第二六話「危険な電話」
――魔法学校の昼休み。
兄妹は適性のある者が否応無く通わされる魔法学校・UNPA(United Nations Psychic Academy)で、今日も学校の授業を受けていた。
授業は一般教養を学ぶ普通科目や、UNPAだけの特別授業である魔法講義と実践演習、これに加えて直人は情報化、唯は芸能科を専攻している。
直人は本日、普通科目の一つである数学の授業を受けていた……残念ながら必須科目である。内容に関しては一般的な高校生が習う高校数学と全く同じだ……魔法学校だからといって、微分積分の理論を攻撃魔法に応用する……などの奇想天外なことはしないのだ。
「勇者をやりながら、今まで通り普通の生活も続けたい」
勇者協会・デュランダルにそう提案したのは直人自身ではあったのだが、学校に復学してから僅か三日で早くも直人は腐っていた……身体からは全くもって覇気が感じられず、その目は死んだマグロの目を彷彿とさせた……否、死んだマグロの目の方がまだましだ……死んだマグロに失礼だ……と彼の友達は確信を持ってことごとく断言した……
……直人曰く
「明日死ぬかもしれないのに、数学の授業を受けることに何の意味があるんだ!? 二次関数で怪物から身を守れるとでも言うのか!?」
……だそうである。
直人は昼休みに学食を食べながら、気の置けない友達に色々とぼやいていたのだ。
――昼休み。
それは詰め込み主義の学園生活で唯一、心洗われる時間帯である…………筈だった。
……今までは。
しかし兄妹が勇者に成って以来……特にスライムに負けて以来、その状況は激変したのである。
兄妹が座るテーブルの周囲からは、何やら四六時中ヒソヒソと噂話が聞こえて来るのだ……
もはや定番となった『スライム(笑笑笑笑)』やら『視姦勇者』やら『カメラ目線野郎!』やらのワードが彼等のバックグラウンドでやたらめったらと飛び交うのである……残念ながらどんなに耳を澄ませても『直人君格好いい♡』というワードを一度たりとも聞いたことが無い直人だった……
「ほんっとに胸クソ悪いな……」
兄妹とテーブルを囲む友達の沢木京がぼやいた。
「お前達は国民の為に身体を張って戦ったのにな……まあ“カメラ目線”はともかくとしてな……」
京は友達を庇いつつも微妙に語尾を濁した……
「それは言わないでくれ……これでも反省している」
「反省していたのか!?」
京が真顔で突っ込みを入れた。
「一応な……今後はTPOをわきまえて使いこなそうと思っているよ」
「つまり……止める気は無いのね、兄さん……」
妹が残念な人を見る様な侮蔑の視線を兄に向けた……
……この様に、彼等が気の置けない会話を楽しんでいる間も、ヒソヒソという噂話と笑い声、そして突き刺さる視線は決して止むことが無かった。
「気にすることはないわ……言わせておけばいいのよ。まあ“有名税”って奴ね。あなた達は勇者になった時点で、良くも悪くも有名人になったんだから……」
そう言う紗花の表情はどこか寂し気だ……
「所であなた達、もうスポンサー契約の話は来たの?」
紗花が話題を切り替えた。
「俺達は今や時の人だ……無論ネガティブな方のな……」
話題を切り替えようとした紗花だったが、残念ながら彼女の狙い通りにはならなかった……
「だから、俺達にスポンサーなど付く筈がない……そう思っていた」
「所が現実はどうだ!?」
直人が目を引ん剝いて叫んだ。
「妹にはCM出演の依頼が殺到している……山の様にな! しかし、兄である俺にはたった一件しか出演依頼が来ていない!」
直人はCM出演に飢えていた……彼の高いモチベーションは全て、顔を売って女にモテたいという邪心から湯水の如く滾々と湧き出て来るのだ……
「良かったじゃないか! 一件は来たんだ……そこから次に繋げようぜ直人!」
京が売れない芸能人を抱えたマネージャーの様に友人を励ました。
「それで、何のCMだ?」
兄妹はその言葉に目を合わせるや、深々と溜息を付いた……
「食品会社でゼリーのCMだ…………」
直人はそこで思わず口ごもった。
「ふ~~ん。そんなに悪い話かしら? それで何て名前のゼリー?」
「“ぷるるんスライムゼリー”だ!」
「…………………………」
「…………………………」
「コーディネーターに、上空1000メートルからスカイダイビングをして、ゼリーで出来たプールの中にカメラ目線で口から突っ込んでくれ! と真顔で言われたよ……」
直人が死んだマグロの目を早々と復活させてぼやいた。
「……やるのか!? まさか!?」
