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無の章 放たれし無常の風 ~露命~

刻命にて

突然の発病に、人知れず消えることを願ったモデルのテラ。

不思議な縁で結ばれた雄介とルナと昇に依頼し、霧島の山中に消えた。

命に刻まれたものが今動き出す。


受命にて

めぐり合いを重ねて、結ばれた稲木賢一と那美。

20年前の激震の中授かった我が子は行方が知れず、異常な身体の妻那美も消えた。

守りきるべきものが消えた。


露命にて

いつも傍らにあるものが無常の風。

静かに、密やかに、忍び寄りそっと触れる。

露のようにはかなく消え始める。



クニワカク ウキアブラノゴトクシテ  クラゲナス タダヨエルトキニ 

国稚く   浮脂のごとくして     久羅下なす ただよえる時に

   

アシカビノゴト モエアガルモノニ ヨリテ  ナリマセルカミノナハ 

葦牙のごと 萌え騰がるものに 因りて  成りませる神の名は  


ウマシアシカビヒコジノカミ

宇麻志阿斯か備比古遅神


佐田成彦サルタヒコオオカミ

熊野久美クマノクスビノミコト

稲木賢一イザナキノミコト

秋津勇人ハヤアキツヒコノカミ

秋津都ハヤアキツヒメノカミ

水分夫妻アマノ・クニノミクマリノカミ

摩帆瑠・摩ヶ津沙織セオリツヒメノカミ

瑠瑚ヒルコノカミ海神エビス

阿波島秀アワシマ

常伊達代議士クニノトコタチノカミ

大黒代議士オオクニヌシノミコト

天野卯月アマノウズメノミコト

和久由宇子トヨウケビメノカミ

若狭礼ハチライシン・ワキイカヅチ

棚伏雷樹ハチライシン・フシイカヅチ


志奈津気象予報士シナツヒコノカミ

流浪の賢者ウマシアシカビヒコジノカミ

2014年6月、モデルのテラが霧島の高千穂の峰に消えて1ヶ月、マネージャの

熊野久美は、引退したテラは外国にいる、ということにして一連の騒動を収めた。

 その後、テラの仕事をすべて引継いだ摩帆瑠は、トップアイドルとなっていた。

メディアはもちろん、街のいたる所に摩帆瑠が存在した。

駅の壁面には大きなポスターの摩帆瑠が微笑み、デパートには美の象徴として完璧な

摩帆瑠が君臨していた。高層ビルの中でも振り返れば摩帆瑠がいた。街は魅力的な

摩帆瑠で装飾されていた。

若い女性をターゲットに、摩帆瑠という商品を売るための戦略が、全て摩帆瑠の

イメージアップに繋がるように仕組まれ、摩帆瑠の美化された生い立ちや自分の力で

掴み取ったトップアイドルの座がすべての女性の憧れになっていた。


 ある日、テラの仕事の残務処理をしていた熊野は社長室へ呼ばれた。

ノックして部屋に入ると、来客用のソファーに深々と座り、携帯ゲームをしている

摩帆瑠がいた。摩帆瑠の後ろに、観葉植物と並んで立っている摩帆瑠のマネージャー

谷口薫が、熊野を見て浅く頭を下げたが、熊野はあえて谷口や摩帆瑠を無視して

社長の前に進んだ。

「お呼びでしょうか?」

「やあ、やあ、熊野君、テラの後始末は済んだかね?」

「はい、一通り終わりました」

「そうか、ご苦労だったな。まあ、掛けて」

社長は座ったまま、摩帆瑠の前のソファーを指差した。

熊野が座っても、摩帆瑠は携帯から顔をあげなかったが、谷口だけが何事かと落ち

着かない様子だった。

「熊野君、摩帆瑠が今度ドラマの主役をすることになってね、どうしても君に

マネージャーをしてほしいそうだ。大丈夫だね。」

その言葉に谷口がぴくりと反応した。

「摩帆瑠さんの希望ですか?」

熊野は驚きもせず、淡々と問い返した。

「たってのね。摩帆瑠は今から忙しくなる。仕事の幅も広くなる。一流のマネー

ジャーが必要なんだよ」

寝耳に水の話だったのか、マネージャーの谷口は顔色をなくし、ファイルを持つ

手が震えていた。

摩帆瑠は相変わらず携帯をいじっていた。

熊野はその横柄な態度に蔑みの視線をむけ、立ち上がると社長の前に行った。

「社長、申し訳ありません。このお仕事お断りします」

「おいおい、そりゃ困るよ。テラはいないし、次のこと考えなきゃならんだろ、君も」

「他のタレントさんでしたら考えますが、摩帆瑠さんは、お断りします」

