#14 聖都での探し者
「うっわー! でっかい街やで!」
街へ入るなり、ソフィが声を上げた。
ここはスルバン大聖堂のお膝元。巨大な大聖堂を中心に発展した、国内でも有数の宗教都市だ。
石造りの建物が整然と並ぶ大通りには、巡礼者や商人、修道服をまとった僧侶たちが行き交っている。旅人向けの宿屋や食堂、聖具を扱う店も多い。街の中央には大聖堂の高い尖塔がそびえ、建物の屋根越しにもその姿がよく見えた。
「ジェマも来ればよかったのに。なんか知ってそうやったから」
人混みの中を歩いているのは、デイジー、ソフィ、クロエの三人。
目的はひとつ。レオナにかけられている魔族化の呪術を解くため、死者蘇生の魔法を扱える僧侶を探し出すことだった。
「でもさ、ソフィ」
クロエが大聖堂を見上げた。
「すごい僧侶を見つけたとして、その人が蘇生魔法を使えるかどうかって、どうやって分かるの? 何か特別な資格でもあるわけ?」
「んー……」
ソフィは腕を組んで考え込んだ。
「そもそも、本人は自分で分かってるの?」
「んー……」
デイジーとクロエが答えを待つ。しばらく唸っていたソフィは、やがてにっこり笑った。
「知らん!」
「えっ」
クロエの足が止まった。
「なんも情報ないで!」
「うそぉ! じゃあ全然アテないじゃん!」
「しゃあないやん。資料にもそこまで書いてなかったんやもん」
ソフィは悪びれる様子もなく笑い、周囲を見渡した。
「まあ、とりあえず会って話してみるしかないやろ!」
そこで何かを思いついたように、人差し指を立てる。
「人探しなら、まず酒場やで!」
「……酒場?」
デイジーが疑わしそうに聞き返した。
「せや! いろんな土地から人が集まるし、噂もいっぱいあるやろ。すごい僧侶がおるとか、変わった魔法を使える人がおるとか、そういう話が聞けるかもしれへん」
「まあ、理屈は分かりますけど……」
デイジーは大聖堂へ目を向けた。
「私はまず、あそこに行ってみます。僧侶について調べるなら、大聖堂が一番早いと思うので」
しかも国家軍の隠密部隊にいた頃の同僚が、軍を辞めてこの大聖堂に勤めていると聞いたことがある。連絡が取れれば、何か教えてもらえるかもしれない。
「甘いね、二人とも」
その横で、クロエが呟いた。
「ん?」
二人が振り向くと、クロエは大通りの脇に伸びる細い路地を見つめていた。
華やかな表通りとは対照的に、路地の奥には古びた店がひしめいている。看板も出していない店や、何を売っているのか分からない露店もあった。
クロエの口元が、にやりと上がる。
「本当の情報ってのはねぇ……酒場とか大聖堂とか、そういう表にはないんだよ」
「何その顔」
「街の裏に行かないと……ククク」
「クロエさん、絶対変なところ行こうとしてるでしょ」
「情報収集だよ、情報収集」
クロエは軽く手を振った。
かつてロック家の人間として裏の仕事に関わっていた頃から、正規の商人や役人が知らない情報を拾うことには慣れている。今でも、その手の人間とのつながりは残っていた。
「あぁもう、分かりました! じゃあ、手分けしましょう!」
二人が同時に振り向く。
「ソフィさんは酒場。クロエさんは……その、裏! 私は大聖堂を調べます。夜に宿屋で集合して、集めた情報を持ち寄る。それでいいですね?」
「はーい!」
「了解」
話が決まると、ソフィはさっそく酒場の看板を探し始めた。
「どこがええかなぁ。人の多い店の方が情報ありそうやな」
クロエも「じゃ、行ってくる」と手を振り、迷いなく細い路地へ消えていった。
「……ほんとに大丈夫かな、あの二人」
一人残されたデイジーは呟いた。
とはいえ、ソフィは酒場の店主として、さまざまな客から話を聞いてきた。クロエには、自分の知らない裏社会の人脈がある。二人に任せるだけの理由は、ちゃんとあった。
