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楽しい部屋  作者: 竜胆
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三者面談

さまざまな事柄に迷ったり気持ちが乱れたりまた多くの方々から手助けをされた入院生活でした........

精神障害者年金の申し込みの書類を作っているときに、わたしの担当のクールな精神福祉士(ワーカー)さんと、母とわたしの三人で面談を二回していた。

次に主治医の院長先生と母とわたしの三人で面談があった。



わたしは最初にかかった摂食障害専門医がおられる他県にある精神病院には毎週通院をしていたが、頑なに母の同席は拒んでいた。一人で通院をしていた。高校から一人暮らしを続けていて家族との関わりも拒んでいる状態だった。

約一年間お世話になったが遠方に病院があることや、先生にこころの内を話すことが出来なくて通院することをやめたのだった。

主治医の先生は女性だったが威圧感を感じていた。

お薬は出されなくて先生と毎回一時間半くらい話すという診察スタイルだった。

母はその精神病院にわたしが通院し始めた当初に、わたしには黙って病院に診察の内容を尋ねる電話をしていた。

翌週主治医の先生から「お母さまから電話がありましたが、守秘義務がありますから診察内容は話していません」と言われて母の行動に不快感を感じていた。

ご家族の方を連れてきてくださいと言われて、病院に母と行った時に冬の寒いときで母から「寒いね」と腕組みをされて鳥肌が立った感触を覚えていた。母と手を繋いだという経験がわたしにはあるのかな、とその時に思ったのだった。。。



次にお世話になった精神病院は友だちが調べてくれて行ったのだけれど、先生にもなにも話せずまたカウンセラーの臨床心理士の女性の先生にも何も話せなかった。わたしは一回しか行っていなかったと思っていたが、二回の通院歴があるとワーカーさんが取り寄せてくれた診断書や書類に書かれていて、それを主治医の院長先生から見せられてわたしはちょっと驚いていた。



『歪んだ家族関係』であると主治医の院長先生からは指摘されていたし、わたしも同じ思いだった。

どうして遠回りしてわたしのことを人を通して知ろうとするのをやめてくれないのかと悩んでいた。。。

また、こころの病を持っていたとしても、一個人として尊重をして欲しい気持ちがあった。

中学の時から家を出ていたわたしには、親からの干渉はとても重たく感じるのだった。

『自由になりたい』『一人になりたい』という気持ちが病になる前からわたしはあった。遠くへ遠くへ行きたくて仕方がなかった。。。



三者面談の時の母の発言は、自分にとって都合の良いように改変された内容で事実ではないものだったから、腹立たしい気持ちにもなった。

主治医の院長先生は何もかもお見通しな眼力があられて、母に対して皮肉を言われておられたが、母は理解していないようだった。。。

こんなに会話が成り立たないことってあるんだなと、母に対して説明をするのも面倒な気持ちになるのだった。。。



精神疾患者の自立支援事業には国からの交付金が多いのか、母体が不明な全く関係のないところがしている、就労支援所や期間は定められているが、家賃がかなり安くて食事付きの多いところは三食付きのアパートや共同住宅があって、看護師さんや相談員さんが常駐しているところもあった。食事代は家賃に含まれているところや別に払わなければならないところもあった。



担当の精神福祉士(ワーカー)さんに、そのような所に住みたいことを相談をした。両親と田舎の小さな同じ町に住んでいると不快な干渉や囲い込みのような不自由さを味合わせられると息が苦しい感じがあった。病院に公共の交通手段で通える場所のアパートに住みたかった。病院に通院するときに親のどちらかに頼んで運転をして連れて来てもらうことにも気を遣っていた。



同室の若い彼女も住むところを探していたようで、一緒にアパートの見学をしに行くことになった。

彼女には保護者がいなかったから女性の看護師さんが付き添った。

わたしは母に連絡をしてアパートの見学をするから病院まで来て欲しいと連絡をしていた。母に付き添いを頼んだ。

ワーカーさんの運転で病院から約二十分ほどのところにあるアパートに行き、そこで見知らぬ女性と合流をした。その女性はハキハキとした口調で自己紹介をなされた。渡された名刺を見たらその女性は違う精神病院のワーカーさんだった。

