Une ambition épouvantable (ヤッフォン教授視点)
一体どこから調達してきたのか分からない大きな馬車に、一体どこから連れてきたのか分からない大勢の女達を乗せて、ラーズは御者台で手綱を振るう。
この男は馬の扱いも人並み外れて上手い。
私はその隣に座り、流れていく景色をぼんやりと上の空で眺めていた。
「おい、何を暗い顔をしているんだ?教授」
「……」
「当ててやろうか?勇者の事を考えてるんだろう?あいつ――そうだ、ケンイチの事を」
「!」
ずばりと言い当てられて、私は息が詰まる思いがした。
この男は、何故こうも人の思考を読み取ることに長けているのだろう?
「図星だな?おいおい、魔王の隣で勇者の事を考えるなんて、とんでもない浮気者だぜ」
「わ、わ、私の研究……勇者典範の解読……お、お、お前が現れるまでは人生そのものだった……」
「未練がましいな。いいじゃないか。勇者のことなんか忘れちまえよ。魔王と一緒にいるほうが楽しいだろう?有り余るほどの女、持て余すほどの自由!退屈さだけを除けばバラ色の人生じゃないか?」
そう。
その持て余す自由こそが、この男の魔王たる所以なのだ。
ただ己の欲するところを為す。
他者への慈悲や思いやりの心など微塵も無い。
事実、ここへ至るまでにすでに五人もの女を馬車の外へ放り出している。
可哀想に、他の女達はそれを目の当たりにして、今ではラーズの一挙手一投足にすっかり怯えきっていた。
「親分」
「んん?」
「さっきの話ですがね……」
馬車の窓から、カエル顔の男が浮かない顔を見せる。
彼の名はコリンチャ。
貿易都市ベデヴィアにおいてラーズの手下として働いていた男だ。
ラーズの館から大量の金貨を持ち逃げしようとしていたところを、不運にもラーズ本人に見つかってしまい、無理やりこの旅に同道させられる事になった。
「あっしぁ、どうにも上手くいく気がしねぇんですよ」
「俺もそう思う」
「そ、そんな!バレたらぶち殺されますぜ!?」
「お前がな」
「お、親分……」
「だ・か・ら!バレないように上手くやれってことさ。大丈夫、死ぬ気になれば何でもできるもんだ」
泣き出しそうな顔のコリンチャを振り返りもせずに、ラーズはニンマリと笑みを浮かべて馬の尻に鞭を入れる。
この男が一体何を企んでいるのか、私には皆目、見当もつかない。
それが彼なりの退屈しのぎの一環であることだけは疑いようの無いところだろう。
己の命も他人の命も、興味が向けば簡単にチップに換えて、くだらないことに賭けてしまう。
巻き込まれる方は気が気ではない。
と、ここで急にグン!と馬車は進路を変え、南西の方角へ向かい始めた。
「……ま、ま、待て……ま、ま、魔法塔へ行く道はそちらではない……」
「知ってるよ」
「な、な、何をしている?よ、よ、寄り道は避けた方がいい」
「『急がば回れ』って言葉があるだろ?昨日、もっと早く魔法塔へ行く方法を思いついたんだよ」
「そ、そ、それは何だ……?」
「今に分かる。あんたは黙って俺に合わせてるんだ。いいな?」
念を押されて、私は頷くしかなかった。
そこは大きな屋敷だった。
馬を止めたラーズが、門兵二人に近付いていって、しばらく話しこむ。
すると男達は互いに首を傾げながらも屋敷内へ向かい、やや時間を置いて戻ってきてから我々を敷地の奥の、石造りの狭い部屋へと案内した。
その部屋の雰囲気からして、どうやら歓待されることは無さそうである。
そこでしばらく待っていると、見上げるほどの大男が舌打ちをしながら入ってきた。
「ちっ、使えない門兵どもが……」
「やあ、どうも」
ラーズが立ちあがって、にこやかに握手を求めたが、相手はそれを完全に無視する。
「で?何なんだ、お前達は?ここがムウサ帝国の北方進駐軍本部だと知ってのことなのか?」
大男がこちらに恐ろしい睨みを利かせながら言う。
黒いアンダーシャツの袖から覗く丸太のような腕には、歴戦の兵ならではの大小様々な傷が刻み込まれている。
何故だ……?
よりによって、何故、こんなところへ……?
