40話 映画版『まどか☆マギカ』でみるファンサについて
本日はまどか☆マギカの映画で視聴者様・読者様に対して、作家のファンサについて考察してみます。
「ファンサ」嬉しいと思います。
コンサートの時、きっと、推しから目線をもらうと嬉しいですよね。自分ではないのに「自分だ」と思ってしまう――あれ、妄想じゃない!
実際は「現場」には行ったことないけれど、ファンサ混同を避けるために『同担拒否』するって感情は分かるような気がします。
いつも、適当な書き出しの相馬ゆうです。
本日は前回に続き「まどか☆マギカ」を。今回は映画版です。
とはいっても、映画版「まどか☆マギカ」には複数あり、本編をまとめたものと「新編 反逆の物語」があり、今回は「新編 反逆の物語」です。
あらすじ
本編のアナザーストーリーのような始まり。本編とは違い、「魔女」ではなく「ナイトメア」と戦う魔法少女たち。
しかし、違和感が……。
というものです。これ以上語るのは、ほかの考察に任せます。
構成・特徴としては
・違和感が少しずつ描かれており、作画がその違和感を浸食していく。
・スイッチの入り方が“カン”が悪くてもわかりやすい。私でも「なんとなくここかな」と分かります。
・答えは明確なようで情報処理が初見では追いつかない。何度も観るたびに発見がある。
という工夫が随所に描かれている。
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とはいえ、小説では作画表現はできないから、なかなか小説として落とし込むって難しいですよね。
でも、学べるのは「ファンサ」です!
「ファンサ」で一番特筆するべき点は、主役たちの魔法少女5人が早めに総ぞろいしてるところ。実は、原作では5人そろって登場しないんですよね。
それだけでも、本編を見た視聴者が救済される。
「ファンサ」がスゴいんです。
また、マミさん目立ちすぎ!
かわいい!
それに、バトル描写が映画なのでとても凝っている!
バトル描写に関しては、本編を大幅に上回って、さすが「映画」って感じです。
救いがあるストーリーでも救われないストーリーでも、ちゃんと「ファンサ」している作品って、原作者の読者への愛が伝わってくる。
どうしても、好きな作品を書いていると、読者目線から作家が離れてしまう。いけないいけない、と思ってしまう。
連載を始めて分かったんですが、読者様のありがたさ、本当に感じていると思います!
おそらく、「ファンサ」って媚びじゃない!
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ヒット作のパート2がこけるのって、ここを外した瞬間なのかもしれません。
「続けること」や「派手にすること」そのものがファンサだと勘違いしたり、マーケティングの匂いが前に出たりする。
ファンって、消費されてると感じた瞬間に冷めてしまうんですよね。
また、一時期、「●話構成の映画です」って言うのが流行ったけど、なんか冷めてしまう。
でもサブスクで見られる時代になって、意味をなさなくなったのか、最近はあまり聞かなくなりましたね。
あえて言います、「ざまぁ」。
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ちなみに、スピルバーグの名作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は別格ですけど……。
しかーし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を、友人に3作連続で一挙見させられて、名作なのに、つらかった経験をしたトラウマがある相馬ゆうでした。
次回は、伏線回収の妙「薬屋のひとりごと」のアニメ版か、ネット時代の新しい「興味の継続性の可能性」を示した問題作「推しの子」の構成のどちらかです。
あと、好きな少女漫画の好みについて簡単に自己紹介軽いの話そうかな。
少し古めの作品ですが、まどか☆マギカはご覧になられましたか?
好きなキャラとかいれば簡単でいいのでお待ちしてます。
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