籠城
小屋の周囲には巨大な熊が数頭で囲む。彼等は分かっていた、そこに何があるのかを。
「何で来ないのかしら?」
「待ってる……多分、脚の早い狼や、手先の器用な猿が合流するのを」
マーベルの疑問に、エイトが答えた。
「私はどうすればいいかな?」
「博士は出来るだけ引きつけて、目だけを狙って下さい。散弾だから、かなりの確率で目を潰せます」
「分かった」
ドーキンスの問いには的確な指示を出すが、そこまでだった。考え様にも、今の状況では作戦なんて神に祈るしかない。銃を握り締めたエイトは、ただ耳を澄ませた。
「あそこ、狼の群れよ」
隙間から見ていたマーベルが狼を見付ける。多分、奴等の作戦は熊が壁を破り、狼が突入するのだろうと、エイトは部屋の中を見回す。急に立ち上がると、キッチンへマチルダとエミリーを連れて行く。
恐ろしいことに獣は一番に子供を狙う。一番弱く、そして人の未来の象徴だと初めから知ってる様に、子供が居なくなる事が人類は滅亡の鍵だと知ってる様に。
「最悪の場合、エミリーちゃんをこの中へ。匂いは外へは漏れないから」
中から食料品を出しながら、エイトは小さな声で言った。マチルダは黙って頷く、エイトはペンで冷蔵庫の表面に”この中に子供がいる”と書いた。
時間が無いのは分かっていた。頭の中でシュミレーションしても、イワン達は間に合うはずがないと何度も答えが出た。
あいつ等、今頃は必死の形相でケンカしながらココに向かってるんだろうなと思うと、不思議と笑みが零れる。
「笑ってる場合?」
マーベルが不審な顔付で、首を傾げる。
「本当に部下の方は来て下さるんでしょうか?」
すがる様な目で、マチルダが言う。
「ごめんなさい、こんな時に不謹慎でした。必ず部下は来ます」
その後の、間に合うかどうかは分かりませんがと言う言葉は、胸の奥で噛み潰した。突然、地震並みの揺れ、天井のアチコチから煤が落ちて来る。野獣の咆哮に、キッチンからマチルダがの悲鳴が耳に木霊する。
「博士、用意はいいですか! マーベルさんも落ち着いて狙って下さい!」
エイトは銃のスライドを引いて、初弾を装填した。次の衝撃で、破片と共に図太い熊の腕が部屋に侵入する。一呼吸置いて、熊のガラス玉みたいな片目が覗く。
「今です!」
エイトの声でドーキンスはショットガンを撃つ。獣の雄叫びが鼓膜に激突する、暴れる熊にエイトが止めの一撃、残った目を正確に撃ち抜く。
狂った様に暴れる熊を押しのけ、次の熊が覗く、今度はドーキンスがエイトの声を聞く前に撃つ。
同時に反対側の窓が吹き飛ぶ、傍にいたマーベルは巨大な熊の頭部に銃を乱射する。リンゴより大きい目が幸いしてか、見事に命中すると熊は地面を転がり暴れ出した。
「早く弾を装填して!」
銃弾の尽きたリボルバーを、空撃ちし続けるマーベルにエイトが叫ぶ。声に気付き、薬莢を排出するが、弾の装填は震える指先のせいで間々ならない。
その背後に迫る次の熊、エイトより早くドーキンスが駆け付け、散弾の雨を浴びせた。
しかし、今度は二頭で、しかも焦りからか中々命中しない。走り寄ろうとするエイトが背中を向けた瞬間、今度は後ろに殺気が走る。
熊の開けた穴から、人ぐらいある猿が入ってこようとしていた。牙を剥き激しく吠え、両手で穴を広げようとしていた。
「こいつっ!」
振り向き様に、一発で猿の眉間を射抜く。撃たれた猿が倒れる間もなく、次の猿が穴に取り付く。駆け寄りなからエイトは銃を撃ち、正確に一発で仕留めた。視線を戻すと、ドーキンスも撃ち尽くしたショットシェルの装填に苦労していた。
