加藤段蔵と公式見解
永禄四年(1561年)九月、信濃、深志城にて
海野幸稜
鍋に乾燥昆布の欠片を入れて湯を沸かす、そこに乾飯と乾燥野菜を入れ一煮たちしたところに味噌を入れて仕上げる。これが今日の夕飯だった。
夕日に赤く染まる砦のような深志城を眺めながら茶を飲む。
鍋で湯を沸かすのは効率が悪いのだが、他に手立てがない。付き従う家臣と兵たちにも海野屋特製の茶葉を使った茶を振る舞った。
家臣と言うのは海野家臣の角雄と段蔵の二人だ。さすがに俺ひとりだけで村上様に従軍するのは武家として格好がつかないと言うことで家臣を採用した。また、二人の知り合いから兵も十名ほど臨時で雇った。
角雄は「これは旨いものですな」と言って熱い茶を啜る。
彼らは皆、分水衆だ。
この武田征伐に従い信濃まで来た分水衆は、武田との戦いに参加するために来たのではない。越後勢の兵数の嵩ましのために来たのだ。
越後勢の兵が多ければ武田勢の兵も多くなる。武田勢としては越後勢と戦う必要はなく、ひたすら対峙して時を稼ぎ越後勢が退くのを待つだけで信濃を守れる。だから武田勢は越後勢が攻め込むのを躊躇する数があれば良いのだ。
星降計画ではその点が期待された。武田方の軍勢が多ければ多いほど、信濃と甲斐に残る将兵が少なくなり星降り後の占領が容易になるからだ。
さて、角雄と段蔵の話に戻る。
この二人、信濃は戸隠の出身で、武田の北信濃侵攻の戦いで荒れた故郷から分水計画の話に乗り越後に移り住んだ者たちだった。
俺は加藤段蔵が分水衆にいると聞いて小躍りした。あの有名な忍の加藤段蔵を俺の配下にできるのではと思ったからだ。しかし、直ぐに二人に会って誤解だと分かって大笑い。
加藤段蔵と思っていたら、角雄と断蔵と言う戸隠出身の兄弟だったのだ。
二人は戸隠の農家の七男と八男。
兄弟の両親は六人の子供を作り六人とも無事に大きく育てたが、もう子ができるのを止めたかったようだ。しかし、子はできた。七男が生まれた時は最後の子供となるように角の字を名付け、八男が生まれた時は断と付けた。
付けられた名前とは裏腹に兄弟は両親の愛情をたくさん受けて育ったようだ。
大きくなった角雄と断蔵の二人は農家を継ぐことは叶わず大工を目指した。そして数年して手先が器用で段取りが上手かった二人はともに棟梁格になった。しかし、狭い戸隠ではその腕を活かすほどの仕事はない。そのような時に分水計画の誘いがあったと言う訳だ。
二人は笑いながら名前の由来や生い立ちを教えてくれた。明るく話す二人を俺は気に入って家臣になってくれと頼んだ。
だが、二人は海野の家臣になることに戸惑った。まさか大工の自分たちが武家の家来なるとは思ってもなかったからだ。
俺自身も戦で武功を立てたい訳でもなく、二人に武功を期待する訳でもない。二人には海野家の普請奉行をして貰いたいと説得して海野家臣に就職してもらった。
そして、二人の名を考えた。角雄は鳶角雄、断蔵は鳶段蔵だ。鳶姓は大工由来だ。
二人は喜んだ。勿論、俺も満足。
とは言え、角雄と段蔵は川中島の戦いでも深志城攻めでも俺の護衛が仕事で普請奉行の仕事はしていない。
「殿様、城方の返事とやらの期限は今日中でしたな。もう日がくれますが返事は来そうもありませんが」
「仕方ないんじゃないか。城を明け渡せと言われて、分かりましたとは直ぐに返事できないだろう」
「確かに。ですが今日中に返事をするとは城方から言い出した事。約束を違えては武家の名が泣くのでは」
「まあね。たぶん城方は待っていたんだろ。武田方の将兵が戻ってくるのをさ。負け戦だったとしても将兵たちは城に逃げ戻るのが普通だ。だが、今回だけは誰一人戻らず敵方の上杉勢だけが城攻めに来た」
「当惑しますな」
「それに普通は勝っても敗けても報せがあるけど、それも無し。全く状況が見えない。それでも決断しなきゃ城攻めを受ける。胃が痛くなるよな」
「胃ですか?」
「悩んで体に変調をきたすって事さ」
「大変ですな。城方も」
「他人事だな、段蔵。俺たちも武家になったからには同じ目に合うかも知れないのだぞ」
「兄貴、その時はその時さ。なあ殿様」
「角雄、そう心配するな。その時は俺もいっしょだし、そうならないようにするさ」
「本当ですかね。殿様は一人でも生き残る方のように見えますがね」
「兄貴の言う通り。何だか殿様はしぶとそうだもんな」
「当たり前だろ、俺は可愛い嫁を貰ったばかりだぞ。這ってでも青海の屋敷に帰るぞ、俺は」
「嫁さんか。そりゃあ、仕方ねえ。なあ、兄貴」
「だったら皆で逃げる事にしますかね」
