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星降りと侵攻

 永禄四年(1561年)九月、妻女山、上杉本陣にて

 海野幸稜


 八月、上杉政虎の陣触れに従い春日山城下に軍勢が集まった。その数、二万二千。

 その中には政虎が影響力を持つ上野衆や越中衆の姿もあった。また、軍勢と呼ぶにはおこがましい姿の分水衆と呼ばれる者たちも千五百ほど含まれていた。


 ほどなく上杉勢は武田征伐の名目で北信濃に侵攻。

 しかし、信濃に入った上杉勢は直ぐに武田方の海津城を攻める事はしなかった。

 まるで武田勢が現れるのを待つかのように妻女山に陣を敷くだけで戦を仕掛けることはなかったのだ。


 一方、上杉勢二万二千が北信濃に現れるとの知らせを受けた武田信玄は、甲斐と信濃から軍勢二万六千を集めつつ急ぎ北進した。

 武田勢は一旦、茶臼山に着陣し様子を伺った後、妻女山に陣取る上杉勢をあざ嗤うかのように目の前を悠々と移動し海津城に入城。


 お互いの裏の裏を読み合う上杉政虎と武田信玄は対陣したまま動かず、大軍同士の戦いになることはなかった。





 千曲川周辺に広がる青々しいひこばえが風に揺れている。まるで青海の丘から見える海原の様だ。

 俺は一人、木に寄り掛かって眼下の海津城を眺めていた。


「月さん、小惑星の落下が始まって地上に到達するまでの時間は?」

『最大240分だ。現在、小惑星は落下地点を含める地球周回軌道を90分で一周している。よって最小時間は150分となる』

「短くて、一刻強か」

『そうだ』

「落下開始後に中止する事は?」

『落下を開始したら中止する事はできない。小惑星が地表に激突するだけだ』


「何度も同じ事を聞いてごめんよ、月さん。これは間違いがないようにだから」

『承知している。再確認はリスク軽減の初歩だ。問題ない。他に気になる事はあるか』

「明日以降十日間の天候予測は?」

『日中及び夜間は晴れ一時曇りだ。以前から幸稜が期待している降水確率は低い。雨は降らないと見て良い』

「良い天気と」

『その通りだ』


 準備はできていた。

 小惑星を落下させ地表に激突させる準備だ。勿論、地表目標は海津城にいる武田軍。

 目標が移動しなければ一発で壊滅できる。

 そう、移動しなければ。


 壊滅したいのは武田軍であって海津城ではない。軍勢が移動していて海津城にいなければ失敗なのだ。

 一刻あれば、海津城から安全圏まで歩いて移動できる。

 俺が落下の指示を出した後に、海津城から移動を開始しても十分避難できるのだ。


 移動する確率が低い時を狙うしかない。

 だから、雨を期待した。

 雨が降れば移動する可能性が低くなると思った。


「やっぱり、夜しかないか」

『それが一番高確率と考えられる』

 嬉しくない御墨付きを月さんから貰った。

 ならば、それで決定だ。


 昼時や夜間など日に数度、妻女山の東側に姿を見せていた上杉勢が一斉に西側に移動する。

 理由は三つ。


 一つ目は、上杉勢の士気を維持するためだ。ある程度の緊張感がなければ、いざと言う時に戦えない。

 鳥の飛び立つ音に怯え、逃げ出す羽目になってしまう。


 二つ目は、上杉勢が妻女山の東側にいない事を、武田勢に慣れて貰うためだ。上杉勢は東側にいなくとも西側にいるのだ。

 武田勢とて、ただ黙って海津城に籠っている訳ではない。絶えず上杉勢の動向を監視している。

 海津城にいる武田勢にも、動向を監視している者にも、上杉勢は戦の準備が整っている、無闇に上杉勢を攻める事はできないと思って貰わねばならない。海津城に籠って貰わねば困るのだ。


