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勇者タイム!  作者: 森田ミヤジ
「不穏な影」篇
48/109

恐怖の館

 強引に気絶させられた人間が、夢なんか見るはずもない。

 だが、意識が無いかというとそんなこともない。

 脳味噌がどこかから漏れ出してるんじゃないかというほどの激しい頭痛と、それがもたらす底なしの倦怠感。

 そいつにさいなまれながら、俺はぼんやりと無明の闇の中を覗き続けていた。


「……ンイチ……」


 おう、誰かが……


「起きて、ケンイチ……」


 誰かが呼んでる……?


「ケンイチ……!」

「う……ぁ……?」


 不意に目の前の闇が薄れていき、魂が現実に戻ってきた。

 ここはどこだ……?

 俺の寝そべっている薄暗いこの空間は、せわしなくガタガタと揺れている。


「……」


 依然として定まらない焦点。

 それを、強引に頭を振るって戻そうとするが、あまり効果は無かった。

 今度は起き上ってみようとするが、手首には木枠の手枷がはめられていて、満足に身動きが取れない。

 何だコレ……?

 何でこんなことに……


「気がついた……?」


 耳元で囁く声。

 そちらに顔を向けると――


「うわぉ!」

「わ」


 息がかかるほどの距離に、プルミエルの顔が!

 もう少し頭を上に反らしていたら、間違いなく接吻コースだ。

 くそ、何故そうしなかったんだろう?


「もう、人を見てそんなにびっくりする?失礼しちゃうわねー」


 ぷう、と頬を膨らませる様も本当に可愛らしい。


「すまん……えーっと……」


 ここで少しずつではあるが、ようやく記憶が戻ってきた。

 俺はあの男……ラーズ・ホールデンに、見事にノックアウトされたのだ。

 不死身のはずの、この俺が……


(う……)


 あの痛烈な一撃を思い出して、俺はぞっとした。


「だいじょうぶ?」

「だいじょばない……あいつ、何なんだよ……」

「異世界人だろうな……君と同じ……」


 プルミエルの頭の後ろから、メイヘレンの声が聞こえる。

 

「異世界人……?」

「異世界から来た人間だから、君の不死身が通用しなかったんだろう」

「あいつも『勇者』ってことか……?」

「さぁ、それはどうだろうな……」


 ここでようやく俺の焦点も定まってきて、薄暗い環境に目が慣れてくる。

 ガタガタ揺れる、このやたらと狭い長方形の空間にはいくつも人影がうずくまっていて、それはあの広場で晒し者にされていた少女たちだった。

 目の前にはプルミエル。そして、その奥にはメイヘレンが、やはり俺と同じように手枷をはめられた状態で座っていた。


「ここは……」

「馬車の中」


 プルミエルが答える。


「馬車……?」


 そうか。

 ここは馬車の中だったのか。


「あの後、全員がこの中に押し込まれてね。『館』とかいう場所にご招待してくれるそうだ」

「館……?」

「……あそこは恐ろしいところよ……」


 膝で頭を挟み込むようにしてうずくまっていた娘が、呻くように言った。


「ガラの悪い男たちがいつも酔っぱらってる。いつも中から女の悲鳴が聞こえる。とっても、恐ろしいところよ……」

「うーん、あまり楽しいところじゃなさそうねぇ」

「男尊女卑とはね。前時代的だよ」


 プルミエルとメイヘレンが軽口を叩きあう。

 しかし、この二人の魔道師はどうしていつもこう余裕シャクシャクなんだろうか?


「さては何か秘策があるのか?」

「無いわ」

「無いな」

「即答だな……」

「魔法が使えればいいんだがな。まぁ、しょうがないね」

「キミたち、ポジティブすぎる……」

「それよりケンイチ、手は動く?」

「ん?ああ、なんとか指だけはな……」

「はい、そんじゃあ、その指を使ってそこの娘さんの靴紐を結んであげなさい」


 プルミエルの視線の先を辿ると、俺のすぐ後ろに、膝を抱えて座っている女の子がいた。


「……っ」


 彼女は一瞬、怯えたような表情を浮かべたが、「大丈夫よ」とプルミエルが頷いてみせると、おずおずと俺のほうに足を伸ばしてきた。

 確かに、靴紐が解けている。

 しかし、これは一体どういう……?


「えーっと……?」

「『勇者タイム』、そろそろマズいんじゃない?」

「おおっ!」


 なんの羞恥プレイかと思ったが、そういうことか!

