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無の章 放たれし無常の風 ~露命~


天野卯月はライフシェアータウンで印象に残った若者の取材を続けながら、

タウンの労働が勤まらず潰され、行く当てのなくなった人々を追っていた。

ライフシェアータウンの拘束された生活は過酷だった。

住居と食事が提供され、医療施設も併設され、職種は自由に選べるし、変更も可能だが、

労働できなくなると、容赦なく退職しなければならなかった。

資金を貯め、自分の生活の基礎を作ってタウンを出て行くのは一握りの者だけだった。

かなり強い意志の持ち主でなければ、生かさす殺さずの環境にうもれていった。

タウンを出た人々の退職の理由は様々だった。身体を壊した人、意欲があっても

同じ仕事が続かない人、人とうまく付き合えなくなった人、話を聞くと、勤勉で

誠実な人が多かった。人々は、生きている実感がまるでないタウンには2度と戻りたく

ないと話し、ホームレスの方が幸せだと悟ったように微笑んでいた。

卯月は取材を進めるほど怒りが増した。

身元を保証される正社員という餌でつり、就職後は最低限の保障の中で非正規採用への

転落と失業という言葉で脅迫し、精神的締め付けを利用した管理労働。仕事の内容で

時給が変わり、ノルマと業績で賃金が変る、すべて自己責任の使い捨ての駒。

国家政策でありながら世間のブラック企業と大差がないように思った。

 卯月はその怒りをそのまま大黒大臣にぶつけ、食い下がった。それがワイドショー

のプロデューサーの目に留まり、シリーズの突撃型のレポートを始めた。

卯月のストレートで純粋な追及は、人々の興味を満足させていた。

そんな中、取材を続ける卯月は奇妙なうわさを聞いた。

タウンを出て、行く当てもなくホームレスになっていた人たちの中に、流浪の賢者

と言われる男の手を触り、空腹が満たされた者がいたというのだ。

 その人物は真夜中にどこからともなく現れ、人々の手を取ると「さあ空腹と言う

呪縛から開放してあげよう。生きていることを実感しなさい。深く息をして宇宙の

気を取り込み、あなたの命がここにあることに感謝をするのです」

そういうと静かに消えていくらしい。

実際に流浪の賢者にあった人に話を聞いた。

確かに前ほど空腹を感じないような気がするという人はいるが、どんな人かと尋ねる

と全ての人の記憶には、大きく熱い手だけが残っていた。

どんな人物が何のために動いているのか確かめようのないことで、気にはなるものの、

出会いは奇跡に近いとあきらめていた。


そんな折、ホームレスを取材していると聞きつけた大学の友人の和久由宇子から、

同僚を探してほしいと依頼された。

由宇子は大手の製薬会社の研究室で薬の開発にたずさわっていた。

のんびり屋の由宇子には珍しく切羽詰った様子に、その日のうちに会うことにした。

ふわふわの髪に丸いめがねをかけている独特な雰囲気の女性はすぐに分かった。

「ひさしぶり、元気そうだね」

由宇子は開いていたページにしおりを挿むと、ゆっくりと顔を上げ、にっこりと笑った。

「ほんとう、3年ぶりやん」

関西の訛りの残る声が返ってきた。

「そのしおり、なに?変わってるね」

「ああ、表皮ブドウ球菌だよ。可愛いからしおりにしたの」

愛しそうにしおりを手にした。

「相変わらず、菌さん大好きなんだ」

「面白いからね」

バッグを下ろし、腰掛けながら卯月は尋ねながら、真新しい手帳を取り出した。

「ところで、失踪した同僚ってどういうこと?」

由宇子は1ヶ月前の出来事を話し始めた。

由宇子は大手の製薬会社の研究所に勤めている。

失踪した同僚、若狭礼は由宇子の同期でアレルギーの痒みをとる薬の開発チームに

所属していた。若狭には年の離れた妹がいて、幼いころからひどいアレルギーで

皮膚疾患に悩まされていた。

そんな妹のために寝る間も惜しんで研究に没頭していた。

その甲斐もあり、植物由来の材料で痒みを抑える新薬の手がかりを見つけたが、

もう一歩のところでグループリーダーの伊江谷が、横取りするようにプロジェクト

開発に切り替えた。会社も本格的にてこ入れすることになった結果、開発優先になり

若狭の望まない形の新薬になった。

 根のまじめな研究熱心な男で、融通が利かない上に、納得のいかないことは

譲らなかった。

そしてある日の打ち合わせで問題が起こった。

「こんなんじゃ、痒い時に何度も重ねて使えないじゃないですか」

一つ一つに細かい説明を要求する若狭に、チームのリーダー伊江谷が疎ましげに