「勿論だ」
三人で茶を飲みながら笑い合う。
主従で笑っていると日が西の山に隠れ徐々に暗くなった。そこに、村上様の召いがやって来て軍議へ顔を出せとの命令を告げた。
本陣となっている寺の軍議の間に急ぎ行くと、村上様は上座におり諸将を待っていた。
「幸稜、お前にも軍議に出て貰うぞ。ほれそこに座っておれ」
村上様が末席の床机を指差す。
「このような場に出ても良いのでしょうか」
「何の問題がある。お前は儂の家臣で一千五百もの兵を引き連れて参陣したのだ。堂々としておれば良い」
「分かりました」
確かに一千五百と言う数の兵を用意したのは俺だが、戦力として期待できないのは周知の事実。それだけで大きな顔はできない。そんな事をしては余計ないさかいを生むだけだ。小さくなっていようと縮こまっているとぞろぞろと武将たちが集まってきた。
皆が珍しいものでもあったかのように俺をじろりと見ては床机に座っていく。その視線が痛い。
因縁を付けられないよう顔を伏せぎみにして、目を合わせないようにする。
暫くそうしていると、最後の武将が現れ着席。
村上様が話を始めた。
「皆、先ほど深志城より使者が参った」
「して何と」
「明日の朝、開城して明け渡すとの事だ。寛大な仕置きを願うと言うてきた」
「それは上々。幸先が良い」
「何が良いものか、村上の爺も柿崎の親父も人が良いのにも程がある。約束は今日なのだ、即刻、開城すべきであろうが。開城せぬのであれば、根切りだとでも伝えれば良いのだ」
若い武将が上座の村上様と柿崎様に噛みついた。
「繁長、そういきり立つな。開城が今夜であろうと明日の朝であろうと我らの行い事は変わらぬ。それに後詰めでも現れん限り武田方も事を違えようとはせぬであろう」
「うむ、柿崎の言う通り。我らは八千、城方は二百もおらん。戦いにはなるまい。それに人には納得するための時が必要だ。事を急いても良くない時もあるからの」
「へんっ、全く歳は取りたくねえぜ。そんな甘い事を言っているから信濃から叩き出されたんじゃねえか」
「繁長、口が過ぎるぞ。口を閉じぬか」
「へっ」
村上様は繁長と呼ばれる若い武将を見て笑う。
「頼もしいではないか、繁長。任せがいがあると言うものだ。皆の者も良く聞け、明日から二手に別れて進むぞ」
軍議に参加している武将たちが頷く。
「明日、開城したら兵五百を深志城に入れる。そして残り七千五百を二手に分けて武田領を喰らう。良いな」
「「「おう」」」
「一軍、主将は柿崎景家、副将は本庄繁長に兵二千五百を任せる。天竜川沿いに三州街道を南下し高遠城、飯田城を喰らい遠江と三河の国境まで進め」
「承知」
「任せてくれよ」
「うむ、そして武田の城、砦を全て押さえたら深志城まで戻り御屋形様の命があるまで南信濃を治めよ」
柿崎様と本庄様が二人とも頷いた。
村上様が続ける。
「二軍、主将は儂が務める。兵五千を率いて中山道を進み美濃に出る。そして遠山を落とす。遠山の者共の領地の仔細は分からぬが東美濃を喰らい、尾張の国境まで進むこともあり得る。皆の者、心せよ」
「「「おう」」」
「なんだよ、村上の爺さん、そっちの方が面白そうじゃねえか。やっぱり俺もそっちに行って良いか」
「駄目だ、これは御屋形様からの命だ。柿崎の与力を見事務めよ」
「けっ、どうせ宇佐美の爺当たりの策なんだろう。他の連中は御屋形様と甲斐に行っちまったし、どうやら貧乏くじを引いたのは俺らしいぜ」
「こら、繁長、口を慎めと言うておろう。深志の守りに残すぞ」
「それはないぜ、柿崎の親父よ。そんなんじゃ、何のために信濃くんだりまで来たのか分からなくなるぜ」
「だったら口を閉じよ」
「へんっ」
一軍の三州街道南下は何ら問題がない。各城に残る将兵は、多くて数百だからだ。
問題は東美濃だ。東美濃を治める遠山家は武田に従臣しているとは言え、半ば独立勢力に近い。
この度の征伐に対して、集まった武田勢には参加していないと予想されている。
「では各々方、備えをされよ」
「「おう」」
武将たちが立ち上がり自陣へと引き上げて行った。それを見送る四人、村上義清、柿崎景家、本庄繁長、そして俺、海野幸稜。
「義清殿、ちと教えてほしい事がある」
「どうした。急に改まって」
「お主、あれを知っていたか」
「俺も聞きてえな」
「…」
ちらりと村上様が俺を見た。
分っております村上様。と俺は立ち上がり軍議の間から出ていこうとする。柿崎様と本庄様の視線が俺を追ってくるのが分かる。
「こら幸稜よ。どこに行く。お前が答えるのだ」
ええっ、俺が答えるのですか?
