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正義執行  作者: 凡人
11/14

証人

夜の国分寺駅は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

南口のロータリーには人気が少なく、街灯の光が濁った空気に滲んでいた。


メールにはこうあった。


「明日、夜9時。国分寺南口のビル屋上。

次の“裁き”を見届けろ。君が見届けなければ、裁きは完了しない」


時計は、20時58分を指していた。

俺はゆっくりと歩きながら、指定されたビルへと向かった。


その建物は、築数十年の古びた雑居ビル。

1階にはシャッターの下りた中華料理店。

2階には空きテナントの貼り紙。

3階には看板のないスナック。

4階より上には、何も書かれていなかった。


屋上へ続く階段は、錆びついた鉄の匂いが鼻をついた。

誰もいないことを祈りながら、俺は一歩ずつ踏みしめて登った。


扉を開けると、夜風が一気に吹き込んできた。


そして、そこには――いた。


屋上の中央。

薄いビニールシートの上に、男が縛られて座らされていた。


両手は背後で結束バンドに固定され、口にはガムテープ。

顔には殴打の痕、額からは血が滲んでいる。

だが、生きていた。目だけが、俺を睨んでいた。


その顔には、見覚えがあった。


5年前、失踪した少女の継父。

俺が当時、噂を打ち消すような記事を書いた男。


名前は——佐原義久。



「……なぜ、ここに……」


呟いたその瞬間、屋上のスピーカーから低く割れた音が響いた。


「ようこそ、村瀬記者。あなたにしか見届けられない裁きが、今ここで行われる」


それは、機械音声ではなかった。

誰かが録音した、生の声。

だが抑揚が抑えられ、男か女かも判然としなかった。


「この男は、あなたがかつて“守った”人物。

被害者の家族が訴えた声を、あなたは“根拠がない”と一蹴し、原稿から削除した。

結果として、彼は警察からも疑われず、事件は闇に消えた」


俺は唇を噛んだ。

当時の記憶が、脳裏に焼きつくように蘇る。


佐原の暴力団との関係。

証言はあった。だが“信憑性が薄い”という理由で削った。

その判断が、彼を“無罪”にした。


「今、ここで行われるのは、“報道では裁けなかった正義”だ。

君が証人だ。これは、君の物語でもある」


音が止んだ。

静寂の中、俺は数歩、前へ出た。


「やめろ……本当に殺すつもりか? こんなやり方で、正義が通ると思ってるのか……!」


声が夜空に吸い込まれていく。

返事はない。


その時だった。


屋上の隅から、何かがカチリと動いた音がした。


ライトが点いた。


その瞬間、俺の全身が凍りついた。


佐原の頭上に、簡易な落下装置が取り付けられていた。

ワイヤー。タイマー。重り。

まるで、公開処刑のような仕掛け。


足元には小さな表示パネル。

残り時間を示す赤い数字がカウントダウンを始めていた。


00:01:59


あと、2分。


「ふざけるな……やめろ! やめろって言ってるんだ!!」


俺は駆け出した。

佐原の元へ、足をもつれさせながら走る。


結束バンドを外そうとしたが、固く締まりすぎていた。

ポケットから鍵もナイフも出てこない。


タイマーは、止まらない。


00:01:21


佐原の目が、涙で濡れていた。

あの時の高圧的な表情は消え、ただの“助けを求める人間”の目をしていた。


「……俺じゃない……俺は……やってない……」


ガムテープの隙間から漏れるように、絞り出された声。


信じろというのか。

今さら。


00:00:49


それでも俺は、手を止めなかった。

腕をこすり、バンドを引っ張り、足で踏みちぎろうとした。


でも、間に合わなかった。


最後の一秒。


00:00:01


「やめろぉぉぉぉぉ!!!」


鋭い音とともに、重りが落下した。


佐原の首が、勢いよく引かれた。


悲鳴はなかった。

ただ、体がぶらさがり、微かに揺れた。


俺の喉から漏れたのは、声ではなく、嗚咽だった。


「……違う……こんなのは……違う……!」


力が抜け、膝が地面についた。


遠く、夜の風が吹いた。

ビル群の中に、誰かの気配があったような気がした。


だが、誰の姿もなかった。



その日の深夜。

再びメールが届いた。


「君は証人になった。

次の裁きも、見届けてもらう。

正義とは何か。

本当に問うべき相手は誰か。

君がそれを知らなければ、この国はまた一人、静かに死んでいく」


添付された画像は、公園のベンチで眠るホームレスの女性だった。


彼女は、かつて俺が追っていた“高齢者孤独死問題”で取材した人だった。

その時、記事にしなかった。

理由は、「読者受けしない」と編集長に言われたから。


次は、彼女が殺されるのか。


もう、偶然ではない。


犯人は――俺の足跡の上だけを選んで、殺している。


そして今、俺はそれを、見ているだけの人間になっていた。


誰が正しいかなんて、もうどうでもいい。

誰が間違っていたかなんて、とうに知っている。


問題はひとつだけだ。


“俺が、今ここで何をするのか”だ。

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