第5話 異文化ゆえの
「警護の者から、目が覚めたようだと報告があって──体調はいかがですか」
訪ねて来たのは、グレイニーグだった。
すぐに会いたくて勢いで入室を許可してしまったエルルーカは、彼の顔を見るなり一瞬で後悔した。
グレイニーグの声音がやや冷たく強張っており、その表情も同じようにいささか引き攣っていたからだ。
部屋に入った彼は、厳しい顔で扉の前に立ち近寄って来る気配もない。
(どうしよう……鼻血は見られていなくても、やっぱり、初対面で倒れたことで印象が悪くなってしまったのかも)
ドレスを緩めた状態で会うのが恥ずかしく、起こした上体を隠すように布団を体に引き寄せたまま、エルルーカは不安を感じながらおずおずと言った。
「さっ、先程は大変な失礼をしてしまい、申し訳ありません。ここまでお運び頂いたことも……あ、りがとうございました。た、体調は……もう大丈夫です」
しっかり話さなくてはと思うのに、彼がそこにいると思うだけで心臓が勝手にドキドキと高鳴ってしまい、上手く言葉が出てこず、視線を合わせられない。
声もどんどん小さくなってしまう。
グレイニーグが短く「そうですか」とだけ言い、部屋に沈黙が落ちた。
(怒って……らっしゃる?)
不安に思っていると、グレイニーグが小さく息を吐いた。
「……見舞いの品です。受け取って下さい」
そう言って、控えていたアンヌに小さな箱を手渡す。
銀細工が細かく施された漆黒の箱は、黒曜石を削り出して作られたかのように美しく、黒色が複雑にキラと輝いている。
(わぁ……)
中身はわからないが、遠目でそれが見えたエルルーカは、元来の素直さで思わず感想をそのまま口にしていた。
「素敵……、グレイニーグ様の角みたいで、とっても綺麗ですね」
「──え?」
その瞬間、グレイニーグがビシリと固まったが、箱に視線を向けているエルルーカは気付いていない。
彼からの贈り物というだけで、気持ちが高揚して声が弾み、言葉が溢れ出た。
「角と同じで、神秘的な輝きがすごく美しいです。その箱も、グレイニーグ様の角も黒曜石のようで、思わず見惚れてしまいますし、それに──」
「もう結構です」
ピシャリと低く遮られ、エルルーカはハッとしてグレイニーグを見る。
漆黒の瞳がさらに温度を下げ、眉根も深く寄っていた。
「……角については、今後一切口にしないで下さい。私はもちろん、他の者達に対しても。いいですね? ──私はこれで失礼します。今暫くお休みを」
グレイニーグは冷たい声音でそれだけ言うと、困惑するエルルーカを残し、素早く部屋を出ていってしまった。
しんと静かになった部屋で、エルルーカは泣きそうな声でアンヌに尋ねる。
箱を手に持ったままの彼女も、同様に困惑していた。
「……もしかして……嫌われた……?」
遠方の地であるガーレイン王国について、エルルーカは全くの無知に近い。
政略結婚の話がまとまり、帝国からは「できるだけ早く婚姻を結んでほしい」と言われ、その通りすぐに国を出た。
幸い使う言語は同じ大陸共用語だったが、「文化の違いについては、結婚後に現地で教育係をつけるから、そこで学べばいい」とも言われていた。
(角を褒めたのが……そんなに良くないことだったのかしら)
青ざめるエルルーカに、アンヌが声を掛ける。
「……ここでは、角の話題は禁物のようですね。姫様……元気を出して下さい。知らない国へ来たばかりなんです。これから学んで、気をつければいいだけです。頑張ると、決めたばかりでしょう?」
「うん……」
優しく励まされたが、エルルーカの心は萎んでしまった。
(どうしよう……結婚相手が私じゃ嫌だって思われていたら……。好きになって欲しい。どうしたら……どうしたら好きに──あ、そうだわ!)
好きになって貰いたい一心で、エルルーカはとある方法を閃いた。
***
早足でグレイニーグが己の執務室に戻ると、中では信頼する部下二人が待っていた。
「グレイニーグ様……! 一体どうなさったんですか、そのお顔は」
部屋に入るなり、書棚の側で神経質そうに書類を眺めていた白い長髪に緑の角の男──ゼノがそう言い、怪訝な顔で駆け寄って来る。
対して、行儀悪く執務机の上に座って本を読んでいた、額から白い角を生やす黒髪の男──ロアンは、ケラケラと笑った。
「あっは! グレイニーグ様、顔、真っ赤じゃん! やっばー!」
すぐさま指摘されたが、それはグレイニーグもわかっている。
エルルーカの部屋を出るまでは何とか耐えたが、自分の顔が完全に茹で上がってしまっていることは、自覚していた。
何故なら──。
「……夜伽に誘われた」
低く呟きながら俯き、片手で顔を覆う。
部下二人が、目を丸くして「は?」と驚きの声を上げた。
「ど、どういうことですか?」
「あれ? グレイニーグ様、まだ結婚前だったよね?」
ロアンの瞳は、明らかに面白がっている。
困惑するゼノによってソファーへ誘導され、どさりと腰を下ろし脱力したグレイニーグは、深いため息を吐くと、背を丸めて頭を抱えた。
「一体どういうことですか? どうかお聞かせ下さい。ご体調の確認に行かれたのですよね?」
隣に座ったゼノが、心配そうに覗き込んでくる。
まだ熱の引かない顔で床を見つめたまま、グレイニーグは戸惑いを露わにした。
「……体調は問題ないとは言っていたが……暫く目を合わせて貰えなかった。身を守るように引き寄せた布団を握りしめていたし……やはり、恐ろしいのを無理していると思う」
言いながら、脳裏に先程のエルルーカを思い浮かべる。
朝焼けのような美しい瞳は伏せられ、涙で潤んでいた。
謝罪する声は震えていて、入室こそ許されたが、怖がらせたくなくてそれ以上近くに寄ることができなかった。
「彼女の侍女は『楽しみにしていた』と言っていたが、きっと……私の怒りを買わないように、ああ言ったのだろう。少しでも心が安らげばと思って見舞いの品を渡したんだが……そこで……熱烈に夜伽に誘われた」
「え? どういうことです? 見舞いの品を渡しただけで?」
「マジ? 何て言われたの?」
二人から尋ねられ、グレイニーグはさらに俯き悩ましげに顔を覆った。
「いや、違うんだ。言っている時の雰囲気だと、彼女に全くそのつもりがないのはわかっている。他意はないはずだ。だが……その……それはもう、何度も……角を、褒められて──」
言葉に詰まると、部下二人は「あー、それは……」と顔を見合わせた。




