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勇者タイム!  作者: 森田ミヤジ
「不穏な影」篇
50/109

国家の敵 パブリック・エネミー



 これは魔王ラーズが勇者ケンイチと異世界において邂逅する、約二週間前のことである。



【2011/3/28 アメリカ合衆国にて】



 彼女は当然、不機嫌だった。

 不機嫌にならないわけがない。

 激務から解放され、愛する家族と共に過ごすという、月に一度きりのとても大切な時間。

 それを、国務次官であるジム・マイルスの緊急コールによって強制的に打ち切られてしまったからである。


「よほどの緊急事態なんでしょうね?」


 彼女はリムジンで国防総省(ペンタゴン)に乗りつけ、その玄関で待っていたジムの顔を見た途端、ぴしゃりと言った。


「勿論です。私も本来であれば休暇をお邪魔するようなことはしたくなかったのですが……」

「まぁ!私が休暇中ということは覚えていてくれたのね」


 ジムは外交官としてのキャリアも長く、その天賦の才ともいえる処世術は、多くの局面で対外交渉を有利に進めてきた実績がある。

 したがって、国務長官のことあるごとに放つヒステリックな皮肉に対しても、これだから女という生き物は!という侮蔑に満ちた内心を微塵も顔には表すことなく、そのうえ、やんわりと申し訳なさそうに微笑み返すことができる如才なさは当然持っていた。


「コールの内容が良く分からなかったわ。『第一級重要人物について』ということだったわね?」

「そうです」

「それはつまり――中東のテロ組織に関することかしら?」

「包括的な考え方をすれば、関わりが無いことも無いでしょう」

「遠回しな言い方は嫌いよ、ジム。国防に関わることについてあなたと連想ゲームをする気は無いの」

「詳しくは議場でお話しします」


 二人が国防総省の会議室の扉を開けると、その広い円卓にはすでに、色とりどりの勲章を胸にぶら下げた軍部の幹部連中が難しい顔をして着席していた。

 統合参謀本部議長のほかに、陸軍、海軍、中央情報局長官、FBI長官――

当然、国家安全保障担当補佐官の顔もあった。

 まさに合衆国の中枢と言っていい、そうそうたる顔ぶれである。

 国務長官もよほどの事態が起こったのだろうということを認識し、顔が強張った。

 彼女は素早く着席し、手前に広げられているファイルを手に取った。

 部屋の中は張り詰めた空気が支配していて、資料をめくる音だけが空しく響く。


「『ラーズ・ホールデン』……?」


 それは一人の男のプロフィールだった。

 彼女の予想に反して、写真の顔はイスラム教圏の男のものではない。

 短く刈り上げたクルーカットの銀髪と、日焼けしてはいるが、その色素の薄い肌の色は紛れも無く欧米人のそれである。

 そして、そのハンサムな顔には不敵な笑いを浮かべている。

 またページをめくっていくと、そこには男の輝かしい戦績が3ページにも渡って延々と羅列していた。


「イラク、イラン、ソマリア、アフガニスタン……銀星勲章、青銅星賞、軍人十字勲章、パープルハート勲章……ワォ、素晴らしいわね。まさに国家の英雄だわ」


 国務長官は列席している軍幹部達を見回した。


「まさか、彼にもう一つ銀星勲章を授与させるための打診に私を呼び出したんじゃないでしょうね?答えは聞くまでもないのではなくて?」

「国務長官。合衆国統合参謀本部、マーシャル准将であります。発言を許可していただけますでしょうか?」


 手を上げたのは、大小様々な勲章を胸元に八つもぶら下げている、いかにも歴戦の古参兵という風貌の、おそらくは六十を半ば過ぎているであろう老軍人であった。


「どうぞ、マーシャル」

「お手元の資料に記載されております『ラーズ・ホールデン』のプロフィールは完全なものではありません。彼は1976年の生まれですが、初出征は13歳、パナマにおける『ジャスト・コーズ作戦』に参加しております」

「13歳ですって?」


 自分の息子よりも若いその年齢を聞いて、国務長官は眉間にしわを寄せた。


「どういうこと?我が国は少年兵を容認したことはないはずよ」

「そこには当時の国家機密に関わる事情がありました」

「説明を」

「はい。時代は冷戦当時にまで遡るのですが――我が国の誇る諜報機関が、とある敵国の軍事研究の内容を奪取し、それをこちらの軍事技術として転用を図ったことがあるのです」

