#4 あの日、剣を置いてきた
「……やばい」
ニーナは魔剣を構えたまま、周囲を見渡した。
敵は十一人。先ほどまで相手にしていた下級の魔物とは違い、全員が重い鎧を身につけ、魔力を帯びた武器を手にしている。互いの距離を保ちながら、じりじりと包囲を狭めてくる動きにも隙がなかった。
相当な訓練を受けた魔族の兵士たちだ。
「ちょっと、レオナ。これ、やばいんじゃない?」
背中合わせに立つレオナも、槍を構えたまま周囲を見回した。
「追い込まれたね、私たち」
「ずいぶん落ち着いてるじゃない」
「ニーナこそ」
魔族の一人が、二人を見て笑った。
「人間最強の二大兵士長も、この程度か」
「所詮は人間だな。ここまでだ」
ニーナは舌打ちした。
「うるさいわね。まだ負けてないでしょ」
レオナが槍を握り直す。
「じゃあ、私が六人やるから、ニーナは五人ね」
「何言ってるの。私が六人よ」
「じゃあ競争ね」
二人は笑った。
こんな状況でも、いつもと同じやり取りができる。ニーナはそれが少し嬉しかった。背中にはレオナがいる。それだけで力がみなぎる。
怖くないわけではなかった。それでも、二人なら切り抜けられると思っていた。
敵の一人が一歩踏み込んできた。ニーナが魔剣を向けると、相手はすぐに足を止めた。こちらが仕掛けるのを待っているらしい。
「ニーナ」
レオナが声を落とした。
「ここでできるだけ時間を稼ごう。私たちが敵を引きつけていれば、他の隊が先に進める」
「分かってるわよ」
「最悪、私たちがここでやられても――」
「そういうこと言うのやめて」
ニーナは即座に遮った。
「十一人くらい全部倒して、私たちも進むの。いい?」
「……うん」
レオナの返事は短かった。
「ニーナは死んだらダメだよ」
ニーナは眉を寄せた。
「あんたもよ」
「……」
「何、その間」
レオナは答えなかった。代わりに、少し迷ってから口を開いた。
「ねえ、ニーナ。さっき、王様たちが死んだ」
「……え?」
「王宮を守れなかった。私、王の犬なのに」
その声には、いつもの明るさがなかった。
「レオナ、今そんな話しなくていい」
「でもね、なんとかして……王女様は――」
「王女様?」
ニーナが聞き返したとき、魔族の一人が武器を持ち上げた。周囲の兵士たちも、それに合わせて動き始める。
「ちょっと待って。今、何て言ったの?」
「……頼んだわ、ニーナ」
「何をよ?」
返事を聞く前に、敵の足音が一斉に近づいた。
「来るよ!」
レオナの声に、ニーナは魔剣を構え直した。
「分かってる!」
先頭の魔族が地面を蹴る。ニーナは正面から迎え撃とうとしたが、敵の動きを見て声を上げた。
「ちょっと!?」
十一人の魔族が、全員ニーナへ向かってきたのだ。
「全員私!?」
左右から迫る剣を弾き、一人を蹴り飛ばす。すぐに別の魔族が踏み込んできて、ニーナは後ろへ下がった。
「多く倒すって言ったけど、そういう意味じゃないわよ!」
「ニーナ、下がって!」
レオナの槍から雷が走った。ニーナに群がっていた魔族の数人が吹き飛ばされ、包囲に隙間ができる。
「一人ずつ仕留める気だ!」
「私から!? 人気者はつらいわね!」
「冗談言ってる場合!?」
ニーナは魔剣を地面へ突き刺した。
「離れて!」
剣を通じて魔力を流し込むと、足元の地面が爆発した。土煙とともに魔族たちが吹き飛び、そこへレオナが飛び込む。雷をまとった槍が大きく振り払われ、立ち上がろうとした敵をまとめて押し返した。
「助かった!」
「油断しないで!」
「分かってるわよ!」
二人はすぐに背中を合わせた。
十一対二。それでも、簡単に押し負ける二人ではなかった。
ニーナが前へ出れば、レオナが背後を守る。レオナが敵を引きつければ、ニーナが魔剣で切り込む。敵の数は多かったが、二人は互いの動きを邪魔することなく、次々と攻撃を退けていった。
「あと何人!?」
「数えてない!」
「さっき六人とか言ってたじゃない!」
「今それどころじゃないでしょ!」
そのとき、離れた場所で大きな爆発が起きた。地面が揺れ、続いて兵士たちの悲鳴が聞こえてくる。
「うわあああっ!」
ニーナは声のした方を見た。自分の部下たちが戦っている方向だった。
「……何?」
土煙の向こうで、何人もの兵士が倒れているのが見えた。