デイジーは大聖堂を見上げた。
死者さえ蘇らせるほどの力を持つ僧侶。そんな人物が本当に存在するのか。そして、その力でレオナを救えるのか。
答えを求めて、デイジーも歩き出した。
*
「さーて。情報は集まった?」
その夜、三人は宿屋の一室に集まっていた。
小さな丸テーブルを囲み、ソフィは途中で買ってきた菓子を広げ、クロエは椅子を後ろ向きにして背もたれへ腕を乗せている。
デイジーは二人の前に手帳を置いた。
「じゃあ、まず私から。今日、大聖堂で聞いてきた話なんだけど……」
*
「死者蘇生の魔法を使える僧侶だって?」
男は思わず声を上げた。
ここはスルバン大聖堂。巨大な聖堂の一角にある、関係者用の小さな談話室だ。
デイジーの向かいにいるのは、かつて国家軍の隠密部隊で一緒に働いていた男だった。
デイジーが軍を離れた頃、彼もまた軍人としての道を退き、その後はこの大聖堂で僧侶として生きている。久しぶりの連絡にもかかわらず、男は快く会ってくれた。
「相変わらず面倒そうなことに首突っ込んでるな、お前」
男は呆れたように笑い、カップに口をつけた。デイジーはテーブルへ身を乗り出した。
「でさ、なんか知らない? 死んだ人を蘇らせるくらい、とんでもなく強い僧侶」
「知らない」
即答だった。
「早っ!」
「死者蘇生なんて、それこそ伝説の話だろ」
男は苦笑しながら首を振った。
「今の大司教様だって使えない。本人がそう話しているのを聞いたことがある」
「大司教様でも!?」
「ああ。少なくとも、この大聖堂では使える人間はいないって認識だ」
「そっかぁ……」
いきなり当てが外れた。
国内最高峰の僧侶が集まる場所。その頂点に立つ大司教ですら扱えないのなら、いったいどこを探せばいいのか。
デイジーが頭を抱えていると、男は壁の時計へ目を向けた。
「……悪いんだけどな、今、大聖堂がかなり忙しいんだ。このあと会議があって」
「何々?」
デイジーがすぐに食いつく。
「なんでそんな忙しいの?」
「……お前、そういうところ変わらないな」
男は苦笑したが、少し迷ったあと声を落とした。
「軍にいた頃のお前なら、情報の扱いは分かってるよな。ここだけの話にしてほしいんだが」
デイジーも表情を引き締めた。
「もちろん」
「最近、大聖堂周辺の村で魔族の襲撃が増えてる」
「そうなの?」
「ああ。ここ最近になって急にな」
五年前の大戦以降、魔族との小規模な衝突が完全になくなったわけではない。それでも、この国有数の宗教都市であるスルバン周辺への攻撃が増えているとなれば、見過ごせる話ではなかった。
「しかも、そんな状況なのに大聖堂の中も揉めててな」
「何かあったの?」
「大司教様の後継者問題だ」
「後継者……?」
スルバン大聖堂は、この国の教会や修道院の頂点に立つ場所だ。その最高位である大司教には、古くから特殊な継承の伝統があった。
歴代の大司教はすべて女性。古い記録によれば、大司教となった女性の第一子には代々女児が生まれ、その娘が母から教えを受けて次代を継ぐ形が、何百年も続いてきたという。
ところが、今の大司教には娘がいない。
「子どもは二人いる。だが、どちらも息子なんだ」
「……それ、珍しいね」
「珍しいどころじゃない。昔の記録通りなら、前例のないことだ」
「それで、後継者が決まらないんだ?」
「そういうこと」
男は頷いた。
「本来なら大司教様の娘が後を継ぐ。だが娘がいない以上、今回は息子たちの婚約者から選ぶべきだって声が上がってるんだ」
大司教の長男には、この国でも最大規模の商人ギルドを束ねる一族の娘。次男には、広大な農地を管理する農民組合の有力者の娘。
それぞれとの縁談が進んでおり、二人の女性のどちらかを次代の大司教に据えようという話になっているらしい。
「なるほど……」
