前世の夫【邂逅】
夫に殺される悪夢を見て目を覚ましました。
今の私に夫はいません。
悪夢に出てくるのは前世の夫なのです。
この王国には生まれ変わりという考えがあります。
人は生まれ変わることで過ちを正して、より良い人生を選んでいくというものです。前世の私が夫に殺されたのは、彼の愛人を害したと思われていたからでした。
朝の身支度を整えてくれながら、侍女が案じてくれます。
「フロランス様、随分うなされていらしたようですね。本日のお出かけは延期になさったらいかがでしょう」
「心配してくれてありがとう。でも駄目よ。ナタン様がこの国にいらっしゃるのは、後少しの間だけなのですもの」
「……あの方とご結婚なさって、あちらの国へ行かれるのですか?」
「そうするしかないかもしれないわね。いくら国王陛下の姪だからって、婚約を破棄された挙句、元婚約者と浮気相手を殺しただなんて噂されている令嬢、この国の社交界には貰い手がなさそうだもの」
「そんな! フロランス様はなにも悪くないのに……」
心の底から私を想ってくれているのがわかる侍女に微笑んで、私は自室を出て階下へ降りました。
朝食を終えたら、外出用の服装に着替えて応接室でナタン様を待ちます。
彼は現在婚約者のいない私に釣書を送ってくださった隣国の貴族の方です。申し込みへのお返事は、まだしていません。
しばらくするとナタン様がいらっしゃいました。
私達は我が家の馬車に乗って目的地へ向かいます。
移り変わっていく窓の外の景色を見て、ナタン様がお尋ねになりました。
「フロランス嬢。今日はどちらに行かれるのですか?」
「下町です。私との婚約を破棄したことでご実家の跡取りから外された元婚約者が、そちらで平民として暮らしていらっしゃるのです」
「え……」
驚愕を隠さない、隠せないでいるナタン様に言葉を続けます。
「でもナタン様に会っていただきたいのは、私の元婚約者ではありませんの。彼の浮気相手……失礼いたしました。彼の奥方のほうですわ」
「……」
やがて、馬車が下町の外れにつきました。
貴族や商人の妾などが囲われている地域なので、下町の中でも小綺麗なところです。
とはいえ、普通の貴族が来るようなところではありません。
「フロランス!」
私が馬車を降りると、庭の井戸で水汲みをしていたパトリック様が駆け寄ってきました。
同行してきた女性騎士に阻まれた彼が、私の元婚約者です。
馬車には乗らず馬で並走してきてくれた女性騎士と、ナタン様と同じ車内で私の名誉を守ってくれていた侍女に囲まれて、私はパトリック様に微笑みます。もう様付けは必要ない気がしますけれど、いくら平民だからと言って自分の家の使用人でもない相手を呼び捨てにするのには抵抗があるのです。
「ちょっとパトリック、水汲みくらいでいつまで時間をかけてるの!」
挨拶も終わらぬうちに小さな家からランキュニエ様が現れました。
私の婚約者だったころのパトリック様の浮気相手で、今は奥方です。
彼女はもともと隣国からの留学生で、ナタン様の――
「ナタン! どうしてここに? ああ、アタクシを迎えに来てくれたのねッ」
「……ランキュニエ。私は君が死んだのだと思っていた。この国や我が国の王家からは平民となって暮らしていると聞かされたものの、君の両親は殺されたと言っていたし、連絡が取れなくなる前にくれた手紙で、君は……」
ナタン様が私を見ます。
彼はランキュニエ様の元婚約者なのです。
釣書ではご自身のお祖母様のご実家の家名を使って素性を誤魔化していましたが、パトリック様のときにランキュニエ様について調べたことで、私は彼を知っていたのです。
彼が私に釣書を送ってきた理由も知っているつもりです。
前世の夫と同じでしょう。
結婚という理由で身内の目のない場所へ私を連れて行って、冷遇して苦しめて殺すつもりだったのです。
