次元の狭間で遊ぶ猫だと?
そこにいたのは本当にヘンな生き物だった。
どうヘンなのか、どこから説明したものか……まず、道にどっしりと寝そべっているその巨体はまるで毛の生えた小山のようだ。
だが、まるきり未知の生物という風情でもなくて、こっちにだらしなく放り出している手足の裏についている肉球と、時折ぶるんと揺れる大きな尻尾を見るかぎりは、この生物のベースは猫のようでもあるように思われた。
(だが、こいつは猫じゃねぇ……!)
なぜなら、その身体には異様に長いキリンのような首がついていて、その先に乗っている小さな頭は鹿のような立派な角を生やしているのだ。
顔は猫だ。
でも、見た感じは全然猫じゃない。
(うへぇ、気持ちワルイな……シシ神様か?)
と、その時、そのシシ神様がこちらへクルリと首を向けた。
「うぉ!」
「……」
じーっと金茶色の瞳が俺を見つめ、そして、口元がにやりと笑った。
その不気味なること筆舌に尽くし難し。
俺はこのまま命を吸われてしまうかもしれない……
「お前……」
「!?」
しゃ、喋った……だと……!?
俺はうなじの毛がざわっと逆立つほど戦慄した。
猫?は気にせず続ける。
「お前は勇者か……?」
その老女のような声は妙に落ち着いていて、澄んだ響きを持っていた。
「お前は誰にこの地の事を聞いたのだ……?あの酔いどれか?」
「は?」
「それとも……カーッ!」
「うぉおっ!?」
カーッ!という凄まじい喝を真正面から受けて、俺の身体は大きく仰け反った。
まるで肉体から魂を押し出されたような衝撃!
感覚としては重たい岩をぽんと胸元に投げ渡されたような感じだ。
俺はヨレヨレと後ずさって、その場にぺたんと尻餅をつく。
「ふむ……踏みとどまるほど豪胆でもなければ、逃げ出すほど小心でもないか……」
猫?は一人で勝手に納得しながら、また目を細めて笑った。
「あの……」
「カーッ!」
「うへぁぁぁぁっ!?」
再び腹にずしりと響く衝撃に吹き飛ばされて、俺は地面に這いつくばった。
「何だ、異世界の勇者よ」
「あ、あなた様は一体……」
頭を地につけるような格好で、猫?に対して恐る恐る敬語で接する俺を無様だと思わんでくれ。
あの内臓を直撃するようなカーッ!を食らうと、こんな風に低姿勢になるのも無理はないのだ。
それでなくても、この猫?には神のような恐るべき威厳が漂っていて、傍にいるだけでも妙な息苦しさを感じる。
「私か?私の事を知りたいのか?」
「い、いや、仰りたくなければ全然OKっス!余計な詮索は一切無しってことで、ネ!……ハハハ」
「知りたくないのか」
「し、知りたいと言えば知りたいですけど……」
「カーッ!」
「おあぁぁぁぁぁっ!?」
「はっきり言え」
「知りたいっス」
「もう一度言え」
「知りたいっス!」
「ならば教えてやろう……」
猫?は遥か彼方の追憶の海へ思いを馳せるかのように、その瞳を閉じた。
「あれは今から二千年以上も昔の事……天と地は二つに分かれ、神族と魔族の間では血で血を洗う戦いが繰り広げられていた……」
「はぁ……」
な、何だか壮大な話になってきたな……
「戦いはいつ果てるともなく続き、その戦禍の拡大につれて世界は崩壊の危機に瀕していった。だが、ある日、その戦いに終止符を打つ者がついに現れる……それが神勇者ヒューバートだったのだ……」
「……」
「後は何か聞きたいことはあるか」
「え……?」
い、今ので終わり……?
こっちの質問に全く答えてねぇじゃん!
ヒューバートって一体!?
そもそも誰がそんな厨二っぽい設定を聞かせてくれっつったんだよ!?
そして結局、お前は何者なんだ……
だが、そんなことは言えるワケがないので、俺はぐっと堪えて無理やり笑顔を作った。
「凄いッスね。ヒューバートは」
「よせ。ヒューバートを軽々しく語ってはいけない」
ヒューバートの話を軽々しく振ってきたのはテメェだろうがぁぁぁぁぁ!
とも言えないので、俺は頷いて見せた。
「ス、スイマセン……」
「カーッ!」
「どわぁぁぁぁあっ!?何故っ!?」
「理由は無い。これをやるとスッキリする」
「り、理不尽にも程がある!」
猫(?)は俺を見てニヤニヤと笑い続ける。
くそぅ、いいからそこをどけよ、この野郎!
「あの、実は僕達、この道を通りたいんで……」
「どけというのか」
「いや!決して、そんなワケでは……」
「どかなくてもよいのか」
「えーっと、それも困ります……」
「はっきりしろ」
やべぇやべぇ、はっきりしねぇと、またあのカーッ!が来るぞ!