告げた。

「よし、それじゃ若狭君、君が決めてくれ」

「待ってください。僕が決めろってどういうことですか?」

「いままで一番発言が多かったじゃないか。それはどうのあれはどうのって、

君がくどくど言って時間をとるから先に進まないだろ。だったら君が進めてくれ。

ただ君がひとりで取り組んでいた時とは訳が違う。予算の単位が違うし、時間も

限られているからね。」

嘲笑の顔で指示をされた。

「僕に丸投げですか?」

「丸投げはしていない。君の思い通りで良いといってるんだよ。みんなも思う存分

若狭君に動いてもらうようにね、余計なことはしないように、手助け無用だ。若狭君

楽しみにしてるよ」

ひとりで処理できる仕事ではなくなっていた。

その翌日から若狭は会社を休み、3日経って由宇子にメールが来た。

「退職届けは郵送する」

その後、退職届が送られてきて、連絡が途絶えた。アパートにも実家にも、いなかった。

「今は今はホームレスになっているらしいの」

「うわさ?」卯月がメモを取りながら尋ねた。

「目撃した人がいるらしい」

「どの当たりで見たのかな」

「同じところにいないらしいわ。なにか修行僧みたいだったて言う人もいた」

「分かった、探してみるね」


それから卯月はレポーターの仕事の合間をぬって、流浪の賢者と若狭礼と言う男を

探して、夜の公園を聞き取りながら歩き回った。

1週間が経ち行方は分からなかったが、報告のため待ち合わせのレストランに着くと

和久由宇子が先に来ていた。

席につく卯月に由宇子は申し訳なさそうに言った。

「ごめんね面倒なこと頼んじゃって」

「そんな、お蔭で面白い取材をさせてもらっているわ」

そういいながら遅めのランチを注文した。

「まだ彼の居所はわからないけれど、流浪の賢者とよばれる人がいるらしいわ。

噂だけれど、その人の手に触れると長生きできるんだって。ちょっと待って」

さらに詳しい報告をしようと、バックの中を探し始めた。

「それでね、流浪の賢者ってね、あれ?無い。どこに・・・あれ?」

卯月は手帳の紛失に気づいた。

「どこで落したかな・・ま、いいか」

「手帳がないの?大丈夫なの?」

「うううん、何とかね、公園の名前だったり時間だったり、普通の人にはわかん

ないし、興味もないと思うし・・」

と言いながら別の手帳を出していた。

「若狭さんは転々と場所を変えているみたい。夜に移動しているらしい」

「生きていればいいけど、これも噂なんだけど、なにか別の薬の研究をこっそり

していたらしいの。そのことでリーダーに責められていたらしい」

「それだけで、会社を辞めるかな?」

「だってリーダーの伊江谷って、はあ・・陰湿でずるいし、いままでも目障りだと

思ったら嫌がらせして、自分の視界から消していったから。」

「いるよどこにでもつまんないやつ。若狭さん何か追い詰められていたんだね」

「自分の研究を途中で投げ出したりしないはずなんだけど」

「とにかく若狭さん早く見つけようね」

卯月は運ばれてきたランチを食べ始めた。

由宇子との時間は 気兼ねなく過ぎていった。他愛無い会話は、きりきりと時間に

追われた卯月にとって貴重なひと時だった。

コーヒーを口に運ぼうとする卯月に、女の子連れの男が声を掛けてきた。

「あれえ、レポーターのお姉さんじゃないですか?」

「あら、寮長さん」

ライフシェアータウンで取材した寮長の棚伏雷樹という男だった。

「もう、取材は終了ですか?またテレビに出してくださいよ」

「機会があったらね」

適当にあしらう卯月の肩に手を掛け、立ち止まり卯月の耳元に顔を近づけた。

「お姉さん、前世占い知ってます?俺、保健所で殺された秋田犬なんだって。

噛み付こうかなここに」

露骨に嫌がる卯月を見て、雷樹は高笑いしながら女の子が3人待つ席へ行き、

背を向けて座った。

「秋田犬だって。それもえらく詳しい死に様ね」

卯月の馬鹿にした返答も、女の子達の笑い声に消された。

その笑い声の中から漏れ聞こえる言葉に、卯月のジャーナリストのアンテナが

反応した。

「虎だった教祖」

卯月が小声で繰り返した。

「知っているの?」

と由宇子が尋ねた。

「調べてるところなんだけど」

「あの人たちに聞いたらいいじゃない」

「なんか面倒なことになりそうだから、いいよ。出ようか」

席を立った卯月の後ろから「お姉さんまたね」

ふざけた声が追ってきた。

無視して思い切りしかめた顔の卯月を見て、由宇子は下を向き笑った。

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