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理想の人と愛する人


 いつものように騎士団の練習場にいた。ベアトリス姉様もいつものようにわたしの隣に座り、騎士たちの模擬戦の様子を眺めている。わたしも同じように騎士たちを見つめていた。


 前回の視察からすでに2カ月が経過している。色々とあった2カ月だった。この2か月間のことを思い出し、小さく息を吐いた。


「ねえ、つまらないかしら?」

「え?」


 ベアトリス姉様が視線を騎士たちへ向けたまま聞いてきた。驚いて思わずベアトリス姉様を見てしまう。


「だって、ため息」


 ため息、と言われてパッと口元を押えた。感情を表に出していたことすら気が付かなかったことに自分自身狼狽えた。ベアトリス姉様はそんなわたしの様子を見て、くすくすと笑う。


「聞いたわよ。あなた達、ようやく夫婦として関係を深めたのね」

「あう……」


 恥ずかしさに顔が熱くなる。きっと耳の裏まで真っ赤になっているに違いない。顔を隠すように扇子を広げたが、そんなもので隠せていないはずだ。


「恥ずかしがらなくてもいいのよ。愛しているのでしょう?」

「多分、好きです」


 多分、と自信なさげに告げれば、ベアトリス姉様は面白そうに目を輝かせた。


「自分の理想とは違った人を好き、と思ったらもうそれは愛しているの一歩手前よ。自覚しなさいな」

「でも、まだお互いに知らないところも多いから……」

「相手のことを全部知ることなんてできないわよ。知らないところを少しずつ知っていくのがいいのよ。それで?」


 ベアトリス姉様の追及にわたしは洗いざらい喋らされた。メリック前伯爵夫人のことやそのあとのうにゃうにゃまで。恥ずかしさの余りに死にそうだったが、ベアトリス姉様は聞き上手でいらないこともしゃべってしまった。


 聞き終えたベアトリス姉様は何故か頬を染めて嬉しそうだ。


「まあ、それではグレアム殿も結婚する前から貴女のことを好きだったということ? 初めからそう言ってくれたらよかったのにね。なんだか騙された気分だわ」


 彼女のボヤキに思わず真顔で頷いてしまった。


「わたしは覚えていないのですけど、グレアム様が9歳の時に庭で会ったことがあって、隠れて庭で踊ったと」

「グレアム殿が9歳……8年前ね。わたしたちの婚儀の時かしら?」

「おそらく」


 他人事のように言うわたしにベアトリス姉様は呆れたような目を向けてきた。その目をちらりと見返すが、見ていられなくてすぐに逸らした。


「本当に覚えていないの?」

「ええ。実はあの時、理想の筋肉を持った騎士と再会していまして……。どうやって筋肉……彼に近づこうかということばかり考えていて」


 10歳の時に出会った理想の筋肉を持った騎士はなんと王太子殿下の護衛騎士だった。再会した時には嬉しくて他のことがどうでもいいぐらいに興奮した。

 そんな頭が満開お花畑のわたしが他の些末なことを覚えているはずがない。下手をしたら、ベアトリス姉様の婚儀の様子すら、うろ覚えだ。ただただあの筋肉をどうしたらもう一度見ることができるか、さらには直に触れるか、とずっと悩んでいた。