その時、台所で悲鳴が上がり、エイトは考える前に身体が勝手に走ってドアを開ける。
そこは巨大な狼に、マチルダが体当たりする瞬間だった。スローモーシュンみたいに見える光景の片隅で、エイトはエミリーを探す。
冷蔵庫のドアから覗く黄色いスカートの端、コンマ数秒の安堵の次の瞬間に、マチルダが引き裂かれた。
突進を止めないエイトは、狼の背中に飛び付き銃を後頭部に押し当てて乱射する。暴れる狼に振り落とされ、壁に叩き付けられる。
息が止まりそうになる、衝撃が全身を貫くが倒れた狼を跨ぎマチルダに近付くと、既にコト切れていた。
そおっと冷蔵庫のドアを開く、室内の明るさがエミリーを照らす。
「ママ……は?」
「大丈夫、すぐ終わるから、もう少し我慢出来る?」
出来る限りの笑顔を向けると、エミリーは小さく頷いた。
「うん」
エミリーはそっと目を閉じる、ドアを閉めたエイトが今度は居間を振り返る。それまで止まっていた聴覚に、銃声と獣の怒号が鳴り響いた。走りながら、マガジンをを交換する。居間では二人の無事な姿に、瞬間的な安堵が押し寄せる。
「キッチンはどうだったの?!」
「……マチルダさん、が」
マーベルが髪を振り乱して聞くが、エイトは声にならない。
「あなたが頼りなのよ! しっかりして!」
その声がマチルダの声に聞こえた、震えが止まる。エイトは顔を上げると、二人に叫ぶ。
「キッチンに行って下さい! 中からバリケードを作って!」
同時にエイトは外に向かって走り出した。
「無茶よ! 死ぬ気っ!」
悲鳴みたいに叫んだマーベルの肩を、ドーキンスが優しく抱いた。
「行こう、キッチンへ」
________________________
外には無数の熊と狼が待ち受け、石を握った猿が奇声を上げていた。一分でも、一秒でも時間を稼ぐ、エイトの頭の中にはそれしかなかった。猿が石を投げ、怯んだ隙に狼が襲い掛かってくる。
コンマ数秒で冷静な分析、エイトは獣達を睨み付ける。その瞳が銀色に輝きを変えると、唸りながら獣達が後ずさる。
片手で銃を構える。向けられた獣の動きが止まり、同時に時間も制止した。鼓動が耳の奥で木霊する、マチルダの引き裂かれる光景が脳裏でフラッシュバックした。
「うぉーおおおっ!」
一発で脳幹にヒットさせる。猿や狼は痛みなど感じる暇も、雄叫びを上げる暇もなく即死する。熊は来るべき時を待つように、後退しながら唸り声を上げ続けた。
弾丸が空になると電光石火でマガジンを交換し、エイトは手当たり次第に獣を撃ち続けた。
やがて終りが来た。最後の弾丸を撃つと、スライドを後退させたまま銃は沈黙した。その腕を静かに降ろすと、エイトはそっと目を閉じた。耳の片隅に草の擦れる音が触り、風に乗る獣の臭気が鼻孔に混ざる。
何かが近付く。その気配が殺気に変わる瞬間に、冷たい銀色の風圧が頬を掠めた。耳に鋭い摩擦音がぶつかり、血の匂いが霧みたいに広がった。
「来た……」
呟いたエイトがゆっくり目を開けると、赤い髪をなびかせたクリムゾン・ナイツの背中が見えた。無機質な純白の仮面が、以前と違って見えた。
瞬間移動してるみたいな動き、振るう剣が一瞬止まると、獣達は瑞々しい果実みたいに切り口から血飛沫を上げた。
ほんの瞬きする間に、エイトの周囲は生き物の気配が根絶した。猿を上段から切り裂く姿が、魔物が人を切る様にも見える。
冷たくなる身体が拒否に近い反応を見せ始めた頃、爆音と爆風がエイトを引き戻した。戦車が遠く見えた、砂煙が次第に大きくなる。
