エピローグ
「藍田さん、どうぞ」
「はい」
沢山の祝福とそれなりのやっかみに包まれながら藍田美弥子になって半年、ようやく「藍田さん」と呼ばれることに慣れてきた。
最初のうちは、自分が呼ばれてるとは思わなくて返事もできず、営業職でなくてよかったと心から思ったものだ。
結婚した時に作った「藍田」のハンコは、押すのはともかく印影を見るのには未だに慣れてなくて、書類で自分がハンコを押したかついつい探してしまう。
「じゃ、行ってくるね、朗」
「おう、がんばってこい」
「何を頑張るのよ」
朗の訳の分からない励ましに笑いながら、あたしは診察室に入った。
病院からの帰り道、朗が運転する車の中で、あたし達はずっと黙っていた。
早く家に帰りたい。朗もきっと同じことを考えてるだろう。
家と言っても、元々朗が住んでたアパートだけど。
結婚するに当たって、あたしは朗のアパートに引っ越した。
2人で住むにはちょっと手狭なんで、いずれもう少し広いところに引っ越すつもり。
その、いずれ出て行く予定のアパートがやっと見えてきた。
無言のまま、2人で玄関に入る。
鍵を掛けて、リビングに入って。2人でハイタッチした。
「おめでとう、みゃあ!」
「やったね、朗!」
「引越、早めるか?」
「え~、でも、あたし、今、荷造りできないよ」
「それもそうか、安定期に入ったらできるんだっけ?」
「ん~、たぶん」
今日、産婦人科で、あたしの妊娠が確認できたのだ。
思ってたより早かったなあ。
壱花と黒川さんは、意外なことにあたし達より遅く結婚した。それも、できちゃった婚。
ずっとずるずる付き合い続けて、壱花の妊娠をきっかけに、ようやく籍を入れた感じだ。
あ~、そうすると、壱花の子とあたしの子は、同学年になるのか。
きっと壱花のことだから、「幼なじみだね」なんて言って、子供を連れて遊びに来まくるに違いない。傍若無人に。
こんなことを考えても、もう胸は痛まない。
あたしは、朗と幸せに暮らしてるから。
朗は、約束どおり、あたしを夢中にさせてくれたから。
ちょっと強引で、意地っ張りで、優しい朗が、あたしは大好きだ。
好きな人があたしを好きでいてくれる。
好きな人に、素直に好きと言える。
叶わないと思っていた願いは、叶った。
「朗、好きよ。この先もずっと夢中でいさせてね」
「おう、任せとけ」
あたしは、幸せだ。
これにて完結です。
去年の8月に発表した「兄貴への恋」に対し、小鳩子鈴さまから「ヒロインの気持ちに気づいた強引男子が現れて、攫ってくれるといいなぁと妄想します」という感想をいただきました。
そして、小鳩さまの「小話の部屋」にアップされていた「何かのプロローグ、のようなもの」を読んだ鷹羽が、小鳩さまの活動報告に「いつか、“誰かのために身を引いた女の子が、強引男子に攫われる話”というテーマで競作できたら楽しいかなぁ、なんて思っちゃいました」と返したのです。
これがきっかけになって、それをテーマに競作しましょうということになりました。
そうして生まれたのが今回の作品です。
2人の作者の個性の違い、楽しんでいただけたら幸いです。