居場所
病棟の説明などを書きました。。。今更ですが。。。
病棟は横に長い作りでところどころに大きなソファーやテーブルが置かれていたり、テレビがある部屋や、元々は病棟内の喫煙所だったスペースには観葉植物が多く置かれているサンルームだった。
観葉植物は大きなものから小さなものまで病棟の至る所に置かれていた。
テレビは食堂にも壁にかけてあった。だがみなが集まる食事中にはチャンネル争いを防ぐためなのかテレビはつけられることがなかった。
動物が棲み分けをするようにして大きなソファーにそれぞれが座る位置はだいたい決まっていた。
わたしはどこでもいい派だったけれど、病院のお母さんが座るソファーの場所を決めておられて言われるがままにお母さんの横に座ってぼんやりしたり、お母さんと話したりお茶をしたりしていた。お母さんと話す内容はさまざまだった。
中央に廊下があり左右に病室だったり、看護師さんの詰め所や診察室兼相談室もあった。
病室は個室、二人部屋、四人部屋、六人部屋がそれぞれ複数並んでいた。男性部屋と女性部屋が同じフロアにある違和感はずっとあった。病院ってこんなものなかな、とずっと思ってはいた。入院患者の部屋の出入りの管理の甘さから身の危険をどうしても不安に感じるのだった。
個室と二人部屋は別に部屋の料金が加算されます、一日いくらですと色んな有料のサービスについて書かれた大きな紙がパウチされて壁に貼られていた。
洗濯機や乾燥機の使用料金が半額になっていたのは、病院のお母さん情報によると主治医の先生が院長になってから安い設定に変わったどのことだった。病院のお母さんはどこから情報を仕入れてくるのか分からないが病院情報通だった。
主治医の院長先生がアルコール依存症の患者さんを多く診ておられて断酒会も長年しておられたから、その病に苦しむ患者さんは先生を頼って病院に来られて決められた三ヶ月の期間の入院生活を送られるのだった。
開放病棟ではアルコール依存症患者さんは一見して何も病を持っておられないように「元気な人」のように感じるので違和感があった。
それでもよく話すようになるとアルコール依存症の方々が抱えておられる問題を知るようになった。
アルコール依存症から内臓を壊しておられることに専用の食事であることから気付いたりもしたし、わたしが一緒に食事をする男性二人はうつ病や不眠症になっておられていたし、 麻雀をする男性たちと喫煙所で一緒になったときに手や指が震えるからとライターで煙草に火をつけてあげたりもした。
攻撃性が出る方や常にイライラとしておられる患者さんもおられ、看護師さんと言い合いをなされている方もおられた。
アルコールを断ち離脱症状にみなさん苦しまれておられた。。。
ときどき言い合いから揉め合いに発展して殴り合いまで起こっていて、ある時は巻き込まれたうつ病の患者さんがかなり酷い怪我をおってしまわれてしまい部屋を変わられたのだった。
病棟の中でもその瞬間はピリピリとした空気が漂ったけれど、患者さんはみなさんご自身のことで手一杯だから見ないふりでその騒動をやり過ごしていたし、スタッフさん方だけがバタバタと動き回っておられた。
怪我をした男性患者さんは殴ってきた相手や病院を訴えるとずっと言われていた。
どのような病院も院内トラブルや処置ミスの際に訴えられたときにどうするのかなど対応方法が取られているから訴訟はむずかしいだろうなぁと内心思いながら男性の話をお母さんと一緒に聞いていた。
喫煙所も患者さんや病院スタッフさんたちとの交流のスペースだった。
駐車場に喫煙所は二箇所あった。
わたしは話に加わって喫煙をするのは相変わらず嫌で大きな木の下でぼーっとしながら煙草は吸っていた。
スタッフさんも喫煙所で煙草を患者さんと吸う方がいたり、ご自身の車の中で吸う方、わたしの担当の精神福祉士さんのように、駐車所の奥の方まで歩いて行かれて隠れるようにして吸われる方もおられた。
間違った量の薬をわたしが隔離室にいた時に渡した看護助手さんが「駐車場に喫煙所があると困るんですよね」と話されてどういうことかなと思いながら聞いていたら、病院スタッフさんに恋愛感情を抱く患者さんや逆恨みをしている方々がスタッフさんの車がバレて車に何かしてくるかも知れないから怖いんだよね、というようなことを話されてなんと言ったらよいのか分からなかったのだった。。。この方と話す度に患者を下に見る人だな、と感じるのだった。
わたしが体育館でのグランドゴルフに参加をしていたときに毎回優勝なさる男性患者さんが長期入院病棟に移動なされることになってしまった。