「他に誰がおる。良いから戻って座らぬか」
「へえ、お前があの海野か」
「繁長、知っておるのか」
「柿崎の親父は世事に疎いな。しっかりしてくれよ、いつか足元を掬われるぜ」
「お前に言われとうはない。早よう説明せぬか」
「海野と言やあ、糸魚川の海野屋の事だろ。焼き塩を安く大量に出回せたり、米を安く売ったり、信濃川の分水路を普請したりと儲けが出るのか良く分からない商売をする大商人だ。それに最近は銭で武家の家名を買ったと噂の奴さ」
「ほう、あの海野幸稜がお主か。道理で見知らぬ顔が末席におると思うた」
「繁長、幸稜は確かに商の才を持っておるが、もともと信濃の滋野一族の出だ。銭で武家を買おた訳ではない。下手な事を言うでない」
「へえ、信濃の武家ねえ。そうは全然見えないぜ」
「当たり前であろう。この海野幸稜はずっと商家として生きてきたのだ。これが初陣よ」
「へええ、それは凄いな、こんな大戦が初陣か」
「海野の事は分かった。しかし、その海野があれとどのような関係があるのだ。まさか銭で買おた訳でもあるまい」
「さすが、柿崎景家様です。その通りでございます」
「嘘を言うでない。銭であのような事ができる訳がなかろう」
「へえ、面白い事を言う奴だな。銭で買ったと言うが裏があるって事だろ。柿崎の親父、ここはこの海野幸稜にじっくりと裏を教えて貰おうじゃないか」
「……良かろう。幸稜、説明せい」
「村上様、お二人に説明しても宜しいですか?」
「うむ」と村上様は大仰に頷いた。
「では。あれは星降りでごさいます。武田方の海津城に星が降ったのございます。少々大きな星ではごさいましたが」
「あれが星降りと言うか」
「はい」
「なぜ、星が降ると分かった」
「銭で買いました」
「馬鹿な」
「へえ、誰から買ったんだ?」
「始まりは御屋形様が上洛した折り、京の陰陽寮の者より内密に告げられたと伺っております。ですが、さすがにそのような話は信じられません。そこで明や南蛮と商いをしている某に内密に探れと話があったのです」
「柿崎の親父は聞いていたのか」
「いや、そのような話は知らなんだ」
「それで明の天文方からと南蛮からと、別々に星降りの話を仕入れたのでございます。すると、やはり陰陽寮の話と同じく、近々、日の本に星が落ちると」
「それに銭を使ったと言うか」
「はい、仔細な場所や頃あいなどを仕入れました」
「だが、都合が良過ぎないか。たまたま、海津城に星が落ちるなどと」
「それは違います、本庄繁長様」
「どう違うんだ、話せよ」
「では本庄様、海津城が造られたのはいつでごさいましょう」
「昨年、御屋形様が関東を征伐している間に普請されたと……おいおい、まさか」
「どう言うことだ。何がまさかなのだ、繁長」
「親父、海野のこいつは星が降る場所に海津城を造らせたと言っているんだぜ」
「馬鹿な」
「星の降る場所はおおよそ分かっておりました。もともと海津城の地には国人の館があり、某はそこに商いに行ったのです。北信濃の地は上杉と武田の争いの地となる、いずれに付くは捨て置き館を拡げて砦にしては如何と、塩のように安く普請致しますよと持ちかけたのでごさいます」
「武田方がそれに目を付けるようにか」
「勿論」
「なるほど、星降りが前で城造りが後か。そして武田方はその普請に目を付け、砦を更に大きく城にしたと」
「はい、目論見通りでした」
「海野幸稜、この度の事、お前が企んだのか」
本庄繁長が薄目で俺を見る。
「まさか。某は指示にて動いたまで」
「と言うことは宇佐美の爺さんか。全くあの爺さんは」
俺は表情を読まれない様に少しうつ向く。
「仔細は話せぬが、まあ、幸稜が言ったような事だ。二人とも内密にな」
「承知した」
「分かったぜ」
納得した顔で柿崎様と本庄様は立ち上がり軍議の間からいなくなった。
二人の姿が見えなくなり、一拍置いて村上様は俺に頷いた。
次の日、武田方が期待する後詰めなどは現れず約束通りに開城。
村上様は深志城に兵五百を入れ監視と守りに着かせ、残りの兵に出陣の命を下した。
途中、柿崎様の指揮する一軍と別れ、ひたすら中山道を南下。武田方の抵抗は受けずそのまま峠を越えて越後勢五千の兵は美濃に侵入した。
次回、上杉勢出現と碁
本物の加藤段蔵はどこに居ることやら。
幸稜、美濃に行きます。
相手はあの有名人。




