渓谷がヤバいらしい
朝帰りというのは男にとって非常に気まずいものらしい。
確かにそうだ。
俺も今、奇妙な後ろめたさを感じながら、老師と二人で藪の中から馬車を遠巻きに眺めていた。
朝早いから、まだ全員あの中で寝ているんだろう。
「ワシはあくまでもさりげなくやり過ごした方が良いと思う」
老師が言う。
「こういうのは隠し立てしたりすると逆に修羅場になるもんじゃ」
一理あるな。
「『メイド喫茶に行って朝帰り』などと……白い目で見られる事は必至じゃが、真摯な気持ちでもって事情を説明すれば、きっと我々の誠意は伝わるはずじゃ」
「そうッスね。そもそも本物のメイド喫茶じゃなかったんだし……」
俺と老師は藪の中からすっくと立ち上がり、覚悟を決めて馬車へ向けて歩き始めた。
その時――
「あ、メイド喫茶に行ったまま朝まで帰ってこなかった人達だ」
「うひぃ!」
俺達は突然背後からかけられた声に驚いて、3mほど垂直に飛び上がる。
声の主はアリィシャだった。
「うわあ、あっはは、すっごい飛んだねぇ」
「び、び、びっくりした……」
「なんで?」
キョトンとした彼女の顔を見るだに、どうやら先程の言葉に特別な悪意は含まれていなかったらしい。
俺はひとまずホッとして、アリィシャに近寄った。
「ずいぶん朝早いんだ」
「へへ、まぁねっ。ボクは早寝早起きがモットーなの」
「……ところで昨日の夜、プルミエルやメイヘレンは何か言ってたかな?」
「へ?」
「ケンイチはスケベだとかエロスの申し子だとか淫獣の牙だとか、そういう罵詈雑言の限りを尽くして俺を貶めたりはしていなかったか?」
「うーん、言ってなかったと思うなぁ。ずっとあのR-18をいじってたみたいだよ」
「あいつか……」
俺は本日二回目のホッと同時に、R-18へのちょっとした嫉妬に襲われた。
あんなポンコツロボットのどこが良いんだ?
俺のほうが男前だし、なんたって異世界の勇者だぜ!
「おお、メイド喫茶に行って朝まで帰ってこなかった異世界の勇者じゃないか」
「うひぃ!?」
俺は再び3mほど飛び上がった。
今度の声はメイヘレンだ。
「ふふ、まったくエロスボーイめ。私の渡したお金でずいぶんと楽しんできたようだね」
「ち、違うッ!決してやましい事は何一つしていない!ね!老師!?」
「そうじゃ!結局メイドはおらんかったし!」
「泣き寝入りだよ!俺達はよぉ!」
「ま、そういうことにしておこうか。ふふ……」
そ、その意地の悪い微笑みときたら……くそっ!
「あ、メイド喫茶に行って朝まで帰ってこなかった性の虜囚たちだ」
「はーん!やっぱり!」
絶対この一連の流れでプルミエルが出てくると思ったんだよ!
そしてその予想は当たる。
「プルミエル、信じてくれ!俺達にやましい事は無い!」
「どうでもいーわよ、そんなの。昨日は完徹でR-18をいじくり回したから眠い眠い……」
「ど、『どーでもいい』って……」
それはそれで寂しい言葉だ……
馬車は順調に走り、森を抜け、渓谷にさしかかる。
眠い眠いなんて言いながら、プルミエルは熱っぽく俺に昨日の成果を語り続けていた。
「……と、いうわけでこのR-18はアルヴァンの作り出したものではない可能性が高いのよ。これは凄いことよ。コントロールする人間無しで自律的に行動するようなハイスペックの魔芯兵器を、スハラム・アルヴァン以外の人間が作ったなんて!」
「……」
俺も老師も一応ウンウン頷いては見せるが、寝不足の頭では彼女の語る内容の半分も分かっちゃいない。
「では、誰が作ったのか?それが問題ね。なにせ当のR-18自身が分からないという以上はどうしようもないわ。でも、私はそれを解明して見せるわ!」
俺の脳裏によぎったのは、R-18を起動させた時に画面に映ったあの少女。
あれがたぶん製作者なんじゃないかな。
でも、それを話すと長くなりそうなので、その話題は次の機会にしたい。
「凄いぜ……頑張れよっ!ところで俺と老師は昨夜から一睡もしていないから寝たいぜっ!」
「マスター、オヤスミニナル前ニ、勇者タイムヲチャージスルコトヲオススメシマス」