 俺は勇者タイマーを確認する。


『08:29』


 おお、結構危なかったな。


「事情を話して協力してもらったの」

「ううっ、ありがとう」


 俺は震える指で靴紐をつまみ上げ、手枷のせいで動きを制限されている手首に代わって、指先の動きだけでゆっくりと紐を手繰る。

 凄まじい集中力が要求される、なんとも骨の折れる作業だった。

 それでも悪戦苦闘の結果、俺は何とかその靴紐を結び上げることに成功した。


「……っと、で、できた。超難しかったぜ……一世一代のチョウチョ結び……」

「あ……ありがとう……」


 女の子はまだ少し怯えているようではあったが、それでも小さくお礼を言ってくれた。

 その純朴さに、俺は胸を打たれてしまう。


「いいってことよ。イェイ」

「なに、カッコつけてんのよぅ。勇者タイムは?」


『59:44』


「うん、大丈夫だ。生き延びたぜ」


 と、ここで馬車の揺れが止まった。

 つまり、目的地に着いたってことだ……

 全員が緊張に身を固くしていると、唐突にバン!と俺の背後の扉が開き、そこから漏れこんでくる眩しい光が空間を支配した。

 俺は目を細めながら、首を回して振り返る。

 くそ、やっぱりガラの悪い面が並んでやがる……


「オラ!着いたぞ!さっさと降りねぇか!メス豚ども!」

「やれやれ、メス豚とはあんまりだな」

「あん?……おひょーお!こいつは振るいつきたくなるような上玉だぜ!」


 カエルみたいな顔をした小男は、メイヘレンを見て下品な歓声を上げる。


「ようこそ、お嬢さん。歓迎するぜ。ここは『魔王の館』だぁ。男には地獄が、女にはお楽しみが待ってるぜぇ!」





 俺たちは馬車の荷台から引きずりおろされると、頭から汚いズタ袋を被せられ、視界を奪われた。

 その向こうで男の口汚い罵声と娘たちの悲鳴が聞こえる。


「オラ!さっさと出やがれ!」

「いやぁ!」

「てめぇ!」

「きゃあ!」

「このアマ!」


 ピシッ!バシッ!と何かを平手で打っている音が響く。

 見えはしないが、間違いなく、娘たちがさっきのカエル男に蹂躙されているのだろう。


「や、やめろっ……!」


 俺は思わず叫ぶ。


「あん?」

「女の子を叩くのはやめろ……っ」

「おいおい、兄ちゃん、語尾が震えてるぜ?大体、オメェに人の心配をする暇があるのかァよ?」


 ドン!と背中を蹴り飛ばされ、俺は地面にはっ倒される。


「うぐ」

「ブルーノ!親分の御命令だ!この二人のお嬢さんがたと、そこにうずくまってる芋虫野郎を『VIPルーム』に連れて行くぞ!」


 男の声と同時に、襟首がむんずと掴まれ、ズルズルと俺を引き摺っていく。


 くそ。

 VIPルームだと?

 嘘つけ!

 俺たちをどこへ連れてこうってんだ?


 目隠しされているから、周囲の様子は他の五感で判断するしかない。

 しかし、それにしても全く情報は得られなかった。


 耳に入ってくるのは、男たちの下卑た野次や笑い声。

 鼻をつくのは、酒、タバコ、凝脂、加齢臭、それらが混然一体となった異臭。

 ガツンガツンと一定のリズムで頭に固いものが当たるのは、俺を引き摺ったまま階段を下りているんだろう。


 不安は募る一方だった。


 これからどうなっちまうんだ?

 俺たちは何をされるんだ?

 恫喝?拷問?一方的なリンチ?


 あらゆる恐ろしい想像が脳裏を駆け巡る。

 不安でたまらない。

 気を緩めたら失禁しそうだった。

 視覚を奪われるだけでこんなにも気弱になるなんて……

 さっきまで他人の心配をしていた余裕は、もう微塵も残っていなかった。


「何か臭いわねぇ」


 その時、前のほうからプルミエルの声が聞こえた。


「ちゃんと家の掃除してるの?」


 おう、この状況で聞こえる彼女の声の、なんと心強いことか!

 俺は涙が出そうなほどの、大きな安心感に包まれた。


「……へっへ、臭い?そうだろうとも。下水に抜ける道だからな。臭うのも当然だわな」


 カエル男の声は、イヤらしく笑う。


「下水に抜ける道、か。大したVIPルームだ」


 そう言ったのはメイヘレンの声だ。

 彼女も実に落ち着いている。

 なんてこった、二人ともこの期に及んで、いまだに冷静さを保っているなんて!

 俺も負けてはいられないと思った。


「下水だけにゲスな奴らだぜ」

「うるせぇ」

「うぇっぷ!」


 俺が小粋なジョークをかますと、間髪入れずに、腹に思いっきり何かを突き込まれた。

 見えないから分からないが、太くて固くて長い……棍棒か何かだろうか?