「どいて下さい!」
「よかろう」
あれ、やけにあっさりと……
猫?はゆっくりと起き上がり、俺の方を向く。
「勇者よ、私の名を覚えておけ。私の名は『次元の狭間で遊ぶ猫』……」
「じ、次元の狭間……?」
「お前がその資格を持つ者ならば、いずれまた会うことになるだろう……」
言いながら、猫の身体はゆらりゆらりと少しずつ透けていって、やがて、その巨体は完全に見えなくなってしまった。
まるで、霧の中に溶け込んでしまったかのようだ。
そして、声だけが霧の中にこだまする。
「お前は選択をすることになる……人生を決める選択を……命の選択を……」
「ど、どういうことだ!?」
「時を待て……時を……」
声は完全に聞こえなくなって、俺はその場に呆然と立ち尽くした。
それと同時に霧が徐々に晴れていって、自分が今、そり立つ断崖に囲まれた渓谷にいることに気付く。
「な、なんだったんだ……一体……」
「結局何だったの?」
「さぁ……って、うおお!」
気がつけばすぐ後ろにマイ・ファニー・プルミエルが。
「み、見てたのか?さっきの気味の悪い生き物を」
「ちらっと影しか見えなかったわ」
「超ヘンな生き物だったよ。『次元の狭間で遊ぶ猫』らしいぜ。ハハハ、何ソレって感じだよな――」
「次元猫ですって!?」
「うお!?ど、どうした!?」
急に彼女が大きい声を出したので、俺はびっくりしてしまった。
危うく腰が抜けて転びそうになったのは、さっき散々食らったカーッ!の後遺症だろう。
「次元猫って!『勇者典範』に書いてあった!」
「な、何ぃぃっ!?」
あ、あの気持ち悪い生き物が勇者典範に!?
そんな重要なキャラだとは……
だが、思い当たるフシもある。
俺がそうだと名乗らなかったというのに勇者であることを一発で見抜いたことといい、未来を予見するような意味深な発言を残して去ったことといい、まるでこっちの事を知り尽くしているかのようでもあった。
「そ、その次元猫は一体、勇者の何なんだ?」
「……さぁ」
「へ?」
「勇者典範には『次元の狭間で遊ぶ猫がいる。それは時忘れの庭で勇者を待つ』としか」
「時忘れの庭……?」
「たぶん、ジャパティ寺院にあるんじゃないかと思ってたのよ、私は」
「……でも、ここで出会ってしまった……ってのはどういう事だ?」
「どういうことかしら?」
「俺にその資格があれば、また会うことになるとは言っていたけど……」
「……ああっ!不覚だわ!見たかったなぁ、次元猫……」
プルミエルは地団太を踏んで悔しがる。
探究心の強い彼女には気の毒だが、めんどくさい事を俺に押しつけた罰だ。
「次元猫は他に何か言ってた?」
「実のある会話は一切していないよ。神勇者ヒューバートがどうのとか……で、最後には予言みたいのをしていって……」
「予言?」
「俺は決断しなければならないって……人生を決めるとか、命の選択だとか……」
命の選択……実際に口にすると、とても不安になる言葉だ。
今まで深刻に考えなかったけど、この世界に来てから俺はいつだって綱渡り状態だ。
一時間おきに更新する余命。
手探りで進む目的地。
いや、その目的地に着いたって実際のところ何があるかも分からないんだ。
命の選択?
何を?
何をしなきゃいけない?
選択?
選択を間違ったら死ぬとか?
死ぬ……?
……とても、不安になった。
「……何だよ、命の選択って……」
「ケンイチ」
「え?」
「せいっ」
呼ばれて顔を向けると、目の前に凄まじい勢いで拳が飛んできて――
「おぼぉっ!?」
それが俺の鼻骨をへし折らんばかりの強さで叩き込まれた。
グショォアッ!という鈍い音。
手加減など微塵も無い。
俺が不死身だから良かったが、そうでなかったら昏倒して一週間ほど生死の境を彷徨っていただろう。
「な、何故だっ……!?」
「いや、暗い顔してたから」
「それだけで!?」
「……ま、あまり真剣に考え込むんじゃないわよ。ケンイチのくせに」
「へ?」
「いつだって人は選択をしながら生きてるのよ。結果としてそれが運命だの人生だの呼ばれるだけでしょ」
「……」
「あなたが今、ここで自分の舌を噛み切って死ぬのも『命の選択』よ。でも、しないでしょ?それはあなたがそう選択してるから。時と場所が違っても同じことよ」
「プルミエル……」
「あなたは自分で選択して、今、ここにいる。ちゃんと生きてる。自分の意思で。何も不安なことなんてない」
すごく簡潔な言葉の数々だけど、説得力があった。
そうだよ。
俺は何度か死にかけたけど、それでも、いつだって何とかうまくやってきたじゃないか。
自分の意思で。
自分の力で。
皆と一緒に。
「そうだよな……ありがとう。元気になったぜ。俺は俺だ!イッツ・マイ・ライフ!」
「よろしい」
そう言ってツンと薄い胸を張るプルミエルは、俺の目にとても眩しく見えた。
彼女はいつも俺を正しいフォースへと導いてくれる。
その献身ぶりはまるで……いや、まさか……本気で俺の事を……?
「ていっ(みぞおちにエルボー)」
「うぶぅふ!今度は何だっ!?」
「不埒な事を考えてそうだったから」
……彼女はエスパーなのか?
「ほれほれ、馬車に乗る!先に進むわよ!こうなったら何としても次元猫に会ってやるんだから!」
「お、おう!」
人生の決断?命の選択?
おお!上等だ!
とりあえず景気づけに勇者タイムを更新してやるぜ!
そう思った矢先に――
「た、助けてくれェ!ケンイチ、殺人マシーンじゃ!奴が来るんじゃあぁぁぁ!」
そう叫びながらこっちに向かって必死に走ってくる老師の背後に、目を光らせながら拳を高速回転させているR-18の姿が見えた。
まったく、しょうがないな……