 三つ目、これが一番重要だ。小惑星が海津城に落ちた時に、上杉勢に被害がない様にするためだ。

 海津城は妻女山の東側、半里の場所にある。妻女山は落下地点に近すぎるため、山の陰に隠れて惨事をやり過ごす必要がある。それが山の西側なのだ。





 九月七日。今夜、星を落とす事にした。


 星降りの開始を決断する切っ掛けが欲しかったのだが、待てど暮らせどその様なものは現れない。自分が決めるしかなかった。

 たぶん、俺は理由が欲しかったのだ。失敗した時の言い訳になる何かが欲しかったのだ。失敗したらと言う不安が絶えず俺の頭の中を占めていた。

 そんな時に、ふと、杏との会話が浮かんだ。


「蕎麦蔵、何とかしな」

「無理」

「歌にばらすよ」

「考える」


 そうだな、杏。

 何とかするさ。これは簡単な問題だ。

 決めれば良いだけだ。


 良し、今夜だ。

 もし、武田方が動くとしても朝が明ける少し前だろうとの予測。だから、その前に落とす。


 御屋形様と宇佐美様には、星降りの前兆があった。今夜、星が降ると伝えた。

 御屋形様は「分かりました」と一言。

 宇佐美様に至っては僅かに頷いたのみ。

 二人ともいつもと変わらぬ顔だった。

 ずっと今日まで悩んでいた俺が馬鹿の様だと思った。

 確かに星が降り、海津城と共に武田方が全滅するなどと非現実的な事を信じる方が可笑しい。

 だが俺としては、御屋形様や宇佐美様がもう少し興奮や緊張をしても良いのではと思ってしまう。





 やがて日が落ち周囲が暗くなっていく。

 上杉の将兵たちは、既に妻女山の東側から西側に移動していて姿が見えない。


 一人、妻女山の東側斜面の開けた場所から海津城を見ている。

 暗くなると共に海津城の篝火が増えていった。


 すっかり暗くなった時に人の気配を感じて振り返ると、そこに御屋形様と宇佐美様がいた。


「御屋形様、宇佐美様、東側にいるのは危険ですよ。さあ、西側へ」

「後、どれ程の時がありますか」

「一刻ほどです」

「であれば、まだ時はありますね」

「そうですな、ゆっくり待ちましょう」

 宇佐美様は海津城が良く見える場所に腰を下ろした。

 良く見えると言っても真っ暗闇に火がぽつりぽつりと見えるだけなのだが。


「幸稜、本当に星が降るか」

「ええ、必ず」

「そうか」

 宇佐美様はそのまま黙ってしまった。


 月さん、順調かな。


『幸稜、定時連絡だ。小惑星の落下は順調だ。予定通りの110分後に衝突する。次の連絡は20分後だ』

「分かった」


「何が分かったのですか、幸稜」

 俺の声が聞こえたのか、御屋形様が尋ねる。


「いえ、何でもありません。未だ、星降りの証があると報告があったのです」

「ほう、たった今、お主に従っていると言う乱波が近くにいたのか? 全く気配が分からんかった」

「定満、あなたもですか。私も分かりませんでした」

「御屋形様も」


 御屋形様や宇佐美様は、軍略家であり知恵者であるだけだ。隠れた人の気配を察知できる技能を持った乱波でも剣豪でもない。

 二人とも分からなくて当たり前じゃないですかと言いたい。言わないけど。


「某も全く分かりません」

「然もありなん。儂より鈍そうなお主が分かっているのであれば驚くわい」


 酷い言われようだ。宇佐美様より鈍いと思われていたとは。

 確かに宇佐美様は七十を過ぎても戦場に出てくる化け物爺さんだ。ひょっとしたら本当に俺より鋭いのかと思ってしまう。


「御屋形様、知らせがないと言うことは軒猿たちも気がついていないですな」

「軒猿を凌ぐ腕ですか。御月衆とは」



 軒猿。上杉の乱波だ。いわゆる忍び。

 諜報活動で上杉勢を陰から支えている者たち。

 俺も良く知らないが、武田方や北条方の忍びと互角。いや、それ以上に優れた者たちと聞いている。


 御屋形様が海野屋に現れてから、青海の海野屋を遠巻きに監視している者たちがいる様だと、月さんからは報告は受けていた。

 たぶん、それが軒猿。

 御屋形様の護衛だったのか、それとも情報収集だったのか。


「正に、軒猿が調べましたが正体は不明。一人単独なのではと推測が報告されておりました。幸稜、未だに顔を見たことがないのか」

「はい、今でも姿を見せてはくれません。その様な事は必要ないと」


 俺は月さんを一回も見たことないよ。嘘じゃないよ。


「面白い者たちです。どの様な者たちなのでしょう。やはり海野一族に仕えていた者たちでしょうか」

「御屋形様、それについても軒猿が信濃で調べたのですが、分からず終い。果たしてどの様な縁の者たちなのか」


「ところで幸稜。この様に我々が御月衆とやらを調べても良かったのですか」

「ええ、問題ないと言っていました」

「大した自信なのですね」

「そう言う訳ではないと思います。ただ、見つからない事には自信がある。また、人と刃を交えることはできないと言っていました」

「残念なものよ。その腕を暗殺に使えれば……」

 宇佐美様が呟く。


「宇佐美様、それは欲と言うものです。人の欲は際限がありません。そして、欲が満たせなければ不満となり、いつの間にか悪意と変わりましょう。某は、そうなりたくはありません。ですから御月衆は見つからぬだけで良いのですよ」

