第二八話「男子最大の危機」
「おいっ! それ以上声を出したら貴様の汚らしい玉を握り潰すぞ!」
マサラのチンピラ顔負けの啖呵が直人の心を完全に呑んだ。
身体中から嫌な脂汗が噴出する。
玉を取られた男はかくも弱き存在なのか!?
直人は何も言わずに只相手の目を見てコクコクと頷いた……我が息子ながら大した出番も無しに永遠にお蔵入りにされては敵わない……
マサラが黄金ボールを鷲掴みにしたまま右拳を上げた。
……来る!?
直人に直感が走った!
反射神経で首を右に傾けた刹那――
再びマサラの右ストレートが火を噴いた。
“バキイイイイイイイイイイイイイイイイッ!”
掠めたパンチが左頬を擦過する。
鋭い痛みに直人は思わず顔を歪めた。
“壁ドン”ならぬ“壁パンチ”だった……
マサラの二度のパンチで、トイレの壁に大穴が穿たれていた……その大穴を中心として、縦横無尽に痛ましい亀裂が走っている。
色々と不味いことになったな……考えられる最悪な事態が直人の頭を過った……
――この世界では、勇者制度を啓蒙する一環として、勇者が戦った跡地をあえて補修せずにそのままの状態で保存する風習があるのだ……政府とデュランダルの行う組織継続事業の一環である……幸いにもそれが大衆に受け入れられた場合、その場所を人々は《聖地》と呼び崇め奉るのである……
多くの場合、“聖地”には石碑が立ち、聖地巡礼を行う崇拝者は後を絶たない。或は街のランドマークとして、地域の観光資源にさえなっているのだ……
そんな訳で直人は、マサラに男子最大の急所を掴まれたまま、起こりうる最悪な事態に付いて思案していたのである。
……不味い! 大いに不味い!! 不味過ぎる不測の事態だ!!!
仮にこの場所が“聖地!” 認定された場合、石碑にはこう刻まれるのだ……
【勇者・桐生直人――黄金ボールを鷲掴みにされたまま敵の猛攻をかわす!】
……後でこの場所が伝説の聖地にならないことを腹の底から願った直人だった。
それはともかくとして、直人はマサラの攻撃の前に一歩たりとも動くことができなかった。
勇者ランキング・ナンバー6の称号は伊達ではなかったのだ。
先程から心臓が高速で脈打っている……詳細に言えば黄金ボールを鷲掴みにされてからだ。
身体の……主に黄金ボールが完全に縮み上がり全身の震えが止まらない。
嫌な脂汗が発汗し続けている……
……それにしても……これだけの音を出しているのだ。
何故ガードマンは助けに来ないのだ!?
勇者を守ることが奴等の仕事ではないのか!?
直人はピンチの時だけ神様に祈りを捧げる無神論者の様に、普段は忌み嫌うデュランダルのガードマンに神頼みをした。
「守衛は来ないぞ! 入口に防音障壁魔法を張っておいた」
マサラの冷酷な解説が、直人を逃げ道の断たれた兎へと変貌させて行く……噛み合わせた歯が恐怖でガチガチと音を立てた。
マサラは顔面蒼白となった直人を正眼で見据えていた。
直人を完膚無きまでに呑んでいたのだ。
満を持してマサラが直人に問う!
「何故スライムに負けた!?」
「……………………………」
「明確に答えろ! ふざけたら片玉づつ潰して行くぞ!」
……脅しで言っていないことが、玉を掴まれた感触で分かった直人だった。
直人はしばし考えた後、恐る恐る口を開いた。
いつもの様な軽はずみな言動は控えないといけない……我が息子を人質に取られているのだ! 当然である。
「……敵をあなどっていたからだ……スライムなら勝てると……俺達勇者が行く必要などあるのか!? とさえ思っていた……妹は戦う前から治癒魔用でヴリルを消費していた。俺は俺で始めから全力で戦っていなかった……敵は所詮スライムだと、俺達は戦う前から完膚なきまでに相手を舐めていた……」
直人の回答をマサラが一喝した。
「遊びで戦ってんじゃねえ―――――――――――――――――――――!!」
“ドゴオオオオオオオオオオオオ!”
マサラのパンチが今度は直人の右頬を掠めた。
バシュウッ!
風圧だけで直人の頬が避けた。
両頬から流れ落ちる血が、トイレの壁に赤い染みを作った。
背後の壁には既に人間サイズの大穴ができ上がっていた……この場所が新たな“聖地”になるのはもはや時間の問題に思われた……
そして石碑にはこう刻まれるのだ。
【新人勇者・桐生直人。黄金ボールを潰されて敢え無く殉職――】
……それにしても……パンチ力だけでいとも簡単に、コンクリートの外壁を破壊して見せるとは!? コイツは俺達と同じ人間なのか???
そう言えば聞いたことがある……怪力でドラゴンの羽を引き千切って勝利した狂戦士がいると……一匹狼で……ニックネームは確か“狂乱の雌ゴリラ”……
次に穴が開くのは自分の腹かもしれない……直人は色んな意味で腹を括った。
マサラが直人を睨め付けたまま問い詰める。
「貴様のせいで勇者のステイタスは地に落ちた。その点に関してはどう落とし前を付けてくれるんだ!?」
直人の頬から流れ落ちる血が小さな水たまりを作っていた。
……コイツはまともじゃあない……加えて状況が悪すぎる! せめて我が息子を人質に取られてさえいなければ!?
直人は尋問に速答した。
「次はスライムに完勝する……としか言えない……」
「一度負けた奴が粋がるなよ、ガキがっ!」
「…………………………」
「今回は片玉だけで勘弁しといてやるよ……」
「ひ……ひいいいいいいいい!」
「動くなよ! 動くと両方イッちまうぞ!」
「や……ややや……止めてくれええ――――――――――――――――っ!!」
「駄目だな!」
その時、マサラの口元が邪悪に歪んだ。
直人にはマサラが悪魔以外の何者にも見えなかった。
魂の代わりに“玉”をこの世から持って行くとんでもない悪魔がそこにいた……
……クソッ!
勇者になったばっかりにスライム何かに負けて……国民中からバッシングを受けて……自宅には剃刀の束が届き……ま……まあ……着せ替え人間ごっこだけは大いにエンジョイしたが……それも束の間、今度は片玉を失うだと! あり得るか!? 俺はまだ男子デビューしたばっかのひよっこだぞ! どうせ失うのなら持てる全てを出し切ってから……直人はこの土壇場の状況においても阿保なことを考えていた……
その刹那、天国の両親の顔が頭を過った。
お父さん、お母さん、済みません……
――直人の片玉に得も言われぬ圧力が加わった正にその時だった!
「そこまでです!」
「えっ?」
二人が声のした方へと同時に振り返った……詳細を言えば……玉を鷲掴みにしている女と、玉を鷲掴みにされた男が間抜けな声と共に声のした方へと同時に振り返った……
そこにはトイレの入口でコルトガバメントを構えるコーディネーター・レンの姿があった。