デイジーは腕を組んだ。
「それで大聖堂の中が、商人側と農民側に分かれてるんだ?」
「その通り」
「でもさ、家柄だけで大司教を決めるわけにはいかないでしょ?」
「もちろんだ。婚約者の二人とも、幼い頃から厳しい修行を積んでいる。僧侶としての実力も高いらしい」
「どっちが上なの?」
「それが、ほぼ互角だそうだ」
「うわ。一番面倒なやつ」
「商人側には圧倒的な資金力がある。農民側には地方での支持がある。どちらも、自分たちの娘こそ次代の大司教にふさわしいと主張してるんだ」
「それで、肝心の大司教様は?」
「決めない」
「え?」
「どちらを後継者にするとも言わないんだ」
「なんで?」
「それが分からない。だから余計に揉めてる」
デイジーは少し考え込んだ。
後継者を決めない大司教。互いに譲らない二つの勢力。確かに、内部が落ち着かないのも無理はない。
だが、男の話はそこで終わらなかった。
「問題は、それだけじゃないんだ」
男の表情が険しくなる。
「さっき話した魔族の襲撃にも、妙な共通点がある」
「共通点?」
「襲われた村や町の多くが、商人側か農民側、どちらかの勢力と深く関わっている土地なんだ」
デイジーは顔を上げた。
「……両方?」
「ああ」
「片方だけじゃなくて?」
「そうだ」
デイジーの表情から笑みが消えた。
「魔族が後継者候補を潰そうとしてるんじゃないかって話が出てる」
「大司教様本人じゃなくて?」
「ああ。狙われてるのは、その次だ」
まだどちらが後継者になるかも決まっていない。それなのに魔族は、両方の勢力を攻撃している。
「……どっちが勝つかなんて、魔族には関係ないのかもね。どっちも潰しちゃえば、次の大司教が決まらなくなる」
男は黙った。
「……俺たちも、その可能性を考えてる」
デイジーは腕を組んだまま、しばらく考え込んだ。
「とまあ、俺から話せるのはこのくらいだ」
男が立ち上がった。
「悪い。そろそろ本当に行かないと」
「あ、うん。ありがとう。助かったよ」
「死者蘇生の僧侶については力になれなくて悪かったな」
「ううん。十分だよ」
デイジーも立ち上がり、男を見送った。
一人になった談話室で、聞いた話を手帳へ書き留める。
大司教にも使えない死者蘇生。異例の後継者不在。そして、なぜかその後継者候補を狙う魔族。
「……なんか、変な話だな」
デイジーは小さく呟いた。
*
「……という話でした」
デイジーは手帳を閉じた。一通り聞き終えたソフィは、頬杖をついたまま口を尖らせる。
「なんや。有力な僧侶さんの情報、一個もないやん」
「そこ?」
「だって私ら、僧侶探しに来たんやで?」
「まあ、そうだけど……」
横で聞いていたクロエが、話を整理する。
「つまり、大聖堂の中では大司教の後継者問題で揉めてる。それで魔族は、その候補に関係する土地を狙って攻撃してる……と」
「そう。あと、大司教様本人にも死者蘇生は使えない。少なくとも大聖堂では、今の時代にそんな術を使える人間はいないと思われてるみたい」
「ふーん……」
ソフィはテーブルの菓子を一つ摘まんだ。しかし、口へ運ぶ直前で手を止める。
「でもさ」
「ん?」
「そもそも、なんで今の大司教さんには娘がおらんの?」
「そこなんだよね」
「昔の記録やと、代々第一子が女の子になって、その子が次を継いできたんやろ?」
「うん。少なくとも記録上はそう」
「ほんなら、今の大司教さんだけ息子しかおらんって変やん」
三人が少し黙った。
クロエが何か思いついたように顔を上げる。
「……実は本当は娘がいるとか?」
「えぇ?」
デイジーが目を丸くした。
「隠し子ってこと? でも、この国で一番有名な宗教家だよ? 隠し通せるかな?」
「分かんないじゃん」
クロエは肩をすくめた。
「……まあ、絶対にないとは言い切れないけど」
「はは、まあね。冗談冗談」