「『とある敵国』ね……」

「ここではそのように表現させていただきます」

情報公開(グラスノスチ)はNGというわけね」


 国務長官の軽率とも思われる言葉に対して、それをたしなめるかのようにジムが一つ咳払いをした。


「……まぁ、いいわ。それで?」

「はい。実はその軍事技術というのは、端的にお話しいたしますと、遺伝子操作技術だったのです」

「遺伝子操作?」

「はい。人間の遺伝子における劣性遺伝子と優性遺伝子を人為的操作によって選り分け、優性遺伝子のみを培養し、人工的な天才を作り出す――」

「待って。そんな倫理を度外視した行為は今の法律でも許可されていないわ」

「時代が時代だったのです。冷戦というのは、直接的な戦闘こそ起こってはいませんでしたが、あらゆる分野においての戦争でした。経済力、生産力、技術力、軍事力、医学、工学……どれ一つをとっても社会主義国に後れを取るわけにはいかなかった。それこそ、倫理感を優先する時代ではなかったのです」

「……」

「話を戻しましょう。1972年のことです。ヴェトナム戦争が泥沼化し始めた年に、我々はある一つの計画をスタートさせました。その名は『パーフェクト・トルーパー計画』」

完璧な兵士パーフェクト・トルーパー?」

「先ほどお話ししました遺伝子操作技術を駆使して、戦闘のスペシャリストを人工的に生み出すという内容の計画です」

「なんてことなの……」

「時代です。時代がそうさせたのです。ただでさえ、不穏な世界情勢でした。ヴェトナム戦争が長期化の様相を呈してきていましたし、社会主義国がアフガニスタンへの軍事介入を検討しているという噂もありました。事態は急を要したのです」

「『時代のせい』はもう分かったわ。でも、遺伝子操作で優秀な兵士を生み出すというのはどういうこと?」

「優秀な兵士の条件とは何か?それは『戦闘を恐れない』ことです。好戦的であればあるほど望ましいと言えるでしょう。我々はそうした戦闘的な傾向資質を優性、優しさや思いやりといった傾向資質を劣性として選別処理し、それに運動能力、知能指数の増付与も行いました。つまり、『先天的な兵士』としての遺伝子を作成したのです。そして、それを受精卵として培養し、代理母の胎内へ着床させたのです」

「そんなことが可能なの……?」

「もちろん、数多くの失敗を重ねました。何億という染色体パターンを解析し、百万以上に及ぶ培養サンプルを作成し、培養に成功したのは三百、母体に適合したものはそのうちの六つです」

「……」


 国務長官は完全に言葉を失い、うなだれた。

 倫理的な観念は抜きにしたとしても、女性としての生理的嫌悪感だけは拭い去ることができない。

 生命の誕生とは、生物の営みの中で最も神聖で、そして崇高なものだったはずでは?

 それが、国家間の利益や優越というだけの理由で、倫理観が駆逐され、研究材料として利用されていたのだ。

 彼女は耳を塞いでしまいたかった。

 もうこれ以上、自国の罪を直視することに耐えられない。

 だが、マーシャルはさらに言葉を続けた。

 それ自体が自らの贖罪であるかの如く。


「六体の胎児の中から、無事に生まれたのは三体のみでした。そして、その三体はすぐに軍施設へと引き取られ、厳重な管理下で育てられたのです」

「……話は大体読めたわ。つまり、この……」


 国務長官は資料の男――『ラーズ・ホールデン』を指さした。


「彼がその完璧な兵士パーフェクト・トルーパーなのね?」

「その通りです。彼は紛れも無く優秀でした。幼児の段階ですでに知能指数は平均の倍以上の数値を記録していましたし、運動能力も非の打ちどころがない。まさに完璧でした」

「それで?」

「我々は彼にあらゆる英才教育を施しました。学科教養はもちろん、フィジカルトレーニングにも専属のコーチをつけ、メディカルスタッフも三人配置して、彼の全ての成長記録を取っていました」


