三人の持ち場
超深層種の映像が管理局に届いた翌日、安藤から電話が来た。
右手がまだ痛い。握れば動くが、力を入れると昨日の衝撃が手首から肘にかけて残っている。朝、卵かけご飯を作ろうとして卵を割ったら、殻が手の中で砕けて、黄身がシンクに落ちた。
……まったく年は取りたくないものだ。
園田から朝一番にメッセージが来ていた。「昨日の映像、全フレーム確認しました。それと篠塚さんは今日は安静にしておいてくださいね」
次に、安藤の電話に出た。
「篠塚さん。C-087の管理体制を見直します。管理局として正式に、C-087探索班と継続的な協力体制を敷きたい」
「条件は」
「深層の定期モニタリングを探索班に委託する形です。報酬は管理局の委託費として支払います。事前申請は撤廃。ただし、異常が出た場合は即座に報告してもらう」
事前申請の撤廃。大きい。真凛がずっと交渉していた線だ。
「真凛に詳細を詰めさせます」
「お願いします。それと、スフィアの共同管理権の主張については——局内で法務を確認した結果、根拠なしと判断しました。公式に回答を出します」
安藤の声が淡々としていた。だが、この一言の重さは分かっている。管理局がスフィアの主張を正式に退けた。黒沢常務の法的ルートが塞がれた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。超深層種の映像がなければ、ここまでの判断は出せなかった」
電話を切った。真凛に伝えた。真凛の表情が、一瞬だけ変わった。目が細くなった。それだけだ。
「篠塚さん。委託契約の書面を作ります。管理局側の条件を精査して、不利な条項がないか確認します」
「頼む」
「園田さん。深層モニタリング用の測定プロトコルを組んでもらえますか。管理局の安藤さんと機材を揃えたほうがいい」
「了解です。安藤さんのメールアドレスをもらえますか」
「送ります」
三人が動き始めた。
*
吉田食堂。昼過ぎ。定食ではなく、蕎麦を頼んだ。じいさんが出してくれたのは、ざるそば。海苔が細く刻んで乗っていて、つゆが冷たい。蕎麦を手繰って、つゆにくぐらせて啜った。蕎麦の香りが鼻に抜ける。つゆの出汁が効いている。手が動かしづらいが、その不自由さに少しは慣れてきた。
「遥一」
「ん」
「お前、最近ちょっと痩せたか」
「そうか?」
「頬がちょっとこけてる。食え」
じいさんが天ぷらを一個追加で出してくれた。かぼちゃの天ぷら。衣がさくさくで、中が甘い。
食べながら考えた。
真凛が対外交渉と法務を持つ。園田が技術と記録を持つ。俺が現場判断と探索を持つ。
最初は俺一人だった。一人で潜って、一人で帰って、一人で飯を食っていた。
今は三人だ。三人分の仕事がある。三人分の責任がある。三人分の飯がある。
*
夕方。アパートで三人が揃った。真凛が委託契約のドラフトを広げた。園田がモニタリングプロトコルの叩き台を出した。
「探索班の役割分担を正式に決めましょう」
真凛が切り出した。
「篠塚さんが探索班代表兼主任探索者。現場判断の最終決定権を持ちます。私が班の対外交渉と事務管理を担当。管理局、企業、メディアとの窓口です。園田さんが技術・記録・装備管理を担当。深層のデータ解析と機材の保守を受け持ちます」
「異議なし」
「異議なしです」
「これを管理局の委託契約書に併記します。役割が明記されていれば、外部からの介入を制度的に防げます」
真凛がペンを走らせた。書類の上に三人の名前と役割が並んだ。
園田がコーヒーを淹れてくれた。三人分。
園田がマグカップを渡す時、俺の右手を見て、取っ手を手前に向けて置いてくれた。
真凛がペンを止める。
俺の脇腹に一瞬だけ視線を落として、すぐ書類へ戻す。
「異常濃度時の単独突入禁止。記録担当の退避権。現場判断による即時中止権。この三つは入れます」
「……そこまで書くのか」
「書かないと、また勝手に入りますよね」
「入らないとは言い切れないな」
「なので、書きます」
青いマグカップを受け取った。——いや、これは園田のカップだ。
「園田、それ俺のじゃない」
「あ、すいません。間違えました」
取っ手の欠けたマグカップに持ち替えた。コーヒーを啜った。苦い。
持ち場が決まった。あとはやるだけだ。