「お主がその様に言うと、真っ赤な嘘に聞こえるわい」

「宇佐美様、酷いではないですか。久しぶりに、自分でも良い事を言ったと思ったのに」

「ほれ、口先だけではないか。それでこそお主だ」

「そんなぁ」


 暗闇の中で宇佐美様と漫才の様な会話をしていると、それを聞いた御屋形様の笑い声が聞こえた。

 笑いは緊張を解す。過度な笑いは集中力をなくすが、適度な笑いは戦の中にこそ必要な物なのかも知れない。


 宇佐美様が頓知の効いた話しで俺を陥れ、嘆く俺の話しを聞いては、御屋形様が朗らかに笑う。そんな会話を繰り返していたら、あっという間に時は過ぎていた。

 話しと話しの沈黙の間は、三人で海津城の篝火を見ている。遠く離れた篝火の光は闇に溶け込みそうな点だった。


 そんな点を見ていると、藪を掻き分ける音が近づいて来た。


「誰だ」

 宇佐美様が静かに立ち上がり、音に向かって誰何した。刀に手をかけない処を見ると上杉勢の誰かなのだろう。

 問われた者は、月の明かりで俺たちが誰かを知ると膝をつき、頭を垂れて東側斜面にいる弁明を始めた。


『幸稜、定時連絡だ。小惑星の落下は順調だ。予定通りの10分後に衝突する。西側斜面へと移動せよ』


 応!


「そろそろです」と御屋形様と宇佐美様に向かって言い、「急がないと巻き込まれます」と更に声を潜めて繋げた。


 弁明をしている男には構っていられない。急いで西側に移動しないと。


 御屋形様を追い立てる様に西側へと向かう。宇佐美様も膝をついている男に「ついて来い」と声を掛け、振り向いては「急げ」と怒鳴った。

 西側に斜面へと小走りで逃げ込み、小惑星の激突の影響で鼓膜が破れないように「耳を塞ぎ、口を開けてください、急いで」と皆に指示を出す。



 突然、星の一つが明るくなった。



 永禄四年(1561年)九月七日、寅の刻、大きな星が北信濃の地に落ちた。



 その星は、海津城に入っていた武田方二万六千の将兵を城ごと一瞬で消し去り、隕石孔だけを残した。


 妻女山の西斜面に陣を敷いていた上杉勢には、その星降りの被害はなく隕石孔を横目に淡々と山を降りて深志城に進軍。


 深志城を取り囲む上杉政虎は、まだ城も落ちぬうちに南信濃に兵八千、甲斐に兵九千と二方面に軍を分けて武田領を取ると命を下した。


 上杉政虎率いる本隊は諏訪を恭順させ、甲斐に入っては武田氏の本拠地である躑躅が崎館を瞬く間に制圧。

 誰もがこれで武田征伐は終わりと感じていたが、これで終わりではなかった。


 上杉政虎は甲斐の押さえに兵三千を残し、兵六千を率いて甲斐の峠を越え武蔵の国へと進んで行ったのだった。


次回、加藤段蔵と公式見解



やっとプロローグに追いつきました。

これからが本編です。(たぶん



2018/06/16 プロローグより移動


星降り直後


「まさか、このような事が起きるとはな。長生きをするものだ」と宇佐美様の声がした後に小姓が「御屋形様、宇佐美様、さあ始めましょう」と言った。

「そうですね、これは始まりでした。では事を進めることにしましょう」と御屋形様が答えた。



八幡原にて


 その時、御屋形様の通る声がした。

「皆の者、良く聞きなさい。天啓が武田方を打ち滅ぼしました。これより信濃、甲斐の国は上杉が治めます。私と共に進むのです」

「おう」と誰かが叫んだ。


 直江実綱様がその後を引き継いだ。

「上杉政虎様に従う者たちよ」

「「おう」」と声が増えた。


「天は我らの味方だ」

「「「おう」」」


「進め上杉の兵よ」

「「「おう」」」


「御屋形様に信濃を」

「「「「おう」」」」


「御屋形様に甲斐を」

「「「「おう」」」」


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