があったら、葵屋を訪ねて下さい」
「分かりました」
セイジがうなずく。
アイリも同様に自分の予定を話し始めた。
「私は三橋屋っていう雑貨屋で見習いとして働いてるの。私の方が時間が早くて、午前八時半には仕事に入るんだ。仕事終わりが午後三時半。やっぱりお給金は安いんだけど、仕事ができるだけでも助かってるの」
あれ、とセイジは思った。アイリはまだ十一才だったはずだ。
「アイリはまだ学舎に通ってるんじゃなかったのか?」
「あれ、私、セイジに年言ったっけ?」
「クリスタさんに聞いた。十一才だろ、アイリは」
そのクリスタは六十五才という話だった。
王国の制度で八才から十一才までの間、子供は学舎に通って読み書きなどを教わることになっていた。その後、十二才から見習いとして仕事を始めるか、上の学院に進むかを選ぶことになる。なので、アイリはまだ学舎通いなのだとセイジは思ったのだった。
「うん、そうなんだけどね。無理言って少し早く卒業したんだ。なるべく早く働きたいって思ったから」
クリスタ一人の収入ではやはり厳しかったのだろう。それを十一才の娘が思いやり、早く働きに出たのかと思うと、立派だと思う反面、無理していないか心配にもなった。
その思いが表情に出たのだろう。アイリがにっこりと微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。私は大丈夫。働くのも好きだし、雑貨屋の仕事はやってて楽しいから」
本当に明るくて良い娘だ。セイジも分かったとうなずいた。
「それより、卸売市場、一人で大丈夫?」
かえってそんな心配をされてしまった。セイジが苦笑して返事をした。
「まあ聖騎士身分に今まで守られていたから、確かに世間知らずなところもあるだろうけど、俺も一応は大人だからな。一人で大丈夫さ」
「うん、そうだね。仕事見つかるといいね」
「ああ。ちゃんとお願いしてくるよ」
セイジは生真面目にそんな事を言っていたのだった。
朝食が終わって、まずは三人で洗濯を済ませる。家の外に干す場所がないので室内干しになる。夕方、家に戻る頃には乾くはずだ。
その後、セイジが早速とばかりに卸売市場に仕事を探しに出かけようとしたところで、クリスタが家の鍵を持ち出してきた。
「はい、これ家の合鍵。一人一本持ってないと不便ですからね。アイリにももちろん渡してあるのですよ。セイジさんも財布にでも入れて、無くさないようにして持っていて下さい」
まだ昨日初めて泊めてもらったばかりである。それでもセイジが良い人物だと認め、家族と同じ待遇をしてくれたのだった。クリスタにもアイリにも内心で深く感謝する。
「分かりました。無くさないよう、気を付けます」
その心遣いを無にする気はセイジにはない。ありがたく受け取って、言われた通り財布に大事にしまい込んだ。
「それじゃあ、おばあちゃん、いってきます。セイジも頑張ってね」
一足先にアイリが家を出る。仕事始めの時間が早いので、遅れないように出るのも早いのだ。
「いってらっしゃい。じゃあ、俺もいってきます」
そしてセイジも出かけていく。残ったクリスタは家の仕事を済ませてから出かけることになる。
そしてセイジは住宅街を一人歩いていく。昨日は気付かなかったが、本当にいろいろな住人が暮らしていた。朝のこの時間、仕事に向かう人の流れができていた。かなりの人数だった。
住宅街を抜けて、商店街の端を通り過ぎ、卸売市場へと着く。ここまでセイジの足でも三十分ほどはかかっているのでかなりの距離があった。さすがは王都、とても広い。
そしてセイジは受付で声を掛ける。
「すみません、仕事の募集はありますか」
「はい、少々お待ち下さい」
受付が中に用件を伝えると、代わって中年の係員が出てきた。そしてセイジを見て怪訝そうな表情になる。
「あんた、名前は?」
「セイジです」
「セイジさんね。荷運びの仕事なら空いてるよ。でも、あんた大丈夫なのかい。あまり力がありそうには見えないが」
セイジはやや背は高いが、すっきりとした体格で、筋骨逞しいという感じではない。荷運びの仕事はきついのではないかと係員は思ったのだった。
「こう見えて十分鍛えてます。大丈夫です」
こういう時はきっぱりと言い切るに限る。セイジは自信満々という感じに答えた。
「分かった。ならすぐにでも働いてもらおう。給金は一日銀貨二枚だ」
そして係員に案内され、市場の中を移動する。
「タルコス監督、新人だ。名前はセイジ。よろしく頼む」
係員が呼んだのはひげ面で強面の中年男だった。筋骨逞しく、見た目通りに力がありそうだ。
「了解。じゃあ、セイジ、早速だが、そこの荷下ろし手伝ってくれ」
「分かりました」
それにしてもほんの少しのやり取りでポンポン話が進んでいく。細かな打ち合わせなどない。それでも通じているんだなとセイジは思った。
言われた通りに、野菜の荷下ろしをしている現場に向かう。そこではすでに逞しい男二人が、馬車から荷を下ろして市場の隅に運ぶ作業をしていた。セイジはその二人に声を掛ける。
「新人のセイジです。荷下ろし、手伝います」
「よろしく頼むな。俺はランド」
「俺はミルトだ。じゃあ、俺達のまねして運んでくれ」
そしてセイジも作業に加わる。見た目、あまり逞しくない感じのセイジだが、聖騎士として十分過ぎるほどの鍛錬を積んでいて、膂力では二人に劣ることは全くなかった。軽々とまではいかないが、そこそこ余裕で荷物を運んでいく。
「やるじゃねえか、セイジ。以外と力あるな」
タルコス監督がそう褒めた。戦力になる新人は歓迎されるのだった。
それから時折休憩を挟みながら、セイジは一日中卸売市場で働いた。昼食は市場に併設されている食堂で取った。値段は銅貨八枚と安い。市場も重要施設なので、王国から運営資金が援助されているのである。
荷運びの仕事は、言われるままに荷物を下ろし、または荷物を積み込むという単調で、かなりの力を必要とする作業だったが、鍛錬代わりにはちょうど良いと、セイジはそれを楽しんでさえいたのである。余計なことを考えないで済むというのも良かった。働く仲間も気さくな者ばかりで、話していて気分がいい。
こんな世界もあったんだなと、セイジは改めて感心していた。
まだ聖騎士の仕事に未練はあるが、こうして体を使った仕事をするのも悪くはないと思っていた。何より、家に戻ればあの二人がいる。家族同様に受け入れてもらえて、とてもうれしいとセイジは思っていた。
夕方、仕事を終えて給金を貰い、家路につく。
一度通っただけだが、王都の市街地は聖騎士時代、何度も巡回をしたことがある。道順もしっかり覚え、迷うことなく家にたどり着いていた。
「おかえり、セイジ」
「おかえりなさい、セイジさん」
アイリとクリスタが出迎えてくれた。仕事終わりは二人の方が早かったのである。
「ただいま、アイリ、クリスタさん」
ただいまという言葉を使うのは何年ぶりだろうか。戻りましたとか帰参しましたとか、騎士団ではそんな言葉を使っていた。おかえりとただいまというのが、何とも懐かしく温かな響きの言葉だと感じた。
セイジは、この二人と出会えて良かったと、しみじみ思った。




