第1話 衝撃の出会い
(ついに……)
漆黒の太い柱が並び、ヒヤリと冷気が肌を撫でる、要塞のような城の薄暗い廊下。
ピリついた空気を放ち先へと進む男の後ろを歩きながら、エルルーカはゴクリと喉を鳴らした。
(ついに、この日が来たのね)
彼女の半歩後ろには青い顔をした専属侍女が続き、無言の男二人が彼女達の前後を挟み縦一列に並んでいる。
艶やかな白と黒の石が美しい幾何学模様を床に描き、静寂な空間に四人の靴音がカツンカツンと硬く響く。
エルルーカがいるのは、数多の魔獣が生息し、魔王が統治すると言われているガーレイン王国の厳しくも壮麗な城──魔王城の中だった。
(噂の通りだわ)
エルルーカの心臓は、もうずっと前からバクバクとうるさく鳴っている。
体の前できちんと重ね揃えている手は、微かに震えていた。
何故なら、じっと見つめる目の前の男の頭には──。
(本当にみんな……角がある)
白い長髪を背に垂らし、黒い軍服を着た神経質そうな顔付きの背の高い男。
その両耳の上には、流水にインクを流したようにこめかみから後ろへうねり伸びる、二本の角が生えていた。
長いそれは、エメラルドを削り出したと言われても納得できる深緑色で、不思議な輝きを放っている。
対して、後ろを歩くさらりとした黒髪の男は、その額から、象牙の如く滑らかな太くやや短い二本の白色の角が、天へ伸びるように生えていた。
もちろん、遥か遠い国から来たエルルーカの頭にも、侍女の頭にも角はない。
(この国の方達は、本当にみんな黒い瞳で、角が生えているのね)
両手を握り締め、心を鎮めようと生唾を飲む。
視線を感じ取ったのか。
目の前の男は不機嫌そうに僅かに目を眇め、ちら、とエルルーカを振り返り冷ややかに言った。
「……間も無く、謁見の間に到着致します」
「は、い」
体が強張り、声が上擦ってしまう。
(……もうすぐだわ)
歩きながら大きく一つ深呼吸をすると、侍女がか細く声を掛けて来た。
「エルルーカ姫様、大丈夫ですか?」
「……ええ。大丈夫よ、アンヌ」
僅かに歩調を緩め、専属侍女であるアンヌと距離を縮め答えると、ほぼ横並びになった彼女は、エルルーカの顔を見るなり盛大に眉を顰めた。
「姫様、どこが大丈夫なんですか……!」
小声で語気を荒げたアンヌの、おっとりと垂れた茶色の丸い目には、エルルーカが映っている。
僅かに目尻が釣った勝気な印象の大きな瞳は、宝石のように煌めく真紅。
さらりと長く色の濃いストロベリーブロンドの髪は、灯りが弱い屋内だと、瞳と同じく血のように赤く見える。
透明感のある白い肌。
健康的に色付いている丸みのある頬。
ベルベットのように滑らかな黒地に銀糸で刺繍を重ねた、すっきりと品のあるシルエットのドレスを纏っている彼女は、今年十八歳の成人を迎えたばかり。
大人しくしていれば、淑女らしいスラリとした美女──なのだが。
その口元を見て、アンヌが一層顔色を悪くし、声を押し殺しながら叱りつけてきた。
「姫様、本当に勘弁して下さい! そんなニヤニヤしたお顔では、お相手に失礼です!」
「え、嘘。そんなに顔に出てた?」
パッと片手で静かに口を隠すが、確かに、その口角は緩く上がり、期待と興奮がはっきりと滲んでいた。
エルルーカは、何も囚われの身として魔王城に連れて来られた訳ではない。
小国の末姫である彼女は、魔王軍最強の男との間に持ち上がった政略結婚のため、自ら喜び勇んでここへやって来ていた。
「仕方ないでしょ? やっと理想の男性に会えるかもしれないのよ? さっきから興奮で震えが止まらないのよ!」
「楽しみなのはわかっていますけど、せめてもう少し、その崩れたお顔を何とかして下さい。お相手に好かれないと、破談になってしまうんですよ? わかってます?」