クロエは笑って手を振った。ソフィも特に気に留める様子はなく、止めていた手を再び動かして菓子を口へ放り込む。
「ほんなら次、私の番やな」
「じゃあ、ソフィさんはどんな情報が入ったの?」
待ってましたと言わんばかりに、ソフィが胸を張った。
「聞いてきたで」
*
「ねぇ〜、お兄さん! ちょっと人探ししててんけど、お話聞いてもらえる?」
大聖堂から少し離れた、街の外れ。
昼間だというのに薄暗い酒場へ入ったソフィは、店内をひと通り見回すと、迷わずバーカウンターへ向かった。
こういう人探しでは酒場が役に立つことが多い。旅人、商人、傭兵、冒険者。さまざまな土地を渡り歩く人間が集まる場所には、正規の記録に残らない噂や、旅先で見聞きした不思議な話も集まってくるのだ。
「もちろんです。どんな方をお探しですか?」
グラスを磨いていたマスターが顔を上げた。
「お兄さん、情報詳しいやろ? いろいろ教えてや」
「そうですね。内容にもよりますが」
「すっごい力持った僧侶を探してんねん」
ソフィはカウンターへ頬杖をついた。
「そうやなぁ……お兄さんが知ってる中で、一番『この人、普通ちゃうな』って思うような力持った人、おらん?」
「普通ではない僧侶、ですか……」
マスターはグラスを磨く手を止め、しばらく考え込んだ。やがて、何かを思い出したように顔を上げる。
「……一人だけ、思い当たる方はいますよ」
「ほんま!?」
ソフィの顔がぱっと明るくなった。
「ただし、今どこにいるのかは分かりません」
「それでもええ! 教えて!」
勢いよく身を乗り出したソフィに、マスターはわずかに身体を引いた。
「……その方については、あまり軽々しくお話ししたくないんです」
「え?」
「昔からよく知っている人なので」
「……」
ソフィの動きが止まった。
「……今な」
急に声が小さくなる。
「はい?」
「私、ほんまに困っててん」
先ほどまでの陽気な表情が消え、ソフィは伏し目がちになった。
「友達がな……ものすごく大変な呪いにかかってるかもしれへんの」
「呪い?」
「うん……」
目を潤ませる。
「助けたいねん。でも、私だけじゃどうしたらいいか分からんくて……」
「そ、それは……」
「お兄さんに、どうしても助けてほしくて」
ソフィはぐっと顔を近づけた。
「なぁ……あかん?」
「……」
「私、頼れる人おらんくて……」
マスターは困ったようにソフィを見つめた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かりました。お話ししましょう」
「ほんま?」
「ええ。お友達を助ける手掛かりになるのなら」
「よかったぁ! ありがと!」
一瞬で涙が消えた。
マスターは無言でソフィを見る。
「ん?」
「……いや」
「何?」
「何でもありません」
マスターは苦笑すると、店内を見回した。近くに他の客がいないことを確かめ、少しだけ声を落とす。
「今の大司教様に、幼い頃から実の姉妹のように育った女性がいたことをご存知ですか?」
「知らん!」
「血の繋がった妹ではありません。幼い頃から共に育った、妹分のような方です」
「へぇ」
「二人は親友でもあり、同じ僧侶として修行した仲でもあったそうです。大司教様が正式にその地位を継いでからも、長く傍で支え続けていました」
マスターは懐かしそうに目を細めた。
「特に治癒魔法に関しては、当時から群を抜いていたと言われています。若い頃の二人は、この街ではかなり有名でしたよ」
「大司教様と同じくらい強かったん?」
「治癒の技術なら、匹敵していたとも言われています」
ソフィの表情が変わった。大司教と並ぶほどの治癒術を持った僧侶なら、探す価値は十分にある。
「その人、今どこおるん?」
「……それが」
マスターの顔が曇る。