ほんの一瞬、そちらへ意識が向いた。
「ニーナ!」
レオナの叫びが聞こえたときには、すでに魔族の剣が迫っていた。
避けようと身体をひねったが、間に合わなかった。振り下ろされた刃が右肩を深く斬り裂く。
「っ……!」
焼けるような痛みが走った。右腕から一気に力が抜け、握っていた魔剣が地面へ落ちる。
ニーナは膝をついた。
「しまっ……!」
剣を拾おうとしたところへ、背後から魔族が飛びかかってきた。腕をつかまれ、地面へ押し倒される。
「離しなさい!」
左手で殴りつけようとしたが、別の魔族に押さえ込まれた。右肩から血が流れ、身体を動かすたびに激痛が走る。
「レオナ!」
「ニーナ!」
レオナが駆け寄ろうとした。しかし、魔族たちはその前に立ちはだかり、槍の間合いへ入らないようにしながら進路を塞いだ。
「ごめん! レオナ、やられた!」
「何言ってるの! 今行くから!」
レオナが槍を振るう。雷を受けた魔族が倒れたが、すぐに別の兵士がその穴を埋めた。
「おい、そいつを殺すな!」
魔族の一人が叫んだ。
「生け捕りにしろ! 使い道がある!」
「……何?」
ニーナが顔を上げると、魔族たちは手早く彼女の魔剣を奪い、両腕を後ろへ回した。
「ちょっと、何する気よ!」
抵抗する間もなく縄で縛られ、口には布を押し込まれる。
「んんっ!」
「ニーナ!!」
レオナの声が響いた。
ニーナは魔族に両脇を抱えられ、戦場の奥へ引きずられていった。振り返ると、土煙の向こうでレオナが必死に敵を押し返している。
来ないで。
ニーナは首を振った。
レオナ、こっちに来ちゃダメ。あんたは先に進んで。
声にできない言葉を、何度も胸の中で繰り返した。
「ニーナ!!」
レオナの叫びが、遠ざかっていった。
*
どれくらい時間が経ったのか分からなかった。
ニーナが連れてこられたのは、戦場を見下ろす小高い丘だった。太い柱に身体を縛りつけられ、両腕を動かすこともできない。右肩からは血が流れ続け、意識を保っているだけでも精一杯だった。
丘の下では、まだ人間と魔族の兵士たちが戦っていた。
「人間ども! よく聞け!」
魔族の声が戦場に響いた。
「お前たちの兵士長を捕らえた!」
その声に、何人もの兵士が丘を見上げた。
「あれ……ニーナ様?」
「嘘だろ……」
「兵士長が捕まったのか?」
ニーナには、部下たちの顔が見えた。
いつも自分の後ろについてきた兵士たちだった。戦いが始まる前には、必ず勝って帰ると約束した。その彼らが今、自分の姿を見て立ち尽くしている。
こんな姿、見せたくなかった。
「これから、こいつを殺す!」
魔族が剣を掲げた。
「国家軍最強の兵士長も、この有様だ! 命が惜しければ武器を捨てろ!」
兵士たちの間に動揺が広がった。
「ニーナ様が……」
「もう勝てないんじゃ……」
「俺、死ねたくない……」
やめて。
ニーナは声を出そうとした。
私が捕まったくらいで、そんな顔しないで。まだ戦えるでしょ。あんたたち、私がどれだけ鍛えたと思ってるのよ。
「んんっ……!」
口を塞ぐ布に声が押し込められ、言葉にならなかった。
「武器を捨ててひれ伏せ! さもなくば、この女の首を落とす!」
兵士の一人が、震える手で剣を下ろしかけた。
ニーナは必死に首を振った。
違う。お願いだから、私のせいで負けないで。
そのときだった。
「待ちなさい!!」
聞き慣れた声が戦場に響いた。
ニーナは顔を上げた。
兵士たちが道を開け、その間から一人の女性が歩いてくる。黒髪は乱れ、鎧も血で汚れていた。それでも槍を握った姿は、いつもと変わらなかった。
レオナ、来ないで。
その姿を見た瞬間、ニーナはそう思った。
レオナは丘の下で足を止めた。
「ニーナを放しなさい」
魔族たちが笑った。
「もう一人の兵士長か。ちょうどいい」
「その人に手を出さないで」
レオナは槍を構えたまま、丘の上にいるニーナを見た。
「……私が代わりになる」
「何?」
「私は王の犬の兵士長。王家の護衛を任されていた人間よ」
魔族たちの顔つきが変わった。
「国家軍の兵士長を一人殺すより、私を殺した方が、よっぽど人間たちへの見せしめになるでしょ」
ニーナは必死に身体を動かした。
やめて。
縄が右肩の傷に食い込み、激しい痛みが走る。それでも、じっとしていられなかった。
