押しかけ依頼者
吉田食堂の朝。焼き鯖が焦げる匂いがする。
引き戸を開けると、じいさんがカウンターの奥で前掛けの紐を結び直していた。鯖の皮がぱちぱちと音を立てている。
「お、おっさん探索チーム、お早いお越しで」
「おっさん言うな、じいさん」
「おっさんだろ」
「……まあ、おっさんだけど」
じいさんが鼻を鳴らして、菜箸で鯖をひっくり返した。
「空いてるとこ、適当に座んな」
カウンターに腰を下ろした。木の表面が冷たい。何度も拭かれている艶がある。
真凛が隣に座って、バッグからタブレットを出した。眼鏡の奥の目が、いつもの真剣な目だ。
「篠塚さん、おはようございます」
「おう」
じいさんがカウンターに定食を置いた。焼き鯖、青菜のお浸し、納豆、白飯、豆腐の味噌汁。鯖の身が厚い。箸で割ると、中がほくほくしている。脂が浮いている。
口に入れた。塩が効いている。
真凛が白飯を一口食べてから、タブレットを開いた。
「篠塚さん、先週分の管理局向け月次報告、まとめておきましたので、ご確認お願いします」
「もう書けたのか」
「項目は前月と同様でしたので、数字の差し替えだけで済みました」
タブレットを差し出してきた。受け取って、画面をスクロールする。
漏出件数、討伐数、班員別稼働時間、収支、配信視聴者数、メディア露出。表が整っている。誤字も抜けもない。
ぱっと見て、確認すべき項目がない。たぶん、二度目を読んでもないだろう。
俺は短く息を吐いた。
正直、俺が確認しなくても、そのまま提出して、何の問題もない。非常に助かっている。
「特に問題ないと思う」
「ありがとうございます。本日中に提出します」
真凛がタブレットを閉じて、湯呑みに口をつけた。結露が走る。
青菜のお浸しを一口。出汁が染みている。味噌汁を啜った。豆腐が柔らかい。
じいさんが奥から水を注いでくれたので、冷たい水を一口飲んだ。
*
午前、班拠点に戻る途中、出前の蕎麦屋のおっちゃんと玄関先で鉢合わせた。
「篠塚さん、こないだの配信、嫁さんが見ててな。あんた、画面の中だと若く見えるって」
「気のせいだろ」
「いやぁ、そうかね。うちの息子も真似して剣道始めちまってさ」
「それは、悪い気はしないが」
「いやぁ、ほんと、有名人だよなぁ、もう」
おっちゃんが岡持ちを揺らしながら去っていった。
俺は、その背中をしばらく見ていた。
最近、こういうのが増えた。商店街を歩けば顔を覚えられている。コンビニの店員に「いつも見てます」と言われる。出前のおっちゃんに息子の話までされる。
俺、ただのおじさんだよ? 四十二だ。腰が痛い。鏡を見れば、顎の下がたるんでいる。配信に映っているからって、若くもなければカッコよくもない。
なんだろうな、この感じ。慣れない。
ふっと、息を吐いて、また歩き出した。
拠点の前に、見慣れない白いハッチバックが停まっていた。ナンバーが「品川」。公用車か。
拠点の引き戸を開けると、中に女が一人、こちらに背を向けて立っていた。
黒のパンツスーツ。後ろで一本にまとめたミディアムの髪。手首にスマートウォッチ。紙コップのコーヒーを片手に持っている。足元には革のトートバッグ。
「あ、篠塚さん、ですよね?」
女がぴょこんと振り向いた。
「はい」
女が革のトートバッグから名刺を出して、両手で差し出してきた。
「内閣府ダンジョン安全対策室の霧島と申します。お時間、ちょっといただいてもいいですかぁ?」
霧島詩織。
役所の人間なのか? 妙に、なれなれしい。初対面のはずなのに、もう半歩、こちらの懐に入ろうとしている。
なんだ、この人。
俺は名刺を受け取って、半歩、距離を取った。
「どういった用件でしょうか」
「あ、もう、単刀直入に行きますね。篠塚さんに、ぜひお願いしたい現場が、三件、ありまして」
「三件」
「はい。順を追って、ご説明させてください」
*
「ここが拠点なんですねぇ。思っていたのと違ってすごくコンパクトって感じです」
霧島は拠点の中を一通り見渡したあと、机の前に座った。
真凛が奥から出てきて、霧島を見て眉が一段だけ動いた。警戒している。
「……それでこちらにどのようなご用件でしょうか?」
「あ、久我さん、ですよねっ。お名前、伺ってます」
霧島がテーブルの椅子に勝手に座った。革のトートバッグからタブレットを取り出して、テーブルの上に置いた。
画面に地図。山梨県北部、甲斐佐野町。赤いマーカー。
「一件目、C-243。山梨です。C級ダンジョン、管理者が高齢で後継者がいなくて、漏出が続いてます。先月、地元の冒険者の方が一人、意識不明の重症を負って病院へ運ばれています」