「分からないんです」
「え?」
「二十年ほど前、突然姿を消しました」
「失踪?」
「ええ。誰にも行き先を告げずに」
当時はさまざまな噂が流れたらしい。強大すぎる治癒能力を魔族に狙われたのではないか。大聖堂の極秘任務に就いたのではないか。大司教との間に何らかの確執があったのではないか。
けれど、どの話にも確証はなかった。
「実は」
マスターはグラスを置いた。
「失踪する少し前、彼女はこの酒場にも来たんですよ」
「え!」
ソフィが身を乗り出す。
「お兄さん、知り合いやったん?」
「旧友です。若い頃はよくここで話をしました」
「その時、何か言ってへんかった?」
マスターはしばらく答えなかった。二十年前の記憶を辿るように、視線を落とす。
「――私は約束した」
「……約束?」
「そう言いました」
ソフィが黙って聞く。
「『未来を守りにいく。もうすぐここを離れる』と」
「未来を……守る?」
「ええ。それ以上は、何を聞いても話してくれませんでした」
ソフィは少し考え込んだ。
「ちょうどその頃、今の大司教様が長く体調を崩していた時期でもあります」
「大司教様が?」
「はい。当時は大聖堂の今後を心配する声もかなりありました。後継者についても、すでに不安視する者がいたようです」
「じゃあ、その妹分の人が、大司教様とか大聖堂の未来のために何かしようとしてた可能性もあるってこと?」
「そう考えた人は多かったですね」
マスターは頷いた。
「実際、その女性が姿を消したあと、しばらくして大司教様の体調は回復した。それで、何か関係があるんじゃないかという噂も流れました」
「なるほどなぁ……」
「逆の噂もありましたよ」
「逆?」
「彼女の力が強くなりすぎたから、それを大司教様が恐れて遠ざけたんじゃないか、と」
ソフィの顔が少し険しくなる。
「ほんま?」
「あくまで噂です」
マスターは苦笑した。
「そっか」
ソフィはしばらく考え込んだ。ただ、今知りたいのは二十年前の人間関係の真相ではない。
「その人、今も生きてると思う?」
「分かりません。ただ……」
マスターは少し身を乗り出した。
「失踪したあとも、何度か目撃情報らしきものはありました」
「どこ!?」
「海賊が多いマスラ湾」
「うん」
「生き物すらほとんど寄りつかないドウェル荒野」
「うんうん」
「灼熱のガバ砂漠」
「……変なところばっかり行くな、その人」
「それから、凶暴な魔物が棲みつくパルタ山」
「全部危ないところやん!」
「そうなんですよ」
マスターは笑った。
「本当に本人だったかどうかは分かりません。ただ、妙な共通点がありまして」
「共通点?」
「その女性らしき人物が現れた場所では、重傷者が突然回復したとか、死にかけていた旅人が奇跡的に助かったとか、そういう話がいくつも残っているんです」
「……」
それまで軽い調子で聞いていたソフィが、そこで黙った。
「その人……会ってみたいな」
「見つけられれば、ですけどね」
「ちなみに、他に当ては?」
「そうですねぇ……」
マスターは腕を組んだ。
「彼女ほどの治癒術を持つ人間の僧侶は、私も他に聞いたことがありません」
ソフィは黙って聞いている。
「エルフ族とかでもない限りね」
「エルフ?」
「人間とは元々持っている魔力量が違いますから。中には、非常に強い治癒術や聖術を扱う者もいると言われています」
「へぇ……」
「ただ、彼らは人間社会には滅多に姿を現しません。少なくとも、この国で普通に探して見つかるような存在ではないでしょう」
「そっかぁ……」
ソフィは頭の中で情報を整理した。
二十年前に姿を消した、大司教の妹分。そして、人間を遥かに上回る魔力を持つ可能性があるエルフ族。
どちらも簡単に見つかる相手ではない。それでも、何もなかった昼よりは確実に前へ進んでいた。