「ん?もうそんな時間か?」
『06:11』
「まあ、そうだな……」
「セイ!」
「な!?」
俺が頷くと同時に、R-18は素早い突きをプルミエルに向かって繰り出した。
「うおおおおっ!」
俺はすんでのところで身体をねじ込み、プルミエルの代わりにR-18の重たい正拳突きを脳天に受け止めた。
「ごはああ……んっ!?ん、おおおおおおおおおおっ!?」
ヒットと同時にR-18の拳が唸りを上げて高速回転を始め、ガリガリガリッ!と俺の額を削っていく。
「うおおおおおおおっ……!」
首を危険な角度にのけぞらせる俺の背後で、プルミエルが勝ち誇ったように胸を張る。
「どーよ、ケンイチ。自律した判断能力で勇者タイムのチャージを手伝ってくれる魔芯兵器!すごいわねー?」
「いや、その凄い兵器に今まさに君は殺されようとしてたんだけど……ぶふぅ!?」
R-18はもう片方の拳をズドン!ズドン!と俺の脇腹に叩きこんでくる。
そこには一切の容赦も遠慮も無い。
コイツは俺をどうしたいというのか。
「ごふっ!……なぁ、プルミエル、げはっ!……コイツ、何でこんなにマジなの?うぼっ!」
「やーねぇ。手加減したら勇者タイムがチャージできないかもしれないからでしょ?」
「うげっ!……だが、こんなにマジだと、ぐふっ!……俺が一瞬でも遅かったら、今ごろ君はミンチになってたぜ?って、うおおおお!やめろ!目玉はやめろっ!ボディーにしろ、ボディーに!」
「勇者の腕の見せ所ね」
「マスター、勇者タイムハイカガデスカ」
『58:20』
「大丈夫だ。お前の殺戮行為を阻止することによってしっかりチャージされたぜ……やめろっ!そのドリルのようなパンチをこめかみに打ち込むのはやめろ!うへぁ!」
俺を思いっきり殴り倒してから、R-18は停止した。
「ヨカッタデスネ」
「……何がだよ……軽く二分以上も余計に殴り続けやがって……」
「デスガ、コレデアト五十分ハ眠レマスヨ。今度ハ老師ヲターゲットニシマス」
「ワ、ワシ!?ケンイチ、こいつマジ危険!」
慌てふためく老師をよそに、俺はソファーに寝っ転がった。
ま、老師ならいいか。
次に目覚めた時に、グロい死に方だけはしないでいてくれ。
そんなことを考えながら、俺がうつらうつらと夢見心地になり始めた時だった。
ギュン!と馬車全体が揺れ、急停止した。
「うおおっ!あぶねぇな!」
「何かしら?」
俺達はぞろぞろと外へ出てみた。
渓谷はいつの間にか霧が深く出ていて、どこか遠いところで水の流れる音がする。
よくもまぁ、こんな視界不良な場所であんなスピードの馬車を操れるもんだ。
「どうして止まったの?イグナツィオ」
御者台へ向かってプルミエルが訊く。
「……前方に何かいますね」
返ってきたイグナツィオの声はいつになく真剣だ。
「どこ?」
「この先です。あ、たぶん皆さんには見えないと思います」
濃霧のせいで隣に立っている人間の顔も良く分からないくらいの状態だっていうのに、イグナツィオは絶対的な確信を持って言う。
暗殺者の目ってやつだろうか?
「何がいるんだ?」
「ヘンな生き物です」
「はぁ?」
何だよ、それ。
あまりにも漠然とし過ぎてるだろ。
「どうヘンなんだよ」
「一口では言えないですね……とにかくヘンですよ」
とんちみたいな会話になってきたな。
ま、ウダウダ言ってても仕方ない。
「ヘンなだけなら無視して先に進もうぜ」
「いやあ、でも道を塞いでるんですよ。ケンイチさん、あのヘンなのをどかしてきて下さい」
「は!?なんで俺が!」
「いーじゃん、ケンイチ。どかしてきなさいよー」
「不死身なんだから気楽だろう?」
「はよ行け、小僧」
「マスター、ファイトデス」
テメェが行けよ!ちくしょう!
ロボット三原則ってのを知ってるか!?
「ほれ、ゴー!」
無責任な掛け声に背中を押され、俺は泣く泣く霧の先へ足を進める。
まさに五里霧中。
トボトボと霧の中を歩いていくと、やがてその『ヘンな生き物』の影が見えてきた。
やべぇ……結構デカいぞ……