青い顔でヒソヒソと小言を言っているアンヌも、別にこの地や異形の男達に対して恐怖を抱いているわけではない。
己の主であるエルルーカが、今から初めて会う結婚相手に粗相をしないかだけが、心の底から気掛かりだったのだ。
「アンヌ、わかってるわ。お姉様みたいに、『可憐でかわいらしく』でしょ? 大丈夫よ、任せておいて」
「はぁ……心配すぎる。姫様、本当にお願いしますよ?」
殆ど視線だけで全ての会話を行なっていると、前を歩いていた男が歩みを止めた。
「中へどうぞ。陛下と──王弟殿下がお待ちです」
開かれた重厚な漆黒の扉をくぐり、大広間の奥、魔王が鎮座する玉座の前まで視線を伏せたまま静々と進み出る。
エルルーカはドキドキと激しく胸を高鳴らせながら、それを綺麗に隠しカーテシーを披露した。
「この度は、大変光栄なお話を頂き誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。クレアム王国から参りました、エルルーカ・リーン・クレアムでございます」
できる限りの淑やかな声音で挨拶をすると、穏やかで予想よりも気さくな声が返ってきた。
「やあ、よく来てくれたね。顔を上げてくれ」
「──はい」
ふわりと柔らかな微笑みを作り、顔を上げる。
豪奢な玉座に悠然と鎮座する魔王──まだ若きガーレイン国王、ラングールと目が合った。
温和そうな整った顔に、緩く癖のある黒髪を片方の肩で一つに束ねている彼の頭にも、鹿のように枝分かれした長い漆黒の角が生えている。
「こちらこそ、結婚の申し出を受け入れてくれて感謝しているよ。エルルーカ姫、早速だが、あなたの相手を紹介しよう。私の弟──グレイニーグ・ガーレインだ」
魔王がそう言うと、玉座の背後の闇から、いつからいたのか一人の男が現れた。
立派な体躯を包む漆黒の軍服の胸には数多の勲章が並び、羽織る長いマントが歩みに合わせて優雅に靡く。
その無駄のない足運びと堂々とした佇まいを見た瞬間、エルルーカの脳には、雷に打たれたかのような衝撃が走った。
(な……なんてことなの……!)
目の前で立ち止まったグレイニーグは、固まるエルルーカをじっと見下ろした。
緩く癖のある黒髪は兄ラングールのそれより短く、太い首筋が見えている。
切れ長の鋭い目元は涼やかで、ガーレイン国の者であることを示す黒い瞳は、光の加減で微かに紫がかって力強い。
野生味と気品が同時に感じられる相貌は、凛々しく彫像のよう。
そして、その両耳の上には黒曜石のように輝く角があった。
山羊のものに似て緩く巻き太いそれは、頭の高さほどで鋭くなり上を向いている。
笑顔一つなく厳しい表情のまま、グレイニーグの形の良い薄い唇がゆっくりと開いた。
「王国軍最高司令を務めております、グレイニーグ・ガーレインです。遥々お越し頂けたこと、感謝申し上げます」
低く響く落ち着いた声で挨拶をされた瞬間、彼を見上げていたエルルーカは、心の中で絶叫した。
(なんてことなの!! 私の理想、ど真ん中すぎる!!)
すぐに飛び上がって喜びそうになる体を、必死でその場に押し留める。
背筋を伸ばして立つ彼女の内心は、大変な騒ぎになっていた。
(え……好き……好き好き大好き! なんて素敵な方なの!? 私、絶対この方と結婚したい!!)
端的に言えば、恋だった。
(この方がいいわ。結婚するなら、この方がいい。絶対破談にしたくない! ラブラブになりたい! す、好きになって貰わなくちゃ。挨拶……そうだ、挨拶しないと──)
だが、それは叶わなかった。
興奮が一瞬で最高潮に達したエルルーカは、口を開くより前に、その場で気絶し倒れてしまったのだ。
それはそれは幸せそうな表情に、鼻血を添えて。