*
「……というわけやな」
宿屋へ戻ったソフィは、得意げに話を締めくくった。デイジーは話を聞きながら取っていたメモへ目を落とす。
「大司教様の妹分だった女性……これはかなり探したいね」
書き留めた地名を順番に確認する。
「マスラ湾、ドウェル荒野、ガバ砂漠、パルタ山」
デイジーが顔を上げる。
「片っ端から行ってみる?」
「でも、全部回る時間はないやろ」
ソフィの言う通りだった。
決戦まで、あと三か月。レオナを救う方法そのものもまだ確立していないのに、居場所さえ分からない一人の僧侶を求めて国中を回っている余裕はない。
「うーん……」
デイジーが地図を広げようとした、その時だった。
「それなんだけどさ」
それまで黙って話を聞いていたクロエが口を開いた。
「マスラ湾、ドウェル荒野、ガバ砂漠」
ソフィとデイジーがクロエを見る。
「そこ、最近全部、魔族の襲撃を受けたばっかりみたい」
デイジーが顔を上げた。
「そうなの?」
クロエは椅子の背もたれから身体を起こした。
「実はね、私もちょっと面白い話を聞いてきた」
*
「こんにちは〜」
スルバン大聖堂の街の華やかな大通りから何本も路地を入り、さらに人通りの少ない裏道へ進んだ先に、小さな商店がひっそりと店を構えていた。
目立った看板はない。窓も薄汚れていて、中の様子はほとんど見えない。何も知らない人間なら、店だと気づかずそのまま通り過ぎるだろう。
けれど、クロエはここが何を扱っている場所なのかよく知っていた。
「ごめんくださ〜い」
扉を開けると、油と鉄、それから古い革の匂いが鼻についた。壁には中古の剣や槍が並び、棚には魔物から採れた素材や、用途の分からない部品が雑然と置かれている。
「悪いな」
奥から男の声がした。
「この店は一見さんお断りだ。帰ってくれ」
出てきた店主は、クロエの顔をろくに見ることもなく、ぶっきらぼうに告げた。クロエは気にした様子もなく、深くかぶっていた深緑のフードを少し持ち上げる。
「オリーブって言えば、分かる?」
店主の動きが止まった。
ゆっくり顔を上げ、目を大きく見開く。
「なんと……!」
クロエが笑う。
「久しぶり」
「オリーブさんじゃねぇか!」
さっきまでの無愛想な態度が嘘のように消えた。
「いやぁ、久しぶりだ! 元気だったか?」
「ひひ。まあね」
ここは、クロエがまだロック家の人間として裏の仕事に関わっていた頃、何度も利用した武器商店だった。
表向きは中古の武器や素材を扱っている。しかし裏では、相手が人間だろうと魔族だろうと、金さえ払えば武具や素材を流す。正規の商人が扱わない品物も、正規のルートには出ない情報も、こういう場所には集まってくる。
「それで今日は?」
店主はすっかり愛想を良くして声を潜めた。
「新しい取引か?」
「違うよ」
クロエは店内を見回したあと、小さな袋を取り出した。
「今日は買い物じゃなくて、情報が欲しい」
金貨の入った小袋をカウンターへ置く。
「それと、私がここに来たこと、誰にも言わないで」
店主は袋を持ち上げ、手の中で重みを確かめた。
「もちろんだ」
「ありがと」
クロエはカウンターへ肘をついた。
「実はさ、ちょっと人を探してるんだよね」
「誰だ?」
「すごい治癒魔法を使える僧侶。死んだ人間まで生き返らせるような」
「知らねぇな」
「即答?」
「俺が扱ってるのは武器と魔物の素材だぞ。僧侶なんか知るかよ」
「まあ、そうだよね」
クロエはあっさり引き下がったが、そこで店内に並ぶ武器へ目を向けた。棚には、以前ここへ来たときにはなかった種類の剣や槍が増えている。奥には梱包されたままの木箱もいくつか積まれていた。
「そういえばさ。さっき、新しい取引かって聞いたけど」
「ん?」
「今、そんなに武器が動いてるの?」
店主の表情が少し変わった。
