怒れない男 7
しかし、精神安定剤を飲んでもY次郎の症状は一向に落ち着く兆しを見せなかった。それどころか薬の副作用のせいで眠気が取れず、職場でつまらぬミスを連発するようになった。
「Y次郎、この書類はなんだ?また発注量を間違えているぞ」
「申し訳ございませんT課長!すぐに作り直します」
「たくっ、いつまで俺に尻拭いさせるつもりだ?」
初めて症状が出てから五年目の夏を迎えていた。気がつけば自分の一年後輩であった新人Tに出世レースで追い抜かれ、今ではY次郎の上司となっている。前に発注量を間違えていた、あの新人である。
仕事に慣れるとメキメキと才能を発揮し、今やY次郎が所属する部門にはなくてはならない商社マンに成長したT。
一方で沸き上がる怒りを必死に沈め、自らの力の暴発に怯える毎日のせいでいつしかY次郎は笑顔を忘れてしまった。
当然、商談もうまくいかず、上司には愛想を尽かされ同期はY次郎を避けるようになってしまった。リストラになっていないのが不思議なほどで、もはやなんのために仕事をしているのかY次郎自身にも分からなくなっていた。
「F子、どうなんだ?俺はどんな病気なんだ?なんで、俺だけこんな目に遭うんだ!」
「まだ分からないわ、でも必ず治療法を見つけて」
「もう五年だ!五年も経ってしまったんだぞ!いつになったら治療法は見つかるんだ!だいたい、お前が言う信頼のおける奴らってのは本当に信じられるのか!」
「ちょっと落ち着いてY次郎くん!」
花瓶の割れる音でY次郎は、そうか俺はF子の診察室に来ていたんだなと理解した。それまでどんな生活をしていたのか、どうやってここまで来たのかも記憶が曖昧になっている。
「落ち着け?俺は落ち着いているよ、おとなしくお前の言う通りにしていたら、こうまで落ちぶれたんだ!!」
「Y次郎くん!」
「だまれ!だまれ!うるさい!だまれ!!」
瞬間、何かが折れる音がした。診察室に響き渡るF子の悲鳴。のたうちまわっている、白衣は乱れ、眼を剥いてあばら骨のあたりを抑え、ぽってりとした可愛らしい唇からは泡が吹き出している。
最悪の事態が起きてしまった。ついに力が人体にまで及んでしまった。娘の悲鳴を聞いたF子の父親が診察室に飛び込んできた。
驚愕の表情、怒りに燃える瞳。なにやら叫んでいる。
警察、という言葉を背にY次郎は診察室から逃げ出した。