次の画面。伊豆下田の沿岸ダンジョン。C-198。漁師の死亡事例の調書。
「二件目、C-198。伊豆下田です。これも漏出。漁師さんが二名、亡くなってます」
次の画面。群馬県北部、C-287。沼地の上に、深層由来の大型個体の写真。
「三件目、C-287。群馬北部です。深層由来の個体『沼の主』。地元探索者協会が一週間張り付いて、撤退してます」
三件、地図にマーカーが立っている。
真凛がテーブルの端に手を置いた。
「霧島さん」
「はい」
「うちは管理局と委託契約を結んでいます。今、ダンジョンC-087の深層調査を継続中で、こちらにも班員のリソースを割いています。対策室の依頼を、三件まとめて受けるのは、難しいです」
「あ、それなんですけどぉ」
霧島が、にこっと笑った。コーヒーのカップを置いて、両手をテーブルの上で軽く合わせた。
「実はですね、そこはもう管理局の安藤さんから、許可をいただいてます!」
「許可?」
「はい。今回ご提示している三件、ダンジョンC-087ほどの規模じゃないんですけど、各地で類似の異常現象が観測されてまして。本省の判断で、この期間はC-087の調査継続を一時的に止めても構わないから、こちらの三件を優先してほしい、と。安藤さんから、書面で出ています」
霧島がトートバッグから封筒を出して、真凛の前に置いた。
真凛が封筒を開けて、中身を確認した。眼鏡の奥の目が、文字の上を一行ずつ追っている。
しばらくして、真凛が顔を上げた。
「……」
返す言葉が見つからない、という顔だ。
霧島が、ふふっ、と小さく笑った。
「根回しは得意なんですよ、私」
やけに、軽い。
真凛は、まだ封筒の中身を見ていた。
霧島が、こちらを見た。
「私、いつも篠塚さんの配信を拝見してるんですよ。先日のC-087の伝説、本当にすごかったです。だからこの三件、お願いできたらって、本気で思ってまして。それで報酬の件なんですけど……」
「報酬もやっぱり出るんですか?」
「はい。一件ごとに経費全額、それと報奨金、これは本省の三号予算から確実に出ます。現地配信の収益も、いつも通り、篠塚さんの方で全部受け取っていただけます」
霧島が指を一本ずつ立てた。それから、ぐっと頭を下げた。
「正直、それで足りてるかと言われると、心もとないんですが。足りない部分は……何とか、お願いできませんか」
半分は本気で、半分は笑顔のまま、頭を下げてくる。声の押しが強い。
真凛がこちらを見た。眼鏡の奥の目に、判断を委ねる気配がある。
「篠塚さん」
「ん」
「ご負担、大丈夫ですか」
真凛が訊いた。
俺は短く考えた。
確かにダンジョンの探索を進めていきたい気持ちはある。ただ最近、C-087でも、深層の異常検知は出ていない。園田が朝のミーティングで、何度かそう言っていたし。
まあ、いってもいいか。それに向こうで起きてることが同じなら、放っておけない
「大丈夫」
「分かりました」
真凛が短く返事をして、封筒の中身を、もう一度確認し直した。
霧島が顔を上げた。
「ありがとうございますっ。本当に、ありがとうございますっ。じゃあ、まず一件目のC-243、明日の朝七時にこちらにお迎えに来ます。車で甲斐佐野町に向かいましょう」
「早いな」
「ですよねぇ。すみません」
霧島がスマートウォッチをちらりと見た。通知の光が手首に走る。
「あ、本省からです。失礼してもいいですか」
席を立って、引き戸の向こうに出ていった。
真凛が、ふっと息を吐いた。
「篠塚さん」
「ん」
「あの霧島さんって、こちらのペースを乱してくるのが得意ですね」
「俺もそう思った」
「深く裏読みをするのもなんですが、彼女少し気を付けた方が良いと思います」
「だな」
真凛が、もう一度、封筒の中身を、机の上に並べた。
安藤局長の判子が押された書面。三件の現場概要。漏出ルート。対策室の予算枠の根拠条文。
ちゃんと、揃っている。
引き戸が開いて、霧島が戻ってきた。
「あ、お待たせしましたぁ。じゃあ、明日の朝七時、よろしくお願いします」
霧島がにこっと笑って、コーヒーをぐいと飲み干し、トートバッグを肩にかけて、立ち上がった。
「あ、それと久我さん。追加の書面、夕方に届けておきますね。ぜったい、後悔させませんから!」
引き戸が閉まり、霧島が出ていった。外で白いハッチバックのエンジンがかかり、車が走り去っていく。
真凛がタブレットを置いて、湯呑みに口をつけた。
腹が減った。昼、何かを食おうか。