「……検討中だが……多分やらん! そこまで金に困ってはいない」
「ショックだったのは、俺にはスライム絡みのCM一件しか話が来てないことだ……」
直人はそこで深く肩を落とした。
それを見た紗花が慰めの言葉をかける。
「元気を出すのよ直人! これからスライムにリベンジして、こてんぱんにやっつけちゃえばいいのよ!」
「まあ、そうだな……それでスライムに勝つとどうなるんだ……」
直人が恐る恐る先を促した。
「もし勝てば……」
「“ぷるるんスライムゼリー”と夢の複数年契約が結べるわ!」
「俺はスカイダイビングでゼリーに突っ込んで行く契約を、複数年も結ぶつもりはない!」
紗花の鬼の提案に対して、直人が一応突っ込みを入れた……
――この様にして兄妹は、周囲から若干……否、限りなく浮きまくりつつも、平和な学園生活を一応謳歌していたのである。
《妹との登下校》《退屈極まる授業》《友達とのくだらない会話》
今まで全く気付かなかったが、全て生きているからこそ経験出来ることなのだ……スライムに死に際寸前まで追い込まれた直人は、その様に考えて気持ちを切り替えることにした……レンの頼み事とはいえ“ぷるるんスライムゼリー”の件だけは本当に勘弁して欲しいが……
しかし、状況は一瞬で変わるものなのだ。
兄妹の束の間の安息日は長くは続かなかったのである……
――昼休みが終わる間際、教室に戻ろうとする時に事件は起きた。
不意に直人の携帯が高らかに鳴り響いたのである。
ディスプレイを見ると【ツンデ“レン”】とある……言うまでも無く兄妹のコーディネーターである、この度ツンデレであることが目出度く……かどうかは皆目分からないが……ともかくツンデレであることが発覚したレンからだった。
直人は渋々電話に出た。
……せめて学校にいる間ぐらいは仕事のことは忘れたいのだ。
「レンさんですか? “ぷるるんスライムゼリー”の件はやはりお断りしたいと思います……スカイダイビングでゼリーに突っ込んで行くのはどうかと思います……どうせ突っ込むのなら女医の中…………」
直人がうっかり口を滑らせた所で、レンのツンデレな言葉が携帯から轟いた。
「勇者・桐生直人君! あなたがあなたの嫌らしい物をゼリーの中に突っ込もうが、あの忌々しい女医の中に突っ込もうが、私は全っ然っ興味なんかないんですからねっ!!」
そこで受話器から“ドゴオポオオオオオオオオオ――――――ッ!”という何かを殴り倒す様な凄まじい破壊音が鳴り響いた。
「ふ――――――――――っ、すっきりしました…………」
「………………………………」
「今だけは、そんなことはどうでも良いのですよ! 勇者・桐生直人君!」
……本当にそうなのだろうか!?
受話器越しに聞こえて来る“バラバラバラ…………”という崩落音が破壊の凄まじさを物語っていた……
ともかくレンが続ける。
「唯さんにも伝えて下さい。緊急の用事です。お二人は今直ぐデュランダル本社に出頭して下さい!!」
……出頭だと!?
まさかレンを差し置いて、嫌らしい物を真っ先に女医に突っ込んだことを未だに根に持っているのか!?
直人はアホなことを考えて、一先ず気持ちを落ち着かせ様と努力した。
「総理大臣があなた達に謝罪を求めているのですよ! 勇者・桐生直人君」
「……………………」
直人は絶句していた。
「スライムに負けたことについてです……私達があのスライムは強豪のモンスターだったと主張しても、一向に取り合ってくれませんでした」
「……マスコミはともかく……何故国の総理大臣が!?」
「政治家は国民の顔色を伺う人種です。あなた達がスライムに負けたことはもはや社会問題になっています……公の場で当人に謝罪させて国民感情をなだめることで、与党への好感度を上げたいのでしょう……」
直人は頭を抱えていた……ほとぼりが冷めれば、自分達へのバッシングの熱も冷めると思っていたのだ……その為にも今は印象の悪い露出は避けたかったのだ……
「加えて、勇者協会・デュランダルへの信用も揺らいでいます……この組織は果たして人類を守れるのかと……これを先導しているのは、デュランダルの活動に敵意を持つ組織です! このままでは組織の運営に支障をきたしてしまいます……ま、まあ、それはそれで……」
そこでレンは何か言い淀んだ。
「とにかく、総理大臣はあなた達兄妹に、生放送による全国民への謝罪を要求しています!」
「…………………………………………」
直人は顔面蒼白になっていた。
手から滑り落ちた携帯が食堂の廊下を叩いていた。