グランドゴルフを一緒にしたときに毎回優勝なされるので「すごいですね」とわたしがその男性を褒めると「ゴルフをしていたからね」と言葉少なく答えられ、その男性は表情の動きも体の動きも乏しい背が高く静かで温和な雰囲気が伝わってくる方だった。
お薬を隠していた色白の若い男性さんは普段は無表情なのに、移動される男性に持っておられたお菓子や果物を多分全部渡されておられた。とても悲しそうな表情をされていた。
陶芸をする時に長期入院病棟の廊下を通って行くことがときどきあった。
わたしが入院している急性期病棟とは全く違った雰囲気で、むかしの『精神病院』をイメージするとこうだな、という感じで陽があまり入らない場所で病棟の作りも古かった。
入院患者はみな長期入院病棟に移動させられるのを恐れていた。
はすっぱな女性が退院をしたのか入れ替わるようにして、隔離室に入っていた髪がふわふわな女性が空いたベッドに移された。
部屋の移動や入院の準備など、看護師さんや看護助手さんはあっという間に手際よくなされておられていた。
同じ部屋の若い女性は珍しく喜びの感情をあらわしていた。彼女は喜怒哀楽が少なくて起きている時間はベッドにうつ伏せに寝てスマホでゲームをずっとしていた。作業療法や時もずっとゲームをしているのだった。
ときどき妹さんが面会をしに来られてたが、二人の会話の声は聞こえないくらいの静けさだった。
その妹さんもうつ病だと診断がされたと彼女から聞いて言葉が出なかった。。。
家族の中にこころの病の患者さんがいると、パートナーさんや親、家族が同じように病になってしまうと一緒に食事を摂る男性二人や、病院のお母さんから聞いていたけれど、わたしは動揺してしまったのだった。。。
煙草を吸おうとエレベーターで一階に降りて、喫煙所に行く前に売店をのぞいてみた。
手作りの小物コーナーが大きくなっていて、売店の方が「三人の方が作っておられるんですよ」と教えてくださった。どれも安価だった。お財布を持たずに来ていたことを逆に良かったと感じた。たくさん買ってしまいそうだと感じたからだった。
お買い物衝動を抑えることも主治医の先生やカウンセラーの先生から自制心を働かせましょうね、とやんわりと注意をされていたので。。。
木陰で煙草をぼんやりしながら吸ってから院内を歩こうかと思ったけれど雨が降ってきたので諦めて病棟に戻った。
晩ごはんを食べてからわたしは寝てしまって、あ!お風呂に入ってない、時間に間に合わなくなると慌てて看護師詰め所に行き、お風呂セットとドライヤーを出してもらった。同じ年の看護助手さんから「お風呂の掃除をするのは九時以降ですからゆっくり入られてください」と言われて彼の言葉に甘えてゆっくりとした気分で一人でお風呂に入った。湯舟のゴミを取る網で掃除をしたり、床に髪の毛が落ちてないかを見て回ってからお風呂を上がり、身体を拭いて髪を乾かしたあとも、抜け毛を拾って簡単に脱衣所の掃除をした。
お風呂セットとドライヤーを返して、部屋に戻ってぼんやりしていたら隣のベッドの女性は「この時間帯は見回りに来ないから」と言いながらベッドに立たれて煙草を吸われておられた。
就眠薬をカートで配りに看護師さんたちが来られたあとは確かに見回りに来られる深夜の時間以外には看護師さんたちは病室に来られることはなかった。
隣のベッドの女性の躁状態はまだ続いておられた。
病院のお母さんや若い彼女もわたしも、隣のベッドの女性の言動や行動をただ眺めているような状況だった。。。
「躁状態」は約一ヶ月でおさまります、と主治医の先生から聞いていた。
他の人の心配をするこころの余裕があるくらいなら、わたしは自分の病を安定させたい気持ちがあった。
別の躁状態の患者さんといると自分の気持ちも躁状態に引きずられる感じを受けたことがあり、それはうつ状態が酷い患者さんと一緒にいても同様になる自覚があったので、程よい距離感を患者さん同士ととりつつコミュニケーションも取るようにしていた。
「文さんは人との付き合い方が上手いよね」と母と同じかそれより上の年令の方から言われていた。褒められているのか分からなかったが、わざわざ声に出して言われるくらいだから褒められているのだろうと思った。
こころの病で入院をされる患者さんは初めての入院で済む方もおられれば、何回も入院する患者さんとに分かれているな、と自分も三回入院しているじゃないかと内心思いながら患者さんの様子を観察してしまうのだった。。。
説明ばかりになってしまいました。。。
ゆるゆるのんびり書いて行きます
お読み下さりありがとうございますm(_ _)m