「この国の貴族子息から強引に迫られて困っている。子息の婚約者に誤解されて殺されそうだと、言っていたから……」
「強引に迫られて困っている?」
ナタン様の言葉を聞いて、パトリック様が声を上げました。
「ランキュニエ! 僕にすり寄って来たのは君のほうからだったじゃないか! 嫉妬深くて束縛の激しい婚約者に苦しんでいる。だから留学している間だけでも、僕と真実の愛を育みたいと……」
「う、煩いわね、パトリック! 貴族家の跡取りじゃなくなったアンタにはなんの価値もないのよ! そもそも留学している間だけの遊びのつもりだったのに国王の姪と婚約破棄までして、アタクシを巻き込んでこんなところに……迷惑なのよッ」
言い争いを始めた新婚夫婦を見て、ナタン様は肩を落としました。
「ナタン様、積もるお話があることと存じます。私は家へ帰ります。それから家人に命じて、貴方のためにこちらへ馬車を来させますね」
「フロランス嬢。……いや、それには及ばない。さほど治安の悪い地域でもないようだ。乗合馬車にでも乗って宿へ戻る。……いろいろと申し訳なかった」
彼は反省しているように見えます。
でも前世のことまでは思い出していないようです。
前世の私を殺した後で、自分の愛人の生存を知ったことも。身籠っていた彼女を前世の私が密かに匿っていたことも。にもかかわらず愛人が、私に殺されるかのような手紙を彼に送っていたことも。
前世で死んだ後のことを私が知っているのは、パトリック様のときに調べて、ランキュニエが前世の夫の子孫だと知ったからです。
そのときには前世の記憶まで戻りませんでしたけれど、変に隠すと誤解されるものなのだと学びました。
だから国王である伯父様にふたりの存命を願うとき、彼らがどうなったか公表してもらうように望んだのです。パトリック様のご両親は家の名誉を考えて、彼は死んだことにしたがっていましたからね。隣国にいらっしゃるランキュニエ様のご両親もです。
……まあ、無駄だったようですが。
前世の記憶が戻ったのは、ナタン様に出会ったときです。
ナタン様はとても私の好みだったのです。
夫の子どもを身籠っているなんて理由で憎い恋敵を匿っていたくらいなのですから、前世の私は今と同じ趣味だったのでしょう。前世の私が密かに匿わなければ夫の愛人は、大切な娘を愚弄したと怒る実家の家族に殺されていたでしょう。私は夫を悲しませたくなかったし、彼の血を引く子どもを守りたかったのです。
もっとも命には代えられません。
今度の人生では、これでナタン様とのご縁を断ち切るつもりです。
婚約破棄でケチのついた私は彼からの釣書が来るまで、家臣に嫁ぐ予定だったのです。どうせなら家のためになる身分と財力のある相手に嫁いだほうが良いのではないかと考えて、ナタン様とお会いしたこと自体は間違いだったとは思いません。会わずに断っていたら、誤解されたまま暗殺されていたかもしれませんものね。
でもこれ以上お付き合いする義理はございません。
嫁ぐ予定だった男性は、私の婚約が破棄されるまでは家臣として、破棄された後は求婚者として、私を尊重して大切にしてくださっていました。
まだ正式に婚約していなかったのは、家臣と結婚したら私が社交界に顔を出さなくなる、それは寂しい、と伯父様が愚図っていらしたからです。
できるならこれからの人生と来世では、ナタン様やランキュニエ様のように思い込みの激しい方とはお会いせず、穏やかな人生を送りたいものですね。
もちろんパトリック様のような浮気性の婚約者との再会もごめんこうむります。
前世の因縁もこれで終わったことでしょうから、もう悪夢に魘されることもないでしょう。
……ふふふ。早く伯父様を説得して、もし魘されて目覚めても、抱き締めて悪夢を忘れさせてくれる人と結ばれたいものです。
<終>