「……まあな」
周囲を一度確認してから、声を落とす。
「今、魔族側が各地で戦いを仕掛け始めてる。それで武器の注文が一気に増えてるんだ」
クロエは特に驚かなかった。
この店が魔族側とも取引していることは昔から知っている。むしろ、それを知っているからこそ、ここへ来た。
「なるほどね」
クロエは何気ない調子で言った。
「鉄の魔女がダズリンで宣戦布告したから、人間側は大騒ぎしてるけど」
指先でカウンターを軽く叩く。
「表で騒ぎになる前から、小さい戦いはもう始まってるってことか」
「ああ」
店主は頷いた。
「五年前の大戦で王家は大きな打撃を受けた。国の中枢もまだ立て直しきれてない。今、魔族が次に目をつけてるのは大聖堂の勢力らしい」
「大聖堂?」
「後継者争いの話、知ってるか?」
「んー、知らない」
「最近、商人側と農民側、両方の勢力に関係する土地が襲われてるんだ」
クロエは少し考え込んだ。
「後継者候補を潰そうとしてる?」
「そう見てる奴は多いな」
「ほかの地域は?」
「もちろん、そこだけじゃない。マスラ湾、ドウェル荒野、ガバ砂漠……そのあたりも最近襲われたって話だ」
「へぇ。ずいぶん広い範囲で動いてるんだね」
「ああ。だが、大聖堂の後継者争いに関わる土地への攻撃が特に目立ってる」
店主は棚から一本の剣を取り出し、布で刃を拭き始めた。
「でも、最近はそれだけじゃない」
「というと?」
「魔族側は、他の地域にも兵を動かし始めてる」
クロエは店の奥に積まれた木箱を見た。
「……ずいぶん大きな注文が入ってるみたいだけど」
店主は答えなかった。
「大聖堂の周辺だけで、こんなに武器が必要になる?」
「……」
「他にも、どこか攻めるつもりなんじゃないの?」
店主は剣を拭く手を止めた。クロエはその反応を見逃さなかった。
「ちなみに、次はどこ?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、店主が口を開く。
「……パルタ山だ」
「パルタ山?」
クロエは眉を寄せた。聞き覚えのある地名だった。
「なんで?」
パルタ山は、それほど大きな山岳地帯ではない。巨大な街があるわけでもなく、広大な農地があるわけでもない。価値の高い鉱山や、軍事上重要な施設があるという話も聞いたことがなかった。
「そこに向けて、かなりの数の武器が動いてる」
店主の顔から、商売人らしい笑みが消えた。
「この一、二年じゃ、一番大きな取引になるかもしれない」
「そんなに?」
「ああ」
「でも、なんでパルタ山なの?」
「……」
「大きな勢力と関係してる場所じゃないよね。人口も少ないし」
クロエはそこで言葉を切った。店主の顔を見る。
「そこまでして、魔族が大軍を送る理由って何?」
返事がない。さっきまで普通に話していた男が、急にクロエと目を合わせなくなった。
「……分からない?」
「……」
「ほんとに?」
店主は黙っている。クロエは少しだけ身を乗り出した。
「後継者の話と関係ある?」
男の口元がわずかに動いた。しかし、答えない。
しばらくの沈黙のあと、ようやく絞り出すように言った。
「……言えない」
「へぇ」
「勘弁してくれ」
店主は低い声で続けた。
「俺も商売でやってる。ここから先を喋ったら、本当に命が危ない」
クロエはしばらく男の顔を見つめていた。少なくとも、何も知らないわけではなさそうだった。何かを知っていて、それを話せない。
「……そっか」
クロエは追及をやめ、再びフードを深くかぶった。
「悪いな」
「ううん。ありがと」
クロエは軽く手を上げ、出口へ向かった。
「オリーブさん、パルタ山へ行くつもりなら」
背後から店主の声がした。
「気をつけろ」
クロエは一度だけ振り返った。
「うん」
それ以上は聞かず、店を出た。
*