私はラーズの考えが全く理解できず、ひたすら身を固くして大男の凝視に耐えるしかなかった。
「もちろん存じてますよ」
ラーズはその威圧に一切怯むことなく、いつものように余裕めいた笑みを浮かべたまま応じた。
相手はそれが気に入らないようで、眉間に皺を増やしながら、熊のように巨大な手をバキバキと鳴らす。
「だったらここが観光名所じゃないことも理解しているわけだな?ペテン師野郎が物乞いに来るにはふさわしい場所じゃないってことも理解できているか?」
「ま、そのようですな」
「帰れ!今すぐにな。それとも悪名高いムウサ帝国の拷問法を堪能していくか?命乞いをしていたはずの囚人が五分後には殺してくれと懇願する、あれを?」
「まあまあ」
ラーズは両手を広げて害意の無いことを示した。
「とりあえずお話だけでも聞いてみてはいかがですかな?その上で、こちらの軍の提督様に取り次いでいただきたい」
「その必要はない。提督はご多忙だ」
「とりあえず優先的にこちらの用を済ませたほうがいいと思いますがね」
「遠回しな物言いはやめろ。自分の立場を分かっているのか?」
「では、単刀直入に申しましょうか。こちらにおわす、この御方……」
ラーズは少し身を引いて、コリンチャを示す。
コリンチャは額に大粒の冷や汗を浮かべながら、大男に向けてひきつった笑いを作って見せた。
「そのチビが何だと?」
「これ、口を慎まれよ。この御方こそはマルダン帝国、カスティエリ皇帝の御落胤。コーリンチャ様であらせられるぞ」
な、何という……
私は目の前が真っ暗になるような眩暈を覚えた。
本当に、この男は何を考えているのか?
大男はラーズの言葉を聞いて、私と同様に呆気にとられたようだったが、まじまじとコリンチャの顔を見つめ、続いてもう堪え切れないと言った様子で大声を上げて笑いだした。
「うはははは!面白い!俺はてっきりお前達がイカレた自殺志願者の集団かと思っていたんだがな?まさか、サーカス団だったとはな!うはははははは!」
「コーリンチャ様、かくなる無礼者をいかがいたしましょうや?」
「あ、ああ、えーと、う、うむ、よきにはからえ」
「貴公、コーリンチャ様はその海よりも深い慈悲によって貴公の無礼を許すと仰られる」
「うははははは!まだクサい芝居を続けるのか?度胸のある奴らだな?わかった、では、証拠を見せろ!」
ラーズはニヤリと笑い、コリンチャの腰に差してあった剣を恭しく受け取り、それを大男の前に掲げて見せた。
「これこそは皇帝様がコーリンチャ様の御母上に授けられた剣である」
「何?」
「貴公も軍人ならば、それがどれほどの拵えの剣であるかはお分かりでしょう。剣の柄をご覧ぜよ。マルダン帝国の紋章であるアラベスクが輝いておりましょうが」
「……」
「加えて、こちらの御仁をどなたと心得るか。ベデヴィア・アカデミーの名誉教授、ヤッフォン・ダフォン殿であるぞ。ヤッフォン教授はコーリンチャ皇子の後見人でもあらせられる」
「……しばし、しばし待っておれ!」
大男は剣を掴み、慌ただしく部屋を出ていった。
おそらくは上官へ指示を仰ぎに走ったのだろう。
こんな途方も無い話についてほんの少しでも真偽の判別を戸惑うということは、あの男もさして頭の回る方ではないようだ。
だが……
「マ、マ、マルダン帝国……」
「おいおい、嘘だよ。剣は本物だがね」
「わ、わ、分かっている……し、し、しかし一体、どうやって?あ、あ、あの剣は何だ?」
「あれはケンイチの置き土産さ」
「な、な、なぜ、彼がそんな剣を持っている……?」
「さあね。だが、ガキのくせに人徳のある男みたいだからな。意外と本当にマルダン帝国の皇太子と知り合いなのかもしれんぜ」
いや、問題はそれ以前のところにもある。
「い、い、異世界の住人であるお前が……マ、マ、マルダン帝国の紋章を何故知っているのだ?」
「あん?ゼータの部屋に積んであった山のような本を見なかったのか?」
あ、あれを……読破したというのか!?
ざっと見積もっても三千冊はあった、あれを?
「『世界貴族名鑑』もあったし、『マルダン帝国史』もあったな。おまけに昨日読んだ新聞に『ムウサ帝国の辺境侵略、ドラゴン騎士団の脅威』の文字が躍ってたんでね。コイツは面白そうだと思ったのさ」
「……も、も、文字を読めるのか?こ、こ、この世界の文字を……」
「そこがこのラーズ・ホールデンの凄いところでね。どんな難解な文字でも三日もその国にいれば自然と覚えちまうのさ」
な、なんという恐ろしい男なのか……
腕力も胆力も必要以上に持て余しながら、その上、恐るべき知能をも兼ね備えている。
こんな男が魔王になってしまったという事実に、私は今更ながら、背筋の凍る思いがした。
アルヴァンの魔法塔……あそこへ……
あそこへこの男を案内してしまって、本当に良いのだろうか……
私の煩悶を遮るように、バン!と扉が開いた。
「こちらです、ハルジャ様」
「ん」
大男を従えて部屋へ入ってきたのは、立派な顎鬚を蓄えた初老の軍人であった。
胸にジャラジャラとぶら下がっている大小様々な勲章は、この男の持つ戦功の豊富さと階級の高さを雄弁に物語っている。
彼は席に着くこともなく、じろりと私達を見回し、大きく溜息を吐いた。
「わしがムウサ北方進駐軍提督のハルジャである」
なんと!本当に現れるとは!
あの軍事大国の提督が……!
