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正義執行  作者: 凡人
10/14

交差

パソコンのファンがうるさく唸っていた。

熱で膨張したボディが軋むたび、俺の神経はその音に刺された。


モニターに映し出されたのは、五年前のメールのやり取り。

被害者家族、地元の警察官、そして当時のデスクとの打ち合わせ記録。


再読するたび、胃が締めつけられる。

文字の行間に、無視した声が詰まっていた。


「取材の限界だ」「裏が取れなかった」「証拠がない」――

すべてが言い訳だった。


真実を追うふりをしていた俺は、ただ“使える材料だけ”を選び取って記事にした。

それが報道だと思っていた。

世間に伝わる「正しさ」を、選び取ること。


でも今、俺の娘は死んだ。

俺が選ばなかった“声”の先にいた、あの子が。



「遺体が見つかりました。千葉県の廃団地。被害者は40代男性。名前は……村上克典。記憶にありますか?」


刑事・芹沢からの連絡だった。

彼は沈んだ声で、淡々と情報を読み上げた。


村上克典――その名は、すぐに思い出せた。

五年前、誤報事件の舞台となった女子高生失踪事件で、当時“保護者側の協力者”とされていた男。

だが後の報道で、俺は彼の証言を無視した。


理由は単純だ。

矛盾が多かった。発言に感情が入りすぎていた。

デスクに「この証言は使えない」と言われ、捨てた。


その村上が、死んだ。


「現場には何か……ありましたか?」


震える声で尋ねると、芹沢は沈黙のあと、低く答えた。


「現場には……お前の名前が書かれた紙切れが落ちていた」


目の前の世界が、わずかに歪んだ。


「おそらく、“彼を裁いたのはお前だ”というメッセージだろう。犯人はお前を、正義の代行者と見ている」


芹沢の言葉は、もう遠くから聞こえてくるようだった。

頭の奥で、何かが砕けていく音がした。



夜。

リビングのテーブルに、美優の遺影をそっと置いた。

本当は、写真なんてまだ見たくなかった。

でも、そこにいなければ、俺はもう立っていられなかった。


「ごめん、美優……」


それしか、言えなかった。


手元には、犯人から届いたメールのコピーがある。

それは印刷するだけでも、吐き気がする内容だった。


「君は一度、真実から目を背けた。今度はどうする?

君の正義が、また一人を殺すか。

それとも、今度こそ、本当に書くか?」


メールの末尾には、ひとつの地名が記されていた。

それは、美優の事件現場とは別の、まだ何も起きていない土地の名前。


「次はここで、誰かが死ぬってことか……」


犯人は俺に、選ばせようとしている。

報じるか、黙るか。

守るか、見殺すか。



翌日、俺はかつて所属していた新聞社の編集局を訪れた。

アポなしの来訪だったが、受付の若手社員が俺を見るなり目を見開いた。


「……村瀬さん? 久しぶりです……あの……」


「会わせてくれ。木原デスクに」


編集局長代理となっていた木原は、今も昔も変わらず仏頂面だった。

会議室に通され、椅子に座った瞬間、彼は低く口を開いた。


「……娘さんのこと、聞いたよ。言葉がない」


「ありがとう。でも、今日は同情をもらいに来たんじゃない。報道に関する過去のデータを見せてほしい。5年前の事件の、未掲載記録」


木原の眉がぴくりと動いた。


「まさか、お前……今さら“正義”でも語るつもりか?」


「違う。俺が、何を潰したのか確かめたいんだ」


しばらくの沈黙ののち、木原は短く吐き捨てるように言った。


「勝手にしろ。ただし、社外には漏らすなよ。死人に口なしって言葉、信じてないからな」



編集局の資料室。

埃臭いファイルの山から、俺は当時の未掲載分の証言記録を掘り返した。


すると、あった。

村上克典が、当時語っていた証言の全文。

そして、そこには“あの教師”とは別の名前が出ていた。

地元のボランティア団体代表。表沙汰になっていないが、複数の女子生徒に対して不適切な接触をしていたという噂。


だが、どのメディアもその名前を出さなかった。

証拠不十分。訴訟リスク。忖度。


俺もまた、それを無視した側だった。


「……全部、あの時、わかってたんじゃないか」


そうだ。

正義は、知っていた。

でも、信じなかったのは、俺だった。


だから、今――

誰かが俺を、逆の形で“使って”いる。



夜。

帰宅した俺のスマホに、新しいメールが届いていた。


「明日、夜9時。国分寺南口のビル屋上。

次の“裁き”を見届けろ。君が見届けなければ、裁きは完了しない。

最後に、君にも問う。

『君は、報道の名で誰を守った?』」


添付された画像は、見覚えのある男の顔だった。

5年前の事件で“被害者の母親”の再婚相手として、一度だけ取材した人物。


当時、彼の過去に暴力団との関係があると噂されていたが、俺は「関係なし」と判断して、その部分を削除した。


今、犯人は言っている。


「次は、お前が“見逃した男”を裁く」と。


俺は椅子に崩れ落ちた。

目の前の世界が、再び濁っていく。


“次の犠牲”を止めるためには、

俺が、過去を全部、曝け出さなければならない。


守るために書いた言葉が、

奪うための刃になっていた。


正義とはなんだ。

正しいとは誰だ。

裁かれるべきは――俺自身なのかもしれない。


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