「少し黙ってな」


 チクショウ、後で覚えてろ。

 しばらく階段を下ると、今度は平坦な道をズルズルと引き摺られる。

 やがてその行進が止まると、前のほうでガチャガチャと鍵を開けるような金属音が、その後、ギィィ……と軋む音を立てながら扉が開く音が聞こえた。


「入りな」


 再び引き摺られ、今度は立ち上がらされ、両手を頭の上に上げさせられ、そこにカチャカチャと腕輪のようなものをつけられる。

 ここでようやく、ズタ袋がばっと頭から剥がされ、視界が開けた。


「うおぅ……」


 そこは想像していた通りの、狭くて臭い、石造りの部屋だった。

 積み上げられた石の隙間からは、ぬるりとした得体の知れない液体が滴り落ち、その湿気のせいでびっしりと苔が自生していて、清潔感などというものは微塵も感じられない。

 天井に下げられたランプが、頼りなげな光を放ちながら揺れている。


(最悪だ……)


 文字通りの『牢獄』と言っても良いだろう。

 俺たちは全員、天井からぶら下がっている鎖に、手錠で繋がれていた。

 扉の向かって正面に俺、右手側にプルミエル、左手側にメイヘレン。

 全員が、両手を上にあげた状態で吊り下げられていた。

 俺とメイヘレンはなんとか地面に足がつくが、背の低いプルミエルは少しぶらんと揺れている。


「だ、大丈夫か?プルミエル」

「うー、腕が痛い……」

「おい、台か何か用意してやってくれよ」

「へっへ、そのうち、それも気にならなくなっちまうだろうよ。そんじゃあ、親分が来るまでしばらく大人しくして待ってな」


 カエル顔の男はにたりと笑うと、黒光りする重そうな鉄扉をバタン!と閉めた。


「……」


 静寂だけが残った。


「……」


 全員、黙っている。

 だが、それじゃあ不安なだけだ。

 俺は焦って口を開いた。


「こ、これからどうなるのかな……?」

「さあねぇ……」

「まぁ、あまり良いおもてなしは期待できないな」

「……」


 二人は相変わらずだ。

 しかし、俺はじわじわと恐怖心に襲われつつあった。


「ラーズ・ホールデン……」


 その名を呟いてみる。

 俺のこの世界での唯一の拠り所である能力――不死身が、全く通用しない相手。

 そんな奴が現れてしまったら、もう、俺はただの高校生にすぎない。


「くそ……」

「ケンイチ」


 俺の不安を見透かしたように、プルミエルが声をかけてきた。


「な、何だ?」

「ごめんね」

「ど、どうしたんだ?急に」

「今回は私の勇み足が原因だわ。目立った行動を避けたほうが良いのは分かってたんだけど……」

「プルミエル……」

「軽率だった。ごめんね」


 悔しそうに下唇を噛んで俯く彼女の横顔。

 それを見ていると、俺は胸の奥から何かの力が湧き上がるのを感じた。


 そうだ。

 怖がってる場合か?

 俺はこの女たちを守らなければならない!


 そんな使命感が、俺の恐怖心を大きく後退させた。


「プルミエル……君は間違ってない」

「え……?」

「君は正しいことをしたんだ。あの時、君が飛び出て行かなかったら俺が行こうと思ってた。どっちでも結果は同じさ。俺は君の行動に拍手を送るよ。まぁ、今は手が不自由だから、後でな」

「ケンイチ……」

「全く……君は時々、とても魅力的に見える時があるよ、ケンイチ。女殺しだな」


 メイヘレンが悪戯っぽく、微笑みながら言う。


「女殺しか……『女殺油地獄』……」

「はぁ?何それ?」

「ん?俺の世界の文学で……」

「やだわ。タイトルがスケベっぽいわねー」

「そうやって株を落とすところが君のいけないところだな……」


 二人の白い目が俺に突き刺さる。


「ち、違うッ!こ、これは近松門左衛門の代表作で――」

「分かった、官能小説だわ」

「『油地獄』か……なるほど、そういうめくるめくオイリーなプレイが……」

「ご、誤解だッ!」

「いやーね、もう!こんな時まで……エロスボーイ!」

「ち、ち、違う!俺はエロスボーイじゃない!……そ、そんな目で見るな!あー、もう!いつもいつも泣き寝入りだよ!俺はよぉ!」

「何が泣き寝入りなんだ?」

「!」


 全員がハッとして、その声のした方向に目を向けた。


「そんな……いつの間に……」


 全員が驚きを隠せなかった。

 そこにはあの男……ラーズ・ホールデンが微笑を浮かべて立っていたのだ。

  

 俺は唾をごくんと呑み下す。

 額には冷や汗も浮かんできた。


「い、いつの間に……?」


 もう一度言う。

 だって、不思議でしょうがなかったからだ。

 さっきはあれほどやかましい音を立てて開閉していた鉄の扉が、いつの間にか開いている。

 俺たちは目を閉じていたわけでも、別の方向を向いていたわけでもないのに、その気配に全く気付かなかったのだ。

 まるで最初からそうであったか、魔法でも使ったとしか思えない。


「一体、どうやって……」

「オイオイ、同じことを三回も聞くなよケンイチくん。頭の弱い子だと思われるぞ」


 ラーズはニコニコしながら部屋に入ってきた。

 その足取りは軽い。

 その様子は、お楽しみを目の前にした少年のような、そんな無邪気ささえ感じさせる。

 だが……


「楽しませてくれよ?色男」


 そう囁いて俺の顔を覗きこむ目には、邪気以外の何物でもない光が宿っていた。


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