「……っていう話を聞いてきた」
宿屋の部屋へ戻り、クロエは二人への報告を終えた。
デイジーはすぐに地図を広げ、パルタ山の位置へ印をつける。
「次の攻撃予定地が、パルタ山……」
「しかも、かなり大きな規模みたい」
「なんでやろなぁ」
ソフィもテーブルへ身を乗り出し、地図を覗き込んだ。
「……なぁ、クロエ」
「ん?」
「パルタ山ってさ」
ソフィは少し考えた。
「私ら、子どもの頃よう行ってたところやんな?」
「あ」
クロエもそこで気づいた。
「うん。行ってた」
その一言をきっかけに、昔の記憶が蘇ってくる。
王家関係者の子どもたちが通っていた学校。授業が終わると、レオナがよく皆を誘った。『山行こう!』と。そしてソフィもクロエも、時にはマチルダやニーナたちまで巻き込まれ、山を走り回っていた。
「レオナ、すぐ魔物に喧嘩売るからなぁ」
ソフィが懐かしそうに笑う。
「そうそう。自分から喧嘩売っといて、いっつもボロボロになってた」
「ジェマも一緒になって戦うから、二人とも傷だらけやねん」
「それで最後、みんなで教会に逃げ込むんだよね」
パルタ山の少し奥。森に囲まれた場所に、小さな教会があった。大聖堂のような立派な建物ではない。古い木造の、本当に小さな教会。けれど、子どもだった彼女たちにとっては、そこもまた大切な遊び場の一つだった。
「シスターさん、毎回呆れてたよね」
クロエが笑う。
「『またあなたたちですか』って」
「そうそう。怪我治してもらって、おやつまで出してもらってなぁ」
「ははは!」
二人で笑っていると、ソフィがふと目を細めた。
「あそこにさ、女の子、おったよな」
クロエの表情も変わる。
「……いた」
「シスターさんが、娘みたいに育ててた子」
自分たちより少し年下だっただろうか。教会で僧侶の修行をしていた少女。普段は静かな子だった。一緒に外へ遊びにでかけ、レオナたちが怪我をすれば、シスターの横で一生懸命治療を手伝っていた。
「いつも帽子かぶってた子だよね。僧侶見習いだった。」
ソフィも懐かしそうに笑う。
「ほんま、あの子どうしてるんやろう」
デイジーは二人の話を聞きながら、地図へ視線を落としていた。
「……そのパルタ山に」
ソフィとクロエがデイジーを見る。
「今、魔族が大規模な攻撃を仕掛けようとしてる」
その一言で、懐かしかった記憶が一気に現実へ引き戻され、ソフィの笑みも消えた。部屋が静かになった。
やがて、クロエが地図を見つめたまま口を開く。
「パルタ山、行ってみない?」
デイジーが顔を上げた。
「ソフィが聞いてきた、大司教様の妹分だった人」
クロエはソフィを見る。
「目撃された場所の一つなんでしょ?」
「うん」
「なら、その人の手掛かりが残ってるかもしれない」
クロエは指先でパルタ山を軽く叩いた。
「それに……本当にこれから魔族が攻めてくるなら、あの教会も心配」
ソフィも頷いた。
「……せやな」
「シスターさんがまだおるかも分からんけど。何も知らんまま、魔族に攻め込まれるのは嫌やな」
デイジーは地図を見つめた。
大司教の妹分だった女性が目撃された場所。なぜか魔族が大軍を向けようとしている山。そして、ソフィとクロエたちが幼い頃に通っていた小さな教会。
それぞれ別々の情報に見えていたものが、ここへ来て一つの場所へ重なっている。
デイジーは決めた。
「行こう」
地図を畳む。
「今のところ、他にこれ以上の手掛かりはない」
「決まりやな」
ソフィが頷く。クロエも静かに笑った。
次の目的地は、パルタ山。
幼い頃、何度も遊びに行ったあの山へ、三人はもう一度向かうことになった。
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本作はすでに最終回まで完成してます。引き続きお楽しみください!




