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正義執行  作者: 凡人
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正義

人は“正義”を語るとき、自分の背後に何人の死者を立たせているかを知らない。


俺はその数を知らなかった。

いや、知ろうともしなかったのだ。


あの日――美優が死んだあの日から、俺の背中に立つ人間の顔が、夜ごと浮かぶようになった。


名前も知らないまま、踏み越えてきた他者たち。


気づけば、俺は“正義”の名のもとに、彼らを静かに殺していたのかもしれない。


そして今、俺は――その報いの最後に立っている。



それは、唐突なメールだった。

差出人不明。本文はたった一行。


「君が最後の“完成”だ」


添付された画像には、俺の後ろ姿。

新宿西口地下、藤倉澄子に記事のコピーを手渡した瞬間のものだった。


あれは、俺が初めて「声を救った」と思えた日。

けれど――犯人にとっては、「作品が始まった瞬間」だったのだろう。


声を拾ったことすら、彼の手の中だったというのか?


背中に冷たい汗が這う。

だが、今さら逃げる理由もない。


メールの末尾には、こう記されていた。


「場所は屋上。私が書く最後が待っている」


あの場所だ。

最初の犠牲者・村上克典が発見された、廃ビルの屋上。

犯人はそこで始め、そこで終えるつもりだ。


俺は、その“最後のページ”として――呼ばれた。



その日、東京はよく晴れていた。


窓の向こうには、冴えた青。

太陽は冷たく白く、ビルの陰がアスファルトに長く落ちていた。


俺は書きかけの原稿を閉じ、引き出しを静かに開けた。


中には、取材ノートが数冊。

壊れかけたICレコーダー。

美優が残した、小さなスケッチブック。


すべての罪がここにある。


俺はスケッチブックを手に取り、鞄に入れた。

美優の声を聞きたかった。


……でも、録音なんて、どこにもなかった。


あの子の声は、俺の頭の中にしか残っていない。


「パパは、良い人なんでしょ?」


その言葉が、今でも痛い。


正しい人間など、どこにもいなかった。

正しさの“ふり”をしていた俺がいた。

それだけだった。



午後六時。

俺は廃ビルの前に立っていた。


以前に来たときと何も変わらない。

誰にも知られない裏路地に面した、老朽化した五階建ての建物。

張り紙の色も剥げ、壁には落書きが増えていた。


玄関の錠はすでに壊されていて、軽く押すだけで開いた。


内部は暗く、鉄のにおいがした。

一歩ずつ階段を登るたびに、靴音が埃を巻き上げる。


五階まで来ると、屋上へ続く非常階段が現れた。


かつて、あの男――村上克典が殺され、晒された場所。

あれは序章だった。

今、幕が降りる。


俺は、扉を開けた。



屋上は無風だった。


ビルの谷間に囲まれた空間に、乾いた空気が満ちていた。

まるで、時間そのものが静止しているようだった。


そして――そこに、いた。


黒いコート。白いマスク。帽子の下から伸びる髪。

背格好は中肉中背。年齢も性別も判然としない。


だが、目だけは見えた。

冷たく、しかしどこか静かな熱を宿していた。


「……君が、俺を殺すのか?」


俺が問いかけると、相手は微かに首を横に振った。


「違うよ。君が君自身を“完結”させるんだ」


「……完結?」


「私が書きたかった“物語の終わり”は、もうすぐ書き上がる。

だが、そのページに“君という存在”が残っていては、美しくない」


俺は少しだけ笑った。


「美しい、ね。

人の死が、“芸術”になるとでも?」


「なるさ。

報道も、文学も、真実も、誰かに届かなければ存在しない。

君の“正義”がどれほど語られても、君自身が死ななければ完成しないんだ。

君は“加害者であり、被害者”であり、最後には“象徴”でなければならない」


「……ただの人間じゃ、ダメなのか?」


その問いに、犯人はゆっくりと首を横に振った。


「ダメだ。

君がこの世界に生きている限り、正義は揺らぐ。

だから“終わらせる”。

君自身の手で」

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