熊野は手帳に挿んでいた辞表を社長の机に静かに置き、一礼すると部屋を出た。

ドアを閉めたとたん、ガシャンと何かがドアに当たった音がしたが、気にせず

そのまま社長室を後にした。


 残された摩帆瑠は、熊野が手に入らないと分かった瞬間、思わず携帯を投げていた。

谷口が飛んで行き携帯を拾い上げた。ヒビの入った携帯をどうしたものかと、

摩帆瑠を見ると、摩帆瑠は平然と頭の上で手を組み、目を閉じていた。

谷口は恐る恐る観葉植物の横に戻った。

 摩帆瑠は、テラの持っていたもの全てが欲しかった。そうすることでテラがいた

不動の地位が手に入るように思えた。

だが、テラに近づけば近づくほど、不安が大きくなり、その不安を消すためにもっと

大きな力を手に入れようとした。

摩帆瑠は人の度量を試すために無理なことを要求した。しかし恥をかかせることなく、

要求を通す計算された我がままが可愛いと人気が出た。

すでにテラを越えたことに摩帆瑠が気づいた時、最後に欲しいと思ったものが

熊野だった。熊野が摩帆瑠を認めなければ、テラは摩帆瑠の頭上で輝き続けるだろう。

熊野の記憶の中の絶対的なテラを消さなければならなかった。

「摩帆瑠、断られたな。じゃ谷口君、継続してやってくれ」

社長が、何事もなかったように谷口に告げた。

顔色は悪かったが、ほっとした谷口は摩帆瑠の横に立ち携帯を差し出し、言葉を

かけようとした。

「熊野よりいいマネージャーを用意して」

摩帆瑠は目を閉じたまま気だるそうに言った。

その言葉に、谷口はその場に座り込んだ。摩帆瑠は頭にのせていた両手を上げて

伸びをすると、谷口を残したまま社長室を出た。


 身の回りの整理を済ませ、3時過ぎに会社を出た熊野は、ワインを持ってテラの

マンションに来ていた。

 熊野久美宛てにテラから手紙が届いたのは5月の連休明けだった。そこには

しばらく外国で治療に専念する旨と、その間のマンションの管理の依頼、そして

1年間連絡がない場合は、マンションを処分するように書いてあった。

 熊野は主のいなくなった部屋に風を入れようと窓を開け、あらためて部屋を

見回した。1年間苦しみ貫いたテラの決断を、何もない部屋が物語っていた。

美しい体が醜く崩れていく様を受け入れながら、テラはひとりこの部屋で過ごし

ていた。放っておいてと頼まれ、言われるままにしていた。

余計な気遣いを嫌う人だった。

 そんなテラからの突然の連絡は携帯の紛失だった。この部屋で熊野は、うろたえ

怯えるテラを初めてみた。そしてその首筋から顔にかけて膨れあがった血管腫を見て、

テラの抱えている恐ろしい現実を知った。

その日は言葉の掛けようがなく、マンションを後にした。

 帰る道すがら、雨に打たれ散り行く桜に、美しいという華やかさの中に潜む、

痛々しいほどあっけない終焉をテラと重ねていた。

 その後、再びテラとの連絡が途絶えた。気になり連絡をしてもテラは応答

しなかった。そして20日程経ったころ、テラに呼び出された。

 玄関に立ちインターホンを押しながらあの姿を思い出した。部屋に通され、前を

行くテラの後姿に慰めの言葉を捜していた。

だが熊野の心配をよそに、サングラスをかけスカーフでその姿を隠したテラは、

残酷な現実の中、見事に立ち直っていた。

「私の商品価値はゼロ。引退するわ」

その一言を残しテラは消えた。


 熊野はワイングラスを2個用意するとテラの好きだったワインを注いだ。

「テラの潔さに乾杯」

グラスを合わせると一口飲んだ。「テラ、私も引退したわ」

宮崎での最後の仕事を思い出していた。あの時、踏み込んでいれば病気のことに

気づき守れたかもしれない。摩帆瑠に気をつけていればテラを追い詰めることも

なかったかもしれない。悔やまれることが多かった。

「テラ、私ね、ファッション誌を創刊することにしたの。あなたみたいなモデルは

いないし、また失いたくないもの」

熊野はしばらくテラと話をするかのように過ごし、ワインが空になると全てを

吹っ切り、夜の帳の下りた街へと消えた。


同じマンションの階下には、佐多成彦がいた。

弟のように可愛がっていた昇と雄介を失った成彦だったが、葬儀を済ませると昇の