そのアパートを経営をしている事業所と関係性がある精神病院だったようで、ワーカーさんネットワークからわたしの担当のワーカーさんはその女性に来てもらったようだった。



まずは事業所の見学をみなでした。

薄暗い広い部屋でだらしなさそうに座ってぼんやりとしている方が数人おられた。おそらく事業所の利用者の方なのだろうと思った。

事業所の方は営業職の方のように話しぶりが上手い男性だった。

就労支援施設もあってどのような仕事があるのか、また資格を取りたい人にはその手助けもしていますと説明をされたけれど、部屋の雰囲気はどよーんとしていた。誰も活動的な行為はしていなくて、テーブルに置いてあるお菓子を食べたりされておられた。パソコンは多く並んで置かれていたが、ただ並べてあるだけのように感じた。



次にアパートの下見を事業所の方も一緒にした。

築三十年は軽く超えているような古いアパートだった。外壁は塗り替えられていて分からなかったが、アパートの中に入って「これは古い!」と感じたのだった。

わたしはもう少し考えてから決めようと思ったが、若い彼女は「シャワーも付いてるし、ここにします!」と宣言をするように言ったので驚いてしまった。

彼女は妹さんと二人で暮らしていたのだが、二人ともうつ病になったことから妹さんが他県のご親戚の家に引き取られることになっていて早急に住む場所を決めなければならない事情があったのだった。

「ここは食事も三食付きで家賃もかーなり安いですよ文さん。それに住むところが決まらない場合は長期入院病棟行きですからねー」という彼女の言葉から建物の古さとか関係ないよねそれじゃぁと彼女の即決にわたしも納得したのだった。



カウンセラーの先生との面談のときに、両親との関係性の歪みに悩んでいることや、どうしたら離れられるのかや、一人になりたい気持ちを相談をした。

先生はわたしに対して家族の中での関係性について落ち着くところに落ち着きますから焦らないでゆっくり行きましょうと言われるのだった。



躁状態は怖いなと感じていた。

主治医の院長先生にその気持ちを話したら「貴女は珍しいですね。躁状態になりたいと言われる患者さんが多いんですよ」と言われるのだった。

たしかになんでも出来る万能感があって、躁状態のときはパワフルに精力的に動き回ることが出来た。脳内物質がドバドバ出ていて中毒症状のような感じになっていた。だけれど周りの多くの方々に迷惑行為ばかりをするし、あとで疲れがどっと来るし、なんにも良いことがないと感じます、とわたしが先生に話すと「貴女達のような患者さんは一度躁状態を体験すると、再び体験したいという人ばかりですよ」と繰り返しおっしゃられるのだった。

人に迷惑を掛ける言動や行動を自制できない状態はわたしは嫌だなという気持ちがあった。

主治医の先生は一人暮らしについてはしてみてやれるようだったらこのまま続けてみればいいんじゃないですかね、と仰られた。この先生の言葉は森田療法の考えと似ているなと感じた。「考えるより行動」「悩むより行動」「出来なかったら諦めよう」「出来なかったことをくよくよと悩まない」「いつかは出来る日が来る」だいたいこれくらいしか知らないけれど、主治医の先生から教えられた森田療法の考えだった。

ついくよくよしちゃうわたしのの弱さを先生はズバリと言い当てられるのだった。。。



クールな精神福祉士(ワーカー)さんとも相談をして、まずはわたしが住んでいる地域にある作業所の見学に行きましょう、ということになった。










患者さんみなさんそれぞれにご事情があられて、その解決の手助けを精神福祉士さんはなされておられました。社会福祉士の資格もみなさん持っておられました。中には臨床心理士の資格も持たれておられる方もおられました

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