「……些末なことだと切り捨てられてしまうグレアム殿が気の毒だわ」

「今ならそう思います。でも仕方がないではありませんか」


 むっと唇を尖らせると、ベアトリス姉様は小さく声を立てて笑った。


「それで、グレアム殿とうまくやっていけるの?」

「ええ」

「本当に?」

「理想の筋肉とは違いますけど、この2カ月で愛はそれだけではないことを知りました」


 しみじみとした様子で言い切れば、優しく微笑まれた。


「そう。だったらもうここに未練はないのね?」

「え? それとこれは別です。愛する人はグレアム様だけですが、働く女には心に潤いも必要で」


 騎士団の視察はグレアム様と夫婦として歩んでいくこととはまた違う話だ。筋肉を見るのはわたしの楽しみなのだから。

 とにかく誤解を解こうとしていると、いきなり後ろから口を塞がれた。ぎょっとして後ろを見れば、わたしの口を塞ぐグレアム様がいる。彼は苦り切った表情だ。


「時間通りね」

「お誘いありがとうございます」


 グレアム様の挨拶に唖然とした。ベアトリス姉様に目を向ければ、にこやかな王太子妃の顔になっていた。


「仲が良くなって嬉しいわ」

「王太子妃殿下、彼女との視察は今日限りでお願いいたします」

「グレアム殿、それは横暴では?」


 さらりとそう指摘されて、グレアム様は不機嫌さを露にする。


「ですが、他の筋肉にふらつかないか、すごく心配で」


 他の筋肉、と言われてわたしは口元を押えていた手を払って、振り返った。手を払ってしまったことがよくなかったのか、たちまち彼の顔に不安が浮かんでくる。

 グレアム様は基本的にはわたしに対して自信がない。年下であるというのも大きいのかもしれない。


「わたしの気持ちを疑わないで下さい! その理想からかけ離れた筋肉でも、グレアム様はグレアム様だから好きなの!」


 大声で自分の気持ちをぶちまければ、グレアム様はぽかんとした。そして徐々に顔が赤くなっていく。人前で告白されたのが恥ずかしかったのか、左手で顔を覆い俯いてしまった。でも耳の先までしっかりと真っ赤になっているので、隠せていない。


「ふふふ、仲が良くなっていいわね」


 ベアトリス姉様の声にはっとなった。慌てて周囲を見渡せば、ベアトリス姉様の護衛達が無表情を取り繕いながらも肩が少しだけ揺れている。生温い空気がいたたまれない。意識したら体中が熱く火照ってきた。


「……」

「幸せになってね」


 ベアトリス姉様がしっかりとした声で言った。声が上手く出なくて返事ができず、頷いた。

 彼の手がわたしの手を握る。わたしもその手をぎゅっと握り返した。ちらりと彼の顔を見れば、嬉しそうだ。


 幸せだ。

 こんな風に幸せを感じることができるなんて、本当に不思議。


 ぽかぽかした温かさを噛み締めた。


「一つ、わたくしからの助言よ。筋肉には全卵がいいの。食事はバランス良くね」


 グレアム様と顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。


******


 グレアム様と夫婦として寄りそって20年。


 爵位はわたしが継いだが、グレアム様と一緒に仕事は行った。視察も一緒に行ったし、書類の確認も一緒だ。体が弱かったかもしれないが、グレアム様はかなり優秀だった。


 公務を行えなかったのは、主に王族の継承権問題によるものだったらしい。この辺りは詳しく説明されていないが、後ろ盾のない第4王子は傀儡として非常に都合のいい存在なんだそうだ。


 病弱だった彼であったが、あれから体を鍛えていくと、どんどん背が伸び、筋肉も少しだけついた。うっとりするほど育ちはしなかったが、それでも男らしい体つきにはなった。その成長過程を見るのが日々の楽しみだった。


 結婚して5年、グレアム様が臣籍に下り、二人で領地に引っ込んだ。そのうち、二人の子供にも恵まれた。

 多少、予定よりも後ろにずれたが、当初の希望通りに色々な国を巡った。本当は一人で筋肉祭りに参加したかったのだが、他の筋肉への浮気を心配しているグレアム様はわたしにずっと付き合って国外まで行ってくれた。


 若い騎士たちや、熟練者たちの筋肉は素晴らしかった。だけど不思議なことに、幼い時に経験した感動は一度も手に入れられなかった。


「不思議だわ。あれほど素晴らしい筋肉があるというのに心が動かないの。わたしも年を取ったのかしら」


 昔を思い出し、ぽつりと漏らせば、グレアム様が目を細め笑った。


「そうだね。僕も負けていないと言いたいところだけども、今はもう無理かな」


 横になったグレアム様にはもう起き上がる力はない。最近は起きている時間が短くなっていた。浮かべる笑みが透明過ぎて、すぐにでも消えていなくなってしまいそうな儚さがあった。


 わたしは喉を塞ぐ塊を無理やり飲み下し、微笑んだ。彼の右手を両手で包み込む。いつもよりも冷えていた。わたしの熱を分け与えたくて、少しだけ力を入れる。


「わたしはグレアム様の華奢な体がすごく気になってしまって。初めて筋肉がなくても美しいと思いましたのよ」

「それは嬉しいね。ああ、でも次を望めるのなら。できれば筋骨隆々になりたいものだ」

「筋骨隆々は、ちょっと」


 ゴリゴリ筋肉が好きではないわたしは思わず顔をしかめた。


「ずっと一緒にいてくれてありがとう。これ以上は君に付き合ってあげられそうにないから、寂しくないように理想の筋肉を側においてもいいよ」

「……そんなことを言わないでくださいませ。わたしのこの気持ちは半端な愛情ではないのですよ?」


 怒ったような口ぶりで告げれば、グレアム様は嬉しそうに目を細めた。


「そうか。そうだな。僕も君を愛しているよ」

「わかればいいんです。次もきっとそばにいてください……愛しています、ずっと、これからも」


 声が掠れてしまった。最後の言葉は聞こえただろうか。


 包み込んだ手から徐々に熱が失われていく。それを静かに見守っていた。

 目を閉じた彼の顔は満足そうな笑顔だった。



Fin.



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