 マーシャルはここでコップの水をあおり、喉を潤した。


「彼が八歳になった時に、我々は彼をアリゾナの軍事教練施設(キル・ハウス)へ移しました。そして、そこであらゆる戦闘テクニックを教え込んだのです」

「八歳……」

「もちろん、当時の教官は良心が痛んだと証言しています。しかし、それ以上に重要だったのは、彼が素晴らしい素質を持った人材だったということです。一度教えたことはすべて吸収し、自分のものにする。そう、まるで水を吸うスポンジのように、あらゆる戦闘技術が彼のものになりました。銃火器の扱い方はもちろん、近接格闘術、ヘリや戦車の運用術、単独での潜入術、電子情報技術、諜報活動のノウハウに至るまで、ほぼ全てを十二歳までのうちに完璧にマスターしてしまいました。もしも……彼がその気になれば、ペン一本でもこの場の全員を抹殺できるでしょう」

「ペン?」

「彼に渡せば、何でも凶器になるということです」

「……そして、十三歳で初出兵というわけね」

「私が許可しました。事実、彼はめざましい戦果を上げています」

「もういいわ。もう結構よ。それで?彼にまつわるどういう問題が起こっているの?国から彼に対して賠償金でも払うという相談なのかしら?」

「国務長官。合衆国統合特殊作戦軍所属、サベイジ大佐であります。発言を許可していただけますでしょうか?」

「どうぞ、サベイジ大佐」

「ラーズ・ホールデンは、2001年のアフガニスタン戦役における『不朽の自由』作戦展開時、我が合衆国陸軍第一特殊作戦部隊分遣隊に所属していました。もっとも、『デルタフォース』と呼べば分かりやすいでしょう」

「ええ。聞いたことはあるわ」

「デルタフォースは誇りある部隊です。戦闘のプロ集団ではありますが、人殺しの集団ではない。我々は常に鉄のように固い規律によって統制され、その矜持を持って活動してきました。ですが、あの男……ラーズ・ホールデンは違います。彼は殺しを楽しんでいました」


 忌むべき記憶を掘り出すように、サベイジは苦々しい表情を浮かべた。


「彼は間違いなく先天的に優れた兵士でした。それは疑いようもない事実です……しかし、その一方で、彼の中には何も無かった。感情を抑制し、慎み深く、謙虚に行動するような情操教育を満足に受けず、思いやりや優しさといった人間らしい心を持たない、文字通りの獣だったのです」


 当り前だ、とマーシャルは心の中で呟いた。

 彼はそのように創りあげられているのだ。


「あの男の戦績はともかくとして、当時から、彼はその残虐性の発露を隠そうとはしませんでした。ある時は、通りがかりの少年が壊れた銃の部品で遊んでいたというだけの理由で、近隣の集落一つを火の海に沈めました。一人のタリバン関係者を粉々にするためだけにプレデターミサイルの使用を要請し、村一つを完膚なきまでに破壊しました。後の調べでは、村人のほとんどがタリバンとは無関係だったのですが……」

「……」

「当時――もちろん、今もそうなのですが、我が国は何よりも他国メディアを警戒しており、そういった不慮の惨事をスクープされるわけにはいきませんでした。戦争の大義が何よりも大事な時期だったのです。世論の批判を浴びることは、即、権威の失墜に繋がるのです。したがって、我々としてはラーズを野放しにしておくことはできなかった。我々は事を秘密裏に処理すべく、ラーズ・ホールデンを拘束し、本国へ帰還させ、然るべき処罰を受けさせることにしました」

「当然の処置だわ」

「しかし、相手は完璧な兵士です。生半なことではおとなしく捕まらないでしょう。我々はデルタフォース、つまりは同僚にその役目を任じました。蛇の道は蛇、という例えもあります。そう、まずは一個小隊を送り込みました……」


 ここで、サベイジの顔色が曇った。

 それを見て、国務長官もおおよそのことが分かった。


「失敗したのね」

「……はい。一個小隊が一夜にして全滅させられました。そして、ラーズは何処かへと逐電したのです」

「なんてこと……」

「問題はここからです」


 今度は中央情報局――CIAの長官が身を乗り出し、国務長官のほうへ一枚の写真を滑らせた。


「ご覧ください」

「?」


 促されるままに写真へ目を落とす。


「こ、これは……」


 彼女は言葉を失った。

 見間違えるはずが無い。

 そこにはなんと、彼女の仕えるボス――つまり、紛れも無く合衆国大統領その人の、すやすやと気持ちよさそうに眠っている寝顔が写っていた。

 そして、その顔の下には


『Sweet Dream! Mr, USA』 (良い夢を!大統領)