獣達が逃走を始めるが、強力な爆裂榴弾は着弾地点を広範囲に吹き飛ばす。重機関銃と軽機関銃の発射音が輪唱みたいに青空に響く頃、懐かしく聞こえる音が耳に届いた。
「隊長!」
「隊長っ!」
「隊、長!」
「たぁいちょお!」
戦車はエイトの前で、爆煙を上げて急停止した。
「遅かったわね」
エイトは微笑んだつもりだが、自分では今、どういう顔をしてるのか分からなかった。
「そんなぁ、超音速で来たんですよ」
ハッチから身を乗り出したイワンが、眉を下げる。
「間に合ったぁ~」
「お怪我は!」
マルコはその場に座り込み、オットーが身体を心配したが、オルガは黙って目視でエイトの身体の傷を確認した。
「間に合ったようね」
マーベルがフラフラと小屋から出て来る。
「エミリーは!? 博士は!?」
「大丈夫、あの子は無事、博士は脚をねん挫して小屋に居るわ」
「そう、ですか」
大きな深呼吸は、エイトの汚れた血を浄化してくれてるみたいに感じた。遠くでは、最後の一頭の狼をラパンが切り裂いていた。
「クリムゾン・ナイツも来てくれたの?」
「あの子、ラパンって言うんですよ。自分から助けに行くって、一緒に来たんです」
呟いたエイトに、嬉しそうにマルコが説明する。
「そう……ラパン、か」
エイトはその背中に急に親しみ、みたいなモノを感じて呟いた。
「ママ……は?」
エミリーがトボトボ歩いた来て、消えそうな声でエイトを見上げた。ゆっくりと腰を降ろしたエイトがエミリーと同じ視線になる。
「ママは……」
言葉が出ないエイト、本当に何を言っていいのか分からずに身体が震えた。
「ママはね、死んじゃったのよ」
表情を変えないまま、枯れた様な声でマーベルが呟く。
「ママ……死んでないもん」
エミリーの身体がガクガクと震える。大きく目を見開き、あまりのショツクに涙を流す事さえ忘れている様に見える。
「何て事言うんですかっ!」
エミリーを胸に抱き締め、エイトが思わず叫ぶ。
「彼女は死を理解しているわ。だから回り道せず、正面から教えてあげないといけないの。それがこの子の為……博士に聞いたの、父親も居ないって。」
「だからって、そんな言い方」
涙が洪水みたいに溢れた。マーベルの言う事は分かる、でもエイトには我慢できなかった。
「その子はこれから先、一人で生きて行かなきゃならないのよ」
「そんな事……分かってます」
抱きしめたエミリーが震えているのが分かる。ふと、子供の匂いがした、それは心を落ち着かせ、傷ついたココロを癒す。
今、どうしようもなく傷付いているのはエミリーなのに、何も出来ないエイトは胸の奥に熱いモノを感じる。
「ね、エミリー。私と一緒に行こうか? 私ね、大きなお船に乗っているのよ」
「お船?……」
「本当よ、とっても大きなお船」
「でも、ママも一緒じゃないもん……」
エミリーの声が消えそうになると、エイトはまたはそっと抱き締める。
「お船に乗るのは、あなた一人なの。エミリー、自分で決めるの……どうしたいか」
「あたち……」
まだ微かに震えるエミリーは、どうしていいか分からずに、俯いた。小さな体が、更に小さく見えて、エイトは堪らず引き寄せる。
「ホラ、こんなに温かいでしょ」
胸に顔を埋めたエミリーが大きく匂いを嗅ぐと、それは優しく包み込む様な匂いだった。
「あたち……行く」
大きな瞳からは、また宝石みたいな涙が零れる。
「ええ、分かった……私がずっと傍に居るからね」
もう一度、エイトは抱き締める。エミリーは涙を拭いもせずに、抱きしめ返した。その光景から、マーベルはそっと目を逸らした。