「御目通りが叶い、恐悦至極でございます、閣下」
「話はこのランシブから聞いた。マルダン帝国の何とやらだと?」
「ここにおわすコーリンチャ様が、マルダン帝国皇帝の御落胤……」
「ふん」
ハルジャ提督の反応を見る限り、どうやら部下の話を鵜呑みにしているわけではなさそうだった。
むしろ、マルダンほどの大国の隠し子を名乗る連中がどういった手合いかを興味半分で見に来たという程度だろう。
「で、何が望みだ?金か?」
提督は単刀直入に切り出した。
「話が早くて助かりますな。こちらの要求はこうです。そちらの御自慢、ドラゴン騎士団……」
「何……?」
「コーリンチャ様はわけあって旅路を急いでおります。つきましてはパルミネの港町まで、瞬く間に千里を飛ぶと言われるドラゴンの背に乗せて頂きたいのです」
馬車ではなく、ドラゴンを使ってパルミネに行こうというのである。
先程の言葉……『急がば回れ』とはこういうことだったのか。
しかし、おお、なんという突拍子もない考えであることか!
「ふざけるなよ!ペテン師風情が!」
大男が額に青筋を立てながら叫んだ。
当然の反応である。
「我が誇り高きドラゴン騎士団を、旅の足に使おうというのか!?」
「おや、よろしいのですか?国際問題になりますぞ?いずれは世界に覇を唱えようという貴国といえども、今の時点でマルダン帝国と事を構えるは得策とは言えますまい?」
「黙れ!いつまでその猿芝居を続ける気だ!!」
「やれやれ……」
ここでラーズが動いた。
何でもないような緩やかな歩みで大男の前に立ち、にやりと笑う。
次の瞬間。
「げぇっ……!」
まさに電光石火の一撃であった。
ラーズが、大男の喉に深々と手刀を突き込んだのである。
意識を失い、白目を剥いて崩れかける男の頭をラーズは手で掴み、それを勢いよく石壁に叩きつける。
グシャッ!という不快な破裂音とともに壁一面に血が飛び散って、大男はズルズルと床に力無く倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。
無駄な動きの一切ない、完璧な手際であった。
「な……」
提督は目を見開き、後ずさる。
ラーズはそちらへ向けて、ニヤニヤと笑いながら一歩ずつ歩み寄った。
「分を弁えぬ部下をお持ちになると、さぞ、ご心労も多いことでしょう。お察しいたします、閣下」
「う……誰ぞ!誰ぞある!」
提督は悲鳴にも似た声を張り上げる。
ラーズはそれを聞いて慌てた様子も無く、腕を伸ばして提督の襟を掴まえると、ぐいと引き寄せて部屋の扉を閉めた。
「あっ、な、な、何をする!?」
「あんたがこっちの要求を呑めば、この部屋から生きて出ることができるぞ。交渉決裂なら、そこの大男と同じ目に合わせる。どうする?」
「よ、要求?」
「もう一度言うぜ。俺はドラゴンに乗りたいんだよ。せっかく異世界に来たんだしな」
「ドラゴン……」
「そうさ。それだけさ。減るもんじゃないし、良いだろう?」
「ほ、本国の正式な宣戦布告も無しに、私一人の権限で他国にドラゴン騎士団を飛ばすことはできん」
「お忍びで陣中を訪れたマルダンの皇太子が、それを望んだってだけさ。あんたは外交上の摩擦を回避するために、止むを得ずそれに応えた。どうだ?これだけの言い訳が整えば、あんたの尻には火はつかんだろう?」
私も、横に突っ立っているコリンチャも、口をあんぐり開けて事の顛末を見守ることしかできないでいた。
すると部屋の外にガシャガシャという金属音が近付いて来て、扉の前で止まった。
兵士が、先程の提督の悲鳴を聞きつけて走ってきたのだ。
「ハルジャ提督、どうなさいました?」
扉の向こうから、兵士が問いかけてきた。
ラーズは顎をしゃくって、提督に言葉を促す。
「……ド、ドラゴンを手配せよ。マルダンの皇太子殿がドラゴンを所望だ」
「ドラゴン、ですか?しかし……」
「いいから、早くしろ!」
「はっ!しかし提督、ドラゴンライダーは本国に帰還しております。召還するには三日ほど……」
「何……いや、アガシがおるだろう!アガシを呼び戻せ!今すぐだ!」
「は、はっ!承知いたしました!」
扉の向こうでガシャガシャという音が慌ただしく去っていき、静寂が訪れた。
「そう、それでいいんだよ、提督。やればできるじゃないか」
「お、お前たちはいったい何者だ……?何が目的だ……?」
提督は震える声で言った。
ラーズはその問いにニヤッと笑う。
そして、万雷の喝采を一身に浴びる役者のように、両手を大きく天に向かって広げた。
「俺は『魔王』……魔王ラーズ……魔王の目指すものは一つだけ……そうだろう?」
「?」
「世界征服さ」
世界征服……
その言葉を、ラーズは今まさに、はっきりと口にした。
実に陳腐な言葉だが、この男ならば、それは決して不可能ではないだろう。