ふるさとの徳島に埋葬し、いつもの生活に戻っていた。会社の看板を上げている手前、

バイトの1人でも雇わなければならなかったが、この部屋に入れようという気になる

人物に出会っていなかった。

 成彦はソファーに座り新聞を見ていた。

そこには大黒代議士、『長老常達代議士の大きな壁』という見出しで、ライフシェアー

タウンをめぐる確執が書いてあった。

 華やかで裕福な世界はテレビの中だけで、世の中は景気の低迷が続き、

失業者が溢れ、貧困にあえぐ人々は、民由党の大黒代議士の進める生活が一生保障

されるというライフシェアータウン構想に、望みを託していた。

 失業率の悪化、最低の社会保障の資金も底をついた今、国の再生は徹底した

管理労働が必要だと打ち出したものだった。試みとして、過疎化地域を利用した、

首都圏の生活を一手に担う大規模のライフシェアータウンを開発し、実用化まで

こぎつけた。

 しかしライフシェアー法案の立法化を勧める大黒代議士は、時代の逆行だと

長老常伊達代議士に反対されて、全国主要都市へのライフシェアータウン建設の

計画が頓挫しかけていた。新聞は流れが計画中止の方向へ変り始めていると報じて

いた。

 成彦の部屋では、いつも通りテレビが一方的に情報らしきものを伝えていたが、

特番ライフシェアータウンという言葉に成彦はふと顔をテレビに向けた。

テレビの中では、ライフシェアータウン潜入の見出しを背負って天野卯月という

レポーターが、帰宅途中のタウンの住人にインタビューしていた。

「あいつらをここに入れていれば死ぬことはなかったかもな」

滅多に、かもしれないなどと、考えることのない成彦が、昇のことだけは後悔して

いた。

レポーターは何人かにあしらわれた後、ようやく2人連れの若者を引き止めた。

「ここでの生活はどうですか?」

「快適ですよ」人なれしているのか、にやにやと笑いながら大柄な男が応えた。

「全て管理されているのでしょう?息苦しくありませんか?お給料には満足ですか?」

矢継ぎ早の質問に、さらりと同じ男がとなりの男の頭を抑えて大げさに応えた。

「はい、働く場所を作っていただき、大変ありがたく思っております。お給料も、

働いた分いただいておりますので満足しております。ふん、拗ねるな、腐るな、

死ぬな、チキンヒーロー、こいつの口癖だよ」

「チキン・・ヒーロー?」

「ブロイラールームのヒーローだよ。こいつはね」

大げさに笑うと、唖然としているレポーターを残し立ち去った。

仕事を忘れ、立ち尽くしているレポーターに成彦は興味を持ったが、携帯の

コール音で断ち切られた。

携帯の画面に〈花の郷〉とあった。


「分かりました。近いうちに伺います」

電話を切ると成彦は、壁に飾ってある海の絵を見た。深い青で描かれた静かな海。

絵の作者は成彦の幼なじみの阿波島秀。

 小学校入学以来、中学校、高校と一緒で、成彦は水泳部、秀は美術部で絵を

描いていた。

そんな2人は、高校最後の夏休みに成彦の運転するバイクで阿波踊りを見に行った。

だが、楽しかった祭りは帰りの事故で一変した。

成彦は後ろに秀を乗せ、家に向かって山道を走っていた。

 夜の10時を過ぎると車の行き来もなく、顔に当たる風が心地よかった。

カーブする坂道を登りきった時、中央よりに走ってくるトラックが見えた。

居眠り運転だった。ハンドルを切ったが接触し、ガードレールにぶつかり、バイク

ごと横転した。成彦はバイクの下敷きになり、秀は跳ねとばされ側石に叩きつけられた。

 秀は命は取り留めたが、頚椎骨折のため身体の自由と言葉を失った。

あれから20年が過ぎたが、書きかけの海の絵のように成彦と秀の時間は動かな

くなった。絵の中には、成彦のもぎ取られた青春があった。そして今は昇の死が、変わ

らないはずの絵に書き足された。

 深いため息をつき、たばこに火をつけた。揺れるタバコの煙をぼんやりと見ていた。

タバコの灰が落ちて、思い出したように見たテレビには、したり顔のコメンテーターが

登場していた。

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