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エピローグ そして、夏休みへ

「裕美、本当にありがとうね」

 駅ビルにあるアスティのドトールで、裕美と有海はお茶をしている。

「いやあ、それが私は無事じゃなくてね。事件の後に学校からはたっぷりと怒られちゃったんだよね」

「うん、それは本当にごめんね。裕美がそんな危ないことをしたなんて思わなくて」

「いやいや、謝らんでよ。でも、エリカって女も、これでしばらくは表には出てこれないし、出てからも見張られてるだろうから、そう悪いことはできんでしょ? ところでさ、有海の友達は元気になってくれたの?」

「うん、明乃もしばらく落ち込んでいたし、あんな恐いことの後だから、何かお互いに黙り込んじゃったりしてたけど。でも、期末試験の最終日に、思い切って私からもう一回栄を案内してよ、って誘ったんだ。それからは、ちょっと時間がかかったけど、今ではまた一緒に笑顔になれるようになったかな」

 有海が笑顔で報告しているのを見て、裕美も気分が晴れてくる思いを感じる。

「まあ、お互い期末試験はクリアできたんだから、これで後は終業式を待つだけやね。それが済めば夏休みだから。七月二十日の海の日まであと何日だっけ? でも、私は陸上部の練習がみっちりあるから、八月の初めからお盆休みが終わるまでの短い期間しか休みは無いんだけどね」

「ねえ、裕美。高校生になって最初の夏休みなんだし、どこか一緒に遊びに行かない?」

 有海の唐突な話題に、裕美は「ええ? どうしたん、急に?」と嬉しさ半分、戸惑い半分で聞き返してしまう。

「だって、何か私だけ裕美から貰うばっかりじゃ、気が退けちゃうもの。ねえ、だから私から一個提案していいかな?」

「んー、それは大丈夫だけど? でも提案って何なん?」

「ほら、以前に裕美がこの街にプロレスが来るって行ってたじゃない? 裕美がそんなにまで夢中になるって、どんなものか気になってきちゃったんだよね? その試合のチケットって、まだあるかな?」

「ええ、来てくれるの? ねえ、無理しとらん?」

「いや、確かにちょっと恐いのは今も同じだよ。でも、裕美の好きな世界、私も見てみたいの」

「おお、まかせてよ! 確かにガラの悪いおじさんとかがエキサイトしてるだろうけど、有海のことはちゃんと会場でガードするから、夏休みの終盤、一緒に燃え上ろうよ!」

 裕美は胸をワクワクさせて、有海の手を取る。

 彼女の胸の内には、今度の夏休みは、一生の思い出になりそうな予感がしていた。


          ※


 そして、試合当日の八月二十六日。

 試合会場の妙興寺駅前のアピタ駐車場にて、裕美と有海の二人は、不意打ちのようにしれっとチケットを手に会場にやって来ていた美穂、葵と鉢合わせした。

 有海としては、裕美、美穂、葵の三人とは中学時代には学校でしか交流がなかったためか、清潔感のある白Tシャツとミニ丈のジーンズスカートという服装の美穂や、兄から譲ってもらったという男物の襟付きシャツとメンズの綿の長ズボンを着こなす葵は、新鮮な印象を抱いたようだ。一方で、裕美のnWоというプロレスラーのユニットの公式Tシャツ――美穂からは「それ、嫌いなチームのTシャツじゃなかったの?」とツッコミをいれられたそうだが――にハーフパンツというファッションは、有海の抱いていた裕美のイメージ通りで安心できる格好だったようだ。

 そして、四人は目の前で展開される流血の地獄絵図を一緒に目撃することになった。

 案の定、エキサイトしていたのは裕美ただ一人であり、美穂は血だるまの女子選手の姿に青ざめ、葵はショッキングな場面がくるたびに「清水さん、今のは見ない方がいいわ」と有海の目を時々隠してやったり。さらには柄の悪い中年男が悪役レスラーに「おらあ、てめえ! 何やってんだ、さっさとバット使え、バット!」とか「やれえ! 頭をかち割れ!」という品性を疑う野次を飛ばすのを聴いた葵が、思わず口を開けて呆れかえってしまったり。

 そして、スーパーレザーの入場シーンがやって来た時には、彼のチェーンソー入場の異様な恐怖にみんなして逃げ惑うハメになったのだった。これは楽しみにしていたはずの裕美も例外ではなく、あろうことか友達を置いて真っ先に逃げ出したのだった。葵も「清水さん、こっち!」と有海の手を引いて血相を変えて逃走し、美穂にいたっては絶叫しながら逃げ惑って余計にスーパーレザーに追いかけられる始末だった。

 しかし、最終試合で登場したハヤブサ&新崎人生VSミスター雁之助&ショッカーの試合は、裕美が熱っぽく語った内容に違わぬ、確かに熱く手に汗を握る試合だった。FMW正規軍のハヤブサと、団体の支配を狙っているテリー・ファンク軍に所属するミスター雁之助は、宿命のライバルとも言える関係だ。チャンピオンベルトを奪われ続けて、かろうじて残っているのはリッキー・フジが持つミドルヘビー級のベルトだけという苦境に立たされる正規軍と、FMWのタイトルを着実に奪取して勢いに乗るファンク軍、それぞれの属するチームの命運を背負って立つ者同士、お互いにボロボロになりながらも執念で何度でも立ち上がっては火花を散らしあい、新崎人生も静かなる闘志で攻撃に耐え、さらには裕美が待ち望んでいた拝み渡りという必殺技で逆転の糸口を掴んだり、そんなドラマが繰り広げられた。試合は、新崎人生がショッカーを念仏パワーボムでリングに叩きつけて、見事スリーカウントを奪って正規軍の勝利に終わった。

 裕美からすれば、この試合結果が最終戦となる八月三十一日後楽園ホールで予定されている、ファンク軍が保持する6人タッグのベルト奪還をかけたタイトルマッチへの前哨戦のようにも感じられた。彼らの目線は、さらにその先の九月に開催される川崎球場での今年前半を締めくくるビッグマッチにあるのだろう。それらを彼女が直に見届けることはかなわないのだが、それはプロレス誌で是非ともチェックしておきたい。

 こうして、すべての試合が終わった後、有海は爽やかな笑顔でこう言い放ったのだ。

「裕美がプロレスを好きな理由、何となく見えたけど、私はもういいかな?」

 そのコメントに、美穂も葵も無言で頷いた。もちろん、二十九日の豊橋での試合は、裕美一人だけで遠征をすることは避けられなかった。

 こうして、裕美の忘れられない夏休みは終わりに向かって進んでいったのであった。

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