「だから、ニーナを放して」
レオナは一歩進んだ。
「代わりに、私を殺せ」
ニーナは耳を疑った。
何言ってるの。
あんた、何言ってるのよ。
魔族たちは互いに顔を見合わせた。やがて一人が、レオナへ剣を向けた。
「本当に命を差し出す気なら、まず武器を捨てろ」
レオナは少しの間、黙っていた。
それから、握っていた槍を地面へ落とした。
乾いた音がした。
ニーナの目から涙がこぼれた。
「んっ……!」
ニーナは必死にレオナを呼ぼうとしたが、布のせいで声にならなかった。
レオナは丘を上がり始めた。
一歩。また一歩。
ニーナは首を振った。
レオナは止まらない。
「んん…!!!」
ニーナが必死に身をよじると、レオナがこちらを向いた。
目が合った。
そして、ほんの少しだけ笑った。
いつも、ニーナが無茶をして怒られたとき。大丈夫だと笑って、最後には必ず助けてくれたときと同じ顔だった。
やめてよ。そんな顔しないで。
ニーナは叫んだ。けれど、その声は布に遮られ、レオナには届かなかった。
レオナは何かを言った。
けれど、戦場の騒音にかき消されて聞こえなかった。
魔族の一人が剣を振り上げる。
刃が振り下ろされた。
レオナ!!
ニーナは声にならない叫びを上げた。
*
「――っ!」
ニーナは勢いよく身体を起こした。
荒い息が止まらない。額から流れた汗が頬を伝い、寝間着の背中まで濡れている。
薄暗い部屋を見回す。
壁際の机。閉じた窓。脱ぎ散らかした上着。
宿屋の部屋だった。
戦場ではない。魔族もいない。血の匂いもしなかった。
「……夢」
ニーナは右手で顔を覆った。
「また……」
五年前の夢だった。
何度見たか分からない。最近はようやく減っていたのに、デイジーが現れてから、また見るようになった。
右肩に手を当てると、古傷が疼いていた。傷はとうに塞がっている。それでも、あの日の夢を見た夜は決まって痛む。
「……最悪」
ベッドに座ったまま、ゆっくり息を整えた。
夢はいつも、レオナが斬られるところで終わる。
実際には、その後も戦いは続いた。人間側の兵士たちが反撃に出て、ニーナは救出された。だが、大量の血を失っていたせいで、途中の記憶は曖昧だった。
はっきり覚えているのは、レオナが自分の代わりに前へ出たこと。そして最後に見たとき、彼女が地面に倒れたまま動かなかったことだ。
「……馬鹿」
ニーナは小さく呟いた。
「ほんと、馬鹿」
戦いが終わったあと、軍は何度も周辺を捜索した。
ニーナも、まだ傷が塞がりきっていない身体で探し回った。生きているなら見つけたかった。たとえ死んでいたとしても、せめて自分の目で確かめたかった。
けれど、レオナは見つからなかった。
残されていたのは、あの槍だけだった。
「……どこ行っちゃったのよ」
ニーナは膝を抱えた。
あの日から、すべてが変わってしまった。
右肩の傷は治った。それでも、以前のように大きな魔剣を振るうことができなくなった。
最初は、傷が治りきっていないせいだと思った。時間が経てば元に戻る。そう信じて、何度も剣を握ろうとした。
けれど、どうしても駄目だった。
剣を持つたびに、あの戦場を思い出した。自分の手から魔剣が落ちた音。柱に縛られ、何もできずに見ているしかなかった時間。そして、自分を助けるために武器を捨てたレオナの姿。
右腕に力が入らなくなる。
何度試しても同じだった。
結局、軍へ戻ることはできなかった。
兵士長だった頃の仲間にも会わなくなった。誰かに責められたわけではない。それでも、あの戦いのことを聞かれるのが怖かった。
レオナのことを話すのも嫌だった。
最初の頃は、食事もまともに喉を通らなかった。朝が来ても起きる理由がなく、夜になっても眠れない。
あのとき、部下の悲鳴に気を取られなければ。
魔剣を落とさなければ。
自分が捕まらなければ。
レオナは死なずに済んだのではないか。
何度考えても、最後はそこへ戻ってしまう。
自分なんかが生き残るくらいなら、レオナが生きていた方がよかった。
そう思ったことも、一度や二度ではなかった。
いっそ死んでしまおうと考えた夜もあった。
けれど、できなかった。
レオナは自分を助けるために、あの丘へ歩いてきたのだ。
