後始末
午後、役場の応接室。
松本さんの奥さんと、五歳の子供が来てくれた。
奥さんが深く頭を下げた。
「篠塚さん。ありがとうございました」
「いえ」
奥さんが子供の肩に手を置いた。母親に促されて、小さな声で言った。
「ありがとう、ございました」
俺は膝を曲げて、子供と目を合わせた。
「うん」
霧島が奥さんの前に座って、深く頭を下げていた。
「お父様のこと、本当に、申し訳ありませんでした。あの時、もう少し早く、私たちが動けていれば」
奥さんが首を横に振った。
「先月のうちに来てくださって、本当にありがとうございます。これで、近所の方も安心して暮らせます」
奥さんが、子供の手を取って立ち上がった。出口で、もう一度、頭を下げた。
扉が閉まった。
「えーと、じゃあ、引き継ぎ事務、進めましょっか」
また、いつもの明るい声に戻った。が、少し声が暗い気がする。
早速、真凛が淡々と書類を捌いていった。地元探索者協会への引き継ぎ、自治体への報告書、警察への現場記録。
「霧島さん、署名、ここと、ここです」
「あ、はーい」
霧島がペンを持って、書類にサインした。手が、少しだけ遅い。
俺はその間、椅子に座って湯呑みの茶を飲んでいた。
*
遅い昼。
霧島が選んだのは、地元のほうとう屋だった。役場から車で十分。古い民家の店。
「ほうとう、三人前。それと、馬刺し、一皿」
霧島が注文した。
ほうとうが来た。鉄鍋で、味噌仕立て。かぼちゃ、人参、白菜、豚肉。麺が太い。汁が黒い。
馬刺しも来た。赤身。生姜と醤油。
「篠塚さーん、馬刺しもどうぞー」
「いただこう」
馬刺しを一切れ、口に入れた。柔らかい。生姜の辛味が後から来る。
ほうとうを一口。麺がもっちりしている。味噌が濃い。かぼちゃが甘い。
真凛が湯呑みに口をつけた。麦茶。
「美味しいです」
「でしょー?二回目ですけど、何回食べてもいいんですよ」
霧島がスマホで写真を撮った。それから、ほうとうを一口。
俺はスマホを取り出して、園田に電話をかけた。
「おつかれ」
『あ、お疲れ様です。素材、どうでしたか』
「岩蜥蜴の上位種、甲皮、いくらか分かるか」
『あー、それね。市場値で、一枚五千円から一万円ですね。状態次第で。何枚あります?』
「七体分。状態は、群れの主の分は割れてる。残り六体は綺麗に剥げる」
『それは助かりますね。装備のインナーに回しましょう。剣の鞘も、あの素材で組めますよ』
「分かった。真凛に伝える」
『はーい』
電話を切った。霧島がスマホを置いて、こちらを見た。
「あ、園田さんですね。彼も腕が立つ人だとか」
「そうだな、よくやってくれてる」
「いいですねー、私も早く会ってみたいです」
霧島がほうとうを口に入れて、また一拍置いた。それから、ふっと笑った。
「篠塚さん、こういう昼ご飯、班でよくするんですか?」
「こんなに豪華なことは珍しいな」
「あ、出張じゃないと、しないんだ」
「まぁそんなところかな」
「私もね、ほら、向こうにいるときは、こういうの、なかなか食べられないんですよぉ。ついコンビニで買っちゃうので。だから、現地出張は、いつもちょっと楽しみで」
真凛が湯呑みを置いた。
「霧島さん、出張、多いんですか」
「週に三回くらいですかね。地方の管理者さんに会いに行くのが、メインの仕事なので」
「お一人でですか」
「だいたい一人で、はい」
霧島が、少しだけ目を細めた。何かを考えている顔。
*
夕方、東京帰路の公用車。
霧島がハンドルを握って、中央道を走っていた。陽が落ちて空がオレンジに塗られていく。
「篠塚さん。C-243での異常変異観測記録を園田さんに送ってます」
「わかった、ありがとう」
助手席の真凛が、タブレットで霧島から渡された書類を整理している。後部座席で、俺は窓の外を見ていた。
甲府の街明かりが遠ざかっていく。
双葉SAで一度休憩した。霧島が紙コップのコーヒーを買って、俺たちに渡してくれた。
「あ、篠塚さん、いりませんでしたっけ?」
「夜は眠れなくなるからいいよ」
「えー、朝はいるって言ってたのに」
「勘弁してくれ」
「ふふ」
霧島が笑った。
車が再び走り出す。中央道がゆるい上り坂に入った。霧島は、ハンドルを軽く握ったまま、フロントガラスの先を見ていた。
「……篠塚さん、久我さん。ちょっとだけ、変な話してもいいですか」
霧島は前を向いたまま言った。いつもの調子より、少しだけ声のトーンが落ちている。
「私は剣も振れませんし、潜って何かを倒せるわけでもないです。そうじゃなくて分析。データの上では、優先度があります。危険度、緊急度、対応可能人数、移動時間、予算。そういうものを並べて、こっちが先、あっちは明日、そこは来週って決める」
霧島は軽く笑った。
「でも、それって、誰かを先にして、誰かを後にするってことなんです」
霧島の指が、ハンドルの上で少しだけ動く。
「今日みたいに、松本さんの奥さんとお子さんを見てたら、やっぱり思うんですよ」
「データの下には、現実があるんだなって」
真凛は何も言わなかった。
「私、昔、地元で漏出個体の事故を見たことがあるんです。親戚のおじさんが巻き込まれて、管理者さんや探索者さんも間に合わなかった。あのとき、誰かがもう少し早く動かせていたら、違ったんじゃないかって、ずっと思ってました」
「それで、今の仕事に?」
「はい。でも入ってみたら、ただ現場に走ればいいって話じゃなかったです。どこに人を出すか。誰に頼むか。どの案件を先に通すか。そういうのを決めないと、人って動かないんですよね」
霧島は、少しだけ息を吐いた。
「私は仕組みを作る側にいます。間に合う確率を上げるために。でも、仕組みの側にいると、時々、見失っちゃうような気がしてもいるんです。自分が、人の命を優先順位で見ているんじゃないかって」
真凛が、静かに霧島の横顔を見た。
「その話は、どなたかに相談されたりはしないのですか」
「しないですねぇ」
霧島の声が、少しだけいつもの形に戻った。
「なんか重いじゃないですかぁ」
「では、なぜ私たちに?」
「……なんででしょうね」
霧島は困ったように笑った。
「俺は難しいことはわからない。ただ、俺が剣を振れる場所まで来られたのは、お前が道を作ったからだろ」
霧島はすぐには答えなかった。
「……そう言ってもらえると、少し楽になりますね」
「楽になりすぎるな。次の案件、また連れていく気だろ」
「そこは否定できませんねぇ」
霧島が少しだけ楽しそうに前を見ていた。




