第1話:画狂の再誕、あるいは最強の「連載」開始
「天があと五年の命を貸してくれたなら、真正の画工になれたものを……」
嘉永二年。数えで九十歳。
葛飾北斎――あるいは「画狂老人卍」と呼ばれた男は、畳の上でそう言い残し、意識を闇へと沈めた。
描き続けた人生だった。富士を、波を、人々の営みを、この世の万象を。
指先が震え、筆が持てなくなるその瞬間まで、男は「完成」を追い求めた。それでもなお、筆の先にはまだ見ぬ真理が霞んでいた。男の魂は、描き足りぬという執念と共に、永遠の眠りについたはずだった。
――そして今。
「――キシャァァァッ!!」
空を裂く咆哮が、乾燥した街道に響き渡った。
現れたのは、全身を硬質な黒鱗で覆った特級魔獣、キング・ベヒーモス。一国を滅ぼしかねないその巨体が、地響きを立てて五人の少女たちの前に立ち塞がっている。
並の冒険者ならば腰を抜かす絶望的な光景。だが、銀髪のポニーテールを揺らした少女――カツミは、不敵に鼻を鳴らした。
「ふんす! ちょうど良いわい。レオよ、あやつの『構図』はどうじゃ?」
「……最悪ね。筋肉の配置に美学がないわ」
冷ややかに応じるのはレオ。彼女は手にした魔導演算機を走らせ、瞬時に魔獣の弱点を導き出す。
「あぅ……でも、あの鱗の『黒』は、私の情熱を引き立てる良い下地になりそうです。燃やしちゃっていいですか、カツミさん!」
杖を構えて問いかけるのはヴィン。その隣では、メアリが静かに魔力の粒子を編み上げていた。
「……光を乱すものは、排除するわ」
四人の視線が一点に集まる。
戦闘は、わずか数十秒だった。
メアリが放った光の檻が魔獣を縛り、ヴィンの放つ鮮烈な炎がその機動力を奪う。レオの計算に基づいたパブロの一撃が、魔獣の頑強な防護を「空間」ごと切り裂いた。
そしてトドメは、カツミの役目だ。
彼女は腰の帯から特大の筆を抜くと、虚空に濃厚な墨の香りを立ち昇らせた。
「 『北斎漫画・牛追い』なのじゃ!! 」
カツミが筆を一閃させると、墨の奔流が魔獣を物理的に「平面的」へと塗り潰し、そのまま道端の背景画へと叩き伏せた。
「……ふぅ。これでよし。パブロよ、これでおぬしの言う『原稿料』とやらは稼げたかえ?」
カツミが筆を耳にかけ、背後で腕を組む少女に問いかける。パブロは不敵な笑みを浮かべ、一枚の紙を突きつけた。
「ええ。でも、これでようやく家賃の一ヶ月分よ。さあ、次の街へ急ぎなさい。……締切は待ってくれないわよ」
「 は、はわわわわ!! 野郎ども、急ぐのじゃ!! この世界、魔獣よりパブロの督促の方がよっぽど恐ろしいわい!!」
――江戸の画狂老人、葛飾北斎。
彼は異世界で美少女「カツミ」へと生まれ変わり、同じく転生したかつての伝説的絵師たちと共に、最強の冒険者パーティーとしてこの空の下を歩んでいた。
描くべきものは、まだ無限にある。
銀髪の少女の、騒がしくも情熱的な「新連載」が、今ここに幕を開けた。
(つづく)