 と油性のマジックで殴り書きにしてあったのだ。


「ど、どういうことなの……?」


 国務長官は顔を真っ青にして、訊いた。


「信じられないことに――この男は夜間、ホワイトハウスへ侵入し、大統領の寝顔をカメラに収め、その写真を我々に郵送してきたのです」

「ホ、ホワイトハウスですって?ホワイトハウスは……」


 世界で最も警備の厳重な施設だ。

 そんなことはこの国の小学生でも知っている。


「無論、挑発です。奴から我々への」

「分かってるわ、ジム。そうじゃない、そうじゃなくて、ホワイトハウスには当然、宿直の者がいたでしょう?彼らは何をしていたの!?」

「誰一人として職務を怠っていた者はいません。当日の警備にあたっていた職員全員の口頭審問も当然しましたし、館内全域をカバーする監視カメラでも、定刻通りに決まったルートを巡回する二十名の警備班の姿を確認しております。驚くべきは、その全員の目と監視カメラをかいくぐったラーズの潜入能力の高さです。侵入経路も脱出経路も未だに不明です。この写真が送られてくるまでは誰一人として気付くことさえなかった。しかし、彼はその気になれば……大統領を暗殺することも容易にできたのです!」


 冷水を頭から浴びせられたような、そんな衝撃だった。

 議場を沈黙が支配した。

 この国の中枢、とも言っていいメンバーが、たった一人の男に対して、あからさまな恐怖を抱いているのだ。

 自分達の生み出した怪物を相手に……

 しばらくして、ようやく国務長官が口を開いた。


「……その後、ラーズは?」

「つい昨日までは、我々が完全にマークしていました」


 立ち上がったのは、国家安全保障担当補佐官のドミトリである。


「昨日までは……?」

「彼の体内には、幼少期の外科手術によって特殊な発信機が埋め込まれています。それによって我々はある程度の彼の居場所を掴むことはできていたのです。もっとも、旧型の発信機なので、その範囲は対象物を中心とした半径10kmとやや広大ではありますが……」

「それで?」

「ところが、昨日のPM14:22:35をもって、その発信機の反応が途絶えたのです。完全に。ぷっつりと。文字通り、消えたんです」

「……まさか、発信機を取り外した?」

「いえ、それは世界中のどの名医にも不可能です。発信機は脳髄に直結していますので、第一次性徴期を過ぎるころには完全に発信機は脳に挟みこまれるようになります。外科手術での取り外しは不可能になるのです」

「では、発信機ごと粉々になって死んだのかもしれないわ」

「かもしれません。しかし、このラーズという男に関してはあらゆる事態を想定しておいて然るべきだというのが、我々全員の一致した意見です」

「……当然だわ」


 国務長官は立ち上がった。


「只今より、ラーズ・ホールデンを『国家の敵(パブリック・エネミー)』に認定します。ラーズの潜伏先については目星がついているのかしら?」

「そこが難しいところです、国務長官」


 マーシャルが苦い顔で言う。


「彼はどこにでも現れ、どこへでも消える事の出来る男です。まさに幽霊(ゴースト)なのです。しかし、彼の行く先にはある程度の見当をつける事が出来ます」

「それはどこ?」

「戦場です。彼は戦いなしには生きていけない。遺伝子の構造からしてそのように創られているのです。彼は中東、北アフリカ、そういった『最前線』と呼ばれる地域に潜伏している可能性が非常に高いと思われます。もしくはサンパウロのスラムでゴロツキどもを相手に乱闘を演じているかもしれませんが……とにかく、彼の生活は闘争無しには成り立たないのです」

「国務長官、こちらでは各セクションのエージェントに最優先事項としてラーズ・ホールデンの捜索、及び監視を通達します」


 CIA長官が立ち上がってそう言った。

 負けじとFBI長官も立ちあがる。


「こちらでは行動分析官を四名動員して、彼の行動パターンを解析し、何処へ潜伏しているかの目星もつけさせます。中東組織とのコネクションも洗い出してみましょう」

「迅速にね。こんな獣をいつまでも野放しにしておいてはいけないわ」

「はい、長官」


 その言葉を区切りとして、全員が慌ただしく席を立ち、議場から飛び出て行った。


 もちろん、彼らの働きは徒労に終わるだろう。


 どれほど優秀な分析官を揃えても、まさか対象の男が『異世界で魔王になっている』などと、その中の誰が考えつくだろうか?




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