その命を、自分で捨ててしまうことだけは、どうしてもできなかった。
「……勝手に助けといて」
暗い部屋に、ニーナの声が落ちた。
「責任取らないで死んだりしてさ」
少し笑おうとしたが、うまくいかなかった。
だから、生きることにした。
国のためにもう一度立ち上がろうとか、レオナの分まで立派に生きようとか、そんなことは考えなかった。
どうせ生かされた命なら、これからは好きなことだけして生きてやろう。
そう決めたとき、思い浮かんだのが舞台だった。
ニーナの両親は、国家サーカス団の団員だった。幼い頃から音楽と踊りに囲まれ、舞台の上で客を楽しませる方法を教わって育った。
扇の扱いも、軽やかな足運びも、客の視線を集める仕草も、身体が覚えている。
本当なら、ずっとサーカスで生きていくはずだった。
けれど、若い頃のニーナは、踊ることよりも剣を振るう方が好きだった。
『私、戦う方が向いてる』
そう言って両親の反対を押し切り、サーカス団を飛び出した。そして、レオナに誘われるまま軍へ入った。
あの頃は、まさか自分が踊り子になるなんて思ってもいなかった。
けれど、久しぶりに舞台へ立ってみると、案外悪くなかった。
音楽が流れれば身体が動く。客が喜べば嬉しいし、拍手を浴びればもっと上手く踊りたくなる。
初めはただ、何も考えずに過ごせる時間が欲しかった。
それがいつの間にか、舞台に立つこと自体が楽しみになっていた。
今では、踊り子バニーとして稼いだ金で好きな酒を飲み、気ままに旅をしている。
誰かの命令を聞く必要もない。戦場へ行く必要もない。
ようやく手に入れた、自分の生活だった。
それなのに。
『でもね、なんとかして……王女様は――』
ふと、あの日のレオナの声が蘇った。
『え? 今なんて言った?』
『……頼んだわ、ニーナ』
ニーナは顔を上げた。
「……何だったのよ、あれ」
五年間、ずっと引っかかっている言葉だった。
戦争のあと、王家は全滅したと発表された。国王も王妃も、王女も、誰一人として生き残らなかったと。
けれど、あのときのレオナは、確かに王女について何かを伝えようとしていた。
何を言おうとしたのか。
何を頼みたかったのか。
答えを聞く前に、すべてが終わってしまった。
「……レオナが生きてる、ね」
ニーナは小さく呟いた。
デイジーは、鉄の魔女の正体がレオナだと言った。魔族側にいて、三か月後にはダズリンへやってくるのだと。
「そんなの、信じられるわけないでしょ」
罠かもしれない。
軍が自分を連れ戻すために、嘘をついているのかもしれない。
それに、もし本当に生きていたとしても、どうして五年間も帰ってこなかったのか。
分からないことばかりだった。
何より、期待するのが怖かった。
死んだと思っていた人が、実は生きていた。
そんな都合のいい話を信じて、もし違っていたら。
今度こそ、立ち直れる気がしなかった。
「……どうせ罠よ」
声に出してみた。
「そう。絶対、罠」
誰も答えなかった。
ニーナはため息をつき、ベッドの横へ目を向けた。
そこには、デイジーから渡された大きな金貨の袋が置かれている。
一千万ゴールド。
「……別に」
ニーナは袋を見つめたまま呟いた。
「お祭りに出るだけだし」
戦いに行くとは言っていない。
レオナを助けるとも言っていない。
ただ、踊り子バニーとして、三か月後のダズリンで舞台に立つ。それだけの話だ。
「そうよ。ステージの仕事なんだから」
自分に言い聞かせるように呟いて、もう一度横になろうとした。
ところが、なかなか眠れなかった。
右肩をさすりながら、ぼんやりと天井を見つめる。
しばらくして、ニーナはぽつりと言った。
「……魔剣、新しいの買っとこうかな」
言ってから、自分でも少し驚いた。
もう戦わない。
そう決めたはずだった。
魔剣を持てるかどうかさえ分からないのに、頭の中では、昔よく通っていた武器屋の品揃えを思い浮かべている。
「でも、魔剣って高いのよねぇ……」
ニーナは再び金貨の袋を見た。
一千万ゴールド。
「……買えるかな」
しばらく考えてから、慌てて付け足した。
「護身用よ。護身用」
誰も聞いていなかった。
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